〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

ZIPAIR、まずは貨物便でスタート。LCCも「貨物で稼ぐ」時代がやってくる?

 

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4月に就航する予定も新型コロナウイルスの影響で就航延期に追い込まれていた日本航空系の中長距離LCC、ZIPAIRは5月21日、6月3日より貨物専用便として成田ーバンコク・スワンナプーム線を開設すると発表しました。週4往復の運航で機材は旅客便に使用する予定だったボーイング787をそのまま使用、客室には貨物は積まず、床下貨物スペースのみ使用する予定で貨物搭載量も飛行距離や燃料の重さを考慮して、最大搭載量の半分弱の20トン程度に抑える予定です。

www.aviationwire.jp

 

www.zipairtokyo.com

news.yahoo.co.jp

 

日本ータイの航空路線は他国の例にもれず、新型コロナウイルスの感染拡大により旅客需要が激減して減便・運休が相次いでいますが、逆に供給不足になって悲鳴を上げているのが航空貨物。と言うのも旅客便でも大型機だと大抵客席の下に貨物搭載スペースを設けており、旅客便でありながら貨物需要の一部も賄っていたのですが、その旅客便がごっそりなくなったことで床下貨物の供給量も消え、航空貨物が供給量不足になった締まったようです。ZIPAIRの貨物路線参入はやむにやまれぬ苦肉の策ではあるのですが、実は航空貨物自体がひっ迫しているという事情もあったのですね。

旅客便の貨物スペースと言うと空きスペースの有効活用程度に考える方も多いと思いますが、実は大型旅客機の貨物搭載量はバカにできないんです。例えば777-300ERだと最大約72.5トン、787-8だと最大約44.6トンの貨物を搭載する事が可能です(実際は旅客数や航続距離などの関係でかなり抑えた数値になると思いますが)一方の貨物専用機は777Fが最大102トン、767-300Fが最大58トンなので、777-300ERは767-300F以上の貨物搭載量を誇り、787も767貨物型には及ばずともそれなりに貨物を搭載できることが分かります。

JALの貨物事業が専用機を一切持たないにも関わらず1000億円近い売り上げを誇っている事や、かつては羽田ー佐賀や羽田ー那覇などでANAが旅客用の飛行機で貨物専用便を飛ばしていた事からも分かるように、旅客を乗せず、航続距離にも目を瞑れば旅客用の機材でも十分貨物専用機として使用できることがお分かり頂けるのではないでしょうか?

 

www.jal.co.jp

 

www.japanpress.co.jp

 

 

さて、苦肉の策として感が強いZIPAIRの航空貨物参入ですが、私はこの経験が意外と将来旅客便の運航を開始した時にも生きるのではないかと思っています。と言うのも近年LCCでも床下貨物スペースを活用した航空貨物事業に参入する動きが出ており、将来的には貨物分野でもLCCが存在感を高める可能性がある事、また、LCCにとって鬼門とされている中長距離路線の分野で航空貨物は収益性向上の切り札になる可能性を秘めていると考えるからです。

 

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例えばアジアのLCC王者、エアアジアグループ。数年前から航空貨物に参入しているようで、現在では物流部門は「テレポート」というブランドで展開しています。4月16日にはブロックチェーン技術を使った貨物予約プラットフォームを発表しており、いつの間にか単なる格安航空会社から貨物も含めた総合物流企業への脱皮を図っているようです。そう考えると日本路線やエアアジアジャパンに固執しているのも案外物流狙いの一面もあるのかも・・・?

bittimes.net

 

www.teleport.asia

 

また、JALとカンタスとの合弁のジェットスタージャパンは2013年から既にエアロジスティクスジャパンとの提携と言う形で航空貨物事業に参入しており、ピーチもバニラエアとの統合後に貨物事業への参入を検討するとしています。エアアジアもジェットスターもピーチもコンテナ搭載が可能なA320型を主力機にしており、貨物事業参入のハードルは案外高くありません。LCCと言うと格安運賃やレガシーキャリアにはない独自のサービス、派手なブランドコンセプトが目立ちますが、意外と貨物需要を狙っている会社は少なくありません。LCCと言うとどうしてもレガシーに比べて定時性が良くないというイメージが強く、実際ギリギリの運航計画なので遅れが出ると他の路線にも波及するリスクを抱えて飛んでいますが、それを逆手にとって遅延リスクがある代わりに大手よりも安い運賃で勝負を挑むという手もあります。LCCは航空貨物業界にとって「ダークホース」となり得る可能性を秘めていると思います。

 

www.aviationwire.jp

 

www.nikkei.com

 

翻ってZIPAIRの場合はどうでしょうか?こちらの記事によると当初の事業計画の段階で「旅客+貨物」での収入を想定していたようですので、航空貨物事業はZIPAIRも考えていたと思います。貨物もある程度載せられる787を使用するのですから、折角の床下スペースを遊ばせておくのは勿体ないですし、妥当な所だと思います。

 

news.yahoo.co.jp

 

中長距離路線を飛ばすフルサービスキャリアは旅客だけでなく貨物でも収益を得ていますし、旅客にしても収益の柱はビジネスやファーストと言った高単価客。エコノミーは時期や路線、中間席など売れ残りやすい座席を中心に格安で販売して値ごろ感の演出や空席解消、ライバルとの価格競争に使用している感があります。中長距離路線でLCCが根付かないのも短距離で機材の回転率を上げ、空港でのターンアラウンド時間を短縮することでコストを下げるLCCのビジネスモデルが通用しないことに加え、貨物や上級クラスの収益で稼ぐレガシーキャリアに対抗できる収益構造を構築できないのも一員なのではないでしょうか?

 

その点ZIPAIRは航空貨物の設備やノウハウを親会社のJALから提供してもらえるという強みがあります。更にZIPAIRは定時性向上など運航品質を重視していますので、レガシーキャリアとそん色ない定時性を確保できれば「LCCだけど時間通りに着く」と荷主の信用を得ることができ、航空貨物の取り扱い増加につながるのではないでしょうか?ZIPAIRが参入を目指している路線のうちバンコクとソウルは精密機械や機械部品と言った航空貨物が有利な分野の貨物需要が見込めますし、ホノルル線もハワイの立地上航空貨物が重要になる上に農産物需要も見込めます。将来的な就航を目指しているアメリカ西海岸もシリコンバレーを始めとしたIT産業が盛んな地域なので、こちらも精密機械などの航空貨物需要が見込めます。そう考えるとZIPAIRの路線は案外貨物需要も見越して計画されているのかも知れませんね。

 

新型コロナウイルスの感染拡大は就航直前だったZIPAIRにとっては出鼻をくじかれた格好になりましたし、貨物専用便でのスタートは本意ではなかったと思います。しかし、航空貨物というLCCにとっては未知の分野で経験を積むことは貨物事業も視野に入れていたZIPAIRには大きな財産になると思いますし、将来にも生きてくるのではないかと思います。「人間万事塞翁が馬」「災い転じて福となす」ということわざもありますし、貨物専用便をきっかけにZIPAIRが「旅客でも貨物でも稼げるLCC」となって中長距離LCCは成功しないというジンクスを覆してくれればいいなあ・・・

 

 

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寝台特急復活の可能性を真剣に考えてみた

新型コロナウイルスの影響で無期限延期になってしまいましたが、JR西日本が新たに投入する予定だった新たな特急用車両「WEST EXPRESS 銀河」。

既存の117系近郊型電車を特急用に改造したもので、夜行列車にも投入できるように横になれる座席を設置し、臨時の夜行列車にも投入するダイヤを組んだことで一躍話題を集めました。

www.jr-odekake.net

 

車内は1号車がグリーン指定席「ファーストシート」、6号車がグリーン個室「プレミアルーム」とフリースペース、2号車と5号車が普通車指定席「ノビノビ座席」、4号車が普通指定コンパートメントとフリースペース、3号車がフリースペースとなります。フリースペースの部分が多く、編成当たりの定員も90名程度とかなり余裕のある設計です。料金的に普通車は現行の特急料金をそのまま適用、グリーン車も一般席は現行料金適用、個室は新設のグリーン個室料金が適用されますが、スペースの広さを考えると寝台料金なしで横になれるのはかなりの乗り得列車です。今後のJR西日本のプロモーション次第ですが、定員の少なさも考えると、運行開始後は予約が殺到してプラチナチケット化するのではないでしょうか?

trafficnews.jp

 

しかし、日本では夜行列車自体が定期では「サンライズ出雲・瀬戸」の1往復のみであり、臨時でも全車座席車の「ムーンライトながら」など数えるほどしかありません。ツアー形式で料金も高額なクルーズトレインを除けば日本の夜行列車、特に寝台特急は風前の灯火です。

「WEST EXPRESS 銀河」にしても製造から40年近い117系近郊型電車の改造であり、どちらかというと今後の夜行列車設定の可能性や新たなサービスの在り方を図る「お試し車両」的な要素の強いもの。仮にこの試みが上手くいかなかったとしても、とっくに減価償却の終わった老朽車両ですから廃車してしまえばいいので、営業上のリスクも新車を投入するよりは低いですし、無理に毎日動かす必要もないから実験的な試みを行うことも可能、というわけです。

 

鉄道ファンの間では度々「夜行列車復活論」が起こりますが、実際のところ、寝台特急復活の可能性はどのくらいあるのでしょうか?また、仮に復活するとすれば採算がとれる列車はあるのでしょうか?素人考えながら考察してみました。

 

・日本では絶滅寸前の「寝台特急」

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寝台特急復活の可能性を考える前に、日本での寝台特急衰退の歴史と、衰退した理由を考える必要があります。

鉄道がほぼ唯一の長距離移動手段であり、航空機が高嶺の花だった1950~60年代は夜行列車は特急・急行はもちろん普通列車でも多数設定されていました。当時は国の政策で国鉄の運賃が物価よりも低く抑えられていたこともあり、寝ながら長距離を移動できる夜行列車はある意味最速の移動手段と言えました。特に寝台特急は当時としては高品質な設備・内装で「走るホテル」とも言われ、人気の移動手段でした。昼夜両方走れる583系電車が出現したのも、当時の夜行列車需要が旺盛だったことの証明となるのではないでしょうか?

 

しかし、70年代半ば以降は国鉄の急激な運賃値上げや、航空機の台頭や新幹線の延伸開業による高速化で夜行列車は衰退の一途を辿ります。寝台車両の新製も1970年代半ばの24系客車で途絶え、1980年代には大量に余剰となった583系電車が近郊型化改造され、同じ時期に夜行普通列車がほぼ全滅するなど、夜行列車や寝台特急は一気にその数を減らしました。

 

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JR化後も寝台特急には大きな投資もされる事がなく、衰退の一途をたどっていきます。例外として青函トンネル開通を機に設定された北海道行き寝台特急「北斗星」「トワイライトエクスプレス」が豪華さを売りにして人気を集めましたが、そのほかの列車は一部の列車で個室車両や座席車が設置されたほかはほぼ国鉄時代のまま。特に東京~九州間の寝台特急は航空機に対して完全に競争力を失ったからかほとんどテコ入れもなく、食堂車や売店といったサービスも徐々に削られて惰性で走らせているという状態が長年続きます。そして21世紀に入ると利用率低迷と使用車両の老朽化を理由に次々と廃止され、2009年3月の「富士」「はやぶさ」廃止で九州方面への寝台特急は消滅しました。

その後も寝台特急の削減は続き、2010年3月に「北陸」が、2012年3月に「日本海」が廃止され、2014年3月には従来型の客車寝台特急最後の生き残りだった上野~青森間の「あけぼの」も廃止。そして2015年3月、人気のあった「北斗星」「トワイライトエクスプレス」も車両の老朽化と北海道新幹線開業に伴う青函トンネルの電圧変更を理由に廃止され、翌2016年3月には同じ理由で青森~札幌間の夜行急行「はまなす」も廃止。これでJRグループから定期の客車寝台列車は消滅し、残るは前述の「サンライズ出雲・瀬戸」のみとなりました。

 

・寝台特急が衰退した理由

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こうして、日本では絶滅寸前となった寝台特急ですが、夜行での移動需要自体がなくなったわけではありません。現在でも日本中に夜行高速バスが設定されており、夜行移動の主力は鉄道より安価で少人数でも採算が取れ、きめ細やかなルート設定が可能な高速バスにシフトしています。JR化後しばらくは寝台特急も個室を設定したり、高速バスとの対抗上座席車を設定したりと一応のテコ入れはしましたが、結局は根本的な解決にはならず衰退に歯止めをかけることはできませんでした。

 

なぜ、寝台特急は衰退してしまったのでしょうか?先に挙げた航空機の発達や夜行高速バスの台頭、新幹線による鉄道自身の高速化や、格安ビジネスホテルの充実など、外的要因はいくらでも挙げられます。しかし、ヨーロッパでは高速バスやLCCに押されてはいるものの寝台列車はいまだに多く運行されていますから、やり方次第ではテコ入れの余地はあったのではないかと思います。寝台特急が衰退した日本独自の理由としては以下のことが挙げられます。

 

①設備・サービスの陳腐化による商品力低下

 前述のとおり、JR化以後は北海道方面の列車とサンライズエクスプレスを除いた寝台特急は大きな投資はされずに運行され続けました。JR発足後は新幹線や大都市圏の通勤路線、駅ビルなど大規模投資が必要な案件がいくらでもあり、長期低落傾向にある寝台特急には思い切った投資ができないという事情はあったと思います。

 

しかし、結果的には消極的な現状維持がさらなる寝台特急の客離れを招いたことは否めず、時がたつにつれ設備やサービスの陳腐化が進むと、ビジネスホテル並みの寝台料金は割高感が目立つようになります。それでも90年代は「日本海」や「あけぼの」など北行きの列車を中心に利用率の高い列車がまだ残っていましたし、「サンライズ」や「カシオペア」の新車投入など寝台特急テコ入れの動きがあった頃でした。もしこの時に利用率の高い列車に「サンライズ」と同様の車両を投入してテコ入れしていれば、比較的利用率の高かった「あけぼの」「日本海」は残せたのではないかと思ってしまいます。

 

②個室化・電車化の遅れ

「サンライズ」が今でも人気を保ってる理由の一つに「個室の充実」が挙げられます。普通車指定席扱いの「ノビノビ座席」を除けば全て個室であり、プライベートが保たれる個室主体の客室サービスであったことが「サンライズ」を生き永らえさせているのではないかと思います。実際、かつてはいわゆる雑魚寝が一般的だった長距離フェリーも新造船は個室や半個室の割合が多くなっていますし、高速バスでも半個室化や、独立式のシートやカーテンによる仕切りなどでプライベート空間をできるだけ確保する車両が人気を集めています。ヨーロッパの寝台列車もすでに個室が主流です。

これに対して比較的利用率がよかった「あけぼの」「日本海」は国鉄時代のままの開放式寝台が主体でした。「あけぼの」は10両中7両が開放式寝台か普通車扱いの「ゴロンとシート」、日本海に至ってはほとんどの車両が開放式寝台で末期の車両は全車開放式という個室化の流れに逆行する列車でした。

 

先ほどの項目でも触れましたが、もしこの時に285系電車を投入してテコ入れをして、個室主体の列車に衣替えしていれば・・・と思ったのですが、よく考えたらこれらの列車は直流区間と交流区間が混在しており、直流電車の285系はそのまま入れられませんでしたね。それに、当時の「日本海」や「あけぼの」は修学旅行などの団体利用も多かったため、個室化には踏み切りにくかった事情も考慮する必要があります。

 

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また、寝台列車の多くが従来型の機関車けん引の客車列車なのも衰退の原因です。旅客と貨物の経営が同一だった国鉄時代なら機関車や人員の融通は比較的容易でしたが、国鉄分割民営化で旅客会社と貨物会社が別になった事で、旅客会社はほぼ1日数本しかない寝台特急の為だけに余計に機関車を用意し、乗務員も機関車用に別に配置する必要が出てきます。大多数が電車もしくは気動車という車両構成の旅客会社には負担が大きいことは明白であり、それなら廃車のタイミングが来た時点で辞めてしまえ、と考えるのは自然な事でしょう。「サンライズ」も運行面ではJR4社を跨ぐ為複雑化していますが、それでも今も運転されているのは、人員の融通がしやすく整備管理もしやすい「電車」だった事が幸いしているのではないでしょうか?

 

③分割民営化による運行複雑化とJRグループ間の温度差

国鉄時代と違って複数のJR旅客会社をまたいで運行される寝台特急はJR各社間の調整が難しいという問題がありました。車両を新製するにしてもどのJR会社が作り、保有するのか。車両の新製費用や車両使用料はどうするか、そもそも寝台特急用の車両を新製する必要があるほど採算性はあるのか、と言った問題があり、その調整を考えると積極的に寝台列車の問題を取り上げることをできなかったのではないかと思います。

また、JR各社間でも寝台特急の存続には温度差があったように思います。「サンライズ」によるテコ入れに積極的だったのはJR西日本で、個室中心の新型車両で付加価値をつけ、高単価のビジネス客を取り込むのが狙いでした。「サンライズ」用の車両はJR東海との共同開発という形をとりましたが、JR東海の場合は収益増の他に「自社管内で運用する客車列車の削減」も大きな目的でしたので、夜行列車自体はともかく、客車けん引の車両には否定的なスタンスでした。

 

一方、JR九州は寝台特急の存続には消極的だったように思います。管内の特急列車を博多駅を中心とした体系に作り替え、新幹線からの乗り換え客や九州内の都市間移動をターゲットにしていたJR九州にとっては、ほかのJRとの調整に手間がかかり、車両運用的にも効率の悪い寝台特急は手間のかかる割に収益には貢献しない「お荷物」だったのではないかと思います。また、収入面でも自社管内の走行割合が少なく、それでいて車両使用料相殺の為に寝台車両を保有・管理しなければならないとなると、積極的に残そうとしなかったのも無理はなかったのではないでしょうか?

 

・寝台特急復活の為の条件

以上の事から寝台特急の復活は容易ではなく、仮に復活させるとなると、以下の条件が必須になると思います。

 

①車両は電車タイプ

②個室主体

③走行時間9時間〜12時間程度

④極力新幹線が通らない地域を目的地にする

⑤直通する会社は多くても3〜4社まで

 

この条件、見る人が見れば分かると思いますが、ほぼ「サンライズ出雲・瀬戸」と同じなんです。唯一生き残っている寝台特急だからと言うのもあるのですが、フェリーやバスも含めた夜行需要で生き残っているのが「新幹線や飛行機の最終よりも遅く出発し、始発よりも早く到着する」と言うものが多いからです。

それより長いと夜行を選ぶメリットは薄れますし、逆に5〜6時間程度だと深夜発、早朝着になって車内で休めず「それなら前泊するか朝一で出た方がマシ」となりますので、寝台列車に勝ち目があるとすれば十分な睡眠時間が取れ、かつ新幹線や飛行機に対して優位性を保てる9〜12時間程度の区間となるわけです。

 

・寝台特急の需要があるとすればこのルート

では、具体的に寝台特急を走らせるとして採算が取れる可能性があるのはどのルートでしょうか?

 

①東京〜酒田経由青森

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このルートは最後の方まで残っていた「あけぼの」と同じルートであり、比較的乗車率が高かった事や山形県庄内地方や秋田県北部といった航空路線も余りなく新幹線もない地域を通る為、テコ入れの余地は十分見込めると思われます。また、JR東日本区間のみを走るので他社との調整が不要な事、東能代で「リゾートしらかみ」に接続するなど観光面でも需要が見込める為、個室主体で復活すれば結構いい線行くのではないでしょうか?

 

②東京〜京都又は新大阪経由城崎温泉

①のルートに比べると需要がなさそうに見えますが、このルートを通る京都府丹波・丹後地区や兵庫県但馬地方は新幹線の駅からも遠く、地域内に唯一ある但馬空港も東京直行便がないなど、実は対東京で見れば不便な地域。それでいて小規模ながら都市は点在していますし、沿線には天橋立や城崎温泉などの観光地が点在しています。電化区間の関係上、乗り入れ可能なのは城崎温泉までですが、テコ入れ次第では需要開拓の余地はあるのではないでしょうか?

 

③東京〜新大阪〜白浜

南紀方面も対東京で見れば直通の交通手段が少なく、観光資源が豊富な地域ですので、テコ入れ次第では需要開拓の余地があると思いますし、関西国際空港に近い日根野に停めれば空港アクセス需要も見込めます。

「え?羽田や成田があるしわざわざ便数のない関空に行くか?」と思われるかも知れません。確かに一昔前ならわざわざ夜行で関空まで行って飛行機には乗らないと思いますが、今はLCCが席巻し、インバウンド需要が伸びまくっていますので、成田IN→関空OUT(あるいはその逆)の外国人観光客やピーチなどのLCC利用者が利用する余地はあると思います。寝台特急走らせたらピーチさんコラボしたりしないですかね?

 

④広島〜成田空港

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空港アクセス需要絡みでもう一ルート思いつきました。東京〜広島間は以前「サンライズゆめ」と言う臨時列車が多客期に運行されていましたが、2008年を最後に運行されなくなりました。新幹線とルートがもろ被りで競合交通機関に敗れてしまったのだと思いますが、これを「夜行空港アクセス特急」の性格も持たせて再生させるのはどうでしょうか?

羽田空港の再国際化で地方からの国際線乗り継ぎはかなり改善されましたが、成田や関空発着が主体のLCCとなると話は別。地方からLCCを使うとなると成田や関空への便数は少なく羽田空港や東京駅からの乗り換えが必要になりますし、時間帯によっては空港周辺での前後泊が必要になるので結構不便です。そうでなくとも成田からしか出てない国際線はまだまだ多いですし、地方から成田空港へのツアーバスが少なからず設定されている事からも成田空港へのアクセス需要は十分見込めると思います。

 

そこで地方から寝ている間に移動でき、朝になったら空港に着いている夜行列車が有れば楽だと思いませんか?大荷物を抱えて乗り換えをする必要もなく、定時性も高いので飛行機に乗り遅れるリスクも少ない。夜に出発するから仕事を終えた後に出発でき、時間も有効に使えますし個室でゆっくり寝られますから体力的にもバッチリ。

成田空港に7時台に到着するダイヤを組めば欧米や東南アジア方面へのフライトに接続できますし、逆算すれば東京へは6時過ぎに到着しますので広島〜首都圏への都市間需要もギリギリカバーできます。更に品川にも停車させれば羽田空港からの国際線乗り継ぎも可能になるので、結構いけるのではないでしょうか?

ただ、飛行機の乗り継ぎと言う性格上、通常の列車以上に定時性が求められます。ネックがあるとすれば首都圏での遅延リスクでしょうね。

 

⑤大阪〜青森

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この区間も比較的最後の方まで残り、比較的利用率が高かった「日本海」と同じルートですが、他の区間と違うのは「途中に第三セクター区間が含まれる」事。既に金沢〜直江津間は各県ごとに3セク三社に分離されている上に、2023年の北陸新幹線敦賀延伸では更に福井県を管轄とする会社にも分離されます。この区間に寝台特急を走らせるとなるとJR東日本と西日本に加えこれらの三セク4社とも調整が必要になる為、需要面ではともかく、調整面で実現の可能性は薄そうですね・・・

 

・寝台特急復活の可能性は「持続可能なビジネスとして成り立つかどうか」

と言うわけで寝台特急復活の可能性がありそうなルートを挙げてみましたが、需要面から考えて首都圏か関西圏を発着しないと集客は見込めないので、自ずとルートは限られてしまいます。「寝台特急が競争力を保てるルート」は残念ながらそう多くはありません。

また、ビジネスとして成立させる必要があるので「綿密な需要予測」「魅力的なサービス」「旅客ニーズに合致したダイヤ設定」「寝台特急を認知し、利用してもらう為のマーケティング」が必要なのは言うまでもありませんし、設備面でも「サンライズと同等かそれ以上」のサービスが求められるでしょう。寝台特急の復活はかつてのサービスの焼き直しではなく「ゼロベースで新しい価値観を生み出す」位の勢いでやらないと上手くいかないと思います。

 

それでも「サンライズ」が走っている今ならまだ夜行列車運行のノウハウは残っていますし、「サンライズ」の事例をベンチマークにして新たなコンセプトの寝台特急を生み出せる余地は残っていると思います。夜行需要を一手に担ってきた高速バスが慢性的な運転手不足に苦しむ中、新たな夜行需要の受け皿として「新たなコンセプトの寝台特急」を開発するチャンスは今を置いて他にないのではないでしょうか?折しも新型コロナウイルスで県境をまたいだ移動が制限されている今、パーソナルスペースの確保が可能な個室型寝台特急は検討に値すると思います。実現までには様々なハードルが予想されますが、だからこそ効率化一辺倒ではない、新しい時代の「寝台特急」を生み出すきっかけになって欲しいですね。

 

 

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航空業界を支えるために「飛行機に乗る」以外に私達ができる事

しばらくブログの更新が滞って申し訳ありません。動画制作に時間を割いていたのもありますが、皆様ご承知の通り、新型コロナウイルスによる世界的な航空需要の激減と移動制限、自粛要請などで航空業界が過去経験した事のない危機に見舞われており、暗いニュースばかりでブログを書く気になれなかったのが正直なところです。

 

今月21日から営業開始する予定だったJALの新LCC「ZIPAIR」も就航が無期限延期となり、3月27日からの羽田空港の国際線増加もほとんどが運休。JALもANAも国際線の殆どが運休となり、国内線もほぼすべての航空会社が減便に踏み切るなど、航空業界はかつてない減便の嵐に見舞われています。海外でもシンガポール航空やキャセイパシフィック航空など国際線しか持たない航空会社はほぼ全便が運休、欧州最大手のルフトハンザも機材削減に動くなど、世界中の航空会社が会社存続の危機に見舞われていると言っても過言ではないでしょう。

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www.aviationwire.jp

 

IATA(国際航空運送業界)も渡航制限が3か月続けば航空会社や旅行会社などで2500万人が失業する恐れがあり、旅客収入も前年比44%減の2520億ドル(27兆円)となるとの試算を発表し、各国政府に対し航空業界への更なる財務支援や債務保証を求めています。最早航空会社の自助努力だけで持ちこたえるのは不可能であり、各国政府の支援で世界の交通インフラを守る事が求められています。

www.aviationwire.jp

 

そして4月21日、オーストラリア第二位の大手航空会社・ヴァージンオーストラリアが日本の民事再生法に当たる「任意整理」に入ると発表し、事実上破たんしました。運航は継続されますが以前から経営状態は良くなく、負債総額は日本円で約3600億円に達しています。通常時なら大株主のエティハド航空やシンガポール航空辺りが支援に乗り出すところでしょうが、今回は自身もコロナウイルスでほぼ全便運休に陥って支援どころではないので、先行きはかなり暗いです。この他南アフリカ航空が清算を決めて運航を停止したり、ノルウェーのLCC・ノルウェーエアシャトルの子会社が破産を決めるなど、体力のない会社を中心に経営破たんが出始めています。残念ながら、新型コロナウイルスの感染拡大が終息しない限り、航空会社の経営破たんは今後もしばらくは出てくるでしょう。

www.aviationwire.jp

 

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この未曽有の危機に対し、私達利用者サイドが航空会社を支援する方法はないでしょうか?需要低迷の理由が景気悪化など命に関わらないものなら「飛行機に乗って支える」と言う答えになりますが、今回の新型コロナウイルスの場合は飛行機に乗るのはおろか、空港に行くことや移動すること自体が感染リスクに晒されますし、万が一自分が感染し、大切な家族や友人に感染させるようなことは絶対にするわけには行けません。航空会社を支えたくても、一番効果的な「乗って支える」と言う事が出来ない以上、「飛行機に乗る」以外の方法で航空会社の収益に貢献するしかありません。

そこで今回は「飛行機に乗る」以外に航空会社の収益に貢献できる方法を考えて見ました。あくまでも一個人の見解ですのでこれが正しいとは言いませんし、良かれと思ってしたことがかえって航空会社に迷惑をかけることになるかも知れません。もし下記に挙げた方法が間違っていたら該当項目は削除しますのでご連絡ください。

 

 

 

航空会社系のクレジットカードで決済する

「飛行機に乗る」以外の方法で一番効果的なのはこれではないでしょうか。現在はANAもJALも自社でカード事業は行っておらず、三井住友カードや三菱UFJニコスなどの大手カード会社との提携という形でクレジットカードを発行しています。元々は顧客の囲い込みや航空機の利用促進、顧客のヘビーユーザー化による客単価向上が目的ですが、この状況下では顧客の繋ぎ止めの手段としても有効です。

 

ANAのマイレージ戦略

https://www.ana.co.jp/ir/kabu_info/ana_vision/pdf/62tq/07.pdf#search=%27ANA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89+%E5%8F%8E%E7%9B%8A%27

 

その一方で航空会社系のクレジットカードを使う事で、航空会社にも「収入」が発生する事も見逃せません。クレジットカードの収益は会員から支払われる年会費と分割・リボ払いの手数料、加盟店からの利用手数料ですが、航空会社にもカードの利用金額に応じて一定の手数料が支払われます。実際にカード会社から支払われる手数料収入がいくらになるのかは不明ですが、ANAの決算を見る限りだとカード手数料は一定の増収効果はあるようですので、決して馬鹿にはできない金額ではないかと思います。

 

 

ANAの2018年度決算

https://www.ana.co.jp/group/investors/data/kessan/pdf/2019_04_1.pdf#search=%27ANA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89+%E5%8F%8E%E7%9B%8A%27

 

つまり、航空会社系のクレジットカードを使えば使うほど間接的に航空会社にも収入が入りますので、既に航空会社系のクレジットカードを持っている方は極力支払いをクレジットカードに切り替えれば多少なりとも航空会社の収益に貢献できる、という訳です。

ANA・JALの他にもエアドゥやソラシドエア、スターフライヤーが、LCCではピーチとジェットスターが提携クレジットカードを発行しています。海外航空会社でもユナイテッドやデルタなど日本路線が多い航空会社も日本で使える提携クレジットカードを発行していますので、もしクレジットカードは持ってないけどオンライン決済用に作ろうかと考えている方がいれば、この機会に贔屓の航空会社の提携クレジットカードを作ってみてはいかがでしょうか?

 

但し、クレジットカードの使い過ぎで支払いが増え、自分のクビを締めては本末転倒なので、ご利用は計画的に、使い過ぎにはご注意を!

 

航空会社のオンラインショップで買い物をする

次に考えられるのは航空会社のオンラインショップで買い物をする事。利用者にとってはマイルが貯まるというメリットがあり、航空会社側も直接的な売り上げにつながります。調べて見るとANAやJALはもちろん、海外の航空会社もオンラインショップを持っている会社は結構ありますので、お気に入りの海外航空会社を支援したいという方はクレジットカードを作るよりもこちらの方がいいかも知れません。

但し、海外航空会社の場合は英語や現地の言葉だけというサイトも多いので、言葉の壁が高いですが・・・

 

voyageavance.global

soratabi365.com

 

ANAやJALだと会社のオリジナルグッズや、「コンソメスープ」「うどんですかい」などのオリジナルメニューが取り揃えられている他、ワインや肉などの食品、時計やバッグと言ったブランド品に化粧品など一通りそろえられています。お値段は全般的に高めですが、マイルが付くという特典もありますし、その会社のクレジットカードで決済すれば割引や追加マイルなどの特典もあります。国内外に路線網を張り巡らせているだけあって日本各地の特産品や海外ブランドの商品やワインなど、品ぞろえは〇ma〇onや〇天とは一味違います。「巣ごもり消費」には格好のお供かも?

 

航空会社のオリジナルグッズを購入する

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とは言え、全ての航空会社が提携クレジットカードや自社オンラインショップを持っているわけではなく、例えばスカイマークはその両方を持っていませんので上記の方法でお金を落とすことは不可能です。そんな時は航空会社のオリジナルグッズを購入してみてはいかがでしょうか?

「スカイマークは自社オンラインショップを持っていない」と言いましたが、実は楽天市場内に公式のグッズショップは出店しています。ショップ内では定番のモデルプレーンやキーホルダーの他、ボールペンなどの文房具、マグカップやエコバックなどの雑貨を販売しており、コレクター欲をくすぐる一品ばかりです。

www.rakuten.co.jp

 

また、天草エアラインも通販サイトを通じて自社オリジナルグッズの販売を行っています。これらの自社グッズを買う事で航空会社には収入が入りますし、航空会社許諾済みの商品を買えば航空会社にはライセンス料も入ります。航空ファンにとっては贔屓の航空会社のグッズを買う事も立派な「航空会社への収益貢献」になるわけです。

www.wub.co.jp

 

航空会社のマイレージモール経由で販売サイトに入って購入

航空会社のマイレージ会員は実はかなりの「優良顧客」であり、他企業にとっては「お金を払ってでも来て欲しいお客様」だったりします。と言うのもマイレージ会員は非会員に比べて購買意欲が強く、マイル獲得の為により多くのお金を使う事がデータ上からも実証されており、ネットショッピングの販売サイトにとってマイレージ会員はマイルと言う「見返り」を与えてでも自社サイトに引き込みたい存在なのです。

trafficnews.jp

 

航空会社にしてみれば自社のマイルを付与せずとも提携相手が勝手にマイルを払ってくれるので何もしなくても顧客の囲い込みができますし、提携相手からの手数料収入も見込めます。そう考えるとマイレージ会員は航空会社にとっては色んなルートから収入をもたらしてくれる大きな「財産」であり、特に客単価が大きい「上級会員」は優遇措置を出してでも囲い込みたい大事な存在だという事が改めて分かりますね。JALの経営破たん時にマイルは保護されたのも、優良顧客は航空会社にとって大きな「財産」であり、流出すれば計り知れない損失を与える為だとお分かり頂けるのではないでしょうか?

 

そう言う訳でネットショッピングを楽しむときは航空会社に実績と収入を与えるために、多少面倒でもログインした上で航空会社のサイトを経由して入って下さい。

 

航空会社の株や社債を買う

まあ、これは投資になってしまいますし金額も大きい、しかも株式市場が乱降下して先行き不透明な今はあまりお勧めはできません。しかし、ある意味最も航空会社を支援できる方法ではありますので、リスクを理解した上でお金に余裕があり、損失の可能性を覚悟できる方なら検討してみてはいかがでしょうか?

 

まとめ

いかがでしょうか?航空会社にとっては「飛行機に乗ってもらう」のが一番なのですが、それができない今は支援方法は限られてしまいます。それでも方法が無いわけではありませんし、収益としては微々たるものでも最大の収入源を失いつつある航空会社にとっては支えになるかも知れません。

 

先行きの見えない状況ではありますし、私達自身もこの先どうなるかは分かりません。既に苦しい立場になって航空会社を支えるどころではなくなっている人もいるかも知れません。ですが他の業界以上に苦しいのが航空業界であり、特に大手の会社や生活に不可欠な離島路線を運行する会社が倒れたら取り返しのつかない損失になりますし、再構築も容易ではありません。自分のできる範囲で構いませんので、少しでも航空会社の利益になるようにして貰えれば嬉しいです。

そして航空会社の側からも「こうしてくれたら会社の利益に繋がる」と言う情報を発信してくれたらと思います。航空ファンを始め、こう言う時だからこそ力になりたいと言う人は少なからずいると思います。先の見えない時だからこそ、お互い支え合ってこの難局を乗り越えていきましょう!

 

 

 

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単なる「2代目のボンボン」ではなかった五島昇氏の大きな功績

「東急の空への夢」第7話をアップしました。現在YouTube、ニコニコ動画双方で公開中ですので、是非ご覧下さい。


東急の空への夢7話「叶う夢・志半ばで果てる夢」国際線進出の陰で・・・

 

さて、今回でTDA設立の原動力となり、ある意味このシリーズの主人公の一人とも言える五島昇氏が退場しましたが、このシリーズだけ見ている方、特にTDA設立までの経緯や田中勇氏をTDA社長にするための裏工作だけを見てしまうと「五島昇はロマンの為に航空事業に手を出して大やけどし、その尻拭いを自分よりも年上の田中勇に押し付けるために時の総理まで担ぎ出して社長の椅子に座らせた」という少々情けない役回りになってしまってます。それ故ニコニコでのコメントも五島昇氏に手厳しいものが結構ありましたし、実際、五島慶太存命時の昇氏の評価は「仕事に熱を入れない、ゴルフ三昧の遊び人」と典型的な放蕩息子扱いで、カリスマ五島慶太亡き後の東急はガタガタになる、というのが世間の下馬評でした。

しかし実際の五島昇氏はカリスマ五島慶太亡き後の東急グループを上手く再編し、現在の基盤を確立した「東急中興の祖」であり、父慶太の負の遺産を整理する一方、本業の鉄道と関連性の高い事業を育て上げて選択と集中を行った「守勢の人」でした。また、財界活動を通じて幅広い人脈を築き、中曽根政権時にはブレーンの一人として行財政改革に関わっています。今回はそんな「東急中興の祖」五島昇氏について紹介していきたいと思います。

 

五島昇氏の功績1 「選択と集中」で東急グループの基盤を確立した

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1959年に父五島慶太氏が亡くなり、名実ともに五島昇氏が東急グループの実権を握ると、昇氏は東急グループを本業の鉄道との関りが深い交通、不動産、流通、レジャー、ホテル事業を中心とし、関連性の薄い事業からは段階的に手を引いて行きました。後述する東洋精糖買収からの撤退を皮切りに、東急くろがね工業、日東タイヤ工業、東映グループ、国民相互銀行など関連性の薄い企業を東急グループから切り離して行きました(東映については別の理由もあるので後述)。

その一方で、昇氏の時代には現在でも東急グループの中核を担う企業や事業がいくつも誕生します。東急不動産の建設部門を分離する形で誕生した東急建設、「西部警察」の制作にも関わった広告代理店の東急エージェンシー、全国チェーンの東急ホテルグループは五島昇氏の時代に設立されたものですし、「東急ハンズ」の生みの親も昇氏です。また、渋谷のランドマークの一つである「渋谷109」を生み出したのも昇氏。元官僚だった父慶太氏がハード面重視の大規模開発志向だったのに対し、レジャー事業や流通・ファッション事業と言ったソフト面の事業に注力したのはかつて遊び人だった昇氏らしいと言えます。父慶太とは別のベクトルで天性の才能があったのではないでしょうか?

 

 

功績2 五島慶太の「負の遺産」を処理して後顧の憂いを絶った

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東急グループの事実上の創業者である五島慶太氏は「強盗慶太」の異名通り、時には強引な手を使った買収を重ねて東急を大きくしていきました。特に晩年は子飼いの役員を派遣して日本各地の地方私鉄やバス会社、旅館・ホテル、スキー場などの交通・レジャー事業を買い漁ったり、名門百貨店の白木屋乗っ取り事件や、オート三輪メーカーの日本内燃機製造、四輪車メーカーのオオタ自動車工業の買収(のちに両社は合併して東急くろがね工業に)、国民相互銀行(のちの国民銀行、1999年経営破たん)への資本参加、果ては東洋精糖の乗っ取りを画策して執拗に買収工作を仕掛けるなど、手当たり次第に買収を仕掛けて行った感があります。

しかし慶太が買収した企業は本業とのシナジー効果が見込めなかったり、経営が悪化した企業ばかりで、いずれ東急グループの重荷となる恐れがありました。昇氏は「無理に買収を止めれば寿命を縮めるかも知れない」と思ったのと当時はまだ社内での発言権が弱かったこともあって父の暴走を止めることはできませんでしたが、1959年に五島慶太が亡くなり、自らがグループの総帥となると、「東急グループの仕事からはみ出している分野」「父がやみくもに買収して自分の手には負えない企業」を切る決意をします。

 

まず慶太の死後1か月も経たないうちに、父が最後まで執着していた東洋精糖買収からの撤退を決定。この時東急は東洋精糖株の過半数近くを買い占めていましたが、東洋精糖側も買収阻止の為新株発行や法廷闘争で対抗するなど泥沼化しており、このまま買収しても遺恨が残り、東急グループとのシナジー効果も得られないと判断した昇氏は保有していた東洋精糖株の全てを売却し、買収から手を引く決断をしました。買収に関わった社員からは昇への恨み節も出ましたが、この素早い決断と実行は財界や世論には好感を持って迎えられ、五島昇氏と東急のイメージ向上、そして五島氏自身の経営能力の疑念を払しょくする効果がありました。

また、動画内でも触れていますが自動車メーカー・東急くろがね工業の法的整理とグループ離脱も、父慶太の負の遺産の整理の一つでありました。この法的整理で東急は当時の金額で何十億と言う負債を抱え、昇氏自身も大きな非難を受け、マスコミに追い回されましたが、法的整理をしなければ東急グループ全体に修復不可能な傷を与える可能性があったため、荒療治をしてでも早期に整理する必要があったためでした。なかなか撤退の決断をできずに傷口を広げる経営者が多い中、敢えて非難の大きい法的整理をしてでも早期処理を選んだ昇氏の決断力と忍耐力は並みの経営者ではないでしょう。

 

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そしてもう一つ、父慶太の腹心中の腹心であり、東急グループ内でも大きな影響力を持っていた東急副社長兼東映社長・大川博を、東映の分離独立という形で切り離したことも、結果的には東急グループの確執の火種を排除し、グループの内部分裂を防ぐことになりました。元々運輸官僚だった大川は五島慶太のヘッドハンティングを受けて1942年に東急に入社し、大東急の事業分割や東急フライヤーズ(後の東急フライヤーズ、現北海道日本ハムファイターズ)の買収などで辣腕を振るいました。戦後の公職追放で五島慶太が東急から離れている間も経営の根幹に関わって東急を守り、1951年には倒産寸前だった東映の社長に就任してわずか数年で経営再建に成功。一時は五島慶太も大川を次期社長にすることを考えたほどのやり手でしたが、それ故昇との折り合いは悪く、昇が東急の総帥となった後はむしろ東急グループの内部分裂の火種となりかねない存在となりました。

そこで昇は1964年、東映を分離独立させる形で東急グループから離脱させます。東急は東映と言う「手切れ金」を大川に渡す形で将来の禍根を断ち切り、大川は名実ともに東映グループのオーナーとして「一国一城の主」となったわけです。東映グループの分離で東急グループは一時的に縮小しますが、最大の政敵を切り離したことで、結果的に東急グループは五島昇の下で結束する事になり、東急内での五島家の地盤を確固たるものにすることができました。

 

功績3 伊豆開発や田園都市開発などの「父の夢」はきっちり実現した

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その一方で五島慶太の悲願であった伊豆急行線の建設や、多摩田園都市の開発は父の計画通りに遂行しました。開業の伊豆急の経営危機にも腹心の田中勇氏を送り込んで再建に尽力したくらいですから、伊豆への思い入れは深いものだったと思います。特に南伊豆への思い入れは強かったようで、昇は休暇を南伊豆で過ごすことが多かったようです。朝四時に下田東急ホテルの近くから船を出し、夜に戻るまでずっとマグロやカツオを追いかけ、夜には釣り上げた魚を捌いて東急グループの主要企業の社長で酒盛りをする、というのが恒例でした。

また、多摩田園都市構想については五島慶太が亡くなった1959年に最初の分譲が始まり、1966年には田園都市線溝の口~長津田間が開業。この頃に初期の土地区画整理が終わり、多摩田園都市への入居が本格化しました。この開発が軌道に乗ったことで、東急は東急くろがね工業破たんの時の負債を一掃する事が出来、田園都市線は東横線と並ぶ東急のドル箱路線に成長します。また、多摩田園都市の成功をきっかけに不動産事業は鉄道と並ぶ東急の主力事業となり、東急不動産が不動産大手の一角に君臨するきっかけを作りました。

 

功績4 環太平洋地域の開発と交流に貢献した

東急グループを発展させる一方、五島昇氏は「環太平洋経済圏構想」という夢を持っていました。ハワイやグアム、パラオや太平洋沿岸の都市にシティホテルやリゾートホテルを建設し、それらの点を航空路と言う線で結んで人の流れを作り、経済効果を生み出すという構想で、環太平洋地域へのホテル建設や航空事業への執着はこの構想を実現するために必要なものでした。

結果的には五島昇氏の死とともにその構想は潰え、御存じの通り航空事業のJASはJALと統合して東急から離れ、環太平洋地域のホテル事業を担った「パンパシフィックホテル」も2007年に売却されてしまいましたが、ホテルチェーン自体は今でも残っており、オーストラリアや東南アジア、中国、カナダを中心に展開しています。

また、昇氏は事業開発だけでなく、現地の要人とも交流して人脈を築き、ホテル開発の際も極力自然を守る形で建設を進めました。まだリゾート開発の際の環境問題がクローズアップされる前の話ですから、昇氏は短期的な利益ではなく、長期的視野に立って自然と調和した息の長い開発を志していた事が伺えます。結果的には失敗となった「環太平洋経済圏構想」でしたが、現地のリゾート開発と日本からの観光客誘致には少なからず貢献したのではないでしょうか。

 

 

以上、「五島家の2代目」であり、「東急グループ中興の祖」とも言える五島昇氏の功績について見てきました。五島家は東急グループの企業の株をほとんど持っておらず、五島慶太個人の求心力でグループが結束していたようなものですから、資本力に頼れなかった昇氏は自らの力で東急グループをまとめ上げる必要がありました。もし五島昇氏が本当に「世間知らずのボンボン」であったなら、大川氏を始めとした東急グループの役員が結託して早々にグループから叩き出されていたと思います。そうなることなく、父親同様にグループの総帥として君臨し続けたのは、昇氏に実力とカリスマ性があった証明になるのではないでしょうか。

東急グループが空中分解しなかったのは紛れもなく五島昇氏の求心力のおかげですし、父が起こした企業集団を上手く時代に合わせて作り替え、現在も続く一大グループに育て上げたのは五島昇氏の手腕のおかげでしょう。無論、その脇には田中勇氏を始めとした優秀な役員が昇氏を支えたのも大きかったと思いますが、並みの人物では東急グループをここまで大きくすることはできなかったと思います。そういう意味では五島昇氏は非凡な人物であり、父親同様偉大な方だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

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「前略 雲の上より」連載終了・・・空港や飛行機の写真でその魅力を伝えてみる。

 

 

個人的に好きだった飛行機・空港愛にあふれた漫画でした

最近私が注目しているのが「前略 雲の上より」というマンガ。一言で言えば「空港や飛行機の魅力やあるあるを紹介する漫画」であり、月刊エアラインなどの航空系雑誌でも度々紹介されているので、航空ファンの方ならご存知の方も多いかと思います。

 

・・・が、先日公式Twitterで「最終回」の文字を見て驚きました。基本単行本派だったのでまだ最終回は見ていませんが、結構ショックです・・・現在は単行本は6巻まで出ていますが、この分だと次に出る7巻が最終巻になるのでしょうか?今のところは電子書籍版で買っていますが、布教用に単行本も買おうかな・・・

 

 

そんなわけで今回は今更ながら「前略 雲の上より」の魅力をネタバレにならない程度でお伝えしてみようと思います。とは言え、作品の画像をベタベタ貼り付けるのも著作権的にはよろしくないので、私が撮り溜めた飛行機や空港の画像を使ってご紹介します。ちょっとでも作品の魅力が伝わって単行本を買おうという気になってもらえると幸いです。

 

「前略 雲の上」の大まかなあらすじと世界観

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物語はとある企業の若手社員、桐谷健一が初めての出張で北海道に向かう所から始まります。彼はいわゆる「意識高い系社員」で、ビジネスでの成功以外には興味がなく、初めて乗る飛行機も「ただの交通手段」と冷めた様子。しかし羽田空港に到着して同行する竹内課長と出発ロビーで合流すると思いきや、電話で課長に呼び出されたのは展望デッキ。飛行機初心者の桐谷は課長から空港や飛行機に関してのダメ出しを受け、空港を堪能する課長に振り回されます。そう、竹内課長は飛行機と空港に対して異常なまでの愛情を注ぐ、生粋の飛行機オタクだったのです(本人は否定も肯定もしていませんが)

 

・・・という感じで、基本的には飛行機に興味がない桐谷が出張のたびに最強の飛行機オタクである竹内課長に日本各地の空港を連れまわされ、飛行機や空港の魅力を叩きこまれる、という内容の1話から2話完結のオムニバスストーリーになります。取り上げられた空港は羽田や伊丹、関空と言った主要空港はもちろん、仙台や鹿児島と言った地域の拠点空港や、庄内や松本と言ったローカル空港、八丈島などの離島空港まで様々。空港の見所(一部マニア向け)や空港グルメ、展望デッキからの飛行機の離着陸風景や空港周辺の観光スポット(半分はマニア向け)や撮影スポット(完全にマニア向け)を紹介してくれるので、航空ファンはもちろん、旅行や出張などで飛行機を利用する機会のある人も楽しめるのではないでしょうか。

 

最終的に取り上げられた空港はいくつ?

 

作品内で取り上げられた空港は以下の39空港です(一部単行本未収録の回もあり。抜けている空港が会ったらごめんなさい)

 

北海道(6)

新千歳空港、さっぽろ丘珠空港、女満別空港、釧路空港、とかち帯広空港、函館空港

 

東北(5)

青森空港、秋田空港、仙台空港、山形空港、庄内空港

 

関東(3)

羽田空港、成田空港、八丈島空港

 

中部(6)

新潟空港、松本空港、静岡空港、富山空港、小松空港、中部国際空港

 

近畿(3)

大阪伊丹空港、関西国際空港、南紀白浜空港

 

中国(4)

岡山桃太郎空港、広島空港、山口宇部空港、出雲空港

 

四国(3)

高松空港、松山空港、高知空港

 

九州(7)

北九州空港、福岡空港、長崎空港、熊本空港、宮崎空港、鹿児島空港、沖永良部空港

 

沖縄(2)

那覇空港、宮古空港

 

日本で定期路線が就航する空港は86ですから、まだ半分も行っていなかったんですね。利用者数100万人以上の空港だと旭川空港、県営名古屋空港、神戸空港、徳島空港、大分空港、石垣空港がまだ登場していませんし、それ以外でも行政機関が入居し道の駅指定された能登空港や昨年定期路線が復活した下地島空港、伊豆諸島のコミューター路線専門の調布飛行場にLCC仕様の茨城空港などネタになりそうな空港はまだまだ多いだけに、連載終了は本当に残念です。

 

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個人的には県営名古屋空港に行って元国際線ターミナルのエアポートウオーク名古屋を堪能する課長を見て見たかった・・・

 

「前略 雲の上より」の4つの魅力 

それでは、ここからは個人的「前略 空の上より」の魅力を解説していきましょう。

 

魅力①綿密な取材に基づいた空港や飛行機の描写

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原作者の竹本真先生は日本全国ほぼ全ての空港に訪れたそうで、この漫画も竹本氏の実体験に基いたネタが結構あります。また、竹本先生や作画担当の猪乙くろ先生も執筆前には実際に空港に行ってロケハンもしますし、単行本には竹本氏の空港ごとの裏話なども掲載されています。

それだけに漫画で描かれる空港や飛行機の描写は忠実そのもの。空港だけでなく周辺の風景も丁寧に描かれていて、漫画を見ているだけで空港に行った気にさせてくれますし、実際に行ってみたいと思わせてくれます。個人的には地元の富山空港の回で出てきた神通川の河川敷の絵がツボでした。飛行機と神通川と立山連峰のコントラストは絵になる風景ですが、実際に足を運ばないとそれだけの絵は描けないと思います。

 

魅力②かゆいところに手が届く「空港小ネタ」

この漫画の魅力は、普通ならスルーしてしまうようなネタも丁寧に拾っているところ。例えば秋田空港の回で出てきた記念コイン。普通ならなまはげの等身大モニュメントや釣りキチ三平のレリーフで十分満足するところですが、辛うじて記念コインにその姿をとどめるかつてのシンボルキャラクターにスポットを当てるあたり、この漫画のディープさを表しています。

また、マニアが喜びそうな空港内の施設を紹介しているのもこの漫画の特徴。大多数のなど年末に仙台空港を訪れた際は、この漫画に出てきた「とぶっちゃ」にも実際に行って実際のビジネスクラスの座席やA300-600Rのコクピットを見てきました。この漫画を見てなかったら多分スルーしてたかもw

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魅力③空港グルメや観光など飛行機に詳しくなくても楽しめる要素

とは言え、ディープな空港小ネタに特化していたら飛行機マニア以外の支持は得られず、もっと早く連載が終わっていたと思います。「前略 雲の上より」は「空港のおすすめスポット紹介漫画」の要素もあったからこそ、ここまで連載が続いたのではないかと思います。

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特に充実しているのは「空港グルメ」。大抵の空港ではその空港内のレストランなどで食べられる「空港グルメ」を紹介しています。一例を挙げると関西空港のスカイホール「コンコルド」の機内食(昨年12月で閉店)、富山空港のブラックラーメン、鹿児島空港の鶏飯バイキング、南紀白浜空港のパンダカレーなど。「空港グルメ」の描写だけを見ても、空港で時間をつぶすのも悪くないなと思わせてくれます。

 

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また、空港やその周辺の観光スポット(ただし半分は飛行機絡み)を紹介してくれるのもこの作品の魅力。例えば出雲空港の縁結びスポットや松山空港のミカンジュースが出る蛇口など、飛行機ファンでなくとも興味をそそるスポットが紹介されています。また、空港周辺の見どころにも触れてくれるので観光気分も楽しめます。鹿児島・宮崎空港や帯広空港での女子会旅行回では後半は観光スポットの紹介が中心でしたし、松本空港の回では空港そのものよりも隣接するスポーツ公園の紹介のほうがメインになっていたくらいです。

その一方で熊本空港や富山空港などの飛行機撮影スポットや飛行機が眺められる公園、小松空港向かいの航空プラザなど、マニア向けのスポット紹介も充実しています。特に注目なのが度々登場する「ミニ滑走路」。事あるごとに竹内課長は桐谷にミニ滑走路からの「離陸」を強要しており、その度に桐谷が断固拒否したり何かと理由を付けて回避しようとするのが「お約束」になっています。

 

・・・桐谷でなくとも普通の感覚を持った人なら大の大人がミニ滑走路で飛行機ごっこするのは嫌だと思いますがw

 

魅力④変態個性的なキャラクター

そして、「前略 雲の上より」の最大の魅力と言えるのが一癖も二癖もある変態個性的なキャラクターでしょう。この多彩で特徴的なキャラクターがいたからこそ、「前略 雲の上より」は単なる空港紹介漫画にとどまらず、読者の心をひきつけたのではないかと思います。

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まずは主人公の桐谷や竹内課長のいる営業一課に所属する女子社員の繭田さん。一見するとちょっと気の強い感じの美人女子社員ですが、寝るのが大好きで快眠できる環境を研究した結果「飛行機で寝るのが一番気持ちいい」という結論に達し、「寝るためだけに飛行機に乗る」という常人には理解できない趣味を持っています。まあ、確かに乗り物でうたたねするのって結構気持ちいいですが、寝るためだけに高い金出して飛行機に乗る人なんてまずいないですから、繭田さんは立派な変態です(それ以外は比較的まともなんですけどね)

そして営業一課にはもう一人、橋本さんという女子社員がいます。こちらは繭田さんのような変態要素はありませんが、お姉さんの旦那さん(既に故人)がパイロットなので飛行機と無縁というわけでもありません。その橋本さんの姪で大阪在住の西野チカは亡き父の面影を飛行機に求め、バイトでお金を貯めてはLCCに乗りまくっているなど、なぜか飛行機に縁のあるキャラクターが多いです。この他にも空港カメラ女子で密かに竹内課長の弟子入りを狙っている経理課の育山さんや、その育山さんが好きだけど高所恐怖症の菊坂さん、物語後半に登場し、営業一課に配属されたアイドル並みの容姿とオーラを持ちながら実は竹内課長並みに強烈な飛行機マニアの星野聖子といった飛行機に縁のある女性キャラクターが物語に花を添えてくれます。ともすれば男性キャラばかりになりがちなテーマや内容なだけに、個性的な女性キャラが航空ファン以外の男性読者を繋ぎ止めたと言っても過言ではない?

 

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一方、飛行機のライバルと言えば鉄道ですが、鉄道側の代表(?)として竹内課長の前に立ちはだかるのが鉄道好きな変態社員が集まる営業二課の渡丈一郎。桐谷を営業2課に引き抜こうと、事あるごとに課長と桐谷の出張先に現れては鉄道の魅力をアピールしようとします。小倉出張に行くのにわざわざ終点の博多まで乗って引き返す「博多返し」で大喜びしたり、静岡駅を通過する「のぞみ」に拍手喝采したりと中々の変態ぶりですが、実はかつて竹内課長の営業一課にいた過去があり、昔は桐谷以上の「飛行機好き」だったようです。それがなぜ飛行機嫌いになり、鉄道に走ったのか。渡の過去と心情の変化も見どころの一つ(?)です。

 

とまあ、様々な変態個性的なキャラクターがいますが、一番の変態はもう一人の主人公である竹内課長でしょう。この人の飛行機と空港に対する知識と愛情は作品中ダントツであり、その反動からか、異常なまでに鉄道(特に新幹線)を毛嫌いしています。「飛行機マニア以外の人も楽しめる」と書きましたが、事あるごとに鉄道をディスりまくる竹内課長の言動はかなり過激なので、鉄道大好きな人は読まない方が良いかもしれません(笑)

 

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竹内課長は普通の人はもちろん、並みの飛行機マニアでも絶対にやらないような様々な伝説を作っています。飛行機に乗るときは2時間前に空港に着いて飛行機と空港を堪能するのは序の口。この人は飛行機と空港を堪能するためなら(そして大嫌いな新幹線を回避するためなら)どんなことでもしますし、飛行機を愛するあまり物議を醸す発言をしたり変態的な特技を身に着けていたりしています。その一端をご紹介しましょう。

 

朝食を食べに行くためだけに飛行機で山口宇部空港に行く

・「飛行機より電車のほうが良い」と言った子供にマジ切れし「あんな地べたを這いずる乗り物を好きになったら一生浮かぶことのないみじめな人生を送ることになるぞ!」と凄む

・飛行機の傾きだけでどのあたりを飛んでいるかが分かる

・エンジン音だけで機種を言い当てる

・スケジュールに6時間の空きができると八丈島往復して時間を潰した

・新幹線を回避するために女子会内の仲間割れを煽って飛行機に乗らざるを得ない状況を無理やり作り出した

・静岡出張の際、新幹線を回避するために無理やり福岡のアポをねじ込んだ(しかも往復分)

 

 

・・・書けばまだまだ出てくるのですが、これだけでも竹内課長の変態特異ぶりがお分かり頂けるでしょう。

しかし、この「極端な飛行機オタク」な竹内課長と「飛行機には興味ないが潜在的な飛行機オタクの素質はある」桐谷のコンビは飛行機や空港の魅力を伝えるには最適な組み合わせでした。マニア的な視線は竹内課長、一般人的視線は桐谷が受け持つことで双方の視点から空港や飛行機の魅力を楽しむことができたからこそ、この漫画が航空ファンとそれ以外の読者の支持を受け、長く続いたのではないでしょうか?これら4つの魅力がかみ合わさった事で「前略 雲の上より」は魅力的な作品になったのではないかと思います。

 

・まとめ

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以上、自分なりに「前略 雲の上より」の魅力を書いてみました。鉄道旅をテーマにした漫画は「鉄子の旅」「駅弁ひとり旅」などそれなりにありますが、飛行機旅をテーマにした漫画は恐らくこれが初めてだと思いますし、長く連載が続いていただけに連載終了は本当に残念です。最終巻となる第7巻は2月21日発売予定ですので、敢えて続きは読まず、単行本発売の楽しみに取っておこうと思います。そしていつか、連載再開して残りの空港や海外の空港もやってくれると嬉しいですね。

 

・・・単行本が売れればいつか連載再開してくれるかな?

 

 

【2月24日追記】

2月21日に最終巻の7巻が発売されました。桐谷の2課移動騒動も無事(?)決着し、いつもの雰囲気に戻ったところでの連載終了だったので、せめてもう少しいつもの桐谷と課長の掛け合いを堪能してから終わって欲しかった・・・というのが正直なところです。

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ですが最終回で取り上げられた成田空港で、課長の奥様登場と言う爆弾(そしてもれなく重度の飛行機オタクという変態淑女)を投下するあたり、最後の最後まで振り切ってくれたなあとある意味安心しましたwこのまま転職して世界の空港紹介をやってくれても良かったんですが、桐谷の「俺は飛行機乗りとして国内でまだ何の実績も成し遂げていない」という〆の一言は謎の変態イケメンカッコよさがあってよかったです(遂にそっち側に行ったか・・・)ある意味連載再開しても大丈夫な終わり方だったのに安心しました。

 

・・・と思ったら原作者の竹本真先生のコメントでは「成田空港は最初の構想では最終回用ではなく、3回ぐらい出したい空港だったけど終わるという事で急遽登場させた」そうで、今回の連載終了自体、作者サイドとしても急な話だったようです。この話自体も最終回用に構想されたものではなく、元々成田空港の1回目の話として考えられたものを最終回に廻したそうで、そう考えると作者のお二人としても不本意な形での終わり方だったのかも知れません・・・

 

連載終了は本当に残念ですが、どんな形でもいいのでいつかまた復活させてほしいと思います。そして、今からでもいいので少しでも興味を持たれた方は是非作品を手に取って頂きたいと思います。少しでも作品が売れれば連載再開に近づくかも知れませんから・・・

 

 

 

 

 

 

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アジアの航空会社(特にLCC)が「以遠権」を使って日本路線を飛ばすワケ

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1月3日、シンガポール航空はシンガポール発東京経由ニューヨーク線の開設準備に入ったと報道されました。開設時期や乗り入れ空港は未定ですが、羽田は発着枠や航空交渉の問題があるので少なくとも東京の乗り入れ場所は成田になるのではないかと思います。もしこの路線が実現すれば、シンガポール航空の日本発アメリカ路線は2路線となり、日本やアメリカの航空会社との競争が激化しそうです。

www.aviationwire.jp

 

普通なら第三国の航空会社が航空路線を飛ばすことは認められていませんが、例外として「以遠権」を行使して事実上第三国の路線に参入することが可能です。

以遠権とは途中経由地から最終目的地までのみの営業権(航空券の販売)を認める権利のことです。昔は航空機の航続距離が短く、給油のために途中の空港に着陸する必要がありましたが、そうなると途中の空港の着陸料が余計にかかり、運航やハンドリング業務にかかわる拠点や人材を準備する必要があります。通常は出発地から最終目的地か途中経由地のみの区間の航空券販売しか認められませんが、もし途中経由地から最終目的地までの区間の販売も認められれば営業的にはかなり助かります。このため、戦後すぐの時期から航空交渉では「以遠権」をどこまで認めるかで国同士が政治的な駆け引きを行いました。

 

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日本では特にアメリカとの間で結ばれた航空協定をめぐる駆け引きが有名です。1952年に最初の航空協定が結ばれましたが、当初はアメリカ側にはアジアへの無制限の以遠権が認められたのに対し、日本側は乗り入れ空港も以遠権も制限されていました。乗り入れ会社に関してもアメリカ側はパンナム、ノースウエスト、フライングタイガー(貨物機)の3社が乗り入れを認められたのに対し、日本側は日本航空一社のみでした。

日本側にとっては不平等な条件でしたが、アメリカ側はこの「以遠権」を大いに利用して東京にアジア太平洋地域の拠点を置きます。パンナムは羽田空港(のちに成田)を拠点に中華民国や香港、東南アジア全域やグアムへの路線を1950年代~60年代にかけて開拓します。成田時代にはボーイング727を常駐させて乗継便を飛ばしたほか、数百人の従業員を雇用して自前の機内食工場を構えるなどアジアの一大拠点として機能させます。同様のハブはロンドンやフランクフルトにも置かれ、ヨーロッパ全域に乗継便を運航しました。これらの以遠権をフルに活用した海外ハブ空港のおかげで、パンナムは世界中に巨大な路線網を築くことができたのです。

同様にノースウエスト航空も成田にハブ空港を構え、整備部門や機内食工場、客室乗務員の拠点や運航管理部門まで置かれるなど、本国外の拠点としては巨大なものでした。パンナムが太平洋線をユナイテッド航空に売却した後も「成田の盟主」として君臨し、21世紀にはいるとかつてのパンナム同様、アジアの乗継路線用にA320やB757を常駐させています。これらの体制はノースウエストがデルタと合併した後もしばらくは維持されました。

 

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 しかし、そんな成田からの以遠権も航空機の性能向上による直行便化や、航空アライアンスによる共同運航、仁川や香港などアジアの他のハブ空港の台頭による成田の地位低下などでその必要性は薄れていきます。今年4月からの羽田空港の発着枠増加に伴い、デルタ航空が成田からの撤退と羽田への集約、以遠権路線の完全廃止を発表したのは記憶に新しいところです。3月31日のデルタの成田~マニラ線の廃止により、アメリカの航空会社の以遠権路線は完全に姿を消すことになります。

 

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では以遠権路線は日本からは完全になくなるのでしょうか?確かにフルサービスキャリアでは絶滅寸前ですし、日本の会社もアメリカの会社も以遠権フライトは消滅する方向ですが、完全になくなったわけではありません。例えば香港のキャセイパシフィック航空は成田発2往復と関空・中部発各1往復が台北経由となっていますし、大韓航空もソウル~ホノルル線のうち1往復を成田経由で運航しています。このほかにもエティハド航空のアブダビ~北京~中部線や、エチオピア航空のアディスアベバ~ソウル~成田線など、少ないながらも以遠権フライトを続けている会社は存在しますので、以遠権路線自体がなくなることはないと思います。

 

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 しかし、近年ではLCCの「以遠権フライト」が徐々にではありますが増えてきています。例えばシンガポール航空系列の「スクート」成田~シンガポール線を週19往復していますが、そのうち午前発の1往復がバンコク・ドンムアン経由、残りが台北経由と直行便は一便もありません。また、2017年にはエアアジアXとスクートが関空~ホノルル線を就航させて話題となりましたが(スクートはその後撤退)、これも厳密にはエアアジアXがクアラルンプール~関空線、スクートがシンガポール~バンコク~関空線の延長及び以遠権フライトです。

このほかティーウェイ航空が大邱~関空~グアム線を、スクートがシンガポール~台北~札幌線やシンガポール~高雄~関空線を、ジェットスターアジアがシンガポール~台北~関空線とシンガポール~マニラ~関空線を運航するなど、地味にLCCの「以遠権路線」は増加傾向にあるのです。

 

では、なぜアジアの航空会社やLCCは「日本経由の以遠権フライト」を設定するのでしょうか?大きく分けて3つの理由があると思います。

 

1.単純に飛べる機材がない

飛行機の性能が向上した現在ではこの理由はあまりなさそうに思えますが、保有機が737やA320といった短通路機しかないLCCでは事情は異なります。航続距離が伸びたとはいえ、これらの機種の航続距離はせいぜい5000km台と、日本~東南アジアを直行で飛ぶにはぎりぎりです。それにLCCの機材は短距離での運用を前提にしており、シートピッチも限界ギリギリまで詰めていますので、乗客が耐えられるのはせいぜい3~4時間程度。飛行機の性能的にも快適性の面でも、無理に直行便で飛ばすよりは途中で給油して飛ばしたほうがベターであり、それなら以遠権で途中までの客も乗せてしまえ、となるわけです。

2.経由便にしたほうが営業的にプラス

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例えばスクートの成田~シンガポール線は需要的にも十分ですし、保有機の787はシンガポールまで難なく飛べる性能があるはずですが、あえてバンコクや台北を経由しています。これは途中の需要も拾うことで搭乗率を上げる意味があり、今のところ成田~シンガポールで競合するLCCは存在しないため、あえて直行便にする理由がないものと考えられます。スクートはシンガポール航空系列ですから、直行便でシンガポールに行きたいなら親会社を使ってもらったほうが良いですからね。経由便にしているのは親会社との棲み分けという理由もあるのではないでしょうか?

 

3.最初から日本市場狙い

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エアアジアXのクアラルンプール~関西~ホノルル線なんかはもろ「日本市場狙いの路線」と言えるのではないでしょうか。というのもホノルルからの国際線は日本や韓国などの東アジア路線やオーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア路線が大半で、東南アジアへの路線はエアアジアXが就航する前はフィリピン航空のマニラ線が唯一の例。過去にはガルーダ・インドネシア航空がジャカルタ~ホノルル~ロサンゼルス線を飛ばしていたことがありましたが、ホノルルは単なる経由地でしかなく、アジア通貨危機で経営が悪化するとロサンゼルス線の廃止と同時に撤退してしまいました。

これらの経緯からもアメリカの植民地であったフィリピンを除けば、歴史的なつながりも薄くリゾート需要も見込めない東南アジア~ハワイ間の航空需要はほとんどないと思いますので、エアアジアXのホノルル線は明らかに日本~ハワイ間の需要狙いの路線であり、「以遠権」にかこつけて就航したといえます。今はまだホノルルまでですが、いずれエアアジアやスクート辺りは以遠権を行使したアメリカ本土路線を狙ってくるのではないかと思います。ピーチのバニラ統合も、JALのZIPAIR設立も、背景にあるのは東南アジアのLCCの「以遠権フライトによる日本発長距離路線参入」に危機感を持ってのことであり、今後このようなパターンの以遠権フライトはむしろ増えていくのではないかと思います。

 

以上、日本にかかわる「以遠権フライト」についてご紹介してきました。かつて以遠権を十二分に行使して恩恵を受けてきたアメリカの航空会社が以遠権フライトをなくす今の状況を見ていると日本市場の地位が低下しているように見受けられますが、アジアの航空会社から見れば1億人以上の人口があり、インバウンド需要が伸びている日本市場は「まだまだ美味しい市場」です。今後もシンガポール航空グループやエアアジアを中心に「以遠権フライト」で日本市場を狙ってくるでしょうし、JALやANAも参加のLCCを駆使してこれに対抗していくのではないかと思います。また、日韓路線の壊滅で窮地に立たされている韓国系のLCCが「以遠権フライト」を使って手薄なミクロネシア路線などを開設し、日本市場を獲りに来る可能性もあります。

日系エアラインにとっては新たな脅威と言えますが、利用者サイドから見れば競争の活発化は選択肢の増加や低運賃という恩恵をもたらします。シンガポール航空のニューヨーク線がうまくいくかどうかが、一種の試金石になるのではないでしょうか?

 

 

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日本の航空会社が買ったかも知れなかった「欧州製ジェット旅客機」

随分間が空いてしまいましたが、先日「東急の空への夢」第6話を投稿しました。今回はTDAのエアバス導入に関わる話になります。まだご覧になってない方は是非ご覧下さい。


迷航空会社列伝「東急の空への夢」 第6話・欧州から来た夢の大型機

 

 

さて、動画内ではTDAの大型機選定はA300に軍配が上がり、日本初の欧州製ジェット旅客機として大きな注目を集めました。しかし、A300以前にも欧州製ジェット旅客機が導入の候補に上がったり、実際に発注までされたケースがなかったわけではありません。今回はひょっとしたら日本の航空会社が買ったかもしれなかった欧州製ジェット旅客機をご紹介します。

 

デハビランド・コメット

言うまでもなく世界初のジェット旅客機であり、就航当初はプロペラ機とは段違いの速さと快適性で人気を博し、世界中の航空会社から発注されていました。その中には日本航空の名前もあり、エンジン増強型のMr.Ⅱが発注されていたようです。

しかし、コメットは就航から2年足らずで2度の空中分解事故を起こしてしまいます。イギリスの威信をかけた徹底的な事故調査の結果、高高度での加減圧を繰り返したことによる金属疲労が進み、想定よりも早く亀裂が発生して広がり、空中分解に至ったと結論が出ました。しかし、この事故を受けて日本航空を含めたコメットの受注はすべてキャンセルされ、世界初のジェット旅客機は一時姿を消してしまいます。その後、金属疲労対策を行った改良型が開発されましたが、その頃には既にボーイング707やダグラスDC-8が開発され、航空会社の関心はそちらに移ってしまい、商業的には失敗に終わってしまいました。最終的に日本航空が選択したのはDC-8。もしコメットの事故がなければ、日本初のジェット旅客機はイギリス製になっていたはずでした。

ホーカーシドレー・トライデント

トライデントは前述のコメットを開発したデ・ハビランド社が欧州域内用のジェット旅客機として開発したもので、その後デ・ハビランド社がコメットの事故の影響から立ち直れずに1959年にホーカーシドレー社に買収されて発売されたという経緯があります。ボーイング727同様の3発ジェット機ではありますが、ローンチカスタマーとなったBEA(英国欧州航空)が当初デハビランド社が計画していたサイズでは大きすぎるとして小型化を要求し、やむなくデハビランド側が折れて小型の機体として開発されますが、皮肉にも商業的に成功したのは当初デハビランドが計画していたサイズで開発されたボーイング727でした。トライデントは117機しか製造されず、商業的には失敗に終わりました。

そんなトライデントでしたが、全日空が初のジェット旅客機の選定時に最終候補まで残ったことがあります。当初の候補はボーイング727、シュド・カラベル、BAC1-11、トライデントの4機種でしたが、カラベルは設計の古さから早々に脱落、BAC1-11も調査団派遣後の審査段階で脱落し、最後まで残ったのが727とトライデントでした。両機種ともデモフライト機を来日させて招待飛行を行い、ボーイングの代理店と日商とホーカーシドレーの代理店の英国系商社のコーンズがそれぞれ激しい売り込みをかけます。当時の全日空はビッカーズ・バイカウントやフォッカーF27と言った欧州製のターボプロップ機を主力にしており、欧州製の旅客機に慣れている事や先進性からトライデントを推す声が大きかったようで、一方のボーイングは戦争中のB29の影響から当時の日本ではいいイメージはなかったようです。

しかし、最終的に全日空が選んだのはボーイング727でした。短い滑走路での離着陸性能が優れている事や、世界の主要航空会社がこぞって727を選択している事などが決め手になったようです。また、国内幹線での日本航空と全日空の競争過熱を懸念した運輸省からも「なるべく両社同一機種を採用するように」との指導があった事も選定に影響したようです。

ボーイングは727の受注をきっかけに日本市場で大きなシェアを握る事になりますが、もしトライデントが選定された場合は同一機種導入の観点から日航もトライデントを選定した可能性が高く、その後の日本の航空機シェアは違った形になっていたかもしれません。エアバスが日本市場に食い込むのも史実よりも容易だったかも?

シュド・カラベル

1958年に初就航したフランス製の小型ジェット旅客機で、開発期間短縮の為、機種や胴体の一部、操縦系を含む運行システムなどは前述のコメットから流用しています。生産機数は279機とエアバス以前の欧州製ジェット旅客機としては最も成功した部類であり、世界で初めて明確に利益を出した短距離用ジェット旅客機としても評価されています。

そんなカラベルですが、日本国内航空(JDA)が最初のジェット旅客機として導入を検討していましたが、結局JDAが導入したのはコンベア880とボーイング727でした。JDAがカラベルを導入しなかったのは緊急時の旅客酸素マスクが日本の保安基準に合わず、改修に時間がかかるため見送られたという説と、当時協力を仰いでいたJALがカラベルの導入に反対し、JALでも使用実績のあるコンベアで押し切られたという説がネット上ではありましたが、実際のところは定かではありません。

この他にも1960年代前半に国内線用ジェット旅客機の売り込み合戦時に真っ先に日本でデモフライトを行いましたが、この頃既に就航から5年経った設計の古い機種だった為、JALやANAはほとんど見向きもされませんでした。

アエロスパシアル・コンコルド

この機種については説明の必要はないでしょう。世界で初めて定期航空路線に就航した超音速旅客機であり、一時期は世界の航空会社の主流になると見られていましたが、収容力の小ささと燃費の悪さ、開発費の高騰や遅延などによる価格の高さや環境問題など問題が多く、結局納入されたのはエールフランスとブリティッシュエアウェイズの2社のみでした。

それでも開発当初はパンアメリカン航空やカンタスなどの世界のフラッグキャリアがこぞって発注しており、その中には日本航空の名前もありました。1965年に3機が仮発注され、当初は就航時の塗装デザインが2種類用意されたり、1/35の日本航空塗装のコンコルドの模型が展示用に作られるなど将来のフラッグシップとして期待されていましたが、前述の通り他の航空会社同様キャンセル。模型はその後交通博物館に寄贈されて展示され、現在はさいたま市の鉄道博物館2階のコレクションルームに保存されているそうです。

フォッカー100

ここから先はA300導入後の話になるのですが、その後も「購入未遂」となった欧州製ジェット旅客機は存在しました。フォッカー100はオランダのフォッカー社が開発した100席級のジェット旅客機で、1960年代に開発・就航したF28の発展型でもあります。

1990年代前半にエアーニッポン(ANK)がYS-11や737-200型の後継機選定を行った際、フォッカー100にも関心を示していたそうで、それを知ったフォッカーはデモ機にANKのロゴを入れた機体を用意してデモフライトをしようと準備していたそうですが、結局デモフライトを行う事はなく、ANKはボーイング737-500型を選択しました。

日本ではフォッカーの飛行機はF27フレンドシップやフォッカー50の導入例があるのでフォッカー100も導入の可能性はあったと思いますが、もし選定していたら導入後数年でフォッカー社が倒産し、大量調達は出来なかったかもしれません。その後のアフターフォローや中古機の調達でも制約があったと思いますし、この機種に関しては「選定されなくてよかった」と思います。万が一フォッカー100が選定されていたら今のANAの機材繰りが更に悲惨なものになっていたかも・・・

エアバスA340

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 A340に関しても詳しい説明は不要でしょう。エアバスが開発した長距離用ジェット旅客機で、双発化が進んでいたこの時代では珍しく4発機として開発されています。

日本では全日空が1990年に長距離国際線用として5機を発注していますが、最終的にはA321型7機に変更される形でキャンセルされてしまいました。発注当時のANAは欧州路線の拡大を目指して動いていた頃で、エアバス製の大型機を買う事で欧州での航空路線開設交渉を有利に進めたいという思惑がありました。しかしANAはその後ボーイング777のローンチカスタマーとなってワーキング・トゥギャザーに参加した事でA340への関心は薄れ、納入延期の後キャンセルとなってしまいました。

また、日本航空の方でもDC-10の後継としてA340が候補に挙がったことがありましたが、当時のJALはエアバスとの関係は皆無であり、長年に渡るマクドネル・ダグラスとの関係を重視してMD-11を発注したため日本の航空会社のA340は幻に終わってしまいました(最も、そのMD-11も日本では短命に終わり、先輩のDC-10よりも先に退役するという笑えないエピソードを作ってしまいましたが・・・)

 

以上、導入が検討されたり実際に発注されたものの、日本で導入されなかった欧州製ジェット旅客機をご紹介しました。こうして見ると結構惜しいところまでいった機種もあったり、結果的に選定されなくて良かった機種もあったりと千差万別ですね。

そんな欧州製ジェット旅客機も現在ではJALのA350やANAのA380、A320neo、LCCで多く使用されるA320など、日本でも多彩な「欧州製ジェット旅客機」が使用されています。それでもまだまだボーイング機の比率が大きい日本市場ではありますが、ボーイングとエアバスの複占と言う事を考えると、これからは「導入未遂に終わったジェット旅客機」というものはそうそう出てこないのかも知れません。こうしたエピソードも航空機メーカーが多かった時代だからこそでしょうね。

 

 

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