〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

東急100年史から見る日本エアシステムの「経営統合」の前兆

 

数年前に制作し、当ブログでも関連記事をいくつか掲載した「東急の空への夢」シリーズ。東急視点での東亜国内航空(TDA)→日本エアシステム(JAS)の歴史を紹介しましたが、この度イッキ見版をアップしました。これを機会に是非かつての日本第三の航空会社の歴史と、東急の大番頭・田中勇氏の活躍を振り返ってみて下さい。


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2022年9月2日に創立100周年を迎えた大手私鉄・東急グループ。それを記念して、東急グループ100年の歴史を記した社史「東急100年史」がWEB上で公開されています。私は以前に古書店で50年史を手に入れていましたが、その後の歴史を記した社史はなく、東亜国内航空発足後のTDA/JASの歴史を記した公式資料はなかったので、この100年史のWEB公開は本当にありがたかったです。

普通、社史というと従業員や関係会社、地元自治体など特定の関係者のみに配布されたり、一部の図書館に寄贈される位で一般販売されるケースは少なく、一般の人が入手するには古書店やネットオークションなどで売られているものを買うくらいしかありません。ましてやWEB上で誰でも見られる状態にしている会社は一握りであり、交通関係の会社では相鉄と西鉄くらい。Web版なら印刷コストがかからない、公開が容易、将来の加筆修正が可能と言ったメリットがありますが、社史には会社の「黒歴史」も記載しないといけない場合もありますから、誰でも見られる状態には抵抗があるもの。それだけに今回東急が100年史をWeb上で見られるようにしてくれたのは本当にありがたいですし、今後社史をWeb公開してくれる企業が増えればその企業の歴史だけでなく、当時の世相や経済・経営史や地域史を調べる大きな手がかりになりますし、後世に歴史を残すという意味でも積極的に公開して欲しいなと思います。

 

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さて、かつては日本全国のバス会社やホテル・レジャー施設などを買収し、鉄道と関連性の薄い事業も買収、一時は東急本体も含め15社もの上場企業がグループ内に存在するなど、広範囲な業種に手を広げていた東急だからか、100年史では東急本体のみならず、グループ会社やかつての事業、元グループ会社についても触れられています。その中には航空事業にも触れられており、日本航空や日本ヘリコプター輸送(現全日本空輸)の出資に始まり、1959年の北日本航空への資本参加、1961年の富士航空買収、1964年の日本国内航空発足や1971年の東亜国内航空誕生後の歴史からJASとJALの経営統合までが記されています。

また、驚きだったのが調布飛行場をベースに伊豆諸島への離島路線を展開する新中央航空が東急グループ主導で設立されたと言うこと。この辺に関しては他にも「え?この会社東急グループだったの?」という会社も結構ありましたので、別の記事で合わせてご紹介したいと思います。

 

さて、タイトルにもある日本エアシステムの経営統合の「前兆」について解説していきましょう。史実ではJASは2001年11月にJALとの統合を発表し、2002年10月に持ち株会社方式で経営統合するのですが、東急100年史を見ると東亜国内航空発足前から既に日本航空との関係はあり、TDA→JASの歴史を見る限り、JALとの経営統合は「当然の帰結」だったとも取れるのです。

 

日本国内航空が経営危機に陥った際、運輸省の指導で日航の経営支援を仰ぎ、将来の合併の方針まで示されたのは動画でもご紹介しましたが、TDA発足で日航との提携が終わった後も東急は日航株を保有していましたし、日航も日本国内航空との提携の名残でTDA株を保有し続けていました。また、東急グループ総帥の東急電鉄社長・五島昇が航空事業に並々ならぬ意欲を見せており、昇氏の存命中は航空事業の撤退やTDAの売却は考えられないという経緯もあったと思います。

しかし、ホノルル線やシンガポール線が失敗し、JASに取ってのドル箱である羽田発の高需要ローカル線にANAやJALが参入して競争が激化したことでJASの収益力は低下。成田や関空への国際線参入の先行投資も重なってJASは1993年度に過去差大の127億円の赤字を計上。経営危機に陥ります。航空事業への思い入れが強かった五島昇も1989年にこの世を去り、ホノルルや東南アジア、オセアニア地域などに建設・経営していたホテル事業も財務状況の悪化に加え為替リスク・海外資産保有リスクの増大で重荷となって相次いで売却したのもこの頃。かつてほど東急航空事業を重要視しなくなったことで、東急グループ内でのJASの立ち位置は微妙になってしまいます。

 

そして、日航との関係が再び強くなるのもこの頃からでした。1980年代から航空券の予約・発券はCRS(座席予約・発券システム)との連携によるATB券発券が主流となり、ANA・JALは独自のCRSを導入しましたが、JASは体力的に自社の予約システムを持てず、自社開発を断念。他社のシステムを活用することにしました。このとき連携したの後日本航空のシステムであり、1990年4月からATB券の発券を本格化させます。

また、JASは国際線の拡大を見越して1991年4月からパイロットの自社養成を開始しますが、この時も養成期間27ヶ月のうち、最初の2ヶ月以外は日本航空に委託しています。つまり、1990年代初頭の時点でJASは予約システムとパイロット養成という、航空会社の根幹に関わる部分を日航に依存する事になり、当事者にその気は無くとも将来の経営統合の布石が打たれたことになります。

更に1997年の国内線マイレージサービス導入時も、ANAの攻勢に対してJALとJASはマイレージサービスの分野で提携し、共同で対抗する姿勢を打ち出しています。東急100年史には書かれていませんが、一部地方空港でJALとJASが地上設備の相互利用を行ったのも実はこの頃。国内線に限って言えばANAが半数近いシェアを握り、残りの半分をJALとJASが分け合うという構図でしたし、路線網も幹線中心で沖縄路線に強いJALに対し、ローカル線に強く北海道・九州で強いJASは路線網の重複が少なく相互補完の関係になりやすいという背景がありました。

 

そして、JAS売却の流れが決定的になったのは、1997年頃から表面化した東急グループ全体の経営危機であり、グループ会社の経営再建及びグループの「選択と集中」でした。

1998年に当時の東急社長がグループ主要50社に「3カ年経営計画の提出」「連結決算ベースでの3年後の黒字化」を求め、東急依存からの脱却と自主的な経営再建を求めます。更に東急グループの事業を「コア事業」「周辺事業」「売却・撤退事業」に分類し、東急沿線の開発とは関係ない上に業績改善もできず、グループのシナジー効果やブランド効果も見込めない会社は売却・撤退の対象となるという「大ナタ」が振るわれることになります。

そして、2000年以降、経営改善できなかったグループ会社や、東急ブランドの必要性が薄い会社は次々と切り離され、グループに残った会社も抜本的な改革を強いられました。赤字続きで経営危機に陥ったグループ会社でも、東急建設は新旧分割という大ナタが振るわれたもののグループにとどまる一方、東急観光は2004年に投資会社に売却され、グループを離脱。また、東急百貨店や東急ホテルズ、伊豆急行と言った沿線開発や東急ブランドの維持に必要とされた企業は子会社化して東急本体に取り込んだ一方で、東急ブランドの必要性が薄い地方のバス会社・鉄道会社はじょうてつと上田電鉄を除いて2009年までに全て売却されて東急グループから離れるなど明暗が分かれました。

 

そして、「選択と集中」の大ナタはJASとて例外ではありませんでした。と言うより「環太平洋地域への進出」を目指していた五島昇の時代ならまだしも、海外事業から手を引いた今となっては、グループとのシナジー効果も見込めない上に業績も悪く、有利子負債も大きいJAS(1997年度のJASの有利子負債約3300億円は東急電鉄(約9800億円)、東急不動産(約5900億円)、東急建設(約3800億円)に次いで東急グループ内で4番目に大きい金額)は、「売却・撤退事業」に分類されてもおかしくありませんでした。JAS自身も一部地方空港からの撤退や人員削減なで業績改善に努め、わずかながらも黒字を計上しましたが、多保有機材の更新を間近に控えており(東急100年史では明言していませんが、旧型のA300やMD-81を念頭に置いたものと思われます)、タダでさえ多額の有利子負債が更に増えることは確実であり、最終的にはJALとの経営統合を決めます。

東急100年史ではJALとの統合を決めた理由を「従来から業務面で協力関係にあり、また路線網の面でも相互補完関係にある」ことを挙げ、また、全日空との統合では市場の独占につながりかねないとの配慮もあった、としています。統合前のJASの東急の出資比率は30.66%でしたが、2002年10月の「日本航空システム」発足後の東急の出資比率は4%程度にとどまり、この時点でJASは事実上東急グループを離脱しました。

 

東急100年史からTDA/JASの歴史をひもといていくと、1990年頃からの予約システム共通化辺りからJALとの統合の下地はできていたように思います(無論提携当時は経営統合なんて考えていなかったと思いますが)更に言えばその予約システムの共通化にしても、あまり接点のないANAよりもJDA時代から関係があるJALを選択したと考える方が自然ですし、統合を決める際も、合併後のシェアに加えてこれまでの関係性を重視したと考えるのが自然でしょう。JASならずとも、どうせ統合するなら少しでも気心の知れた相手の方がいいと考えるでしょうし。そういう意味ではJALとJASの経営統合は、「その時」が来れば統合に動いても不思議ではなかった組み合わせなのかも知れませんね。