2月6日、一部メディアやニュースサイトで三菱重工業が「三菱スペースジェット(MSJ)」の開発を中止する方針を固めたと報じられました。当初三菱重工側は開発を中止した事実はないとしていますが、既に複数の大手新聞や通信社が報じており、翌7日には決算発表会見の場で正式に中止を表明しました。今回の開発中止が業績に与える影響は殆どなく、業績は軽微としていますが、これまでにかかった1兆円もの開発資金は回収できずに終わることになります。
スペースジェットについては2008年に三菱リージョナルジェット(MRJ)として計画がスタートし、経済産業省の支援や全日空の確定発注などの後押しも手伝い、一時は300機近い発注を集めるほどでした。当初は2013年にANAに納入されるはずでしたが、開発遅れや検査態勢の不備などで納入時期は遅れに遅れ、当初の発注予定から10年たっても納入されず。2014年にようやく試験機が完成して実機試験に移るも、今度はFAAの型式証明をパスできずに四苦八苦しているうちにライバルのエンブラエルがE-Jetの改良型を完成させてしまい、スペースジェット発注の足かせだったアメリカのスコープクローズ(リージョナル航空会社では76席、最大離陸重量39トン以上の機体を飛ばせない労働協約)の緩和も見送られてしまいました。そして、2020年からの新型コロナウイルス感染拡大による世界的な航空需要の激減がとどめとなり、三菱重工はスペースジェット計画の凍結を決定し、事業を縮小。その後2年以上たってようやく開発中止を正式に決めた、というわけです。
開発中止に至った詳しい経緯や事業失敗の原因、責任問題等はこれから長い時間をかけて検証されると思いますが、開発中止を決めた三菱重工がまずやらなければいけないのが、発注した航空会社や仕事を期待して設備投資した下請け企業などへの補償や人員の再配置、愛知の組み立て工場や試験機、MRJミュージアムなどの「遺産」の去就など、累計1兆円の開発資金と15年近い月日をかけた「国産ジェット旅客機」の巨大プロジェクトの清算です。既に三菱重工側も清算に向けてある程度道筋をつけてはいると思いますが、ここでは三菱重工が今後処理しなければならないスペースジェット事業の「あとしまつ」を考えてみたいと思います。
・航空会社への補償はどうする
ある意味これがスペースジェット事業最大の「あとしまつ」であり、一番揉める部分ではないかと思います。ANAの10年を筆頭に、発注した航空会社に何度も納入延期を食らわせた上に開発中止で機材更新計画を狂わせてしまったわけですから。
特にローンチカスタマーであるANAは当初の置き換え対象だった737-500を延命させまくってもMRJが来ず、当初の予定になかったQ400や737-800の追加発注をするなど実害が出ています。パイロット養成にしてもジェット機とプロペラ機では免許区分が違いますし、採用に影響が出ているそうです。恐らくANAもここ数年は諦めモードだったと思いますが、三菱側が開発中止を発表しない以上、表向きは発注済みのスペースジェットを待つ以外なく、他の機種の発注もできないジレンマに陥っていたと思われます。国産ジェット旅客機の最初のカスタマーという話題性を狙ったのに加え、純粋に日本の航空産業の発展を願ってMRJを発注したANAに取っては、最悪な形で裏切られた形です。既に納入遅れに対する補償はされていますが、今後は三菱重工に対して開発中止に伴う発注取り消しに対する補償を求めるものと思われます。
一方、32機を確定発注したJALに関しては昨年に赤坂社長がエンブラエルの後継機をA220かエンブラエルE2と明言するなど既にスペースジェットを見限っている節があり、ANA同様補償は求めるとは思いますが実害が出ていない分、ANAほど多額にはならないのではないでしょうか。
それでも日本の航空会社はまだ厳しい補償を求めないと思いますが、最大の発注先であるスカイウエストはどうでしょうか?この会社も内心当てにはしていなかったと思いますが、機材計画が狂ったことには変わりないので、三菱重工に補償を求めるのは確実でしょう。それ以外にもまだ契約が残っている航空会社が複数いますので、今後航空会社から補償を求める声が上がってくると思われ、数十億から数百億単位の損害賠償を求められるのではないでしょうか?今まで散々発注企業の期待を裏切ってきただけに、補償交渉は難航するかもしれませんし、交渉決裂となれば国際的な訴訟リスクを抱える可能性もあります。
・小牧の組み立て工場はどうする
スペースジェット最大の「遺産」と言えるのが小牧市の県営名古屋空港近くに建設した最終組立工場と塗装工場。スペースジェット量産化の暁にはこの工場から世界各国に向けて完成機が出てくるはずでしたが、開発中止でこの工場も必要なくなってしまいました。
今日の会見では工場の去就については触れられませんでしたが、工場の土地は三菱が完成機を作る前提で愛知県が提供しており、もし他の用途に転用したら違約金条項を楯に愛知県が噛みつくのは確実。一応、三菱重工には次期戦闘機の開発計画があり、スペースジェットの人員もそちらに振り向ける予定なので、愛知県との紛争を回避するなら次期戦闘機の最終組立工場として転用するしかなさそうです。一方、完成機以外の用途に使うのであれば愛知県との訴訟や違約金支払いのリスクが発生するので、どちらに転んでも茨の道になりそうです。
・試験機はどうする
スペースジェットの飛行試験機はアメリカに1~4号機、日本に7号機と10号機がありましたが、このうちアメリカにあった3号機は昨年3月に登録抹消され、現地で解体されました。この他に地上試験用の5号機と疲労強度試験機の6号機、製造中の7号機と11号機が存在します。なお、70席級のMRJ70として製造中だった8・9号機は途中で製造がストップされた上、廃棄されたようです。従って、現時点で現存するスペースジェットは飛行可能な試験機がアメリカに3機と日本に2機、飛行できない機体が日本に2機、製造途中の機体が日本に2機、ということになります。
では、これらの機体は今後どうなるのでしょうか?開発中止になったとはいえ、日本初のジェット旅客機として開発された機体ですからどこかの博物館での保存を期待したいところですが、残念ながら先行きは暗いのではないかと思います。
まずアメリカに残された3機の飛行試験機ですが、このまま現地で廃棄される可能性が高いのではと思います。既に3号機が解体済みであることや、試験機でしかも型式証明取得ができなかった機体であることから他の用途への転用が困難であること、博物館への保存目的で日本に戻すにしても輸送コストや関係当局の認可の問題でハードルが高そうなことから、解体という結論になる可能性が高いと思われます。1機くらいならピマ航空博物館あたり面白がって保存しそうですが・・・
【追記】Aviation Wireでもアメリカの試験機に触れた記事が出ました。日本に戻すにしても臨時の飛行許可が出ないと無理そうですし、やはり一番安上がりなのは「現地で解体」のようなので、前途はかなり厳しそうです。せめて試作1号機だけでも保存してもらえたらいいのですが・・・
一方、日本にある試験機のうち既に完成した機体については国内の博物館が手を挙げそうです。その中で最有力なのが名古屋空港内のあいち航空ミュージアム。元々MRJの試験機の保存に積極的でしたし、ある意味試験機保存の為に博物館を作ったようなものですから、将来の目玉展示として試験機の受け入れに手を挙げる可能性は高いと思われます。
この他にも各務原航空宇宙博物館、成田の航空科学博物館、三沢航空科学博物館あたりが手を挙げそうですし、YS-11のように空港敷地内や近隣の公園などで展示も考えられますが、小型とはいえYS-11よりも10m程長い全長35m以上の旅客機を保存するとなると場所は限られます。展示保存できるとすれば飛行試験機2機と地上試験機2機の計4機でしょうが、全ての機体が安住の地を見つけられるかは微妙なところです。
そして、製造途中の機体や強度疲労試験用の機体は廃棄される可能性が高いでしょう。一部部品がどこかの博物館に引き取られる可能性はあると思いますが、機体として中途半端な状態ですし完成した試験機もありますから、一機まるごと保存したいという引取先は現れないと思います。
・MRJミュージアムはどうする
「アジアで唯一飛行機の組み立てが見られるミュージアム」の触れ込みで2017年11月30日に開館したMRJミュージアム。しかしこのミュージアムも新型コロナウイルスの感染拡大とスペースジェットの開発凍結を受けて休館し、現在も休館したままです。
スペースジェットの開発中止で少なくとも旅客機の組立工場としては使われない事が確定したこと、というかスペースジェット自体がプロジェクト終了したことで、航空機事業のPR施設だったMRJミュージアムも存在意義を失ってしまいました。博物館自体はこのまま再開されることなく閉館することになると思われます。MRJミュージアム自体が最終組立工場内に作られていることもあり、施設自体は工場の次の用途次第ですが、中の展示物はどうなるのでしょうか?一部でもどこか別の博物館で展示してくれたら嬉しいのですが、機密保持や協力企業との兼ね合いもありますから難しそうかな・・・
・三菱航空機はどうする
スペースジェット計画の為に作られた三菱航空機ですが、開発中止になった以上存在意義を失うことになり、スペースジェット関連の資産や知財を三菱重工本体に移したのち、清算されることになると思われます。出資比率的には三菱重工が86.7%の株式を持っているほか、三菱グループ以外の株主はトヨタ自動車や三井物産、住友商事など1割にも満たないので、清算の話自体は比較的スムーズに行くのではないでしょうか。
といっても既に2021年の時点で資本金を1350億円から5億円に減資しており、資本準備金1350億円も全額取り崩していますので、資産らしい資産は殆ど残っていないのが現状です。それどころか2022年現在で5647億円の債務超過であり、最終的には三菱重工が処理することになると思われます。いや、それどころか下手したら債権者との調整がうまくいかず、法的整理で破産処理する羽目になるかも・・・
・CRJ事業はどうする
2020年にボンバルディアから576億円で買収したCRJ事業。といっても購入したのは既存納入機のアフターサービス事業であり、新造機生産や組み立て工場は既に別の会社に売却されています。アフターサービスのみを買収した目的は、CRJの販売・サービス網をスペースジェットのアフターサービスに活用するつもりでしたが、そのスペースジェットの開発中止で「無用の長物」となってしまいました。
無論CRJ自体は1900機以上も製造され、現在でも世界中で多数の機体が運航されていますから、今すぐにアフターサービスの仕事がなくなるわけではありませんが、新たな仕事となる新造機を生み出す見込みがなくなった以上、今後十数年~20年後には確実に仕事が無くなります。既に三菱重工はCRJ事業の買収額に匹敵する減損処理を行っているのですぐに業績に影響があるわけではありませんが、このままズルズルと持ち続けるのか、折を見て他社に売却するかは不透明です。もっとも、アフターサービス事業だけを欲しがるメーカーはそういないと思いますが・・・
・まとめ
以上、スペースジェット開発中止に伴う様々な「遺産」の後始末というか行く末と見通しを考察してみました。繰り返しになりますが、スペースジェット事業は累計1兆円以上の資金と15年近い月日を費やした巨大プロジェクトであり、その影響はカスタマーである航空会社や下請け企業、海外のパートナーに国や愛知県などの行政と様々なステークホルダーが関わっています。
それだけに中止した後のアフターフォローは他の事業と比較にならないほど多岐にわたり、頭を下げなければいけない相手も数多くいます。今回取り上げた事柄以外にも下請け企業や行政への説明や補償、スペースジェット事業に関わった人員の再配置など、片付けなければいけない問題はまだまだあり、完全に清算するには数年単位の時間がかかるのではないでしょうか?そういう意味では「スペースジェット事業のあとしまつ」はこれからが本番だと言えますね。