〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

野上電鉄の視点から補助金依存と解散騒動を考えてみた

 

先日「交通機関の栄枯盛衰」の野上電鉄編をアップしました。前後編になりますが結構ヤバい顛末なので、よろしければ是非ご覧下さい。

 


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さて、動画内では「長年の補助金依存体質が創意工夫の意欲を奪い、経営も運行も杜撰になって補助金打ち切りで逆ギレ解散」と言う書き方をしました。実際そうとしか思えない顛末だったのですが、代理の人(?)にも言わせたように、野上電鉄の経営陣にも言い分はあるはず。そこで今回は動画の補足も兼ねて、野上電鉄側の視点から補助金交付→廃線・会社解散に至った経緯と野鉄側の言い分を考察してみたいと思います。

と言うわけでここからは野鉄経営陣になったつもりで書いていきます。

 

そもそもうちらは70年代に廃線にしたかったんや!

元々ウチの会社は路線バスもあるし、鉄道は線路の維持費や車両の買い替え、電気代や変電所の維持費とかとにかくカネがかかるから早いところ辞めたかったんや。地元やって一度は廃線にOK出したやろ?つまり野鉄はあの時廃線にしてバス転換しても問題なかったんや。

それなのにちょっと客増えた途端急に手のひら返して廃線反対。こっちは廃線に向けて準備してたのに全部おじゃん。そりゃやる気にもなりませんわ。

だから欠損補助貰う段取り付けるのも嫌々電車残すんやから当然やし、一応設備更新が条件やから本数増やしたり他から中古の電車買ったりして投資はしたやろ?ワシらからすれば自治体や利用者のワガママで電車残したんやから、維持してるだけ感謝して貰いたいわ。

 

野鉄観光?あいつらに投資するカネはない!

あー、野鉄観光なあ。ワシら観光バスにはあんまり乗り気じゃないんよ。第一、会社が傾いたのは観光バスの事故が原因やし、本当に育てる気があるなら分社化なんてまどろっこしい事はせず手元に置いておくやろ?貸切バスを分社化したのはそう言う事や。

それに結果論やけど、分社化したお陰で野鉄観光は外部の資本を受け入れる事が出来たし、野鉄観光が野鉄本体の解散に巻き込まれる事もなかった。だから野鉄観光が生き残って和歌山県最大の貸切バスグループになったのも、うちらが分社化して資本を薄めたからや。

 

・・・まあ、下手に野鉄観光に稼がれて鉄道の赤字を埋められたら補助金打ち切りになり兼ねなかったからな(ボソッ


補助金依存で努力不足言うけど、どう努力せいっちゅーねん!

大体一度は廃線にするつもりだった線路なんやから、そもそも儲かるわけないんや!過疎化とマイカー依存が進む地域でしかも行政は補助金申請以外の支援もなし。うちら赤字続きで下手に黒字出したら補助金打ちきられるし、努力しようにも先立つものがないんやから努力のしようがないやろ?

それなら補助金貰ってなるべく現状維持をした方ができるだけ長く鉄道を維持できるし、実際20年近く持ったやろ?

 

うちは金ないんやし、タダって聞いたら飛びつくし新規採用も消極的になるやろ!

よく調べもせんと水間鉄道からロクに走れないボロ電車買ったって叩かれたけどな?何度も言うけどワシら金がないんや。かと言って今の電車はいい加減古いし部品もないから車両更新そのものは必要やった。

水間からの車両なら廃車になった車両から部品が取れるし、元所有者の南海でも貴志川線で同じ車両が走っとるから部品の融通が効く。水間がある貝塚市からここまではそこまで離れてないから輸送費も抑えられる。ワシらも何も考えずにあの車両買ったわけちゃうで?

 

・・・まあ、橋の方は想定外やったわ。

 

あと、鉄道に限らず第三次産業は人件費の割合が大きいから、経費を抑えるには新規採用を抑制して人が減るのを待つくらいしかできん。採用計画も無計画言うけど、国鉄やって最後の数年は新規採用ストップして自然減を待っていたし、日本では正社員の解雇はハードルが高いからな。

 

まあ、ちょっと、ほんのちょっとだけ、見通しが狂っただけや。

 

赤字や借金でクビ回らないし、そもそも電車も嫌々走らせてたし、補助金くれん言うなら解散するに決まってるやろ!

赤字続きで借金は増える一方やし、古い電車の代わりもないし新車計画の補助も断られた。そもそも電車自体ワシらが望んで続けたわけじゃないから、欠損補助が打ち切られなかったとしてもそう長く続ける事は出来なかった。

もう八方塞がりやったけど、辞めるにしても借金を返すアテもないし、当時の法律では沿線自治体の同意なしでは廃線にはできん。傷口を広げるだけやと分かっていても、惰性でも続けるしかなかったんや。

 

せやから補助金打ち切りはある意味辞めるきっかけを作ったとも言えるな。だってそうやろ?補助金出す言うからワシらは渋々電車走らせてたんやから、その補助金を出さないっちゅう事は電車を走らせる必要はない言うてるのと同じやろ?

ワシらはギリギリまで電車を走らせた。その電車が要らん言うならもう会社を残す意味もないから解散させただけの事や。行政が金を出して後始末したのも電車の存続を望んだ結果や。20年近く長く残したんやから、後片付け位してもろうてもバチは当たらんやろ。

 

まとめ

と言うわけで、野上電鉄経営陣の気持ちになって色々書いてみました。解散から30年近い月日が経った事、会社解散で資料が散逸してしまっている事などから、野鉄経営陣がどう思って会社を運営していたのか。今となっては知る術もありません。ですから今書いたことが真実かどうかは分かりませんし、ひょっとしたら実はそれなりに志を持って経営に当たっていたかも知れません。

 

・・・と思ったのですが、本当に鉄道を残そうとしていたのならこんな杜撰な経営はしていませんし、やはり何も考えてなかったか、そもそも積極的に鉄道を残す気はなかったから惰性で経営していたかでしょう。

しかし「本当は廃線にしたかったのに地元がハシゴを外した」と言う思いが根底にあったとは思いますし、それでやる気を出せという方が酷なのかもしれません。そう言う意味では野上電鉄側にも言い分はあるでしょうし、同情できる点がないとも言えません。

野上電鉄の場合は廃線を免れてめでたし、ではなく、むしろ最初のうちに廃線になっていた方がバス会社として現在も生き残れたのではないでしょうか?その点では野上電鉄も時代に翻弄された不幸な鉄道会社と言えるのかも知れません。