〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

日本の航空会社で購入表明が相次ぐ737MAX、A320neoの巻き返しや主力機の鞍替えはある?

昨年から今年にかけて日本の航空各社で737MAXの購入表明が相次いでいます。かねてより737MAXを購入する意向を表明していたANAホールディングスは2022年7月11日に737-8シリーズ20機の確定発注の最終購入契約を締結したと発表。2025年から導入予定となります。また、今年の1月18日にはスカイマークも次期主力機として737MAXを正式発注したと発表。737-8と-10を各2機ずつで2026年度納入予定ですが、その前の2025年4-6月期から737-8を6機リース導入する予定です。

さらに3月21日には日本航空が737-8型21機を確定発注したと発表。こちらも2026年からの運航開始を予定しており、2025年から26年は737MAXの就航ラッシュになりそうです。

 

皆様ご存じの通り、737MAXは2018年と2019年に相次いで墜落事故を起こし、FAA【アメリカ連邦航空局)をはじめとした世界各国の航空当局から運航停止処分を受けていましたが、ボーイングが安全確保のための改修措置を行い、2020年12月以降、順次運航が再開されています。運航再開後は墜落事故はもちろん、目立った不具合や運航トラブルは起きておらず、ANAやJALも安全性の面で問題ないと判断して発注に踏み切ったようです。各航空会社に737MAXが納入される頃には更に運航実績を重ねて信頼性が上がり、初期不良や不具合も出尽くしていると思いますので、今回の発注のタイミングは「絶妙」と言えるでしょう。

 

↓737MAXについては当ブログの過去記事もご参照下さい。

 

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さて、これだけ相次いで737MAXの発注表明が相次ぐと、ライバルのエアバスA320neoシリーズの動向が気になるところ。当初は737MAXの「敵失」もあってANAやピーチ、ジェットスターやスターフライヤーで発注されてきましたが、これらの会社は元々A320シリーズを使用していた会社であり、737ユーザーがA320に鞍替えするケースは今のところ日本ではありません。また、今回737MAXを発注した航空会社にしても元々737を使用しており、こちらもA320からの鞍替えとなるケースはありません。見方によっては「それぞれの機種のユーザーが改良版を発注した」というある意味順当な結果になっているとも言えます。

では、これから先、A320ユーザーが737に鞍替えしたり、その逆のケースが発生するといったことは今後あり得るのでしょうか?

 

まずはANAグループ。今やANAの子会社となったピーチや、ANAとコードシェア関係にあるエアドゥ、ソラシドエア、スターフライヤーを含めても、当面は鞍替えする可能性は低いと思います。

当ブログでも過去に取り上げたことがありますが、ANA位の規模で737とA320の両方を保有するケースは実はそれほど多くはなく、世界的に見ても珍しい事。当時の記事では否定的に書いていましたが、今は「両方の機種を持っていてもそこまで不利ではないかもな」と思うようになってきました。

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確かにANA単体で見れば737MAXとA320neoをそれぞれ30機程度というのは余り効率がいいとは言えません。しかし、ANAグループ全体や提携航空会社も含めてみれば、実はかなり大きな規模を持っていることで、両方の機種を保有していてもスケールメリットは十分生かせますし、リスクヘッジもできているのではと思うのです。

ANAグループ及び提携会社(独立性が強く、ANAへの依存度が薄いスカイマークは除く)の737とA320の保有機数は以下の通り。

 

ANA本体(ANAウィングスも含む)

737      39機

A320・A321  36機

ピーチ

A320・A321  33機

エアドゥ

737      8機

ソラシドエア

737      14機

スターフライヤー

A320    11機

 

合計 737 61機 A320 80機

 

いかがでしょうか?ANA単体だとそれぞれ3~40機程度しかなさそうですが、グループや提携航空会社も含めると結構な規模になりますし、ピーチやスターフライヤーも合わせるとむしろエアバスの方が機数が多いことが分かります。既にANAはピーチの分もまとめて発注していますし、今後は経営統合したエアドゥとソラシドエアが共同で新型機を発注と言うことも考えられますから、グループ全体で見れば両方の機種を保有しても十分スケールメリットを生かせられそうです。

また、エアドゥとソラシドエアの後継機も今の機種との連続性やANAグループ全体の単通路機のバランスを考えると737MAXに傾く可能性が高いと思われます。ただ、もし将来的にスターフライヤーとの統合を考えているなら、思い切ってA320neoに切り替えるという選択肢もあります(既にA320neoを導入する予定のスターフライヤーが737に合わせるとは思えませんし)。

ただ、他の2社に比べて独自性も高く、上場会社であるスターフライヤーが今更この2社に合流するとは考えにくいので、統合や鞍替えの可能性は低いかなと思います。

 

 

一方のJALグループ。現在保有している単通路機は737-800のみ56機ですが、今回発注したのは21機と3分の1強。全ての737-800を737MAXで置換えるわけではありません。JALの場合、同じ737-800でも初期導入期は2005年製と間もなく更新時期を迎えるのに対し、日本トランスオーシャン航空に納入された機材は2016~2019年製と比較的新しいなど納入時期にかなりのばらつきがあるため、慌てて全機置換える必要が無いと言う事情があります。また、JALは737-800以外にも28機の767-300ERの置換えも控えていますので、一部の767-300ERを737-10かA321neoで置換えるというシナリオも考えられます。

下記のリンク先の記事にもあるように、今回の発注だけで「JALの次期単通路機=737MAX」と決めるのは早計であり、ANAと同様、今後A320neoシリーズも発注して737MAXと併用する可能性も十分考えられます。よって、JAL本体に関しては「A320neoに統一される可能性はなくなったが、737MAXと併用する可能性は残っている」と思います。

 

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また、JALグループでもジェットスタージャパン(JALが50%出資)とスプリング・ジャパン(JALが66.7%出資)というLCC2社を抱えており、前者はA320シリーズ21機を、後者は737-800を6機保有しています。特にスプリング・ジャパンは2024年4月からJALとヤマト運輸の合弁貨物航空会社の運航受託を予定しており、その機材はA321ceoの貨物機改造型。スプリング・ジャパンの出資先の一つである中国の春秋航空もA320シリーズの単一機種であり、今後A320の機種移行養成も春秋航空と協力する予定ですので、将来的にはA320neoに移行してもおかしくないのではと思います。よって、今後鞍替えの可能性があるとすればスプリング・ジャパンではないでしょうか?

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JAL本体は737、傘下のLCCはA320と棲み分ける可能性もありますが、JAL本体は737だけでもグループ全体で見れば実はA320の割合もそれなりにあり、この点も今後JAL本体がA320neoシリーズを発注する可能性が十分考えられる理由です。以前JALの社長、会長を務めた大西賢氏も「基本的に機材計画は20機が目安。1機種あたり20~30機の規模になれば、別の機種を投入しても投資が無駄にならない」と発言しており、グループ会社も含めたJALの規模から考えると、737MAXとA320neo、両方持っても問題ないと言うことになります。今後はJAL本体がA320neoシリーズも発注するのか、スプリング・ジャパンの主力機鞍替えがあるのか、この点に注目していきたいですね。

 

 

「え?あの会社も東急グループだったの!?」な元東急グループ企業

 

東急100年史や以前に購入した東急50年史など、東急社史や東急に関する書籍を読んでいると、東急グループの幅の広さと企業数の多さに驚かされます。大手私鉄のグループ企業というと、バスや地方鉄道などの交通関係に、百貨店やスーパーなどの小売事業、ホテルや旅行代理店と言った観光サービス業辺りが定番ですが、東急の場合は他の大手私鉄ではあまり見られなかったり、片手間でやるには規模が大きすぎるグループ会社がいくつも存在しています。

例えば東急建設や東急不動産。グループに建設会社や不動産会社を保有する大手私鉄は他にもありますが、東証プライム上場の大手レベルまで育てたのは東急くらいでしょう。また「東急の空への夢」の最後に出てきた空港運営会社「仙台国際空港」や、昨年開局したBSテレビ局「BS松竹東急」も、大手私鉄が手がける事業としては異例なものです。

しかし、昔の東急グループの手の広げっぷりはこんなものではなく、当ブログや動画でも紹介した航空事業の他にも自動車製造業に食品製造会社、石油精製事業に銀行にと、およそ私鉄経営とは何の相乗効果もなさそうな業種の会社も結構持っていました。今回は「え?この会社って東急グループだったの?」と思うような会社を紹介していきたいと思います。

 


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新中央航空

前回の記事でもご紹介した新中央航空。調布飛行場を拠点に伊豆諸島への離島路線を飛ばす不定期航空部門と、龍ケ崎飛行場を拠点んした事業航空部門を持つ会社であり、現在は鉄骨・橋梁大手の川田工業の100%子会社です。

しかし、新中央航空のHPにも川田工業及び持ち株会社の川田テクノロジーズのHPにも新中央航空が東急グループだったという記載や詳しい沿革は無く、1994年に新中央航空が川田グループ傘下に入ったという記述だけ。川田グループ入りする前の沿革及び資本関係はネットで調べてもよく分からず、今回の東急100年史でようやくその部分が分かった次第です。

新中央航空は1978年12月に東急の100%出資で設立された会社で、翌1979年2月に不定期航空輸送免許を取得しました。と言っても一から航空事業をやろうとしたわけではなく、既に存在して3月に清算予定だった旧中央航空の資産及び営業権を譲り受けるための受け皿会社でした。譲受した同じ月に調布~新島路線を開設し、1980年10月に新潟~佐渡線を日本近距離航空(後のエアーニッポン。現在は全日空本体に吸収)から引き継ぎ、1984年12月に調布~大島線も開設します。機材は当初9人乗りのアイランダーでしたが、1987年から15人乗りのノーマッドも投入(どうやら長崎航空から転売された機材のようです)伊豆諸島への生活路線のみならず、観光路線としても活用されました。

 

そんな新中央航空ですが、前述の通り1994年に川田グループに売却されて東急の手を離れました。売却に至った経緯は100年史でも書かれていなかったので詳細は不明ですが、JASのヘリコプター事業も1992年に終了し、この時既に川田グループ入りしていた東邦航空に売却されたので、この時に関係ができた川田グループから新中央航空の売却も打診されていたのかも知れません。東急側も沿線外の調布や龍ケ崎を拠点にする新中央航空を持ち続ける必要性は薄いですし、両者の利害が一致しての売却だったかも知れません。

 

国民相互銀行

1953年6月19日に中小企業融資拡充のために設立された相互銀行で、翌1954年に五島慶太率いる東急グループが資本参加、東急系列の相互銀行となりました。最近、JR東日本が銀行業への参入を発表しましたが、それ以前に鉄道会社が銀行業を営んでいたのは、少なくとも戦後ではこれが唯一のケースではないでしょうか?

東急時代には東急バスの集中計算センター設置に協力するなど、グループ内でも一定の存在感はあったようですが、1973年に海外事業整理の資金捻出のために小佐野賢治率いる国際興業に売却。以後は国際興業グループの銀行となり、1989年に第二地方銀行に転換して国民銀行となりますが、1999年に712億円の債務超過となり、経営破綻。八千代銀行(現きらぼし銀行)に営業譲渡されて清算されました。

 

東急エビス産業

1956年に東急グループ入りしていた日本糖蜜飼料と倉庫会社の横浜共同埠頭を1961年6月に合併させて発足した畜産用配合飼料の製造・販売を手がける会社。畜産製品の需要急増に伴い、家畜の餌となる配合飼料も急拡大しており、東急エビス産業も東証・大証一部上場を果たす程の急成長を遂げます。

しかし、1960年代後半になると業界内の競争激化と貿易自由化に伴う外資参入で業界再編圧力が高まります。そんな折、三菱商事から三菱系の同業二社と東急エビス産業の合併を打診され、事業整理のさなかだった東急もこれに応じます。1971年7月に東急エビス産業は三菱系の菱和飼料とともに同じく三菱系の日本農産工業に吸収合併されて消滅。ちなみに日本農産工業は合併後に「ヨード卵光」をヒットさせ、2009年に三菱商事の完全子会社となって現在も存続しています。

 

東亜石油

現在は出光興産傘下の石油精製会社である東亜石油。この会社もほんの数年間だけですが、東急グループだったことがあります。1955年に川崎に製油所を新設し、石油精製事業に進出しましたが、この東亜石油株の買い取りを持ちかけたのが白木屋買収騒動の時にも出てくる横井英樹。東急も1954年からガソリンスタンドの経営を始めた頃で、自社のバスやトラックなどの燃料供給元及び石油製品販売事業拡大のために東亜石油株買収に乗り気になりました。

1957年に2度にわたって東亜石油株50%を取得して傘下に収めましたが、4年後にアラビア石油に売却して石油精製事業から撤退します。その後東亜石油は共同石油グループを経て1979年に昭和石油(後に合併で昭和シェル石油)の傘下に入り、2005年に子会社化されます。さらに2019年には出光興産と昭和シェル石油の経営統合に伴い、出光石油の子会社となり、現在は完全子会社化されています。

 

ゴールドパック

1959年3月に東洋食品として設立され、1964年5月に現社名に変更した東急グループの食品製造会社。この会社は買収ではなく、最初から東急グループが設立に関わっています。

設立の理由は五島慶太が晩年に「故郷の長野県で農家の育成や農産物の安定供給、雇用を増やしたい」という意思を受け継いだものであり、松本市に工場を建設してトマトを中心とした果実・野菜飲料やミネラルウオーターの製造・販売、大手飲料メーカーからのOEM製造などを手がけていました。業績自体は好調を維持しており、設立の経緯もあって他の製造業が売却されるなか、ゴールドパックは東急グループに貢献していました。

しかし、90年代後半に東急グループの経営危機が表面化し、特に業績の悪かった東急百貨店の収支改善が急務となると、銀行からの融資継続の条件として「不採算店の整理」「有利子負債の圧縮と資産及び子会社の売却」などを求められました。この時東急百貨店傘下だったゴールドパックは他の子会社とともに売却の対象となり、一旦2001年に東急電鉄の完全子会社とした後に2003年から2011年にかけて全ての株を売却し、経営から手を引きました。

設立の経緯も考えると、東急はゴールドパックを手放したくはなかったようであり、東急100年史でも売却せざるを得なかった無念さがにじみ出ています。その後ゴールドパックは一旦丸紅系の投資会社傘下となった後に2012年9月に産業ガス大手のエア・ウォーターに売却。2014年にニチロサンパックを吸収して現在も存続しています。

 

シロキ工業

自動車部品製造を行う会社ですが、この会社の場合は東急が直接買収したわけではなく、別の会社を買収したときに一緒にくっついてきた、と言った方がいいかもしれません。

社名からも分かるかと思いますが、この会社は前述した白木屋が1946年3月に設立した「白木金属工業」が前身であり、白木屋の関連会社でした。その後1958年に白木屋が東横百貨店に買収されたことで一緒に東急グループ入りしますが、自動車部品と百貨店は何の関連性もないことから1964年に東急電鉄と東急車輌製造が半分ずつ白木金属工業株を購入して東急の直接関連会社となります。モータリゼーションの発展に伴い白木金属工業も業績を拡大し、後に株式上場を果たし、トヨタ自動車も株式を取得して1988年に現在の「シロキ工業」に社名変更しました。

シロキ工業は東急グループ内でも指折りの好業績を維持しており、90年代後半のグループの経営危機の際も安定して黒字を出し続けた数少ない上場企業でした。2000年代には従来からの北米に加え、中国や東南アジアなどに進出するなど経営規模も世界規模に拡大し、2002年度と2009年度には東急グループでも表彰されるなど優良企業であり続けました。

しかし、東急グループが東急線沿線の開発に回帰し「交通」「不動産」「リテール関連」の3つをコア事業と位置づけると、グループ内に製造業を持ち続ける意義を見いだせず、2011年4月に東急保有株の大半をトヨタ自動車とアイシン精機に売却。2016年3月には残りのシロキ工業株もアイシン精機に売却され、シロキ工業はアイシン精機の完全子会社となりました。今年1月には4月1日付で社名を「アイシンシロキ株式会社」に変更する予定ですが、「シロキ」の名前は引き続き残ることになります。

しかし、かつての老舗百貨店だった「白木屋」の名前が百貨店とは全く関係ない自動車部品製造会社に残り続けるというのも考えてみたら不思議な話ですね。

 

日東タイヤ

1949年に旧昭和ゴム相模工場を拠点に設立された日本6番目のタイヤメーカーで、東急は設立当初から25%を出資していました。東急がこの会社に出資した理由はタイヤ不足でバス事業の復興が進まなかったためであり「じゃあ自分で作るわ!」と言わんばかりに新たなタイヤメーカー設立に動いたのです。

当初は朝鮮戦争特需で好業績を上げたものの、戦争終結後は一気に経営が悪化し、東急が資金援助を行うと同時に役員も送り込んで自ら経営再建に乗り出します。アメリカのタイヤメーカーから技術提供を受けて品質向上に取り組み、国内外に営業拠点を増やして販売網を強化。結果創業10年目の1959年には従業員1000人を超える企業に成長し、安定した業績で配当を出し続けました。

しかし、日東タイヤの国内シェアは6%程度と下位に甘んじ、単独でのシェア拡大は難しい状況でした。最終的には熾烈な販売競争に打ち勝つにはタイヤ生産・販売に密接な関係を持つ大企業に渡すのが得策と判断し、1968年12月に三菱化成工業(現:三菱ケミカル)に売却。その後横浜ゴムと提携したりしましたが、1979年に提携を解消し東洋ゴム(現:TOYO TIRE)と包括提携。1982年に工業用ゴム製品や樹脂製品の製造・販売に業態転換し、タイヤ製造部門は新設の「菱東タイヤ」にブランドごと譲渡して撤退。社名も「日東化工」に変更しました。会社は現在でも存続しています。

一方の日東タイヤブランドは東洋ゴムの一部門として存続しますが、販売不振が続いて90年代にブランド存続の危機に陥ります。そこで日東タイヤはカスタマイズカー向けのタイヤ開発に社運をかけ、見事支持を得ることに成功。大口径で利益率の高い「NITTOタイヤ」は、今やTOYO TIREの大きな収益源となっています。

余談ですが、TOYO TIREは元東急グループの箱根ターンパイクの命名権を取得したことがあり、2007年から14年までは「TOYO TIREターンパイク」と名乗っていたことがあります。日東タイヤもターンパイクも東急グループ離脱後の話ですが、意外と元東急の会社に縁がありますね。

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東急くろがね工業

この会社は「東急の空への夢」でも言及していますが、東急グループ入りした経緯や倒産に至った経緯を改めてご説明します。

東急グループが自動車製造業に関わったのは1954年、三輪自動車メーカーの日本内燃機製造株19%を取得してからでした。その後、戦前はダットサンと並ぶ名門自動車ブランドだったものの、経営破綻したオオタ自動車工業も傘下に収め、1957年にこの両社を合併して日本自動車工業を発足させます。当初は旧日本内燃機製造の「くろがね」ブランドと旧オオタ自動車工業の「オオタ」ブランドを併存するつもりでしたが、オオタブランドは販売不振でまもなく撤退。より知名度の高いくろがねブランドを前面に出して、1959年6月に社名も「東急くろがね工業」に変更し、埼玉県上尾市に新工場を建設して再起を図ることにしました。

そして、東急くろがね工業が再起をかけて1959年に送り出したのが、軽四輪トラックの「くろがねベビー号」でした。ベビー号自体は画期的な商品であり、好評を持って迎え入れられ、発売初年度は16000台以上の受注を獲得しました。

しかし、翌1961年にダイハツがハイゼットを発売したのを皮切りに、富士重工業(現:SUBARU)がサンバーを、スズキがスズライト・キャリイなど、資本力も技術力も販売網も上回る大手メーカーが次々と軽四輪トラック事業に参入し、販売網が脆弱だったくろがねベビー号は競争に敗れ、販売台数は激減。東急くろがね工業は1962年2月に不渡りを出し、会社更生法適用を申請して事実上倒産しました。

経営破綻に伴い、くろがねベビー号は生産中止となって自動車製造業から撤退、代わりに日産自動車の支援を受けてエンジン製造などの下請けで急場をしのぐことになります。その後、会社としての東急くろがね工業は更生計画に基づいて1964年に解散し、製造部門は新会社の東急機関工業に譲渡されます。一方、生産部門以外の事業は東急興産に吸収され、1970年には東急機関工業自体も日産自動車に売却。翌71年には日産工機に社名変更し、東急は自動車製造業から完全に撤退しました。

ちなみに、日産工機自体は自動車用のエンジンユニットやアクスルユニット、パワートレイン用の部品を製造しており、日産自動車にとっても必要不可欠な企業となっています。一方、東急くろがね工業が「東洋のデトロイト」を目指して社運をかけて建設した上尾工場ですが、自動車工場としては再利用されず、1970年代半ばには再造成されて住宅地やスーパーマーケットになったようです。

 

何で東急グループはこんなに手を広げたの?

それにしても、なぜ東急グループはこれほどまでに私鉄経営と関連性の薄そうな事業に手を出しまくっていたのでしょうか?それは東急グループの事実上の創始者である五島慶太の買収攻勢にあります。

「強盗慶太」の異名を持つほど企業買収に積極的だった五島慶太ですが、晩年はその買収攻勢はエスカレートする一方で、本業の鉄道や、百貨店や不動産と言った鉄道とのシナジー効果が得られる事業とは無関係な買収案件も少なくありませんでした。息子の五島昇でさえ「止めた方がいいと思った事業もあったが、止めたらショックで死んでしまうと思って止められなかった」「父が手がけた買収は最後の10年は全て失敗だった」とこぼすほどでした。確かに、これまで紹介した元東急グループ企業のうち、新中央航空以外は五島慶太の時代、それも戦後から亡くなるまでの10年前後で買収・設立された会社であり、その大半は慶太の死後10年程度で売却されたので、「最後の10年は全て失敗」というのはある意味当たっています。

五島慶太の死後しばらくの間、五島昇は「多摩田園都市開発の継続と完成」「東急くろがね工業や東映をはじめとしたグループ会社の整理」に追われており、特に東急くろがね工業は法的整理に追い込まれて東急本体の業績も悪化させる程のダメージを与えました。一方でもう一つの遺産である多摩田園都市の開発と新玉川線建設は東急に大きな利益と新たな経営基盤をもたらし、東急くろがね工業のダメージを一掃しました。良くも悪くも五島慶太が残したものが大きすぎたことが窺えます。

一応フォローを入れておくと五島慶太が戦後に手がけた買収全てが失敗というわけではなく、じょうてつは現在でも北海道での東急グループの中核企業ですし、直接的な買収ではないものの、シロキ工業は最後まで利益を出し続けて東急グループに貢献しました。しかし、現在の東急グループを支えているのは東急不動産や東急建設、東急ホテルズに東急エージェンシーに伊豆急行と言った、東急が自力で設立して育てた会社が大半であり、やはり自分たちの力で地道に拡大した事業の方が後々身につく、というでしょうか。

東急100年史から見る日本エアシステムの「経営統合」の前兆

 

数年前に制作し、当ブログでも関連記事をいくつか掲載した「東急の空への夢」シリーズ。東急視点での東亜国内航空(TDA)→日本エアシステム(JAS)の歴史を紹介しましたが、この度イッキ見版をアップしました。これを機会に是非かつての日本第三の航空会社の歴史と、東急の大番頭・田中勇氏の活躍を振り返ってみて下さい。


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2022年9月2日に創立100周年を迎えた大手私鉄・東急グループ。それを記念して、東急グループ100年の歴史を記した社史「東急100年史」がWEB上で公開されています。私は以前に古書店で50年史を手に入れていましたが、その後の歴史を記した社史はなく、東亜国内航空発足後のTDA/JASの歴史を記した公式資料はなかったので、この100年史のWEB公開は本当にありがたかったです。

普通、社史というと従業員や関係会社、地元自治体など特定の関係者のみに配布されたり、一部の図書館に寄贈される位で一般販売されるケースは少なく、一般の人が入手するには古書店やネットオークションなどで売られているものを買うくらいしかありません。ましてやWEB上で誰でも見られる状態にしている会社は一握りであり、交通関係の会社では相鉄と西鉄くらい。Web版なら印刷コストがかからない、公開が容易、将来の加筆修正が可能と言ったメリットがありますが、社史には会社の「黒歴史」も記載しないといけない場合もありますから、誰でも見られる状態には抵抗があるもの。それだけに今回東急が100年史をWeb上で見られるようにしてくれたのは本当にありがたいですし、今後社史をWeb公開してくれる企業が増えればその企業の歴史だけでなく、当時の世相や経済・経営史や地域史を調べる大きな手がかりになりますし、後世に歴史を残すという意味でも積極的に公開して欲しいなと思います。

 

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さて、かつては日本全国のバス会社やホテル・レジャー施設などを買収し、鉄道と関連性の薄い事業も買収、一時は東急本体も含め15社もの上場企業がグループ内に存在するなど、広範囲な業種に手を広げていた東急だからか、100年史では東急本体のみならず、グループ会社やかつての事業、元グループ会社についても触れられています。その中には航空事業にも触れられており、日本航空や日本ヘリコプター輸送(現全日本空輸)の出資に始まり、1959年の北日本航空への資本参加、1961年の富士航空買収、1964年の日本国内航空発足や1971年の東亜国内航空誕生後の歴史からJASとJALの経営統合までが記されています。

また、驚きだったのが調布飛行場をベースに伊豆諸島への離島路線を展開する新中央航空が東急グループ主導で設立されたと言うこと。この辺に関しては他にも「え?この会社東急グループだったの?」という会社も結構ありましたので、別の記事で合わせてご紹介したいと思います。

 

さて、タイトルにもある日本エアシステムの経営統合の「前兆」について解説していきましょう。史実ではJASは2001年11月にJALとの統合を発表し、2002年10月に持ち株会社方式で経営統合するのですが、東急100年史を見ると東亜国内航空発足前から既に日本航空との関係はあり、TDA→JASの歴史を見る限り、JALとの経営統合は「当然の帰結」だったとも取れるのです。

 

日本国内航空が経営危機に陥った際、運輸省の指導で日航の経営支援を仰ぎ、将来の合併の方針まで示されたのは動画でもご紹介しましたが、TDA発足で日航との提携が終わった後も東急は日航株を保有していましたし、日航も日本国内航空との提携の名残でTDA株を保有し続けていました。また、東急グループ総帥の東急電鉄社長・五島昇が航空事業に並々ならぬ意欲を見せており、昇氏の存命中は航空事業の撤退やTDAの売却は考えられないという経緯もあったと思います。

しかし、ホノルル線やシンガポール線が失敗し、JASに取ってのドル箱である羽田発の高需要ローカル線にANAやJALが参入して競争が激化したことでJASの収益力は低下。成田や関空への国際線参入の先行投資も重なってJASは1993年度に過去差大の127億円の赤字を計上。経営危機に陥ります。航空事業への思い入れが強かった五島昇も1989年にこの世を去り、ホノルルや東南アジア、オセアニア地域などに建設・経営していたホテル事業も財務状況の悪化に加え為替リスク・海外資産保有リスクの増大で重荷となって相次いで売却したのもこの頃。かつてほど東急航空事業を重要視しなくなったことで、東急グループ内でのJASの立ち位置は微妙になってしまいます。

 

そして、日航との関係が再び強くなるのもこの頃からでした。1980年代から航空券の予約・発券はCRS(座席予約・発券システム)との連携によるATB券発券が主流となり、ANA・JALは独自のCRSを導入しましたが、JASは体力的に自社の予約システムを持てず、自社開発を断念。他社のシステムを活用することにしました。このとき連携したの後日本航空のシステムであり、1990年4月からATB券の発券を本格化させます。

また、JASは国際線の拡大を見越して1991年4月からパイロットの自社養成を開始しますが、この時も養成期間27ヶ月のうち、最初の2ヶ月以外は日本航空に委託しています。つまり、1990年代初頭の時点でJASは予約システムとパイロット養成という、航空会社の根幹に関わる部分を日航に依存する事になり、当事者にその気は無くとも将来の経営統合の布石が打たれたことになります。

更に1997年の国内線マイレージサービス導入時も、ANAの攻勢に対してJALとJASはマイレージサービスの分野で提携し、共同で対抗する姿勢を打ち出しています。東急100年史には書かれていませんが、一部地方空港でJALとJASが地上設備の相互利用を行ったのも実はこの頃。国内線に限って言えばANAが半数近いシェアを握り、残りの半分をJALとJASが分け合うという構図でしたし、路線網も幹線中心で沖縄路線に強いJALに対し、ローカル線に強く北海道・九州で強いJASは路線網の重複が少なく相互補完の関係になりやすいという背景がありました。

 

そして、JAS売却の流れが決定的になったのは、1997年頃から表面化した東急グループ全体の経営危機であり、グループ会社の経営再建及びグループの「選択と集中」でした。

1998年に当時の東急社長がグループ主要50社に「3カ年経営計画の提出」「連結決算ベースでの3年後の黒字化」を求め、東急依存からの脱却と自主的な経営再建を求めます。更に東急グループの事業を「コア事業」「周辺事業」「売却・撤退事業」に分類し、東急沿線の開発とは関係ない上に業績改善もできず、グループのシナジー効果やブランド効果も見込めない会社は売却・撤退の対象となるという「大ナタ」が振るわれることになります。

そして、2000年以降、経営改善できなかったグループ会社や、東急ブランドの必要性が薄い会社は次々と切り離され、グループに残った会社も抜本的な改革を強いられました。赤字続きで経営危機に陥ったグループ会社でも、東急建設は新旧分割という大ナタが振るわれたもののグループにとどまる一方、東急観光は2004年に投資会社に売却され、グループを離脱。また、東急百貨店や東急ホテルズ、伊豆急行と言った沿線開発や東急ブランドの維持に必要とされた企業は子会社化して東急本体に取り込んだ一方で、東急ブランドの必要性が薄い地方のバス会社・鉄道会社はじょうてつと上田電鉄を除いて2009年までに全て売却されて東急グループから離れるなど明暗が分かれました。

 

そして、「選択と集中」の大ナタはJASとて例外ではありませんでした。と言うより「環太平洋地域への進出」を目指していた五島昇の時代ならまだしも、海外事業から手を引いた今となっては、グループとのシナジー効果も見込めない上に業績も悪く、有利子負債も大きいJAS(1997年度のJASの有利子負債約3300億円は東急電鉄(約9800億円)、東急不動産(約5900億円)、東急建設(約3800億円)に次いで東急グループ内で4番目に大きい金額)は、「売却・撤退事業」に分類されてもおかしくありませんでした。JAS自身も一部地方空港からの撤退や人員削減なで業績改善に努め、わずかながらも黒字を計上しましたが、多保有機材の更新を間近に控えており(東急100年史では明言していませんが、旧型のA300やMD-81を念頭に置いたものと思われます)、タダでさえ多額の有利子負債が更に増えることは確実であり、最終的にはJALとの経営統合を決めます。

東急100年史ではJALとの統合を決めた理由を「従来から業務面で協力関係にあり、また路線網の面でも相互補完関係にある」ことを挙げ、また、全日空との統合では市場の独占につながりかねないとの配慮もあった、としています。統合前のJASの東急の出資比率は30.66%でしたが、2002年10月の「日本航空システム」発足後の東急の出資比率は4%程度にとどまり、この時点でJASは事実上東急グループを離脱しました。

 

東急100年史からTDA/JASの歴史をひもといていくと、1990年頃からの予約システム共通化辺りからJALとの統合の下地はできていたように思います(無論提携当時は経営統合なんて考えていなかったと思いますが)更に言えばその予約システムの共通化にしても、あまり接点のないANAよりもJDA時代から関係があるJALを選択したと考える方が自然ですし、統合を決める際も、合併後のシェアに加えてこれまでの関係性を重視したと考えるのが自然でしょう。JASならずとも、どうせ統合するなら少しでも気心の知れた相手の方がいいと考えるでしょうし。そういう意味ではJALとJASの経営統合は、「その時」が来れば統合に動いても不思議ではなかった組み合わせなのかも知れませんね。

 

エア・インディアの「飛行機爆買い」を可能にした「タタ・グループ」のヤバさ

2月15日、インドのフラッグキャリアのエア・インディアはボーイングとエアバス双方から合計470機、契約総額約800億ドル(日本円で約10兆6000億円)の航空機購入契約を結ぶと発表しました。航空機大量まとめ買いと言えば中東御三家のエミレーツ航空やカタール航空を思い出しますが、今回のエア・インディアの発注はそれらを上回り、2011年のアメリカン航空の460機発注を上回る民間航空機市場最大規模となる巨大発注です。

trafficnews.jp

 

発注数の内訳は、ボーイングが777-9型10機、787型20機、737MAX190機の合計220機。一方のエアバスはA350型40機とA320/321neo210機の合計250機となります。これらの飛行機は2023年後半以降から順次納入され、エア・インディア及びグループLCCのエアインディア・エクスプレスで使用される予定です。

エアインディアやグループ会社の使用機の中には今回納入される機種と同じ787やA320neoが約100機ほどありますので、今回の発注計画通りに行けば現行機材の一部+今回の発注機で570機程度の巨大フリートになる可能性があります。少し前のデータになりますが、この規模は中国東方航空や南方航空に匹敵するものであり、20位圏外だったエアインディアは一気に上位10位内の巨大航空会社にのし上がることになります。

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しかし、エアインディアと言えば国営航空会社故の官僚的で非効率な経営で慢性的な赤字体質であり、定時到着率やサービスの悪さで顧客の評判も決して良くありませんでした。スターアライアンス加盟にしても、2007年に一旦加盟に合意したものの、その後2011年に「加盟条件を満たしていない」として加盟が見送られ、最終的に加盟が認められたのは2014年になってから、という経緯があります。

2020年には累積損失は80億ドル(約8700億円)に達し、給与支払いや燃料費購入にも事欠くほどの破綻の危機に追い込まれていたくらいで、インド政府はエアインディアの売却を決定し、2022年にインド最大の財閥であるタタ・グループに買収された経緯があります。はっきり言って少し前までのエアインディアは「ダメ会社」であり、とてもじゃないけど10兆円規模の大量発注なんてできるわけがありません。

そんなダメ会社がなぜ急に大規模発注できたのか?それはエアインディアを買収したタタ・グループの資金力があったからであり、エア・インディアを中東の雄であるエミレーツ航空やカタール航空に並ぶ巨大航空会社に育てるというタタ・グループの野心があったからに他なりません。

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それでは、タタ・グループとは一体どんな財閥なのでしょうか?日本ではあまりなじみのない名前ですが、インドではビルラ財閥、リライアンス財閥と並ぶインド3大財閥の一角であり、単一財閥としてはインド最大です(他の2財閥は相続問題の関係上、複数のグループに分かれています)

タタグループの技術コンサルタント会社日本法人のHPや、タタグループの公式サイト、タタ財閥について言及したサイトなどから調べてみましたが、タタ・グループは1868年にジャムセジ・タタによって設立された綿貿易会社が発祥であり、インド植民地時代はイギリス・インド・中国の「三角貿易」で成功し、その利益を元に製造業などの様々な事業を興したようです。

インド独立後は政府の政策や干渉で伸び悩みましたが、1991年からのインドの経済改革による規制緩和に加え、同じ年に5代目のグループ総帥となったラタン・タタによって規模拡大と世界展開が進められ、積極的な買収を行いました。主要企業のタタ・スチールやタタ・モーターズも他国企業の買収によってグローバル化・巨大化しています。

www.indokeizai.com

www.tcs.com

www.tata.com

 

2021-22年のタタグループの収益は1289億ドル(約17.4兆円)。流石に日本最大のトヨタ自動車(約31兆円)には及びませんが、2位の本田技研工業(約14兆円)は上回ります。また、グループ全体の従業員数は約93万5000人。日本最大の連結従業員数を誇るトヨタ自動車(約37.7万人)と2位の日立製作所(約35万人)を足してもまだ敵いません。

グループ企業は持ち株会社の「タタ・サンズ」を中心に100社以上で構成され、そのうち株式上場している30社が主要企業です。IT企業のタタ・コンサルジーサービス(TCS)が最大の稼ぎ頭でインド株式市場の時価総額第一位。この他に世界第5位の鉄鋼メーカーのタタ・スチールに、ジャガーやランドローバーなどのブランドを持つタタ・モータース、インド第1位の電力会社であるタタ・パワーに総合化学メーカーのタタ・ケミカルズなど、グループ会社はインドを代表する企業ばかりです。

また、タタ・サンズの株式の過半をタタ一族の慈善事業団体が保有し、株式の配当益を慈善事業の原資に充てるなど、企業の社会的責任(CSR)にいち早く取り組んでいるのも特徴の一つ。財閥というと一族で利益を独占しているイメージが強いですが、タタグループの場合は慈善事業に加え従業員の福利厚生や教育による人材育成にも積極的。こういった社会に利益を還元する姿勢を持っているからこそ、現在でも長く続いているのかも知れません。

 

さて、エアインディアの話に戻りますが、実はタタ・グループにとってはエアインディアの買収は「かつてのグループ企業を取り戻した」形になります。エア・インディア自体はタタ・グループが1932年に設立し、インド最大の航空会社に育て上げましたが、インド独立後に国有化され、タタ・グループを離れた経緯があります。その後のインドの経済成長に伴いタタ・グループは航空事業の再参入をもくろみ、2014年にシンガポール航空との合弁でビスタラを設立しますが、あまりうまくいっていると言えませんでした。と言うよりインドでは航空会社が雨後の竹の子のように次々と設立されましたが、キングフィッシャー航空やジェットエアウェイズのようにそれなりの規模の会社さえ破綻する程経営が厳しく、最大手のインディゴ以外は全部赤字という有様でした。

 

エア・インディアの買収は曲がりなりにも世界中に国際線ネットワークを持つ会社を手に入れることで、グループの航空事業を一気にグローバルにするというもくろみが合ったと思います。タタ・グループの歴史は買収の歴史と言っても過言ではなく、鉄鋼や自動車は買収でグローバル企業にのし上がったようなもの。タタはエアインディア以外にもエアアジア・インディアなども買収しており、これらの会社とビスタラを統合して一気にインド最大の航空会社に仕立て上げ、更にエミレーツやカタール航空を上回る巨大航空会社に仕立て上げるシナリオを描いているのでしょう。

 

タタ・グループにとって強みなのは世界最大級の人口を抱えるインドを地盤にしていることと、インドが地理的にアジア・オセアニア~ヨーロッパ・アフリカ間の乗り継ぎに適していること。ハブ空港にしても首都のニューデリーに加え、ムンバイ、ベンガルール、チェンナイ、コルカタ、ハイデラバードといくつも候補がありますので、この点でもハブ空港が一つのエミレーツやカタール航空よりも優位になりますので、潜在能力は高いと言えます。

ただし、エア・インディアは長年の放漫経営と低サービスで財務的にも人員的にもかなり痛んでおり、これを再生するには並の経営者では不可能です。また、企業文化の違うであろうビスタラや、全く違うコンセプトのエアアジア・インディアとの統合がうまくいくか、と言う問題もあります。これらの問題を克服しない限り、タタ・グループの航空事業は空中分解しかねませんし、財務体質を改善しないとグループのお荷物になる可能性さえ考えられます。そういう意味では今回の大量発注はエアインディア、と言うかタタ・グループには大きな賭けになりますが、この賭けがうまくいけばエアインディアは大きく化ける可能性があります。個人的にはこの賭けがうまくいって、ダメ会社エア・インディアが世界的なメガキャリアに変貌する姿を見てみたいですね。

スペースジェットがダメになったANAの次期リージョナル機は何になる?

三菱スペースジェット(MSJ)の開発中止を受けて様々な記事がネット上で出てきていますが、航空ファンとして気になるのは確定発注していたANAやJALが、今後MSJの代わりにどの飛行機を発注するのか。その気持ち?を代弁してくれるかのように乗りものニュースさんが記事を出してくれました。

 

trafficnews.jp

 

記事内ではJALに関してはエンブラエルE-Jetの改良型であるE2の発注になるのではという趣旨の書き方ですが、私も同じ考えです。シミュレーターの利用や地上業務、コードシェアなどで協力関係にあるFDAもMSJへの関心が薄く、次期機材はE2発注が有力だと思いますので、むしろスペースジェット開発中止になったことで国や三菱に気兼ねすることなく発注を決められるのではないかと思います。

 

 

 

さて、今回の本題はANAの方の次期リージョナル機材。この記事内では候補として737-7、エアバスA220、エンブラエルE-Jet E2、ATR72の4機種を挙げていますが、私は737-7の可能性は低いと思っています。

と言うのも以前もANAはA320や737-400の代替として737-700を45機発注していましたが、小さすぎるという理由で18機で打ち止めとなり、以後は737-800に切り替わったという経緯があります。また、737-700は地方間路線用には大きすぎ、逆に大都市~地方間の路線には小さすぎるという中途半端なキャパシティであり、最大離陸重量が大きい737-7はトン数で決められる着陸料の面で不利というデメリットがあります。737-700がANAで持て余されたこと、既にANAから退役したことも考慮すると、同クラスの737-7では同じ轍を踏む可能性があり、ANAは考えていないのではないでしょうか?

また、ダッシュ8を買い増すというのもあり得ないと思います。現在、ダッシュ8の製造権を持っているデ・ハビランド・カナダは自社工場を持っておらず、建設中の新工場の稼働開始も2025年以降。と言うよりダッシュ8の製造自体も工場閉鎖と新型コロナウイルスの感染拡大による航空需要減退を受けて停止したままであり、発注自体が不可能な状態だからです。ANAの社長も会見で少なくとも2025年以降に新機材が必要という見解を示しているので、稼働開始を待てない状況です。現時点ではいつ生産再開するか分からない飛行機を当てにはできないでしょう。

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と言うわけでANAの次期リージョナル機材はこの3機種のどれかになると思います。

・エアバスA220

・エンブラエルE-Jet E2

・ATR72

 

先に結論から言ってしまうと、私は「グループ会社やコードシェア先も含めてA220とATR72の両方を導入し、路線特性に応じて使い分ける可能性が高い」と思っています。なぜそう思ったのか、理由は以下の通りです。

 

 

・E2よりもA220の方が導入が比較的スムーズ

A220は元を辿ればボンバルディアが開発したCシリーズであり、開発費高騰とボンバルディアの経営悪化でエアバスに事業ごと売却された経緯があります。ANAはボーイングほどではないものの、1990年のA320導入以来エアバスとは30年以上の付き合いがありますし、ボンバルディアともQ400シリーズで20年近い関係があります。無論、同じエアバスの飛行機とは言え、A320とA220は開発経緯が異なる飛行機でタイプレーティングも別々なので、A320との互換性という意味ではあまりメリットはないのですが、エンジンについては同じPW1100なので、部品共通化の面ではメリットがあります(まあ、これについてはE2も同じエンジンですが・・・)

一方のE2はANAとエンブラエルとの取引はなく、むしろJALやFDAとの関係が深い会社。エンブラエルにしてみれば取引のないANAはもちろん食い込みたい会社でしょうが、ANAにしてみれば全く取引経験の無いエンブラエルは未知の相手(接触くらいはしていると思いますが)。MSJの代替機種は導入にあまり時間をかけられない事を考えると、交渉や導入前の準備や訓練面でも未知な部分の多いエンブラエルよりも既に関係ができているエアバスの方がスムーズと考えてもおかしくないのではと思います。

 

・E-Jetの改良型のE2では目新しさがない

ご存じの通り、E2のベースとなるエンブラエルE-JetはJALが2007年2月に発注を決め、2009年2月からE170を導入して以来、E170型18機、E190型14機の合計32機が導入され、JALグループ地方路線の顔として日本中を飛び回っています。更に2007年9月には静岡空港参入を目指して設立されたフジドリームエアラインズ(FDA)が発注を決め、2009年7月に就航。以来名古屋、松本、丘珠、神戸など就航先を広げ、現在ではE170型3機、E175型13機の合計16機を保有しています。

JALとFDAがまとまった数のE-Jetを飛ばしている現状では「エンブラエル機=JALとFDA」のイメージが強く、仮にANAがE2の発注を先に決めたとしても、新機材導入のインパクトはどうしても薄くなってしまいます。MSJ導入の動機の一つが「国産初のジェット旅客機を世界初就航させることで大きな宣伝効果が得られる」事であること、過去にもボーイング727をJALに先んじてリースで飛ばしたり、787を世界初就航させて世界的にANAの知名度を上げた過去を考えると、MSJの代わりのリージョナルジェットがE2ではインパクトに欠けるのは明らか。それなら日本の航空会社がまだ導入していないA220の方が宣伝効果は高いと考えるのではないでしょうか。

 

・将来のパイロット不足対策

新型コロナの航空需要減退で一時的に落ち着いた感はありますが、世界的にはパイロット不足が慢性化しており、航空需要の急回復でパイロット不足問題は再び表面化してきました。特に日本の場合、バブル期に大量採用されたパイロットが2030年前後に引退の時期を迎えてパイロット不足が深刻化する「2030年問題」が叫ばれていること、世界的にパイロットの取り合いになって引き抜き合戦になり、海外からパイロットを雇うのも難しくなるなど、他国よりもより深刻な状況です。

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上記記事内でも触れていましたが、パイロット不足の処方箋として「機材大型化によって輸送効率を上げる」のは有効な方法と言えます。世界的にはダウンサイジングによる小型化と便数増加がトレンドですし、日本も近年はその方向ですが、機材小型化で便数を増やす=増やした便数分のパイロットを確保する必要があります。国際線や国内幹線では787やA350の就航でそのトレンドになっているように見えますが、逆に小型機では737-800やE190、A321のように同じシリーズの機種でも座席数が多く座席あたりのコストが下がる大型のモデルが好まれるようになっていますし、実際世界的にも売れているのは小型化したモデルよりも大型化したモデルの方です。

2030年問題を考えると、大型化による輸送効率アップを考えるのであればそろそろ対応した機種を考える必要があります。そういう意味ではMSJの代わりの機材はうってつけのタイミングと言えますし、大型化を考えるのであればより大型のA220でも問題ないはずです。特に伊丹空港発着路線は発着枠増加の見込みがないので、A220で大型化してダッシュ8路線の一部を減便し、捻出した発着枠で高需要路線の増発や新規路線開拓を行う余地が生まれるのではないでしょうか?

まあ、ダッシュ8から考えるとE2でも十分大型になるんですけどね。

 

ORCの機材計画や運航計画ともリンクするのでは?

 

ANA単体だけで考えると「ダッシュ8の後継機が100席以上のA220じゃ大きすぎるのでは?E2の方がサイズ的に合ってるんじゃない?」と思われるかも知れません。しかし、近年ANAからの路線移管やコードシェアを拡大しているオリエンタルエアブリッジ(ORC)の機材計画とセットで考えると、また違った見方ができると思います。

ORCの現在の機材はダッシュ8-200型2機と、ANAとの共通事業機となるダッシュ8-400となりますが、ご存じの通り-200型の後継としてATR42型2機を導入する予定であり、既に1機が納入済み。また、ダッシュ8-400は元々MSJに置換えられる予定だったことを考えると、このままORCがANAからの移管路線を続けるのであれば、ダッシュ8-400に代わる機材を用意する必要があります。

 

そこで、一つの仮説を立ててみました。

「A220では大きすぎる路線やプロペラ機でも所要時間の差が出にくい一部の短距離路線をORCに移管し、ORCがATR72を導入して飛ばす」

 

現在、ORCがANAから移管された路線は福岡~対馬・五島福江・宮崎・小松の4路線。更に3月26日からは中部~宮崎・秋田線が移管される予定です。ORCへの経営支援の一環ともとれますが、私はそれ以外にもANAが福岡・中部発着のダッシュ8路線の一部をORCに全部移してプロペラ機の運航から撤退する布石なのでは?と思っています。

と言ってもダッシュ8は現在生産がストップしたままであり、少なくとも今後数年間は新規購入が不可能。また、既にATR42の導入を決めたORCにしてみればダッシュ8との併用を続けるのは整備面やパイロット運用の面で非効率ですし、同型のATRに置換えて効率的な運用にしたい、と思うのは自然なことでしょう。今すぐにはないとしても、ダッシュ8-400の初号機納入から20年近く経つことを考えると、そろそろ次を決める必要があるはず。ANAが言う「2025年以降に代替機が必要」というタイミングを考えると、経年化が進んでいる初期導入機を対象に、今後1~2年以内にORCへのダッシュ8一部路線の完全移管、ATR72導入を先行し、残りの路線は時間をかけてA220に置換え、と言うシナリオが考えられます。

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対象となるのは今移管している路線+中部~松山及び一部九州路線になると思います。IBEXエアラインズとの兼ね合いもありますが、これだけの路線が移管されれば8~10機程度のATR72が必要になると思いますので、かつての日本エアコミューターのようにORCの事業規模が一気に大きくなって全国規模の会社になるかも知れません。

 

ここまでA220推しだったけどE2もやっぱりあり得るかも・・・

と、ここまでA220を推してきたわけですが、ここまで書いておきながら「ANAがA220にする決定的な理由にはならないな」とも思ってしまいました。JALやFDAが既に飛ばしているというのはE2を避ける理由としては弱いですし、A220の方が導入がスムーズと言っても日本全体で見れば国内航空会社の導入実績の無いA220よりも運航実績豊富なエンブラエルの方が許認可申請の面ではスムーズかも知れません。E2だって100席級のモデルもありますからパイロット不足問題に伴う大型化にも十分対応できます。

それに、ここまで殆ど触れてきませんでしたがANAグループの次期リージョナル機の選定にはORCと同じくコードシェア運航を行うIBEXエアラインズの存在も忘れるわけにはいけません。IBEXが使用しているCRJ700も現在は生産終了しており、いずれ後継機の選定を考えなければいけないのはIBEXも同じ。IBEXの路線構成を考えても、70席級のCRJ700から100~130席級のA220への更新は大きすぎると思われますので、IBEXとの共通性を重視するならE2も十分選択肢に入ってきます(流石にIBEXがプロペラのATRに変えるとは思えないので・・・)

最も、IBEXとANAが同型の機種を使用した事はありませんし、資本面では完全に別会社で無理にANAと機材を合わせる必要もないので、ANAはA220、IBEXはE2と分かれる可能性も十分考えられますが・・・

 

 

以上、スペースジェット亡き後のANAの次期リージョナル機について考察してみました。個人的には路線特性に併せてANAウィングスはA220、プロペラ機路線はORCに移管した上でATR72を導入、と言うのが一番すっきりするのではと思います。ただ、A220の部分についてはE2でもいいわけですし、別の一部路線をIBEXに移管してIBEX自体はE2に置換え、と言うシナリオも考えられます。ANAの次期リージョナル機はANAだけでなく、コードシェア先の会社も含めて考える必要があり、場合によってはORCやIBEXを含めたANA地方路線の再編につながる可能性があります。今後の発表に注目したいところですね。

 

 

【4月25日追記】

ANAがスペースジェットの契約を正式に解除したことを受け、Aviation wire様でもANAのスペースジェットの後継機の考察記事が出ました。流石にこっちは専門サイトなだけあってより深い考察ですが、やはり後継機はA220とE2の二択になること、ダッシュ8の後継機も含めて考える必要がある点などは私の考えと同じでした。

www.aviationwire.jp

 

そして本日、三菱航空機が「MSJ資産管理株式会社」に社名変更し、公式サイトも閉鎖したというニュースが報じられました。更にスペースジェットの登録も「航空の用に供さない」として全機登録抹消されてしまいました。これで名実ともにスペースジェットの開発は終了したということになり、今後は機体を含めた残存資産の処分と、契約していた航空会社との契約解除や補償などの協議を行うなどの清算業務が行われることになります。分かっていた事とはいえ、スペースジェット事業の後始末が進むとさみしさを感じてしまいますねえ・・・

www.aviationwire.jp

 

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三菱スペースジェット「MSJ」開発中止へ・・・どうする巨大プロジェクトの「あとしまつ」

2月6日、一部メディアやニュースサイトで三菱重工業が「三菱スペースジェット(MSJ)」の開発を中止する方針を固めたと報じられました。当初三菱重工側は開発を中止した事実はないとしていますが、既に複数の大手新聞や通信社が報じており、翌7日には決算発表会見の場で正式に中止を表明しました。今回の開発中止が業績に与える影響は殆どなく、業績は軽微としていますが、これまでにかかった1兆円もの開発資金は回収できずに終わることになります。

 

 www.aviationwire.jp

 

digital.asahi.com

 

スペースジェットについては2008年に三菱リージョナルジェット(MRJ)として計画がスタートし、経済産業省の支援や全日空の確定発注などの後押しも手伝い、一時は300機近い発注を集めるほどでした。当初は2013年にANAに納入されるはずでしたが、開発遅れや検査態勢の不備などで納入時期は遅れに遅れ、当初の発注予定から10年たっても納入されず。2014年にようやく試験機が完成して実機試験に移るも、今度はFAAの型式証明をパスできずに四苦八苦しているうちにライバルのエンブラエルがE-Jetの改良型を完成させてしまい、スペースジェット発注の足かせだったアメリカのスコープクローズ(リージョナル航空会社では76席、最大離陸重量39トン以上の機体を飛ばせない労働協約)の緩和も見送られてしまいました。そして、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大による世界的な航空需要の激減がとどめとなり、三菱重工はスペースジェット計画の凍結を決定し、事業を縮小。その後2年以上たってようやく開発中止を正式に決めた、というわけです。

 

開発中止に至った詳しい経緯や事業失敗の原因、責任問題等はこれから長い時間をかけて検証されると思いますが、開発中止を決めた三菱重工がまずやらなければいけないのが、発注した航空会社や仕事を期待して設備投資した下請け企業などへの補償や人員の再配置、愛知の組み立て工場や試験機、MRJミュージアムなどの「遺産」の去就など、累計1兆円の開発資金と15年近い月日をかけた「国産ジェット旅客機」の巨大プロジェクトの清算です。既に三菱重工側も清算に向けてある程度道筋をつけてはいると思いますが、ここでは三菱重工が今後処理しなければならないスペースジェット事業の「あとしまつ」を考えてみたいと思います。

 

 

・航空会社への補償はどうする

ある意味これがスペースジェット事業最大の「あとしまつ」であり、一番揉める部分ではないかと思います。ANAの10年を筆頭に、発注した航空会社に何度も納入延期を食らわせた上に開発中止で機材更新計画を狂わせてしまったわけですから。

特にローンチカスタマーであるANAは当初の置き換え対象だった737-500を延命させまくってもMRJが来ず、当初の予定になかったQ400や737-800の追加発注をするなど実害が出ています。パイロット養成にしてもジェット機とプロペラ機では免許区分が違いますし、採用に影響が出ているそうです。恐らくANAもここ数年は諦めモードだったと思いますが、三菱側が開発中止を発表しない以上、表向きは発注済みのスペースジェットを待つ以外なく、他の機種の発注もできないジレンマに陥っていたと思われます。国産ジェット旅客機の最初のカスタマーという話題性を狙ったのに加え、純粋に日本の航空産業の発展を願ってMRJを発注したANAに取っては、最悪な形で裏切られた形です。既に納入遅れに対する補償はされていますが、今後は三菱重工に対して開発中止に伴う発注取り消しに対する補償を求めるものと思われます。

一方、32機を確定発注したJALに関しては昨年に赤坂社長がエンブラエルの後継機をA220かエンブラエルE2と明言するなど既にスペースジェットを見限っている節があり、ANA同様補償は求めるとは思いますが実害が出ていない分、ANAほど多額にはならないのではないでしょうか。

 

それでも日本の航空会社はまだ厳しい補償を求めないと思いますが、最大の発注先であるスカイウエストはどうでしょうか?この会社も内心当てにはしていなかったと思いますが、機材計画が狂ったことには変わりないので、三菱重工に補償を求めるのは確実でしょう。それ以外にもまだ契約が残っている航空会社が複数いますので、今後航空会社から補償を求める声が上がってくると思われ、数十億から数百億単位の損害賠償を求められるのではないでしょうか?今まで散々発注企業の期待を裏切ってきただけに、補償交渉は難航するかもしれませんし、交渉決裂となれば国際的な訴訟リスクを抱える可能性もあります。

 

・小牧の組み立て工場はどうする

スペースジェット最大の「遺産」と言えるのが小牧市の県営名古屋空港近くに建設した最終組立工場と塗装工場。スペースジェット量産化の暁にはこの工場から世界各国に向けて完成機が出てくるはずでしたが、開発中止でこの工場も必要なくなってしまいました。

今日の会見では工場の去就については触れられませんでしたが、工場の土地は三菱が完成機を作る前提で愛知県が提供しており、もし他の用途に転用したら違約金条項を楯に愛知県が噛みつくのは確実。一応、三菱重工には次期戦闘機の開発計画があり、スペースジェットの人員もそちらに振り向ける予定なので、愛知県との紛争を回避するなら次期戦闘機の最終組立工場として転用するしかなさそうです。一方、完成機以外の用途に使うのであれば愛知県との訴訟や違約金支払いのリスクが発生するので、どちらに転んでも茨の道になりそうです。

www.chunichi.co.jp

 

・試験機はどうする

スペースジェットの飛行試験機はアメリカに1~4号機、日本に7号機と10号機がありましたが、このうちアメリカにあった3号機は昨年3月に登録抹消され、現地で解体されました。この他に地上試験用の5号機と疲労強度試験機の6号機、製造中の7号機と11号機が存在します。なお、70席級のMRJ70として製造中だった8・9号機は途中で製造がストップされた上、廃棄されたようです。従って、現時点で現存するスペースジェットは飛行可能な試験機がアメリカに3機と日本に2機、飛行できない機体が日本に2機、製造途中の機体が日本に2機、ということになります。

では、これらの機体は今後どうなるのでしょうか?開発中止になったとはいえ、日本初のジェット旅客機として開発された機体ですからどこかの博物館での保存を期待したいところですが、残念ながら先行きは暗いのではないかと思います。

 

まずアメリカに残された3機の飛行試験機ですが、このまま現地で廃棄される可能性が高いのではと思います。既に3号機が解体済みであることや、試験機でしかも型式証明取得ができなかった機体であることから他の用途への転用が困難であること、博物館への保存目的で日本に戻すにしても輸送コストや関係当局の認可の問題でハードルが高そうなことから、解体という結論になる可能性が高いと思われます。1機くらいならピマ航空博物館あたり面白がって保存しそうですが・・・

 

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【追記】Aviation Wireでもアメリカの試験機に触れた記事が出ました。日本に戻すにしても臨時の飛行許可が出ないと無理そうですし、やはり一番安上がりなのは「現地で解体」のようなので、前途はかなり厳しそうです。せめて試作1号機だけでも保存してもらえたらいいのですが・・・

 

一方、日本にある試験機のうち既に完成した機体については国内の博物館が手を挙げそうです。その中で最有力なのが名古屋空港内のあいち航空ミュージアム。元々MRJの試験機の保存に積極的でしたし、ある意味試験機保存の為に博物館を作ったようなものですから、将来の目玉展示として試験機の受け入れに手を挙げる可能性は高いと思われます。

この他にも各務原航空宇宙博物館、成田の航空科学博物館、三沢航空科学博物館あたりが手を挙げそうですし、YS-11のように空港敷地内や近隣の公園などで展示も考えられますが、小型とはいえYS-11よりも10m程長い全長35m以上の旅客機を保存するとなると場所は限られます。展示保存できるとすれば飛行試験機2機と地上試験機2機の計4機でしょうが、全ての機体が安住の地を見つけられるかは微妙なところです。

そして、製造途中の機体や強度疲労試験用の機体は廃棄される可能性が高いでしょう。一部部品がどこかの博物館に引き取られる可能性はあると思いますが、機体として中途半端な状態ですし完成した試験機もありますから、一機まるごと保存したいという引取先は現れないと思います。

 

・MRJミュージアムはどうする

「アジアで唯一飛行機の組み立てが見られるミュージアム」の触れ込みで2017年11月30日に開館したMRJミュージアム。しかしこのミュージアムも新型コロナウイルスの感染拡大とスペースジェットの開発凍結を受けて休館し、現在も休館したままです。

スペースジェットの開発中止で少なくとも旅客機の組立工場としては使われない事が確定したこと、というかスペースジェット自体がプロジェクト終了したことで、航空機事業のPR施設だったMRJミュージアムも存在意義を失ってしまいました。博物館自体はこのまま再開されることなく閉館することになると思われます。MRJミュージアム自体が最終組立工場内に作られていることもあり、施設自体は工場の次の用途次第ですが、中の展示物はどうなるのでしょうか?一部でもどこか別の博物館で展示してくれたら嬉しいのですが、機密保持や協力企業との兼ね合いもありますから難しそうかな・・・

 

・三菱航空機はどうする

スペースジェット計画の為に作られた三菱航空機ですが、開発中止になった以上存在意義を失うことになり、スペースジェット関連の資産や知財を三菱重工本体に移したのち、清算されることになると思われます。出資比率的には三菱重工が86.7%の株式を持っているほか、三菱グループ以外の株主はトヨタ自動車や三井物産、住友商事など1割にも満たないので、清算の話自体は比較的スムーズに行くのではないでしょうか。

といっても既に2021年の時点で資本金を1350億円から5億円に減資しており、資本準備金1350億円も全額取り崩していますので、資産らしい資産は殆ど残っていないのが現状です。それどころか2022年現在で5647億円の債務超過であり、最終的には三菱重工が処理することになると思われます。いや、それどころか下手したら債権者との調整がうまくいかず、法的整理で破産処理する羽目になるかも・・・

 

・CRJ事業はどうする

2020年にボンバルディアから576億円で買収したCRJ事業。といっても購入したのは既存納入機のアフターサービス事業であり、新造機生産や組み立て工場は既に別の会社に売却されています。アフターサービスのみを買収した目的は、CRJの販売・サービス網をスペースジェットのアフターサービスに活用するつもりでしたが、そのスペースジェットの開発中止で「無用の長物」となってしまいました。

maonline.jp

 

無論CRJ自体は1900機以上も製造され、現在でも世界中で多数の機体が運航されていますから、今すぐにアフターサービスの仕事がなくなるわけではありませんが、新たな仕事となる新造機を生み出す見込みがなくなった以上、今後十数年~20年後には確実に仕事が無くなります。既に三菱重工はCRJ事業の買収額に匹敵する減損処理を行っているのですぐに業績に影響があるわけではありませんが、このままズルズルと持ち続けるのか、折を見て他社に売却するかは不透明です。もっとも、アフターサービス事業だけを欲しがるメーカーはそういないと思いますが・・・

 

・まとめ

以上、スペースジェット開発中止に伴う様々な「遺産」の後始末というか行く末と見通しを考察してみました。繰り返しになりますが、スペースジェット事業は累計1兆円以上の資金と15年近い月日を費やした巨大プロジェクトであり、その影響はカスタマーである航空会社や下請け企業、海外のパートナーに国や愛知県などの行政と様々なステークホルダーが関わっています。

それだけに中止した後のアフターフォローは他の事業と比較にならないほど多岐にわたり、頭を下げなければいけない相手も数多くいます。今回取り上げた事柄以外にも下請け企業や行政への説明や補償、スペースジェット事業に関わった人員の再配置など、片付けなければいけない問題はまだまだあり、完全に清算するには数年単位の時間がかかるのではないでしょうか?そういう意味では「スペースジェット事業のあとしまつ」はこれからが本番だと言えますね。

 

 

 

エアアジア・ジャパン撤退決定・・・コロナ禍で「第3極」は厳しくなる?

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10月5日、マレーシアのLCC大手・エアアジアの日本法人である「エアアジア・ジャパン」は12月5日付で全4路線を廃止し、日本路線から撤退すると正式に発表しました。既に10月1日~24日の間の全便運休が決まっていますが、運休期間を12月5日まで延長し、そのまま路線廃止にするようなので、9月の連休中に運航したのが「ラストフライト」になってしまうようです。

今後は予約済みのチケットの払い戻しや事業廃止に伴う債権者や株主に対する説明や事後処理、関係機関への廃止手続きなどの清算業務を行うことになり、従業員は一部を除き11月4日付で解雇されることになります。マレーシアやタイなど、海外から乗り入れるエアアジアグループの路線については今のところ撤退の話はなく、出入国規制が緩和され次第再開するとしていますので、エアアジア自体が日本市場から撤退するわけではありませんが、新型コロナウイルスの影響で日本の航空会社が消える初のケースとなるだけに、大きく報道されました。

 

www.aviationwire.jp

 

newsroom.airasia.com

 

https://support.airasia.com/s/article/AirAsia-Japan-Announcement?language=en_GB

 

 

エアアジア・ジャパンの生い立ちについては私のこちらの動画も参照してください。これ作った頃はこんな形で撤退するとは夢にも思いませんでした・・・

 


【日本最強の航空会社とアジア最強のLCCが組んだのに・・・】航空会社から学ぶこと 短命に終わった初代エアアジア・ジャパン

 


【郷に入ってもゴーイング・マイ・ウェイ】航空会社から学ぶこと 二代目エアアジア・ジャパン

 

エアアジア・ジャパンの撤退は直接的な原因は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う旅行需要の「蒸発」ですが、2度目の参入の際、許認可の遅れや安全体制の構築などに時間がかかって就航までに3年半もの時間を費やしてしまい、想定以上の累積赤字を抱えてのスタートだったのも撤退に影響を与えたと思います。これが足枷となって規模拡大や黒字化が大きく遅れ、2019年12月期の決算は47億円の赤字と売上高以上の赤字を出していました。薄利多売で回転率と搭乗率を上げないと利益が出ず、スケールメリットがものを言うLCCのビジネスモデルは今回のような事態ではレガシーキャリア以上に苦境に立たされる事になり、特に経営基盤が脆弱だったエアアジア・ジャパンは持ちこたえることができなかったでしょう。マレーシアのエアアジア本体でさえ赤字続きで追加融資が必要な状態で、エアアジア・ジャパンへの支援どころではないことを考えると、撤退はやむを得なかったと思います。

www.nikkei.com

 

さて、エアアジア・ジャパンの事業撤退は「コミューター会社を除けばANA・JALの出資や協力を全く受けていない航空会社が消える」という別の側面もあります。日本の航空会社は26社ありますが、実はその殆どがANAやJALから資本やコードシェア、整備面などで協力関係にあり、エアアジア・ジャパンのように大手2社の協力を全く受けていない会社の方が珍しいのです。

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エアドゥ、ソラシドエア、スターフライヤーの3社はANAの出資を受けている上に予約システムもANAの「able」に統一し、コードシェアでANAに座席の一部を販売してもらっているなどANAへの依存度が高く、スカイマークもable導入こそ断って予約システムは自前のものを使うなど独立志向ですが、ANAの出資を受けています。また、IBEXエアラインズとオリエンタルエアブリッジはANAと、フジドリームエアラインズと天草エアラインはJALとコードシェアを行っており、機材面でも協力関係にあります。日本貨物航空も2005年に日本郵船が子会社化して一度はANAグループを離れましたが、2018年にANAと業務提携を行って再度関係を強化しており、日本の航空会社と関係がなさそうな春秋航空日本も2017年12月にJAL系列の会社に整備業務の一部を委託するなど、程度の差こそあれ大多数の会社はANAかJALのどちらかと繋がりを持っているのです。

エアアジア・ジャパンは日本の大手2社の影響を全く受けない希有な会社で、エアアジアグループの総帥であるトニー・フェルナンデス氏も大手2社の影響下にある日本のLCCや、日本市場の閉鎖性を度々非難してきましたが、エアアジアグループの経営悪化とコロナ禍で撤退に追い込まれてしまいました。

 

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エアアジア・ジャパンの撤退で現状、明確に「第三極」を目指している会社はスカイマークのみとなりましたが、そのスカイマークはANAの出資を受けるなどその影響を完全に排除したわけではありません。予定では今年にも東証一部への再上場申請をするはずでしたが、コロナ禍で取りやめになってしまいました。

再上場すれば上場に伴う株式売却益でANAに「恩を返す」形でANAの出資を引き上げることが可能だったかもしれませんが、現状では無理にANAとの関係を解消するよりも、今のまま安定株主として株を保有してもらい、つかず離れずの関係を維持した方が得策のように思います。本格的に「第三極」として独り立ちするのは航空需要が回復した後でもいいでしょう。

 

現状ではエアアジア・ジャパンの3度目の参入は望み薄であり、当面はANA・JALの大手2社を中心とした体制が維持されるものと思われます。しかし、世界各地でレガシー・LCCを問わず航空会社の破綻が続いている事を考えると、こういった非常時には競争の激しくない日本の航空業界の方が体力を温存できるのかも知れません。今は何とかこの難局を乗り切り、これ以上航空会社の撤退が起きないよう航空各社には踏ん張ってもらいたいですね。

 

 

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