〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

そう言えばジェイ・キャスってどうなったっけ?

2019年に当ブログで取り上げた航空準備会社「ジェイ・キャス」。あれから3年以上経ち、半分存在を忘れかけていましたが、最近また名前を聞くようになったのでこの会社のその後を調べてみたいと思います。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

2019年に取り上げた時の事業計画では「関空・中部空港と地方空港を結ぶ近距離航空路線を構築し、地方空港の活性化を図る」として、70~80席級のターボプロップ機2機をリース購入し、関空を拠点に富山・能登・米子・岩国に就航、2021年秋の就航を目指すとされていました。

 

公式HPは現在も存在しており、そのHP内では新型コロナウイルスの感染拡大でしばらく活動自粛せざるを得なかったものの、航空経験者数名が入社しており、2022年7月には石川県志賀町に北陸準備室を設置。9月には米子に山陰準備室を、12月には富山市内に富山オフィスを開設し、地域への情報発信や人脈作りに本腰を入れているようです。

 

www.jcas.co.jp

 

最近では就航予定先のメディアでも紹介されたり、月刊エアラインでも取り上げられるなどメディア露出も徐々に増えているようです。

 

しかし、今のところはまだ準備会社の域を出ず、資金調達にも苦戦しているようで、12月にはクラウドファンディングを実施して支援を呼びかけたようです(現在は終了しています)

congrant.com

 

しかし、そのクラウドファンディングも目標の500万円に対し実際に集まったのは100万円と2割程度。就航予定も2024年秋にずれ込むなど、傍目から見ても苦戦しているのは明らかです。資金調達についても新たな出資先や支援企業などの話も聞こえてこないので、うまくいっているとは言い難い状況です。

sky-budget.com

 

ところで、新規参入を目指す地域航空会社というと、新潟を拠点に就航準備を進めているトキエアが挙げられます。会社設立は2020年7月とジェイ・キャスよりも後ですが、こちらは新潟県内の企業や金融機関から順調に出資金を集め、新潟県からも11億6000万円の融資を受けたことで目標金額の45億5000万円の調達に成功。リース会社の経営破綻などはあったものの、今年に入って2機が無事新潟空港に到着し、3月31日には東京航空局からも航空輸送事業許可を取得し、スタートラインに立つことができました。現在は6月30日の新潟~丘珠線の就航を目指し、訓練飛行を続けています。その後も新潟~仙台・中部・神戸線の就航を目指しており、将来的にはSTOL機のATR42-600Sを使用して佐渡空港から東京方面への直行便開設を計画するなど、新規参入を目指している他の会社に比べると順調に進んでいます。

tokiair.com

 

では、なぜ先行していたはずのジェイ・キャスが未だに計画の域を出ず、後から設立されたトキエアが就航までこぎ着けられたのでしょうか?ジェイ・キャスの場合、計画発表後にコロナ渦に見舞われたという不運はありますが、トキエアの場合はコロナ渦の渦中に設立された訳ですから、外的な条件は一緒なはず。両社に決定的な差がついた理由は「就航地域のバックアップを得られたか否か」ではないかと思います。

 

トキエアの場合、設立当初から新潟空港を拠点にすることを明言しており、資金調達の際も新潟県内の企業や行政にターゲットを絞って活動しています。「新潟県の航空会社」というイメージや新潟県や佐渡の活性化といった「大義名分」が企業や行政の共感を呼び、出資金や融資を受けやすくなったのではないかと思います。

加えて、トキエア社長の長谷川氏は日本航空での勤務後に新潟県庁交通政策局での勤務経験があり、新潟空港活性化にも携わっています。この時の経験と人脈がトキエアの資金調達や新潟県との折衝にプラスに働いたのではないでしょうか?

www.travelvision.jp

 

一方のジェイ・キャスですが、就航予定地域が富山・能登・米子と分散しており、拠点や人員も3カ所に分散しています。一応、最初の就航路線は関空~富山線のようですが、2024年内に関空~能登・米子・石見への路線も展開するとしており、どの地域をメインにするかはあまりはっきりしていません。この辺の曖昧さや人的リソースの分散が就航予定地域での機運が盛り上がらず、資金調達がうまくいっていない理由なのではないかと思います。

sky-budget.com

 

資金力や人的リソースが豊富な大手企業がバックに付いているならともかく、ジェイ・キャスのようなゼロからのスタートの場合は就航予定地域を一カ所に絞り、その地域に溶け込む覚悟で資金調達や人脈作りに注力した方が成功の可能性は上がるのではないかと思います。トキエア以外に就航までこぎ着けた新規参入会社の例を見ても、北海道を拠点にしたエアドゥ、宮崎を拠点にしたソラシドエア、北九州を拠点にしたスターフライヤー、静岡を拠点にしたフジドリームエアラインズと、最初の拠点は一カ所で就航してそこから拠点を拡大したケースが多く、最初から複数拠点で準備して就航にこぎ着けたケースは余り見当たりません(IBEXエアラインズは複数拠点で就航したケースに近いですが、一応拠点は仙台に置いてます)

残念ながら東京に本社を置き、地方拠点も分散している今のジェイ・キャスの営業体制では、就航予定地域の共感も広がらず、出資企業も現れないのではないかと思います。せめて最初の就航地域を北陸か山陰のどちらかに絞り、人的リソースを集中させて資金調達をしないと、どちらも中途半端になって計画倒れに終わる可能性が高くなるのではないでしょうか?

個人的には地方間の航空路線をもっと増やして交流を活発させて欲しいですし、ジェイ・キャスの地方創生というコンセプト自体は共感できるものです。ですが、今の状態のままでは就航など夢のまた夢というのも事実。ここまで来てどこか一カ所に絞るというのは難しいかも知れませんが、就航の可能性を上げるためにも決断するべき時期に来ているのではないでしょうか?

 

日本の航空会社で購入表明が相次ぐ737MAX、A320neoの巻き返しや主力機の鞍替えはある?

昨年から今年にかけて日本の航空各社で737MAXの購入表明が相次いでいます。かねてより737MAXを購入する意向を表明していたANAホールディングスは2022年7月11日に737-8シリーズ20機の確定発注の最終購入契約を締結したと発表。2025年から導入予定となります。また、今年の1月18日にはスカイマークも次期主力機として737MAXを正式発注したと発表。737-8と-10を各2機ずつで2026年度納入予定ですが、その前の2025年4-6月期から737-8を6機リース導入する予定です。

さらに3月21日には日本航空が737-8型21機を確定発注したと発表。こちらも2026年からの運航開始を予定しており、2025年から26年は737MAXの就航ラッシュになりそうです。

 

皆様ご存じの通り、737MAXは2018年と2019年に相次いで墜落事故を起こし、FAA【アメリカ連邦航空局)をはじめとした世界各国の航空当局から運航停止処分を受けていましたが、ボーイングが安全確保のための改修措置を行い、2020年12月以降、順次運航が再開されています。運航再開後は墜落事故はもちろん、目立った不具合や運航トラブルは起きておらず、ANAやJALも安全性の面で問題ないと判断して発注に踏み切ったようです。各航空会社に737MAXが納入される頃には更に運航実績を重ねて信頼性が上がり、初期不良や不具合も出尽くしていると思いますので、今回の発注のタイミングは「絶妙」と言えるでしょう。

 

↓737MAXについては当ブログの過去記事もご参照下さい。

 

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さて、これだけ相次いで737MAXの発注表明が相次ぐと、ライバルのエアバスA320neoシリーズの動向が気になるところ。当初は737MAXの「敵失」もあってANAやピーチ、ジェットスターやスターフライヤーで発注されてきましたが、これらの会社は元々A320シリーズを使用していた会社であり、737ユーザーがA320に鞍替えするケースは今のところ日本ではありません。また、今回737MAXを発注した航空会社にしても元々737を使用しており、こちらもA320からの鞍替えとなるケースはありません。見方によっては「それぞれの機種のユーザーが改良版を発注した」というある意味順当な結果になっているとも言えます。

では、これから先、A320ユーザーが737に鞍替えしたり、その逆のケースが発生するといったことは今後あり得るのでしょうか?

 

まずはANAグループ。今やANAの子会社となったピーチや、ANAとコードシェア関係にあるエアドゥ、ソラシドエア、スターフライヤーを含めても、当面は鞍替えする可能性は低いと思います。

当ブログでも過去に取り上げたことがありますが、ANA位の規模で737とA320の両方を保有するケースは実はそれほど多くはなく、世界的に見ても珍しい事。当時の記事では否定的に書いていましたが、今は「両方の機種を持っていてもそこまで不利ではないかもな」と思うようになってきました。

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確かにANA単体で見れば737MAXとA320neoをそれぞれ30機程度というのは余り効率がいいとは言えません。しかし、ANAグループ全体や提携航空会社も含めてみれば、実はかなり大きな規模を持っていることで、両方の機種を保有していてもスケールメリットは十分生かせますし、リスクヘッジもできているのではと思うのです。

ANAグループ及び提携会社(独立性が強く、ANAへの依存度が薄いスカイマークは除く)の737とA320の保有機数は以下の通り。

 

ANA本体(ANAウィングスも含む)

737      39機

A320・A321  36機

ピーチ

A320・A321  33機

エアドゥ

737      8機

ソラシドエア

737      14機

スターフライヤー

A320    11機

 

合計 737 61機 A320 80機

 

いかがでしょうか?ANA単体だとそれぞれ3~40機程度しかなさそうですが、グループや提携航空会社も含めると結構な規模になりますし、ピーチやスターフライヤーも合わせるとむしろエアバスの方が機数が多いことが分かります。既にANAはピーチの分もまとめて発注していますし、今後は経営統合したエアドゥとソラシドエアが共同で新型機を発注と言うことも考えられますから、グループ全体で見れば両方の機種を保有しても十分スケールメリットを生かせられそうです。

また、エアドゥとソラシドエアの後継機も今の機種との連続性やANAグループ全体の単通路機のバランスを考えると737MAXに傾く可能性が高いと思われます。ただ、もし将来的にスターフライヤーとの統合を考えているなら、思い切ってA320neoに切り替えるという選択肢もあります(既にA320neoを導入する予定のスターフライヤーが737に合わせるとは思えませんし)。

ただ、他の2社に比べて独自性も高く、上場会社であるスターフライヤーが今更この2社に合流するとは考えにくいので、統合や鞍替えの可能性は低いかなと思います。

 

 

一方のJALグループ。現在保有している単通路機は737-800のみ56機ですが、今回発注したのは21機と3分の1強。全ての737-800を737MAXで置換えるわけではありません。JALの場合、同じ737-800でも初期導入期は2005年製と間もなく更新時期を迎えるのに対し、日本トランスオーシャン航空に納入された機材は2016~2019年製と比較的新しいなど納入時期にかなりのばらつきがあるため、慌てて全機置換える必要が無いと言う事情があります。また、JALは737-800以外にも28機の767-300ERの置換えも控えていますので、一部の767-300ERを737-10かA321neoで置換えるというシナリオも考えられます。

下記のリンク先の記事にもあるように、今回の発注だけで「JALの次期単通路機=737MAX」と決めるのは早計であり、ANAと同様、今後A320neoシリーズも発注して737MAXと併用する可能性も十分考えられます。よって、JAL本体に関しては「A320neoに統一される可能性はなくなったが、737MAXと併用する可能性は残っている」と思います。

 

www.aviationwire.jp

 

また、JALグループでもジェットスタージャパン(JALが50%出資)とスプリング・ジャパン(JALが66.7%出資)というLCC2社を抱えており、前者はA320シリーズ21機を、後者は737-800を6機保有しています。特にスプリング・ジャパンは2024年4月からJALとヤマト運輸の合弁貨物航空会社の運航受託を予定しており、その機材はA321ceoの貨物機改造型。スプリング・ジャパンの出資先の一つである中国の春秋航空もA320シリーズの単一機種であり、今後A320の機種移行養成も春秋航空と協力する予定ですので、将来的にはA320neoに移行してもおかしくないのではと思います。よって、今後鞍替えの可能性があるとすればスプリング・ジャパンではないでしょうか?

www.aviationwire.jp

 

JAL本体は737、傘下のLCCはA320と棲み分ける可能性もありますが、JAL本体は737だけでもグループ全体で見れば実はA320の割合もそれなりにあり、この点も今後JAL本体がA320neoシリーズを発注する可能性が十分考えられる理由です。以前JALの社長、会長を務めた大西賢氏も「基本的に機材計画は20機が目安。1機種あたり20~30機の規模になれば、別の機種を投入しても投資が無駄にならない」と発言しており、グループ会社も含めたJALの規模から考えると、737MAXとA320neo、両方持っても問題ないと言うことになります。今後はJAL本体がA320neoシリーズも発注するのか、スプリング・ジャパンの主力機鞍替えがあるのか、この点に注目していきたいですね。

 

 

城端線・氷見線のLRT化とは何だったのか

2020年1月にJR西日本から富山県と沿線4市(高岡・砺波・南砺・氷見)にLRT化を含めた新しい交通体系の検討を提案したことで、突如として浮上した城端線・氷見線のLRT化問題。当初はLRT化に好意的・前向きな意見が多かったのですが、今年2月2日に開催された第5回検討会で、LRT化、BRT化、新型車両投入の3パターンでの事業費調査結果が出ると、LRT化は費用面や長期運休、冬期運休リスクなどが懸念されて急速に議論がしぼみ、一転して新型車両投入を求める声が相次ぎました。

3月に入ると沿線自治体の市長は相次いで新型車両導入の支持を表明し、3月8日には富山県の新田知事も新型車両導入の支持の意向を表明したことで、城端線・氷見線の活性化策は新型車両導入で決着する可能性が高くなりました。年度内に活用策の方向性をまとめた上で、新年度以降、国の交付金申請など具体案をまとめる見込みです。まだ正式な結論が出たわけではありませんが、城端線・氷見線のLRT化は事実上なくなったと見ていいでしょう。

www.fnn.jp

 

www.pref.toyama.jp

 

個人的には通学輸送の割合が大きく、商業地や住宅地よりも田園地帯が多い城端線・氷見線をLRT化しても効果は薄いと思っており、非電化かつ比較的距離のあるこの路線のLRT化には多額の費用がかかる割に問題が多いのではと懸念していました。特に1本の列車で100人以上の通学客を輸送する朝夕の時間帯は定員の少ない路面電車型の車両では捌ききれない恐れもあり、逆にサービス低下と通学客離れを招く恐れさえあると懐疑的な目で見ていたので、新型車両導入の流れになったのは落ち着くべきところに落ち着いたなと思います。

 

なぜJR西日本はLRT化を提案したのか

JR西日本は北陸、中国地方に赤字ローカル線を多数抱えており、かつJR東日本やJR東海に比べて収益性が低いと言う構造的問題を抱えています。決して公共交通に対する意識や使命感が低いわけではありませんし、むしろ使命感があるからこそ今までローカル線を維持してきたと思いますが、民間企業としての本音を言えばできれば好転の見込みがない赤字ローカル線は切り離したいと思っているでしょう。過去には月一ペースで計画運休を行ったり、保線費用節約のために徐行運転をしたりしています。

その一方で沿線自治体が存続や改良に前向きで、費用負担も厭わない路線には積極的に協力する傾向にあります。山陰線や姫新線などの高速化や、七尾線、播但線などの電化、可部線可部~あき亀山間の復活など、意外とローカル線の改良・再生には協力的。富山港線のLRT化も最初はJR西日本が提案したのが切っ掛けですし、個人的にはJRグループの中で一番ローカル線に好意的なのではと思っています。

今回の城端線・氷見線の場合、輸送密度は2000人を越えており、いわゆる「収支状況公開」の対象ではありませんでしたが、それでも長期低落傾向で何らかのテコ入れが必要な時期に来ているのは事実。それでいて人口16万人台の高岡市を起点とし、沿線自治体も4~5万人程度とまだ沿線人口は多い方なので、テコ入れ次第ではまだ活性化の可能性がある路線でもあります。

JR西日本が城端線・氷見線のLRT化を打ち出したのは、沿線の活性化と路線の再生、そして地元サイドに路線の将来を真剣に考えてもらう「切っ掛け作り」だったと思います。そのとっかかりとして、富山港線の「成功例」があり、県民にもインパクトがあるLRT化を提案したのではないかと思います。

 

なぜ沿線はLRT化に乗り気になったのか

では、沿線自治体はなぜ城端線・氷見線のLRT化に前のめりになったのでしょうか?富山港線のLRT化の成功を間近に見たこともあると思いますが、富山市同様路面電車への心理的抵抗が少ないことも挙げられます。

沿線自治体の中で一番大きい高岡市には高岡駅と射水市旧新湊地区を結ぶ万葉線があり、90年代後半に廃線の危機にあったものの、草の根的な市民運動の盛り上がりで存続の気運が高まり、第三セクター方式で存続した経緯があります。この時、当時の高岡短大学長の蝋山昌一氏が経済学に基づいた科学的な説明で「鉄道単体では赤字でも地域社会全体ではメリットがある」と、社会的便益を理由にした存続提言をしたことで廃止から存続に風向きが変わったこと、存続決定後も官民協働でイベントや利用促進策を継続的に行ったことで、万葉線の利用者数は僅かながら増加傾向に転じました。万葉線自体は現在でも赤字ですが、必要な社会インフラという認識が高岡市・射水市でも浸透していること、赤字額も両市の補助で賄える範囲に収まっていることから廃止の話は全く起こっていません。

toyokeizai.net

 

万葉線という「成功体験」があることで、高岡市でもLRT化を受け入れやすい土壌はありました。万葉線存続の原動力となった市民団体・RACDA高岡も城端線のLRT化を提言したり、高岡市も万葉線の延伸構想を検討したりと、実は以前から路面電車の拡大が検討されていました。JR西日本からの提案は「渡りに船」とも言えたのです。

加えて高岡市には城端線・氷見線の直通化という長年の「悲願」がありましたが、軽量のLRT車両なら立体交差の建設も比較的容易という事も、LRT化検討の後押しになりました。高岡市の調査資料でも、城端線・氷見線の満足度が低い一方、万葉線の満足度が他と比べて高かったことや、城端線・氷見線への乗り継ぎへの不満が高かったことからも、城端線・氷見線は何らかのテコ入れが必要であり、その解決策としてLRT化に前向きになったと考えていいでしょう。

https://www.city.himi.toyama.jp/material/files/group/4/ennsenntiikikoukyoukoutuukeikaku202206zenbun.pdf

 

検討会で見られたLRT化が厳しいという「前兆」

JR西日本、沿線自治体ともにLRT化には前向きだったはずなのに、最終的な結論は「新型車両の導入」なぜこのような結論になったのでしょうか?富山県のHPで公開されている「城端線・氷見線LRT化検討会」の議事録を読んでいくと、回を重ねるごとにLRT化の機運が徐々にしぼんでいき、新型車両の導入に傾いていった「前兆」が垣間見えました。

 

www.pref.toyama.jp

2020年(令和2年)6月8日に開かれた第一回検討会では、LRT化というJR西日本の提案に対し好意的な意見も多かったものの、導入費用や整備後のランニングコストを懸念する声もあり、需要予測や将来のまちづくりも含めた検討をすることになりました。

翌2021年3月25日に開かれた第二回検討会で鉄道のまま現状維持、本数そのままでLRT化、LRT化して富山ライトレールと同じ運行間隔の3パターンでの需要予測結果が公表され、LRT化して運行間隔を増やせば大幅な利用者増加が見込めるという結果が出ました。一方でまちづくりに関しては新駅設置やパークアンドライド、二次交通整備などの課題が挙げられたものの、LRT化についてはやはり初期投資やランニングコストの検討が必要であり、それも含めて引き続き検討していくという方針が示されました。

 

ところが、11月16日に開かれた第三回検討会では、新駅設置による需要予測は数パーセント程度の増加と余り大きくなく、停車駅増加による所要時間増加というデメリットも提示されたこと、「LRT以外にも電気式気動車の導入やBRT(バス高速輸送システム)など幅広い交通体系を検討するべき」「城端線・氷見線をLRT化することが目的ではない」「雪に対応可能な交通体系を検討しておきたい」と、この辺りからLRT化への議論がトーンダウンし始めたことが窺えます。当初はJR西日本が提案したLRT化のメリットが強調されていましたが、検討を進めるにつれてLRT化のデメリットや不安点も出てきたのではないかと思います。

 

そして2022年5月17日に開かれた第四回検討会では電化されたLRT以外の交通モードについて検討調査することが正式に決定され、蓄電池式での非電化LRT、新型車両(電気式気動車)の導入、BRT化などの概算整備費などを調査することになりました。この時の検討会でも他の交通モードについては調査が必要などという意見が合った一方、新型車両導入については一定のメリットがあると言う声があり、この時点で他の交通モードよりも好意的に見られていることが伺えます。

 

費用と便益という「現実」を突きつけられ・・・

そして迎えた2023年2月2日の第五回検討会。城端線・氷見線のLRT化等の事業費調査結果と、LRT化以外の交通モードの概算整備費の調査結果が公表されました。

その結果、LRT化の場合は電化設備の設置も必要になるため1~2年程度の運休期間が発生すること、現在と同等の輸送力を確保するためには全駅の行き違い設備設置や現在の3倍の車両数が必要になること、低床・軽量車両では冬期の運行障害リスクが高いことなど問題点が多数あることが判明し、事業費も最大435億円かかるなど、費用対効果の面でかなり疑問が残る予測が出され、委員からも「運休期間の長さは沿線住民の鉄道離れに繋がる」「持続可能性という点で相当厳しい」との意見が出されました。

更にLRT以外の交通モードについても、非電化LRTは電化LRTに比べて事業費も殆ど変わらない上に問題点は同じ、BRTは事業費こそLRTよりも小さいものの輸送力や所要時間が落ちる上にLRT以上の運休期間が必要なためお話になりません。一方の新型車両導入については既存の施設をそのまま使えるため運休の必要が無いこと、あいの風とやま鉄道への乗り入れが容易なこと、そして事業費も161億円(高岡駅での直通化費用込み)と他の交通モードよりも遙かに安上がりなことから、検討会の意見は「新型車両導入」に一気に傾き、LRT化を求める声はなくなりました。

3月末までに開かれる次回の検討会で一定の方向性が示される予定ですが、3月に入ると議会開催時期ということもあり、前述の通り沿線市長は相次いで新型車両導入の支持を表明。そして3月8日に新田知事が新型車両導入支持を表明したことで、城端線・氷見線のLRT化の可能性はほぼ絶たれたと言っていいでしょう。今後は新型車両導入を軸に、車両タイプの検討や導入費用の負担割合、高岡市が求めている城端線・氷見線の直通について検討されるものと思われます。

 

「新型車両導入」後の城端線・氷見線の将来

これで城端線・氷見線の将来は「新型車両導入による活性化」で決まりました。3年かけて比較検討して出した結論ですし、費用対効果の面で言えば新型車両導入が一番望ましいと思っていたので、落ち着くところに落ち着いたなと言うのが正直な感想です。

 

今後の課題は沿線住民のマイレール意識の浸透や、高岡市以外の自治体での利用促進策のノウハウ構築でしょう。氷見・砺波・南砺の三市は高岡市以上にマイカー依存度が高く、鉄道に対する利用促進策やマイレール意識が弱い印象があります。官民が協働でイベントや利用促進策を行う土壌も富山市や高岡市ほどありません。

また、新型車両導入というのは言い換えれば「ただ車両が新しくなるだけ」であり、沿線活性化の起爆剤にするには、高岡市が求める城端線・氷見線の直通化に加え、利用客の不満が大きい他路線への乗り継ぎ改善や増発による利便性改善が不可欠になります。

幸い、これらの課題に関しては富山県には万葉線や富山ライトレールで築いた「官民協働」「鉄道を核にしたまちづくり」のノウハウがあり、運行形態は異なるものの、城端線・氷見線沿線でも応用は可能です。また、過去5回の検討会でJR西日本と沿線自治体、沿線自治体同士のつながりも生まれ、議論を深める土壌もできあがっていると思いますので、利便性改善の議論や利用促進策のノウハウ構築は割とスムーズに行くのではと期待しています。

 

一方の新型車両ですが、最有力候補の電気式気動車はJR東日本や北海道では既に実用化されて大量配備されているのに対し、JR西日本ではようやく2021年に試験車両「DEC700型」が作られて試験走行中。2023年3月現在では具体的な投入時期はおろか、量産化についてもJR西日本からの公式発表はなく、この車両が城端線・氷見線に投入されるかも不透明です。

蓄電池式車両やハイブリッド式にしても他のJRからノウハウ込みで購入する必要がありますし、キハ127型などの既存の液体式ディーゼル車の導入も今更感がありますから、どの方式を取っても課題が残ります。この辺りは沿線自治体ではなく、JR西日本に最終的な決定権がありますから、どの車両を導入するか決まるまではもうしばらくかかるのではないかと思われます。

 

いずれにしても、城端線・氷見線が新型車両に置き換わるまでにはまだ数年単位の時間が必要になると思われます。一方、現在この路線を走っているキハ40系もいつの間にか他のJRでは数を減らし、全国的にも貴重な存在になりつつあります。考えようによっては国鉄時代の姿を色濃く残す城端・氷見線の姿は今しか見られない貴重なものですし、将来の姿に想いを馳せつつ、今の姿を記憶にとどめておくのも一興ではないでしょうか?

 

【3月30日追記】

本日開かれた検討会で城端線・氷見線のLRT化断念と新型車両導入が正式に決まりました。今後は運行本数の増便や交通系ICカードの導入、直通化などの利用促進策、また関係機関の役割分担や負担割合などを話し合う新たな組織が立ち上げられて新型車両導入と活性化策の話し合いが本格化することになりそうです。

www.fnn.jp

 

www.knb.ne.jp

気になる車両ですが、上記ニュース内では電気式気動車を念頭に置いているようで、JR西日本が開発中のDEC700が量産化できるのであれば、これが最有力かなと思います。ただ、前述したとおりまだ実用化の表明がされていないのが不安要素です。それまで待てないと言うならJR東日本のGVーE400かJR九州のBEC819系(これは蓄電池電車ですが・・・)をライセンス生産して投入するか、既存のキハ127系を投入するかでしょうが、この辺はこれからの議論になるのでしょうね。また、運営主体についても議論の対象となっているので、ひょっとしたら三セク移行の可能性もあるかも知れません。

検討会の議事録がHPにアップされたらその辺りの方向性が書いてあるかも知れませんので、またこの記事で追記したいと思います。

 

 

「え?あの会社も東急グループだったの!?」な元東急グループ企業

 

東急100年史や以前に購入した東急50年史など、東急社史や東急に関する書籍を読んでいると、東急グループの幅の広さと企業数の多さに驚かされます。大手私鉄のグループ企業というと、バスや地方鉄道などの交通関係に、百貨店やスーパーなどの小売事業、ホテルや旅行代理店と言った観光サービス業辺りが定番ですが、東急の場合は他の大手私鉄ではあまり見られなかったり、片手間でやるには規模が大きすぎるグループ会社がいくつも存在しています。

例えば東急建設や東急不動産。グループに建設会社や不動産会社を保有する大手私鉄は他にもありますが、東証プライム上場の大手レベルまで育てたのは東急くらいでしょう。また「東急の空への夢」の最後に出てきた空港運営会社「仙台国際空港」や、昨年開局したBSテレビ局「BS松竹東急」も、大手私鉄が手がける事業としては異例なものです。

しかし、昔の東急グループの手の広げっぷりはこんなものではなく、当ブログや動画でも紹介した航空事業の他にも自動車製造業に食品製造会社、石油精製事業に銀行にと、およそ私鉄経営とは何の相乗効果もなさそうな業種の会社も結構持っていました。今回は「え?この会社って東急グループだったの?」と思うような会社を紹介していきたいと思います。

 


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新中央航空

前回の記事でもご紹介した新中央航空。調布飛行場を拠点に伊豆諸島への離島路線を飛ばす不定期航空部門と、龍ケ崎飛行場を拠点んした事業航空部門を持つ会社であり、現在は鉄骨・橋梁大手の川田工業の100%子会社です。

しかし、新中央航空のHPにも川田工業及び持ち株会社の川田テクノロジーズのHPにも新中央航空が東急グループだったという記載や詳しい沿革は無く、1994年に新中央航空が川田グループ傘下に入ったという記述だけ。川田グループ入りする前の沿革及び資本関係はネットで調べてもよく分からず、今回の東急100年史でようやくその部分が分かった次第です。

新中央航空は1978年12月に東急の100%出資で設立された会社で、翌1979年2月に不定期航空輸送免許を取得しました。と言っても一から航空事業をやろうとしたわけではなく、既に存在して3月に清算予定だった旧中央航空の資産及び営業権を譲り受けるための受け皿会社でした。譲受した同じ月に調布~新島路線を開設し、1980年10月に新潟~佐渡線を日本近距離航空(後のエアーニッポン。現在は全日空本体に吸収)から引き継ぎ、1984年12月に調布~大島線も開設します。機材は当初9人乗りのアイランダーでしたが、1987年から15人乗りのノーマッドも投入(どうやら長崎航空から転売された機材のようです)伊豆諸島への生活路線のみならず、観光路線としても活用されました。

 

そんな新中央航空ですが、前述の通り1994年に川田グループに売却されて東急の手を離れました。売却に至った経緯は100年史でも書かれていなかったので詳細は不明ですが、JASのヘリコプター事業も1992年に終了し、この時既に川田グループ入りしていた東邦航空に売却されたので、この時に関係ができた川田グループから新中央航空の売却も打診されていたのかも知れません。東急側も沿線外の調布や龍ケ崎を拠点にする新中央航空を持ち続ける必要性は薄いですし、両者の利害が一致しての売却だったかも知れません。

 

国民相互銀行

1953年6月19日に中小企業融資拡充のために設立された相互銀行で、翌1954年に五島慶太率いる東急グループが資本参加、東急系列の相互銀行となりました。最近、JR東日本が銀行業への参入を発表しましたが、それ以前に鉄道会社が銀行業を営んでいたのは、少なくとも戦後ではこれが唯一のケースではないでしょうか?

東急時代には東急バスの集中計算センター設置に協力するなど、グループ内でも一定の存在感はあったようですが、1973年に海外事業整理の資金捻出のために小佐野賢治率いる国際興業に売却。以後は国際興業グループの銀行となり、1989年に第二地方銀行に転換して国民銀行となりますが、1999年に712億円の債務超過となり、経営破綻。八千代銀行(現きらぼし銀行)に営業譲渡されて清算されました。

 

東急エビス産業

1956年に東急グループ入りしていた日本糖蜜飼料と倉庫会社の横浜共同埠頭を1961年6月に合併させて発足した畜産用配合飼料の製造・販売を手がける会社。畜産製品の需要急増に伴い、家畜の餌となる配合飼料も急拡大しており、東急エビス産業も東証・大証一部上場を果たす程の急成長を遂げます。

しかし、1960年代後半になると業界内の競争激化と貿易自由化に伴う外資参入で業界再編圧力が高まります。そんな折、三菱商事から三菱系の同業二社と東急エビス産業の合併を打診され、事業整理のさなかだった東急もこれに応じます。1971年7月に東急エビス産業は三菱系の菱和飼料とともに同じく三菱系の日本農産工業に吸収合併されて消滅。ちなみに日本農産工業は合併後に「ヨード卵光」をヒットさせ、2009年に三菱商事の完全子会社となって現在も存続しています。

 

東亜石油

現在は出光興産傘下の石油精製会社である東亜石油。この会社もほんの数年間だけですが、東急グループだったことがあります。1955年に川崎に製油所を新設し、石油精製事業に進出しましたが、この東亜石油株の買い取りを持ちかけたのが白木屋買収騒動の時にも出てくる横井英樹。東急も1954年からガソリンスタンドの経営を始めた頃で、自社のバスやトラックなどの燃料供給元及び石油製品販売事業拡大のために東亜石油株買収に乗り気になりました。

1957年に2度にわたって東亜石油株50%を取得して傘下に収めましたが、4年後にアラビア石油に売却して石油精製事業から撤退します。その後東亜石油は共同石油グループを経て1979年に昭和石油(後に合併で昭和シェル石油)の傘下に入り、2005年に子会社化されます。さらに2019年には出光興産と昭和シェル石油の経営統合に伴い、出光石油の子会社となり、現在は完全子会社化されています。

 

ゴールドパック

1959年3月に東洋食品として設立され、1964年5月に現社名に変更した東急グループの食品製造会社。この会社は買収ではなく、最初から東急グループが設立に関わっています。

設立の理由は五島慶太が晩年に「故郷の長野県で農家の育成や農産物の安定供給、雇用を増やしたい」という意思を受け継いだものであり、松本市に工場を建設してトマトを中心とした果実・野菜飲料やミネラルウオーターの製造・販売、大手飲料メーカーからのOEM製造などを手がけていました。業績自体は好調を維持しており、設立の経緯もあって他の製造業が売却されるなか、ゴールドパックは東急グループに貢献していました。

しかし、90年代後半に東急グループの経営危機が表面化し、特に業績の悪かった東急百貨店の収支改善が急務となると、銀行からの融資継続の条件として「不採算店の整理」「有利子負債の圧縮と資産及び子会社の売却」などを求められました。この時東急百貨店傘下だったゴールドパックは他の子会社とともに売却の対象となり、一旦2001年に東急電鉄の完全子会社とした後に2003年から2011年にかけて全ての株を売却し、経営から手を引きました。

設立の経緯も考えると、東急はゴールドパックを手放したくはなかったようであり、東急100年史でも売却せざるを得なかった無念さがにじみ出ています。その後ゴールドパックは一旦丸紅系の投資会社傘下となった後に2012年9月に産業ガス大手のエア・ウォーターに売却。2014年にニチロサンパックを吸収して現在も存続しています。

 

シロキ工業

自動車部品製造を行う会社ですが、この会社の場合は東急が直接買収したわけではなく、別の会社を買収したときに一緒にくっついてきた、と言った方がいいかもしれません。

社名からも分かるかと思いますが、この会社は前述した白木屋が1946年3月に設立した「白木金属工業」が前身であり、白木屋の関連会社でした。その後1958年に白木屋が東横百貨店に買収されたことで一緒に東急グループ入りしますが、自動車部品と百貨店は何の関連性もないことから1964年に東急電鉄と東急車輌製造が半分ずつ白木金属工業株を購入して東急の直接関連会社となります。モータリゼーションの発展に伴い白木金属工業も業績を拡大し、後に株式上場を果たし、トヨタ自動車も株式を取得して1988年に現在の「シロキ工業」に社名変更しました。

シロキ工業は東急グループ内でも指折りの好業績を維持しており、90年代後半のグループの経営危機の際も安定して黒字を出し続けた数少ない上場企業でした。2000年代には従来からの北米に加え、中国や東南アジアなどに進出するなど経営規模も世界規模に拡大し、2002年度と2009年度には東急グループでも表彰されるなど優良企業であり続けました。

しかし、東急グループが東急線沿線の開発に回帰し「交通」「不動産」「リテール関連」の3つをコア事業と位置づけると、グループ内に製造業を持ち続ける意義を見いだせず、2011年4月に東急保有株の大半をトヨタ自動車とアイシン精機に売却。2016年3月には残りのシロキ工業株もアイシン精機に売却され、シロキ工業はアイシン精機の完全子会社となりました。今年1月には4月1日付で社名を「アイシンシロキ株式会社」に変更する予定ですが、「シロキ」の名前は引き続き残ることになります。

しかし、かつての老舗百貨店だった「白木屋」の名前が百貨店とは全く関係ない自動車部品製造会社に残り続けるというのも考えてみたら不思議な話ですね。

 

日東タイヤ

1949年に旧昭和ゴム相模工場を拠点に設立された日本6番目のタイヤメーカーで、東急は設立当初から25%を出資していました。東急がこの会社に出資した理由はタイヤ不足でバス事業の復興が進まなかったためであり「じゃあ自分で作るわ!」と言わんばかりに新たなタイヤメーカー設立に動いたのです。

当初は朝鮮戦争特需で好業績を上げたものの、戦争終結後は一気に経営が悪化し、東急が資金援助を行うと同時に役員も送り込んで自ら経営再建に乗り出します。アメリカのタイヤメーカーから技術提供を受けて品質向上に取り組み、国内外に営業拠点を増やして販売網を強化。結果創業10年目の1959年には従業員1000人を超える企業に成長し、安定した業績で配当を出し続けました。

しかし、日東タイヤの国内シェアは6%程度と下位に甘んじ、単独でのシェア拡大は難しい状況でした。最終的には熾烈な販売競争に打ち勝つにはタイヤ生産・販売に密接な関係を持つ大企業に渡すのが得策と判断し、1968年12月に三菱化成工業(現:三菱ケミカル)に売却。その後横浜ゴムと提携したりしましたが、1979年に提携を解消し東洋ゴム(現:TOYO TIRE)と包括提携。1982年に工業用ゴム製品や樹脂製品の製造・販売に業態転換し、タイヤ製造部門は新設の「菱東タイヤ」にブランドごと譲渡して撤退。社名も「日東化工」に変更しました。会社は現在でも存続しています。

一方の日東タイヤブランドは東洋ゴムの一部門として存続しますが、販売不振が続いて90年代にブランド存続の危機に陥ります。そこで日東タイヤはカスタマイズカー向けのタイヤ開発に社運をかけ、見事支持を得ることに成功。大口径で利益率の高い「NITTOタイヤ」は、今やTOYO TIREの大きな収益源となっています。

余談ですが、TOYO TIREは元東急グループの箱根ターンパイクの命名権を取得したことがあり、2007年から14年までは「TOYO TIREターンパイク」と名乗っていたことがあります。日東タイヤもターンパイクも東急グループ離脱後の話ですが、意外と元東急の会社に縁がありますね。

diamond.jp

 

 

東急くろがね工業

この会社は「東急の空への夢」でも言及していますが、東急グループ入りした経緯や倒産に至った経緯を改めてご説明します。

東急グループが自動車製造業に関わったのは1954年、三輪自動車メーカーの日本内燃機製造株19%を取得してからでした。その後、戦前はダットサンと並ぶ名門自動車ブランドだったものの、経営破綻したオオタ自動車工業も傘下に収め、1957年にこの両社を合併して日本自動車工業を発足させます。当初は旧日本内燃機製造の「くろがね」ブランドと旧オオタ自動車工業の「オオタ」ブランドを併存するつもりでしたが、オオタブランドは販売不振でまもなく撤退。より知名度の高いくろがねブランドを前面に出して、1959年6月に社名も「東急くろがね工業」に変更し、埼玉県上尾市に新工場を建設して再起を図ることにしました。

そして、東急くろがね工業が再起をかけて1959年に送り出したのが、軽四輪トラックの「くろがねベビー号」でした。ベビー号自体は画期的な商品であり、好評を持って迎え入れられ、発売初年度は16000台以上の受注を獲得しました。

しかし、翌1961年にダイハツがハイゼットを発売したのを皮切りに、富士重工業(現:SUBARU)がサンバーを、スズキがスズライト・キャリイなど、資本力も技術力も販売網も上回る大手メーカーが次々と軽四輪トラック事業に参入し、販売網が脆弱だったくろがねベビー号は競争に敗れ、販売台数は激減。東急くろがね工業は1962年2月に不渡りを出し、会社更生法適用を申請して事実上倒産しました。

経営破綻に伴い、くろがねベビー号は生産中止となって自動車製造業から撤退、代わりに日産自動車の支援を受けてエンジン製造などの下請けで急場をしのぐことになります。その後、会社としての東急くろがね工業は更生計画に基づいて1964年に解散し、製造部門は新会社の東急機関工業に譲渡されます。一方、生産部門以外の事業は東急興産に吸収され、1970年には東急機関工業自体も日産自動車に売却。翌71年には日産工機に社名変更し、東急は自動車製造業から完全に撤退しました。

ちなみに、日産工機自体は自動車用のエンジンユニットやアクスルユニット、パワートレイン用の部品を製造しており、日産自動車にとっても必要不可欠な企業となっています。一方、東急くろがね工業が「東洋のデトロイト」を目指して社運をかけて建設した上尾工場ですが、自動車工場としては再利用されず、1970年代半ばには再造成されて住宅地やスーパーマーケットになったようです。

 

何で東急グループはこんなに手を広げたの?

それにしても、なぜ東急グループはこれほどまでに私鉄経営と関連性の薄そうな事業に手を出しまくっていたのでしょうか?それは東急グループの事実上の創始者である五島慶太の買収攻勢にあります。

「強盗慶太」の異名を持つほど企業買収に積極的だった五島慶太ですが、晩年はその買収攻勢はエスカレートする一方で、本業の鉄道や、百貨店や不動産と言った鉄道とのシナジー効果が得られる事業とは無関係な買収案件も少なくありませんでした。息子の五島昇でさえ「止めた方がいいと思った事業もあったが、止めたらショックで死んでしまうと思って止められなかった」「父が手がけた買収は最後の10年は全て失敗だった」とこぼすほどでした。確かに、これまで紹介した元東急グループ企業のうち、新中央航空以外は五島慶太の時代、それも戦後から亡くなるまでの10年前後で買収・設立された会社であり、その大半は慶太の死後10年程度で売却されたので、「最後の10年は全て失敗」というのはある意味当たっています。

五島慶太の死後しばらくの間、五島昇は「多摩田園都市開発の継続と完成」「東急くろがね工業や東映をはじめとしたグループ会社の整理」に追われており、特に東急くろがね工業は法的整理に追い込まれて東急本体の業績も悪化させる程のダメージを与えました。一方でもう一つの遺産である多摩田園都市の開発と新玉川線建設は東急に大きな利益と新たな経営基盤をもたらし、東急くろがね工業のダメージを一掃しました。良くも悪くも五島慶太が残したものが大きすぎたことが窺えます。

一応フォローを入れておくと五島慶太が戦後に手がけた買収全てが失敗というわけではなく、じょうてつは現在でも北海道での東急グループの中核企業ですし、直接的な買収ではないものの、シロキ工業は最後まで利益を出し続けて東急グループに貢献しました。しかし、現在の東急グループを支えているのは東急不動産や東急建設、東急ホテルズに東急エージェンシーに伊豆急行と言った、東急が自力で設立して育てた会社が大半であり、やはり自分たちの力で地道に拡大した事業の方が後々身につく、というでしょうか。

東急100年史から見る日本エアシステムの「経営統合」の前兆

 

数年前に制作し、当ブログでも関連記事をいくつか掲載した「東急の空への夢」シリーズ。東急視点での東亜国内航空(TDA)→日本エアシステム(JAS)の歴史を紹介しましたが、この度イッキ見版をアップしました。これを機会に是非かつての日本第三の航空会社の歴史と、東急の大番頭・田中勇氏の活躍を振り返ってみて下さい。


www.youtube.com

 

 

2022年9月2日に創立100周年を迎えた大手私鉄・東急グループ。それを記念して、東急グループ100年の歴史を記した社史「東急100年史」がWEB上で公開されています。私は以前に古書店で50年史を手に入れていましたが、その後の歴史を記した社史はなく、東亜国内航空発足後のTDA/JASの歴史を記した公式資料はなかったので、この100年史のWEB公開は本当にありがたかったです。

普通、社史というと従業員や関係会社、地元自治体など特定の関係者のみに配布されたり、一部の図書館に寄贈される位で一般販売されるケースは少なく、一般の人が入手するには古書店やネットオークションなどで売られているものを買うくらいしかありません。ましてやWEB上で誰でも見られる状態にしている会社は一握りであり、交通関係の会社では相鉄と西鉄くらい。Web版なら印刷コストがかからない、公開が容易、将来の加筆修正が可能と言ったメリットがありますが、社史には会社の「黒歴史」も記載しないといけない場合もありますから、誰でも見られる状態には抵抗があるもの。それだけに今回東急が100年史をWeb上で見られるようにしてくれたのは本当にありがたいですし、今後社史をWeb公開してくれる企業が増えればその企業の歴史だけでなく、当時の世相や経済・経営史や地域史を調べる大きな手がかりになりますし、後世に歴史を残すという意味でも積極的に公開して欲しいなと思います。

 

www.tokyu.co.jp

 

さて、かつては日本全国のバス会社やホテル・レジャー施設などを買収し、鉄道と関連性の薄い事業も買収、一時は東急本体も含め15社もの上場企業がグループ内に存在するなど、広範囲な業種に手を広げていた東急だからか、100年史では東急本体のみならず、グループ会社やかつての事業、元グループ会社についても触れられています。その中には航空事業にも触れられており、日本航空や日本ヘリコプター輸送(現全日本空輸)の出資に始まり、1959年の北日本航空への資本参加、1961年の富士航空買収、1964年の日本国内航空発足や1971年の東亜国内航空誕生後の歴史からJASとJALの経営統合までが記されています。

また、驚きだったのが調布飛行場をベースに伊豆諸島への離島路線を展開する新中央航空が東急グループ主導で設立されたと言うこと。この辺に関しては他にも「え?この会社東急グループだったの?」という会社も結構ありましたので、別の記事で合わせてご紹介したいと思います。

 

さて、タイトルにもある日本エアシステムの経営統合の「前兆」について解説していきましょう。史実ではJASは2001年11月にJALとの統合を発表し、2002年10月に持ち株会社方式で経営統合するのですが、東急100年史を見ると東亜国内航空発足前から既に日本航空との関係はあり、TDA→JASの歴史を見る限り、JALとの経営統合は「当然の帰結」だったとも取れるのです。

 

日本国内航空が経営危機に陥った際、運輸省の指導で日航の経営支援を仰ぎ、将来の合併の方針まで示されたのは動画でもご紹介しましたが、TDA発足で日航との提携が終わった後も東急は日航株を保有していましたし、日航も日本国内航空との提携の名残でTDA株を保有し続けていました。また、東急グループ総帥の東急電鉄社長・五島昇が航空事業に並々ならぬ意欲を見せており、昇氏の存命中は航空事業の撤退やTDAの売却は考えられないという経緯もあったと思います。

しかし、ホノルル線やシンガポール線が失敗し、JASに取ってのドル箱である羽田発の高需要ローカル線にANAやJALが参入して競争が激化したことでJASの収益力は低下。成田や関空への国際線参入の先行投資も重なってJASは1993年度に過去差大の127億円の赤字を計上。経営危機に陥ります。航空事業への思い入れが強かった五島昇も1989年にこの世を去り、ホノルルや東南アジア、オセアニア地域などに建設・経営していたホテル事業も財務状況の悪化に加え為替リスク・海外資産保有リスクの増大で重荷となって相次いで売却したのもこの頃。かつてほど東急航空事業を重要視しなくなったことで、東急グループ内でのJASの立ち位置は微妙になってしまいます。

 

そして、日航との関係が再び強くなるのもこの頃からでした。1980年代から航空券の予約・発券はCRS(座席予約・発券システム)との連携によるATB券発券が主流となり、ANA・JALは独自のCRSを導入しましたが、JASは体力的に自社の予約システムを持てず、自社開発を断念。他社のシステムを活用することにしました。このとき連携したの後日本航空のシステムであり、1990年4月からATB券の発券を本格化させます。

また、JASは国際線の拡大を見越して1991年4月からパイロットの自社養成を開始しますが、この時も養成期間27ヶ月のうち、最初の2ヶ月以外は日本航空に委託しています。つまり、1990年代初頭の時点でJASは予約システムとパイロット養成という、航空会社の根幹に関わる部分を日航に依存する事になり、当事者にその気は無くとも将来の経営統合の布石が打たれたことになります。

更に1997年の国内線マイレージサービス導入時も、ANAの攻勢に対してJALとJASはマイレージサービスの分野で提携し、共同で対抗する姿勢を打ち出しています。東急100年史には書かれていませんが、一部地方空港でJALとJASが地上設備の相互利用を行ったのも実はこの頃。国内線に限って言えばANAが半数近いシェアを握り、残りの半分をJALとJASが分け合うという構図でしたし、路線網も幹線中心で沖縄路線に強いJALに対し、ローカル線に強く北海道・九州で強いJASは路線網の重複が少なく相互補完の関係になりやすいという背景がありました。

 

そして、JAS売却の流れが決定的になったのは、1997年頃から表面化した東急グループ全体の経営危機であり、グループ会社の経営再建及びグループの「選択と集中」でした。

1998年に当時の東急社長がグループ主要50社に「3カ年経営計画の提出」「連結決算ベースでの3年後の黒字化」を求め、東急依存からの脱却と自主的な経営再建を求めます。更に東急グループの事業を「コア事業」「周辺事業」「売却・撤退事業」に分類し、東急沿線の開発とは関係ない上に業績改善もできず、グループのシナジー効果やブランド効果も見込めない会社は売却・撤退の対象となるという「大ナタ」が振るわれることになります。

そして、2000年以降、経営改善できなかったグループ会社や、東急ブランドの必要性が薄い会社は次々と切り離され、グループに残った会社も抜本的な改革を強いられました。赤字続きで経営危機に陥ったグループ会社でも、東急建設は新旧分割という大ナタが振るわれたもののグループにとどまる一方、東急観光は2004年に投資会社に売却され、グループを離脱。また、東急百貨店や東急ホテルズ、伊豆急行と言った沿線開発や東急ブランドの維持に必要とされた企業は子会社化して東急本体に取り込んだ一方で、東急ブランドの必要性が薄い地方のバス会社・鉄道会社はじょうてつと上田電鉄を除いて2009年までに全て売却されて東急グループから離れるなど明暗が分かれました。

 

そして、「選択と集中」の大ナタはJASとて例外ではありませんでした。と言うより「環太平洋地域への進出」を目指していた五島昇の時代ならまだしも、海外事業から手を引いた今となっては、グループとのシナジー効果も見込めない上に業績も悪く、有利子負債も大きいJAS(1997年度のJASの有利子負債約3300億円は東急電鉄(約9800億円)、東急不動産(約5900億円)、東急建設(約3800億円)に次いで東急グループ内で4番目に大きい金額)は、「売却・撤退事業」に分類されてもおかしくありませんでした。JAS自身も一部地方空港からの撤退や人員削減なで業績改善に努め、わずかながらも黒字を計上しましたが、多保有機材の更新を間近に控えており(東急100年史では明言していませんが、旧型のA300やMD-81を念頭に置いたものと思われます)、タダでさえ多額の有利子負債が更に増えることは確実であり、最終的にはJALとの経営統合を決めます。

東急100年史ではJALとの統合を決めた理由を「従来から業務面で協力関係にあり、また路線網の面でも相互補完関係にある」ことを挙げ、また、全日空との統合では市場の独占につながりかねないとの配慮もあった、としています。統合前のJASの東急の出資比率は30.66%でしたが、2002年10月の「日本航空システム」発足後の東急の出資比率は4%程度にとどまり、この時点でJASは事実上東急グループを離脱しました。

 

東急100年史からTDA/JASの歴史をひもといていくと、1990年頃からの予約システム共通化辺りからJALとの統合の下地はできていたように思います(無論提携当時は経営統合なんて考えていなかったと思いますが)更に言えばその予約システムの共通化にしても、あまり接点のないANAよりもJDA時代から関係があるJALを選択したと考える方が自然ですし、統合を決める際も、合併後のシェアに加えてこれまでの関係性を重視したと考えるのが自然でしょう。JASならずとも、どうせ統合するなら少しでも気心の知れた相手の方がいいと考えるでしょうし。そういう意味ではJALとJASの経営統合は、「その時」が来れば統合に動いても不思議ではなかった組み合わせなのかも知れませんね。

 

エア・インディアの「飛行機爆買い」を可能にした「タタ・グループ」のヤバさ

2月15日、インドのフラッグキャリアのエア・インディアはボーイングとエアバス双方から合計470機、契約総額約800億ドル(日本円で約10兆6000億円)の航空機購入契約を結ぶと発表しました。航空機大量まとめ買いと言えば中東御三家のエミレーツ航空やカタール航空を思い出しますが、今回のエア・インディアの発注はそれらを上回り、2011年のアメリカン航空の460機発注を上回る民間航空機市場最大規模となる巨大発注です。

trafficnews.jp

 

発注数の内訳は、ボーイングが777-9型10機、787型20機、737MAX190機の合計220機。一方のエアバスはA350型40機とA320/321neo210機の合計250機となります。これらの飛行機は2023年後半以降から順次納入され、エア・インディア及びグループLCCのエアインディア・エクスプレスで使用される予定です。

エアインディアやグループ会社の使用機の中には今回納入される機種と同じ787やA320neoが約100機ほどありますので、今回の発注計画通りに行けば現行機材の一部+今回の発注機で570機程度の巨大フリートになる可能性があります。少し前のデータになりますが、この規模は中国東方航空や南方航空に匹敵するものであり、20位圏外だったエアインディアは一気に上位10位内の巨大航空会社にのし上がることになります。

sky-budget.com

 

しかし、エアインディアと言えば国営航空会社故の官僚的で非効率な経営で慢性的な赤字体質であり、定時到着率やサービスの悪さで顧客の評判も決して良くありませんでした。スターアライアンス加盟にしても、2007年に一旦加盟に合意したものの、その後2011年に「加盟条件を満たしていない」として加盟が見送られ、最終的に加盟が認められたのは2014年になってから、という経緯があります。

2020年には累積損失は80億ドル(約8700億円)に達し、給与支払いや燃料費購入にも事欠くほどの破綻の危機に追い込まれていたくらいで、インド政府はエアインディアの売却を決定し、2022年にインド最大の財閥であるタタ・グループに買収された経緯があります。はっきり言って少し前までのエアインディアは「ダメ会社」であり、とてもじゃないけど10兆円規模の大量発注なんてできるわけがありません。

そんなダメ会社がなぜ急に大規模発注できたのか?それはエアインディアを買収したタタ・グループの資金力があったからであり、エア・インディアを中東の雄であるエミレーツ航空やカタール航空に並ぶ巨大航空会社に育てるというタタ・グループの野心があったからに他なりません。

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それでは、タタ・グループとは一体どんな財閥なのでしょうか?日本ではあまりなじみのない名前ですが、インドではビルラ財閥、リライアンス財閥と並ぶインド3大財閥の一角であり、単一財閥としてはインド最大です(他の2財閥は相続問題の関係上、複数のグループに分かれています)

タタグループの技術コンサルタント会社日本法人のHPや、タタグループの公式サイト、タタ財閥について言及したサイトなどから調べてみましたが、タタ・グループは1868年にジャムセジ・タタによって設立された綿貿易会社が発祥であり、インド植民地時代はイギリス・インド・中国の「三角貿易」で成功し、その利益を元に製造業などの様々な事業を興したようです。

インド独立後は政府の政策や干渉で伸び悩みましたが、1991年からのインドの経済改革による規制緩和に加え、同じ年に5代目のグループ総帥となったラタン・タタによって規模拡大と世界展開が進められ、積極的な買収を行いました。主要企業のタタ・スチールやタタ・モーターズも他国企業の買収によってグローバル化・巨大化しています。

www.indokeizai.com

www.tcs.com

www.tata.com

 

2021-22年のタタグループの収益は1289億ドル(約17.4兆円)。流石に日本最大のトヨタ自動車(約31兆円)には及びませんが、2位の本田技研工業(約14兆円)は上回ります。また、グループ全体の従業員数は約93万5000人。日本最大の連結従業員数を誇るトヨタ自動車(約37.7万人)と2位の日立製作所(約35万人)を足してもまだ敵いません。

グループ企業は持ち株会社の「タタ・サンズ」を中心に100社以上で構成され、そのうち株式上場している30社が主要企業です。IT企業のタタ・コンサルジーサービス(TCS)が最大の稼ぎ頭でインド株式市場の時価総額第一位。この他に世界第5位の鉄鋼メーカーのタタ・スチールに、ジャガーやランドローバーなどのブランドを持つタタ・モータース、インド第1位の電力会社であるタタ・パワーに総合化学メーカーのタタ・ケミカルズなど、グループ会社はインドを代表する企業ばかりです。

また、タタ・サンズの株式の過半をタタ一族の慈善事業団体が保有し、株式の配当益を慈善事業の原資に充てるなど、企業の社会的責任(CSR)にいち早く取り組んでいるのも特徴の一つ。財閥というと一族で利益を独占しているイメージが強いですが、タタグループの場合は慈善事業に加え従業員の福利厚生や教育による人材育成にも積極的。こういった社会に利益を還元する姿勢を持っているからこそ、現在でも長く続いているのかも知れません。

 

さて、エアインディアの話に戻りますが、実はタタ・グループにとってはエアインディアの買収は「かつてのグループ企業を取り戻した」形になります。エア・インディア自体はタタ・グループが1932年に設立し、インド最大の航空会社に育て上げましたが、インド独立後に国有化され、タタ・グループを離れた経緯があります。その後のインドの経済成長に伴いタタ・グループは航空事業の再参入をもくろみ、2014年にシンガポール航空との合弁でビスタラを設立しますが、あまりうまくいっていると言えませんでした。と言うよりインドでは航空会社が雨後の竹の子のように次々と設立されましたが、キングフィッシャー航空やジェットエアウェイズのようにそれなりの規模の会社さえ破綻する程経営が厳しく、最大手のインディゴ以外は全部赤字という有様でした。

 

エア・インディアの買収は曲がりなりにも世界中に国際線ネットワークを持つ会社を手に入れることで、グループの航空事業を一気にグローバルにするというもくろみが合ったと思います。タタ・グループの歴史は買収の歴史と言っても過言ではなく、鉄鋼や自動車は買収でグローバル企業にのし上がったようなもの。タタはエアインディア以外にもエアアジア・インディアなども買収しており、これらの会社とビスタラを統合して一気にインド最大の航空会社に仕立て上げ、更にエミレーツやカタール航空を上回る巨大航空会社に仕立て上げるシナリオを描いているのでしょう。

 

タタ・グループにとって強みなのは世界最大級の人口を抱えるインドを地盤にしていることと、インドが地理的にアジア・オセアニア~ヨーロッパ・アフリカ間の乗り継ぎに適していること。ハブ空港にしても首都のニューデリーに加え、ムンバイ、ベンガルール、チェンナイ、コルカタ、ハイデラバードといくつも候補がありますので、この点でもハブ空港が一つのエミレーツやカタール航空よりも優位になりますので、潜在能力は高いと言えます。

ただし、エア・インディアは長年の放漫経営と低サービスで財務的にも人員的にもかなり痛んでおり、これを再生するには並の経営者では不可能です。また、企業文化の違うであろうビスタラや、全く違うコンセプトのエアアジア・インディアとの統合がうまくいくか、と言う問題もあります。これらの問題を克服しない限り、タタ・グループの航空事業は空中分解しかねませんし、財務体質を改善しないとグループのお荷物になる可能性さえ考えられます。そういう意味では今回の大量発注はエアインディア、と言うかタタ・グループには大きな賭けになりますが、この賭けがうまくいけばエアインディアは大きく化ける可能性があります。個人的にはこの賭けがうまくいって、ダメ会社エア・インディアが世界的なメガキャリアに変貌する姿を見てみたいですね。

スペースジェットがダメになったANAの次期リージョナル機は何になる?

三菱スペースジェット(MSJ)の開発中止を受けて様々な記事がネット上で出てきていますが、航空ファンとして気になるのは確定発注していたANAやJALが、今後MSJの代わりにどの飛行機を発注するのか。その気持ち?を代弁してくれるかのように乗りものニュースさんが記事を出してくれました。

 

trafficnews.jp

 

記事内ではJALに関してはエンブラエルE-Jetの改良型であるE2の発注になるのではという趣旨の書き方ですが、私も同じ考えです。シミュレーターの利用や地上業務、コードシェアなどで協力関係にあるFDAもMSJへの関心が薄く、次期機材はE2発注が有力だと思いますので、むしろスペースジェット開発中止になったことで国や三菱に気兼ねすることなく発注を決められるのではないかと思います。

 

 

 

さて、今回の本題はANAの方の次期リージョナル機材。この記事内では候補として737-7、エアバスA220、エンブラエルE-Jet E2、ATR72の4機種を挙げていますが、私は737-7の可能性は低いと思っています。

と言うのも以前もANAはA320や737-400の代替として737-700を45機発注していましたが、小さすぎるという理由で18機で打ち止めとなり、以後は737-800に切り替わったという経緯があります。また、737-700は地方間路線用には大きすぎ、逆に大都市~地方間の路線には小さすぎるという中途半端なキャパシティであり、最大離陸重量が大きい737-7はトン数で決められる着陸料の面で不利というデメリットがあります。737-700がANAで持て余されたこと、既にANAから退役したことも考慮すると、同クラスの737-7では同じ轍を踏む可能性があり、ANAは考えていないのではないでしょうか?

また、ダッシュ8を買い増すというのもあり得ないと思います。現在、ダッシュ8の製造権を持っているデ・ハビランド・カナダは自社工場を持っておらず、建設中の新工場の稼働開始も2025年以降。と言うよりダッシュ8の製造自体も工場閉鎖と新型コロナウイルスの感染拡大による航空需要減退を受けて停止したままであり、発注自体が不可能な状態だからです。ANAの社長も会見で少なくとも2025年以降に新機材が必要という見解を示しているので、稼働開始を待てない状況です。現時点ではいつ生産再開するか分からない飛行機を当てにはできないでしょう。

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と言うわけでANAの次期リージョナル機材はこの3機種のどれかになると思います。

・エアバスA220

・エンブラエルE-Jet E2

・ATR72

 

先に結論から言ってしまうと、私は「グループ会社やコードシェア先も含めてA220とATR72の両方を導入し、路線特性に応じて使い分ける可能性が高い」と思っています。なぜそう思ったのか、理由は以下の通りです。

 

 

・E2よりもA220の方が導入が比較的スムーズ

A220は元を辿ればボンバルディアが開発したCシリーズであり、開発費高騰とボンバルディアの経営悪化でエアバスに事業ごと売却された経緯があります。ANAはボーイングほどではないものの、1990年のA320導入以来エアバスとは30年以上の付き合いがありますし、ボンバルディアともQ400シリーズで20年近い関係があります。無論、同じエアバスの飛行機とは言え、A320とA220は開発経緯が異なる飛行機でタイプレーティングも別々なので、A320との互換性という意味ではあまりメリットはないのですが、エンジンについては同じPW1100なので、部品共通化の面ではメリットがあります(まあ、これについてはE2も同じエンジンですが・・・)

一方のE2はANAとエンブラエルとの取引はなく、むしろJALやFDAとの関係が深い会社。エンブラエルにしてみれば取引のないANAはもちろん食い込みたい会社でしょうが、ANAにしてみれば全く取引経験の無いエンブラエルは未知の相手(接触くらいはしていると思いますが)。MSJの代替機種は導入にあまり時間をかけられない事を考えると、交渉や導入前の準備や訓練面でも未知な部分の多いエンブラエルよりも既に関係ができているエアバスの方がスムーズと考えてもおかしくないのではと思います。

 

・E-Jetの改良型のE2では目新しさがない

ご存じの通り、E2のベースとなるエンブラエルE-JetはJALが2007年2月に発注を決め、2009年2月からE170を導入して以来、E170型18機、E190型14機の合計32機が導入され、JALグループ地方路線の顔として日本中を飛び回っています。更に2007年9月には静岡空港参入を目指して設立されたフジドリームエアラインズ(FDA)が発注を決め、2009年7月に就航。以来名古屋、松本、丘珠、神戸など就航先を広げ、現在ではE170型3機、E175型13機の合計16機を保有しています。

JALとFDAがまとまった数のE-Jetを飛ばしている現状では「エンブラエル機=JALとFDA」のイメージが強く、仮にANAがE2の発注を先に決めたとしても、新機材導入のインパクトはどうしても薄くなってしまいます。MSJ導入の動機の一つが「国産初のジェット旅客機を世界初就航させることで大きな宣伝効果が得られる」事であること、過去にもボーイング727をJALに先んじてリースで飛ばしたり、787を世界初就航させて世界的にANAの知名度を上げた過去を考えると、MSJの代わりのリージョナルジェットがE2ではインパクトに欠けるのは明らか。それなら日本の航空会社がまだ導入していないA220の方が宣伝効果は高いと考えるのではないでしょうか。

 

・将来のパイロット不足対策

新型コロナの航空需要減退で一時的に落ち着いた感はありますが、世界的にはパイロット不足が慢性化しており、航空需要の急回復でパイロット不足問題は再び表面化してきました。特に日本の場合、バブル期に大量採用されたパイロットが2030年前後に引退の時期を迎えてパイロット不足が深刻化する「2030年問題」が叫ばれていること、世界的にパイロットの取り合いになって引き抜き合戦になり、海外からパイロットを雇うのも難しくなるなど、他国よりもより深刻な状況です。

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上記記事内でも触れていましたが、パイロット不足の処方箋として「機材大型化によって輸送効率を上げる」のは有効な方法と言えます。世界的にはダウンサイジングによる小型化と便数増加がトレンドですし、日本も近年はその方向ですが、機材小型化で便数を増やす=増やした便数分のパイロットを確保する必要があります。国際線や国内幹線では787やA350の就航でそのトレンドになっているように見えますが、逆に小型機では737-800やE190、A321のように同じシリーズの機種でも座席数が多く座席あたりのコストが下がる大型のモデルが好まれるようになっていますし、実際世界的にも売れているのは小型化したモデルよりも大型化したモデルの方です。

2030年問題を考えると、大型化による輸送効率アップを考えるのであればそろそろ対応した機種を考える必要があります。そういう意味ではMSJの代わりの機材はうってつけのタイミングと言えますし、大型化を考えるのであればより大型のA220でも問題ないはずです。特に伊丹空港発着路線は発着枠増加の見込みがないので、A220で大型化してダッシュ8路線の一部を減便し、捻出した発着枠で高需要路線の増発や新規路線開拓を行う余地が生まれるのではないでしょうか?

まあ、ダッシュ8から考えるとE2でも十分大型になるんですけどね。

 

ORCの機材計画や運航計画ともリンクするのでは?

 

ANA単体だけで考えると「ダッシュ8の後継機が100席以上のA220じゃ大きすぎるのでは?E2の方がサイズ的に合ってるんじゃない?」と思われるかも知れません。しかし、近年ANAからの路線移管やコードシェアを拡大しているオリエンタルエアブリッジ(ORC)の機材計画とセットで考えると、また違った見方ができると思います。

ORCの現在の機材はダッシュ8-200型2機と、ANAとの共通事業機となるダッシュ8-400となりますが、ご存じの通り-200型の後継としてATR42型2機を導入する予定であり、既に1機が納入済み。また、ダッシュ8-400は元々MSJに置換えられる予定だったことを考えると、このままORCがANAからの移管路線を続けるのであれば、ダッシュ8-400に代わる機材を用意する必要があります。

 

そこで、一つの仮説を立ててみました。

「A220では大きすぎる路線やプロペラ機でも所要時間の差が出にくい一部の短距離路線をORCに移管し、ORCがATR72を導入して飛ばす」

 

現在、ORCがANAから移管された路線は福岡~対馬・五島福江・宮崎・小松の4路線。更に3月26日からは中部~宮崎・秋田線が移管される予定です。ORCへの経営支援の一環ともとれますが、私はそれ以外にもANAが福岡・中部発着のダッシュ8路線の一部をORCに全部移してプロペラ機の運航から撤退する布石なのでは?と思っています。

と言ってもダッシュ8は現在生産がストップしたままであり、少なくとも今後数年間は新規購入が不可能。また、既にATR42の導入を決めたORCにしてみればダッシュ8との併用を続けるのは整備面やパイロット運用の面で非効率ですし、同型のATRに置換えて効率的な運用にしたい、と思うのは自然なことでしょう。今すぐにはないとしても、ダッシュ8-400の初号機納入から20年近く経つことを考えると、そろそろ次を決める必要があるはず。ANAが言う「2025年以降に代替機が必要」というタイミングを考えると、経年化が進んでいる初期導入機を対象に、今後1~2年以内にORCへのダッシュ8一部路線の完全移管、ATR72導入を先行し、残りの路線は時間をかけてA220に置換え、と言うシナリオが考えられます。

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対象となるのは今移管している路線+中部~松山及び一部九州路線になると思います。IBEXエアラインズとの兼ね合いもありますが、これだけの路線が移管されれば8~10機程度のATR72が必要になると思いますので、かつての日本エアコミューターのようにORCの事業規模が一気に大きくなって全国規模の会社になるかも知れません。

 

ここまでA220推しだったけどE2もやっぱりあり得るかも・・・

と、ここまでA220を推してきたわけですが、ここまで書いておきながら「ANAがA220にする決定的な理由にはならないな」とも思ってしまいました。JALやFDAが既に飛ばしているというのはE2を避ける理由としては弱いですし、A220の方が導入がスムーズと言っても日本全体で見れば国内航空会社の導入実績の無いA220よりも運航実績豊富なエンブラエルの方が許認可申請の面ではスムーズかも知れません。E2だって100席級のモデルもありますからパイロット不足問題に伴う大型化にも十分対応できます。

それに、ここまで殆ど触れてきませんでしたがANAグループの次期リージョナル機の選定にはORCと同じくコードシェア運航を行うIBEXエアラインズの存在も忘れるわけにはいけません。IBEXが使用しているCRJ700も現在は生産終了しており、いずれ後継機の選定を考えなければいけないのはIBEXも同じ。IBEXの路線構成を考えても、70席級のCRJ700から100~130席級のA220への更新は大きすぎると思われますので、IBEXとの共通性を重視するならE2も十分選択肢に入ってきます(流石にIBEXがプロペラのATRに変えるとは思えないので・・・)

最も、IBEXとANAが同型の機種を使用した事はありませんし、資本面では完全に別会社で無理にANAと機材を合わせる必要もないので、ANAはA220、IBEXはE2と分かれる可能性も十分考えられますが・・・

 

 

以上、スペースジェット亡き後のANAの次期リージョナル機について考察してみました。個人的には路線特性に併せてANAウィングスはA220、プロペラ機路線はORCに移管した上でATR72を導入、と言うのが一番すっきりするのではと思います。ただ、A220の部分についてはE2でもいいわけですし、別の一部路線をIBEXに移管してIBEX自体はE2に置換え、と言うシナリオも考えられます。ANAの次期リージョナル機はANAだけでなく、コードシェア先の会社も含めて考える必要があり、場合によってはORCやIBEXを含めたANA地方路線の再編につながる可能性があります。今後の発表に注目したいところですね。

 

 

【4月25日追記】

ANAがスペースジェットの契約を正式に解除したことを受け、Aviation wire様でもANAのスペースジェットの後継機の考察記事が出ました。流石にこっちは専門サイトなだけあってより深い考察ですが、やはり後継機はA220とE2の二択になること、ダッシュ8の後継機も含めて考える必要がある点などは私の考えと同じでした。

www.aviationwire.jp

 

そして本日、三菱航空機が「MSJ資産管理株式会社」に社名変更し、公式サイトも閉鎖したというニュースが報じられました。更にスペースジェットの登録も「航空の用に供さない」として全機登録抹消されてしまいました。これで名実ともにスペースジェットの開発は終了したということになり、今後は機体を含めた残存資産の処分と、契約していた航空会社との契約解除や補償などの協議を行うなどの清算業務が行われることになります。分かっていた事とはいえ、スペースジェット事業の後始末が進むとさみしさを感じてしまいますねえ・・・

www.aviationwire.jp

 

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