〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

中曽根元総理が国鉄分割民営化をやらなかったらどうなったか

2019年11月29日、元総理大臣の中曽根康弘氏が老衰の為101歳で亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。

 

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中曽根氏の大きな功績の一つとして「国鉄分割民営化」が挙げられます。37兆円もの長期債務を抱え、機能不全に陥っていた国鉄を地域ごとに分割・民営化し、債務と不採算路線を整理した現在のJRグループに再編した事で日本の鉄道は息を吹き返し、特にJR本州三社は自分の意思で適切な投資を行い、コスト管理をすることで競争力を高め、日本はもとより世界でも最大級の鉄道会社に変貌しました。

中曽根氏の訃報を受けてJR東日本は「国鉄の分割・民営化を主導し、今日の鉄道の発展につながる大きな功績を残された偉大な政治家を失ったことは誠に残念に思います」とのコメントを、JR西日本は「国鉄改革推進の主導的役割を果たされ、『鉄道の再生』を目指した故人の遺志を忘れることなく、安全で持続可能な鉄道の実現に取り組んでまいりたい」とのコメントを発表しました。また、旧国鉄時代に「改革三人組」の一人だったJR東海名誉会長の葛西敬之氏も「国鉄の分割民営化は、中曽根元総理のリーダーシップがあったからこそ実現できた。その結果が鉄道の今日の発展につながっており、大変大きな功績を残された。心よりご冥福をお祈りする」とのコメントを出しました。

一民間企業やそのトップだった人物が元総理の訃報にコメントを発表する事自体異例の事で、それだけ中曽根氏の国鉄分割民営化がその後の鉄道業界に大きな影響を与え、現在の日本の鉄道の発展に大きく貢献した事の表れと言えます。

 

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しかし中には「国鉄分割民営化は失敗だった」という声も少なからず出ています。好調を維持する本州三社の陰でJR北海道の経営が行き詰まり、JR四国も苦境に立たされている事、民営化の際に最も抵抗した最大労組の国鉄労働組合(国労)の組合員を中心に新会社への採用見送りで長年法廷闘争になった事、民営化後に夜行列車が衰退し、一部ローカル線が廃止になった事、国鉄の長期債務のうち国鉄清算事業団が引き受けた25兆5000億円は額を減らすどころか逆に増え、結局は国の一般会計に組み込まれて現在でも返済は続いていることなど「国鉄改革の負の部分」を取り上げて分割民営化を批判しているようです。

それでは、もし中曽根総理の時に国鉄分割民営化をせず、国鉄が温存されていたらどうなっていたでしょうか?今回は逆説的に国鉄が存続していたらという「もしも」の話から分割民営化の意義を考えてみたいと思います。なお、国鉄分割民営化に関しては鉄道ライターの杉山淳一氏のこの記事が分かりやすいです。

www.itmedia.co.jp

 

・そもそも国鉄の温存自体が「無理ゲー」だった

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いきなりこの見出しを出して「何を身も蓋もない事を」と思われたかも知れません。しかし、実際のところ国鉄が従来通りのシステムで存続することはどう考えても不可能でした。

まず分割民営化の最大の動機だった長期債務。この途方もない借金の出どころは国の財政投融資からの貸し付けと政府保証鉄道債券(鉄道債)でした。財政投融資のお金の出どころは郵便貯金や簡易保険、国民年金や厚生年金であり、要は間接的に国民の財産から貸し付けられていたのです。財政投融資で貸し付けられるお金は「安定的な投資先」に限定されており、国鉄への融資もその一つでしたが、言い換えればお金の出どころは国民の財産なので何が何でも返済しなければいけないし、金利の減額も不可能。ましてや民間の債権放棄のように「踏み倒す」事など論外でした。

さらにもう一つの調達先の鉄道債も国債のように政府の債務保証が付き「安定的な投資先」という触れ込みで売り出されていたのでこちらも金利の減額や踏み倒しは不可能。さらに償還期限が短かった為、期限がきた鉄道債を返すために新たな鉄道債を発行し買ってもらう「鉄道債を返すための鉄道債」を発行し続ける事になり、これが長期債務の償還額増加や国鉄の資金繰り圧迫の原因となりました。国鉄末期には大蔵省も財政投融資からの貸し付けを渋り始め、民間の金融機関からの資金調達もできないので、資金繰り的には国鉄は「詰んでいた」状態だったのです。

 

では収入増加についてはどうでしょうか?今のJRや私鉄のように不動産業や小売業、ホテル業などの「関連事業」で儲けることができれば鉄道の赤字の穴埋めになりますし、事実JR九州は関連事業の収益で鉄道事業の赤字を埋めていました。しかし、これについても国鉄のままでは「NG」だったのです。

国鉄は公共事業体という性格上、民業圧迫につながるとして「副業」は厳しく制限されていました。国鉄に認められた関連事業は青函連絡船などの船舶事業、バス事業、国鉄職員を対象にした「国鉄病院」と「国鉄共済組合」くらいで、駅構内売店の「キヨスク」は国鉄ではなく鉄道弘済会の運営、主要駅に多くあった「ステーションデパート」も国鉄の経営ではなく、地元有力者が出資して立てた「民衆駅」であり、構内の商業施設の経営は出資した有力者が行い、国鉄には地代収入しか入りませんでした(のちに国鉄の直接投資も可能に)

更には収益の大きな柱だった貨物事業はトラック輸送に取って代わられ、スト権ストで完全に信用を失って以後は完全な赤字事業でした。国鉄末期には旅客事業に関しては黒字化していましたが、貨物事業の赤字や長期債務の利子がそれを上回り、国鉄全体としては最後まで赤字のままでした。

 

更に戦後すぐの引揚者の雇用の受け皿として国鉄が必要以上に採用した結果、余剰人員を多く抱えていた事、立場としては公共企業体という「準公務員」扱いで福利厚生の負担も大きいのにそれに見合った国からの支援がなかった事も経営圧迫の一因となります。また、「公共事業体」という立場上赤字ローカル線の引き受け(というか押し付け)をされ、値上げも長年認められなかったにもかかわらず、「独立採算の公共体だから」という事で国からの財政支援は一切ありませんでした。ある意味、国鉄は行政と民間の「悪いとこどり」をした組織であったと言えます。

 

要するに、末期の国鉄は

・一企業では到底返せない借金を抱え、利子返済だけでも1兆円を超えていた

・旅客事業は再生の見込みがあったが、それ以上に貨物事業が足を引っ張っていた

・運輸事業以外の新規事業参入が認められず、赤字を埋めるための収益確保の手段がなかった

・「公共機関だから」と色々負担や制約はあるのに「役所じゃないから」という理由で財政的な支援はなかった

 

と、組合問題や組織の荒廃などの問題を抜きにしても制約やマイナス要素が多すぎ、誰がどう運営しても好転の見込みがない状態でした。抜本的な改革をしなければ改善することはなく、もしこの時点で国鉄問題を先送りにし、従来通りの形態で国鉄の組織を温存して長期債務がズルズルと増えて行けば、今頃国鉄の長期債務は100兆円を軽く突破して今以上に政府の財政や年金の運用を圧迫していたかもしれません。そして、そのツケを払うのは我々国民ですので、今以上に国民の負担が大きくなっていたかも知れません。そういう意味では「今まで通りの形態でやっていく」というのはどう考えても無理ゲーでした。

 

・国鉄が温存されたとしても民営化と大差ない組織になっていた

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上記の事から、国鉄の組織や仕組みをそのまま残す事は「不可能」である事はお分かり頂けたと思います。では、国鉄を残したうえで持続可能な組織に生まれ変わらせるにはどうすればよかったのでしょうか?

 

まず大前提として「長期債務を切り離して利子負担をなくし、国鉄全体の収支を均衡以上にする」ことが必要になります。少なくとも今までの長期債務の大半は国が引き受けて返済し、国鉄に残す債務は多くても数兆円程度にとどめる必要があります。また、鉄道債についても新規の発行には制限を設け、赤字の貨物事業は大リストラ。黒字の旅客事業についても赤字ローカル線の整理は免れないでしょう。さらに独立採算でも運営していけるよう、他の事業への参入も認める必要があります。関連事業の人員は運輸部門の余剰人員を配置転換すれば何とか行けるでしょう。赤字事業の整理と非運輸部門の拡大による収益増加、利子負担の軽減で何とか国鉄は自力で維持できる程度には持ち直すことができるのではないでしょうか?

 

 

 

・・・と、ここまで読んで気付いたと思いますが、これらは全て「国鉄分割民営化」の前後に起こった事です。結局、国鉄問題の根本的な解決方法は「長期債務の処理と自立可能な組織への転換」でしたので、そのために必要な事を考えればおのずと史実の国鉄分割民営化と同じことをする、という結論になるのです。史実との違いは「公営のまま残す」事と「分割しない」事くらいですが、関連事業の参入許可についてはやはり「民業圧迫」の問題が付いて回りますので、国鉄のままだったら認められることはなく、せいぜい駅ビルの自社開発や、駅構内の売店・飲食店経営の直営化が認められるくらいだったのではないでしょうか。

 

・国が介入する余地を残したままだといずれ問題は再燃し、再び経営危機を迎えた

上記のような抜本的な改革をして、国鉄を持続可能な組織に転換させたとしても、懸念事項はまだ残ります。「公共企業体」と言う形を温存すると言う事は、国の介入の余地を残すと言う事。国が事あることに国鉄の運営や新線建設に口を出し、莫大な建設費用がかかる路線の建設や運営を国鉄に押し付ける可能性は十分に考えられます。

流石に赤字ローカル線の建設は鳴りを潜めるでしょうが、ローカル線よりも遥かに建設費がかかる「整備新幹線」の建設を押し付けられた可能性は大きいでしょう。

無論、新幹線なら採算性はローカル線よりも良いとは思いますが、建設費は兆単位となり、債務負担はローカル線の比ではありません。現行の整備新幹線建設スキーム同様、大半の建設費は国や沿線自治体が負担するとは思いますが、「公共企業体」と言う性格上、並行在来線の分離は認められず、引き継ぎ国鉄が経営する事になるのではないでしょうか?建設自体も「国鉄は公共企業体だし拒否権はない」と言う理屈で事実よりも認可→着工のスピードは早かったかも知れませんが、その分国鉄の債務は増え、赤字の並行在来線も増えていくことになります。

 

そして、国の介入を許すともう一つ、「親方日の丸体質」が温存されると言う問題があります。何をするにしても国の顔色を伺うようになり、意思決定のスピードも設備投資も史実のJRよりも遥かに遅く、革新的なサービスや技術、車両は生まれなかったかも知れません。そして気が付けば事なかれ体質が蔓延し、設備投資や技術革新が停滞して設備やサービスが陳腐化し、客離れを招いたことでしょう。そうなれば収益が悪化して再び存続の危機を迎え、分割民営化の議論が蒸し返されて今度こそ国鉄は解体されたかもしれません。同じく半官半民だったかつてのJALが親方日の丸体質を引きずり、最後は経営破たんしていったように。

そう考えると国の介入の余地を無くし、自身の判断で経営判断ができる国鉄の民営化は日本の鉄道の維持には必要な事だったと思います。あくまでも公営で維持するのであれば「公共企業体」と言う中途半端な形にせず、完全に国営にして赤字も全て国がかぶる覚悟をするしかないでしょう。実際、鉄道が国営のままの国はそうしているわけですから・・・

 

・プロセスの手法はともかく、民営化自体はやはり必要な事だった

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以上の事から、長期債務の切り離しと持続可能な組織への転換、国の介入からの解放と言う観点から言えば、国鉄分割民営化は必要な事であり、中曽根氏が国鉄を解体しなければ国鉄の路線はもっと酷い形になり、今の私達に遥かに大きな負担を残したかも知れません。日本の鉄道も今のようには発展せず、特に地方では「前時代の遺物」として扱われ、今以上に多くのローカル線が消えていたかも知れません。

議論の余地があるとすれば、分割民営化のスキームではないでしょうか。採算的に苦しいのが分かりきっている三島会社に関しては本州会社に三島の路線も付けて一体的に運営し、内部補助で維持するという方法もありました。その場合は日本全土を東西二社に分割し、東日本会社に収益性の高い首都圏の路線と東京の遊休地を渡す代わりに東北と北海道のローカル線の面倒を見させ、一方の西日本会社には最大のドル箱路線である東海道新幹線を渡す代わりに四国と九州の面倒を見させる、とすればもっとすっきりした形となり、直通列車やJR貨物との調整がやりやすかったのではないかと思います。実際、その後NTTの持ち株会社化の際は近距離通話や電話設備を東西二社に分割しましたし、日本道路公団の分割民営化も東日本・中日本・西日本の3社に分割となっており、分割時に三島だけを別会社にしたケースはJRくらいです。

しかし、それをやってしまうと不採算ローカル線を余計に抱えてしまうと言う問題があり、これらの赤字を補填するために本州内の路線の利益が廻され、結果的に設備投資に廻すお金が減って本州内の路線の投資が遅れたかも知れません。特に東海道・山陽新幹線は速度向上や車両の技術革新は今ほど進まず、品川新駅はまだ開業していなかったかも知れません。当然、リニアもまだ計画段階のままだったと思います。「旅客会社6社、貨物会社1社」の仕組みも当時の関係者が極限の状態の中で考え、議論した結果のものですから、後世の人間が結果だけ見てダメ出しするのは何か違うのではないかと思うのです。

 

国鉄と言う行き詰まった巨大組織を解体するには相当の労力が必要ですし、決断をして指示をする人がいなければ何も進まず、事態を悪化させるだけだったでしょう。国鉄解体、分割民営化を決断した中曽根氏はやはり偉大な政治家だったと思いますし、的外れな批判だけして決断もせず、責任も取らない今の一部の政治家よりもよほど尊敬できると思います。改めて中曽根氏の功績を称え、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

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日本~ロシアへの路線開設が急に増えてきたワケ

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2020年に日本からロシアへの航空路線が大幅に増えるのをご存知でしょうか?2020年夏ダイヤからの羽田空港の発着枠増加に合わせてJALとANAが羽田~モスクワ線を開設するのは周知の通りですが、ロシア側の方もアエロフロートが羽田~モスクワ線を開設するほか、もう1枠はS7航空に割り当てられ、羽田~ウラジオストク線を夏ダイヤ期間中に就航させる見込みです。

さらにロシア航空当局はアエロフロートとS7航空の他にもオーロラ航空、ウラル航空、ヤクーツク航空にも日本路線への就航を認可。各社の認可路線は後述しますが、つい数年前までは成田~モスクワと極東路線、北海道~サハリン路線程度しかなかった日本~ロシアの航空路線は来年には一気に活発化することになりそうです。

www.aviationwire.jp

 

2020年夏スケジュール以降に就航予定、及び認可された路線は以下の通り。

日本側航空会社

JAL・・・羽田~モスクワ 週7往復(3月29日に成田から移管)

      成田~ウラジオストク 週3往復(2月28日就航、3月29日から週7往復)

ANA・・・羽田~モスクワ 週7往復(夏スケジュール中に就航)

     成田~モスクワ 週2往復(3月29日就航)

 

ロシア側航空会社

アエロフロート・・・関西~モスクワ 週4往復(6月15日就航予定)

※羽田発着路線については就航日・行き先未定。

S7航空・・・羽田~ウラジオストク 週7往復(就航日未定)

オーロラ航空・・・成田~ハバロフスク 週7往復(就航日未定)

ウラル航空・・・成田~ウラジオストク 週7往復(就航日未定)

        成田~クラスノヤルスク 週7往復(就航日未定)

        成田~エカテリンブルク 週3往復(就航日未定)

        関西~ウラジオストク 週4往復(就航日未定)

ヤクーツク航空・・・成田~ペトロパブロフスク・カムチャッキー 週2往復(就航日未定)

 

これらの予定路線が全て就航すれば、日本~ロシア間の航空路線は日本側週16往復、ロシア側週41往復、合計週57往復が増えることになります。アエロフロートの羽田発着路線が成田からの振り替えではなく純増という形だと更に週7往復分が増える計算です。

さらに驚きなのがエアアジアが日本~ウラジオストク線の開設を予定しているとのニュース。エアアジア・ジャパンを使って就航させるのか、既存のエアアジアXの路線を以遠権という形で延長するのかは不明ですが、事実だとしたら10年前は週2便程度しかなかった日本~ウラジオストク路線は第三国のエアラインも参入する過密路線に変貌する事になります。

www.traicy.com

 

 

ちなみに、現在の日本~ロシア路線はどんな感じかというと

 

成田~モスクワ アエロフロート週7往復、JAL週7往復

成田~ウラジオストク S7週7往復、アエロフロート週5往復(運航はオーロラ)

成田~ハバロフスク S7週3往復

成田~イルクーツク S7週2往復(夏期のみ運航)

成田~ノボシビルスク S7週1往復

成田~ユジノサハリンスク オーロラ週2往復

関西~ウラジオストク S7週1往復

札幌~ユジノサハリンスク オーロラ週5往復

札幌~ウラジオストク ウラル航空週3往復(運休中・12月16日から再開予定)

 

合計しても週43往復ですから、来年には一気に倍以上になる計算です。羽田発着路線についてはロシアへの割り当てが日ロ各2枠分、合計4枠あったので納得としても、成田や関空からの路線も増えまくっていますので、ちょっと増えすぎではないでしょうか?

 

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背景にあるのはロシアからの訪日客の急激な増加です。日本政府観光局の調べでは今年1~9月のロシアからの訪日客は前年比22.2%増の8万700人。これはベトナムの29.1%に次ぐ高い伸び率だそうで、近年のロシアから日本へのビザ要件緩和が呼び水となっています。これが日本~ロシア航空路線の開設ラッシュにつながる理由のひとつなのは間違いありませんが、この8万700人という数字、月単位に直すと約9000人弱、1日当たりだと300人程度。ボーイング777クラスの大型機1往復かA320クラスの小型機2往復で十分賄える人数です。いくら伸び率が高いとは言え、これだけでは航空路線が増えまくっている理由としては弱いですよね。

 

もう一つの大きな理由は以前の当ブログの記事でも触れた、一部地域への電子ビザによる手続きの簡素化。2017年8月30日のウラジオストクを皮切りに電子ビザの対象地域は拡大しており、ハバロフスクやユジノサハリンスクなどのロシア沿海地方、今年の10月からはサンクトペテルブルクでも電子ビザでの渡航が可能となりました。JALやANAがウラジオストクへの路線開設を計画したのも、近年成田からロシア沿海地方への路線開設が相次いでいるのも電子ビザの対象地域拡大を受けてのもので、日ロ双方で観光客が増える見込みがあるから日本~ロシア間の路線開設ラッシュが起きたのではないかと思われます。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.jiji.com

 

そして、近い将来には電子ビザの対象はロシア全土に広まるかも知れません。ロシアのプーチン大統領が2021年1月1日以降、外国人観光客向けにロシア全土に入国できる統一電子ビザを導入する方針を示したためです。今の段階ではまだ本決まりではないですが、大統領が公言したという事は実現可能性は高いと思われます。

現在、ロシアに入国するには前述の電子ビザ対象地域以外は正規のビザ取得の手続きを取る必要があり、手続きの煩雑さがロシアへの旅行客を遠ざけている一因です。現在でもウラジオストクなどは電子ビザで簡略化されていますが、他の都市への移動は不可、入国場所も限られるなどの制約があります。統一電子ビザが実現すれば煩雑なビザ申請や移動の制約から解放され、ロシア旅行のハードルはグッと下がるので日本からの観光客が急増する可能性を秘めているのです。

tabiris.com

 

恐らく、2020年の日本~ロシア路線の開設ラッシュはこの電子ビザの対象拡大を見越してのものであると考えられます。航空会社側の思惑通りになる、とは限りませんが、2021年以降に統一電子ビザが実現すれば、ロシアへの観光ブームが起きる可能性もあります。ひょっとしたら数年後には日本~ロシア間の航空路線は日本~中国までは行かなくとも、日本~台湾や日本~韓国の航空路線と同等の規模になるのかも知れません。その為にも是非統一電子ビザは実現して欲しいですね。

 

 ↓ロシアの統一電子ビザができればロシア方面への地球の歩き方などのガイドブックもバリエーションが増えるかも知れませんね。

 

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2020年夏ダイヤ以降のANAとJALの羽田・成田の国際線をまとめてみた

11月19日、ANAとJALは2020年夏ダイヤからの羽田空港国際線発着枠増加に伴う国際線のダイヤを発表しました。大方の予想通り、北米路線を中心に成田→羽田へのシフトが目立つ内容となっています。今回は両社のプレスリリースやニュース記事を基に、羽田発着枠増加後のANAとJALの羽田・成田の国際線勢力図を見て見たいと思います。

 

↓これまでの流れは以下の記事も参照して下さい。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

ANAグループ

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ANAへの羽田発着枠割り当てはアメリカ6枠、中国2枠、オーストラリア・ロシア・イタリア・トルコ各1枠、スカンジナビア3国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)で1枠、インド0.5枠(もう0.5枠は早朝深夜枠活用)の合計13.5枠。今回ダイヤが発表されたのはアメリカとオーストラリア、インド路線ですが、そのほかの地域についても就航先が発表されています。地域ごとに羽田に新設・増便される路線、成田から撤退する路線を見ていきましょう。

 

www.aviationwire.jp

www.ana.co.jp

 

羽田発路線

3月29日から就航(各1日1往復)

サンノゼ・シアトル・ヒューストン・ワシントンDC・デリー・ホーチミン

3月29日から増便

ロサンゼルス(1日1往復→2往復)

3月29日から運休(1日1往復)

ハノイ

夏ダイヤ期間中に開設(1日各1往復)

サンフランシスコ・モスクワ・ミラノ・イスタンブール・ストックホルム・青島・深圳

夏ダイヤ期間中に増便

シドニー(1日1往復→2往復)

 

夏ダイヤが始まる3月29日から一斉に開設、という訳ではなく、初日から運航されるのはサンフランシスコ以外からのアメリカ路線4路線とデリー線のみのようです。3月29日からの路線は後述する成田発着路線からの移管になるので、単純に成田から羽田に移すだけ、とも取れます。夏ダイヤ期間中に開設される路線はいずれも新規開設路線となりますので、相手国との交渉や機材や人員の準備が整った路線から順次開設していくのでしょうか?

羽田に移す路線で注目なのはヒューストン線とワシントンDC線。羽田~ヒューストンは提携相手のユナイテッド航空も申請していましたが却下された路線。その代わりにANAが就航させるという事でしょうか?また、ワシントンDCへ就航しているのはユナイテッドとANAのみですが、ユナイテッドに引き続きANAも移転を決めた事で、日本~ワシントンDCへの路線は羽田のみとなります。一方、サンフランシスコ線の開設とロサンゼルス線の増便、シアトル、サンノゼ線の成田からの移管で西海岸路線は一気に4路線5往復に増えることになります。アメリカ路線全体で見ても9路線10往復に増えることになり、ANAの羽田発着路線の存在感はさらに大きくなりそうです。

更にJALに比べると新規就航地が多いのが特徴的です。羽田からの新規就航はミラノ、モスクワ、イスタンブール、ストックホルム、深圳の5都市と多く、特に欧州の就航地は既存のものと合わせると10都市にまで拡大します。経営破綻前のJALですらここまで多くはなく、現在のJALの欧州の就航地の倍にまで増えることになります。ANA全体でも52都市にまで増えることになり、これも現在はおろか経営破たん前のJALを上回る数。「国内線の全日空」は最早完全に過去のものとなったと言っていいでしょう。

 

成田発路線

3月29日から運休(1日各1往復)

サンノゼ・シアトル・ヒューストン・ワシントン・デリー

3月29日から減便

ロサンゼルス(1日2往復→1往復)

ホーチミン(1日2往復→1往復)

3月16日から開設

ウラジオストク(週2往復)

3月29日から開設(1日1往復)

ハノイ

 

ある意味予想通りと言えるのが成田発着路線。アメリカ発着路線5枠分とデリー線が羽田に移る事で、1日6往復分が成田から消えることになります。特にアメリカ路線はロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、ホノルルの5路線6往復と現在に比べて半減することになり、欧州路線に引き続きアメリカ路線でも羽田と成田の本数が逆転することになります。

一方、夏ダイヤでの新規開設路線は今のところウラジオストクとハノイの2路線のみ。このうちハノイは今回唯一羽田から成田に移管されますが、引き換えにホーチミン線が減便される為、実質的にはウラジオストク線が唯一になります。差し引くと週40便のマイナスとなりますが、全般的には後述するJALグループよりは減便は少ないです。当面は羽田発着路線の就航に力を注ぐことになると思うので、成田路線の拡充についてはそれがひと段落してからになるのではないでしょうか。

 

JALグループ

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JALの羽田発着枠割り当てはアメリカ6枠、中国2枠、オーストラリア・ロシア・フィンランド各1枠、インド0.5枠(もう0.5枠は早朝深夜枠活用)の合計11.5枠。ANAと違い、中国路線以外は全て3月29日からの就航と運航スケジュールが発表されています。ANAが毎年のように新規路線を開設しまくっていたのに比べると、JALは控えめな感じでしたが、その分羽田発着枠増加時に一気に開設する余力を蓄えていたのでしょうか?

 

 

www.aviationwire.jp

 

press.jal.co.jp

 

羽田発路線

3月29日から就航

ホノルル(1日2往復)・シカゴ・ダラス・ロサンゼルス・ヘルシンキ・モスクワ・デリー・シドニー(各1日1往復)

3月29日から増便

ニューヨーク(1日1往復→2往復)

夏ダイヤ期間中に開設

大連(1日1往復)

夏ダイヤ期間中に増便

上海浦東(1日1往復→2往復)

 

今まで傾斜配分で羽田発着枠が抑えられていた分、JALのアメリカ路線は主要都市やハワイ路線への就航・増便が目立ちます。注目なのはホノルル線に2枠分を充てた事。ANAはA380を成田路線に就航させましたが、現状羽田空港にはA380の乗り入れはできない為、A380を羽田〜ホノルルに入れる事は不可能。JALのホノルル線2往復の羽田移転はANAに押され気味だったハワイ路線の反転攻勢のきっかけにするつもりなのでしょう。提携相手のハワイアン航空の枠も合わせると、羽田〜ハワイ路線はJAL-ハワイアン連合が圧倒的なシェアを持つ事になりますので、共同で大規模なキャンペーンを仕掛けるかもしれません。

また、就航日は未定ですが羽田〜大連はJALのみの運行路線になる予定。ですが全般的にはANAに比べると新たな就航地はなく、良く言えば手堅い、悪く言えば地味な路線展開とも言えます。

 

成田発路線

3月29日から運休(1日各1往復)

ダラス・ニューヨーク・ヘルシンキ・モスクワ・デリー・シドニー

シカゴ(2020年2月14日まで)

3月29日から減便

ホノルル(1日4往復→2往復)

2月28日から開設

ウラジオストク(週3往復、3月29日以降1日1往復に増便)

3月29日から開設

ベンガルール・サンフランシスコ(各1日1往復)

7月1日から増便

グアム(1日1往復→2往復)

 

ANAが羽田開設路線の半分は新規就航なのに対し、JALは羽田開設路線の殆どが減便となり、事実上成田から羽田にスライドするだけなのが大きな違いです。3月29日から開設する路線がANAより多いのも実はこの辺りに理由がありそうです。

それでもANAに比べるとウラジオストクやベンガルールへの就航プラス成田ーサンフランシスコ線の開設、グアム線の増便に来年2月からの成田ーシカゴ線の再開と、成田路線も一定の配慮がされているのが伺えます。この為、最終的な成田路線のマイナスは1日6往復、週42往復に抑えられる見込みです。

そしてもう一つ、JALが来年の就航を進めている長距離LCC「ZIPAIR」の成田ーバンコク線(2020年5月24日就航予定)と成田ー仁川線(2020年7月1日就航予定)の開設も控えており、2020年度内にアジアでもう1都市の開設を検討中。2021年にアメリカ西海岸への就航も目指しています。

さらにJAL本体でも2020年度中に成田発着路線を3~5路線追加することを赤坂社長が明言しており、一時的には成田発着路線は減少しますが、ZIPAIRの路線も含めると1~2年程度で回復しそうです。

www.aviationwire.jp

 

まとめ

以上、ANAとJALの羽田と成田の開設・撤退路線をまとめてみました。やはり3月29日以降、成田路線の減便は避けられず、特に欧米路線は羽田が逆転する事になります。これだけを見ると、成田の地盤沈下を懸念する声が出るのも無理はないと思います。

しかし、新たな滑走路を造らない限り羽田空港の発着枠が増える事は当分ないと考えられますので、中長期的には首都圏空港からの路線増便は成田を活用せざるを得ないでしょう。また、JALもANAも成田を国際線乗り継ぎのハブと位置づけており、今後は乗り継ぎ需要を重視した路線や、ウラジオストクのようなホワイトスポットへの路線が増えるものと思います。特にJALは成田の活用や新規路線開設を明言していますので、報道で言われる程成田の将来に悲観的にならなくてもいいのではないでしょうか?

 

 

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鉄道連絡船がルーツの「宇高航路」の終焉・・・109年の歴史を振り返ってみた

・刀折れ、矢尽きた形の四国フェリー

11月8日、岡山県の宇野と香川県の高松を結ぶ「宇高航路」を唯一運行する四国フェリー(運航は2013年から子会社の四国急行フェリーに移管)は12月中旬をメドに宇野~高松航路を廃止する見通しだと報道されました。今のところ四国フェリー側からは正式な発表はありませんが、全国・地方問わず複数のメディアから報道されている事を見ると廃止の方針は間違いないと思います。

 

www.sanyonews.jp

 

topics.smt.docomo.ne.jp

 

報道の通り、12月中旬に四国フェリーが廃止されると宇野~高松航路を運行する会社はなくなり、国鉄の宇高連絡船以来続いていた「宇高航路」は109年の歴史に幕を下ろすことになります。そこで今回は宇高航路の歴史を振り返ってみたいと思います。

 

↓宇高航路についてはこちらの動画もご参照ください。

 

  

・鉄道連絡船から始まった宇高航路

宇高航路の原型となったのは1903年(明治36年)3月18日に開業した山陽汽船商社の岡山~高松航路と尾道~多度津航路でした。この会社は当時山陽本線を経営していた山陽鉄道の子会社であり、山陽汽船商社の航路も鉄道連絡船の性格が強いものでした。

その後、1906年(明治39年)12月1日の鉄道国有化法に伴い山陽鉄道が国鉄に買収され、山陽汽船商社の航路も国有化されます。さらに1910年(明治43年)6月12日の宇野線岡山~宇野間の開通に伴い、岡山~高松、尾道~多度津の両航路を統合する形で宇野~高松間に鉄道連絡航路を開設。これが宇高航路の始まりとなります。以来宇野は四国への玄関口として栄え、鉄道以外の長距離旅客輸送がなかった戦前から戦後すぐにかけて宇野~高松航路は本州と四国をつなぐ重要な動脈として機能しました。

 

・モータリゼーションで民間フェリーも参入・戦国時代に

宇高航路の重要性は戦後になっても変わりませんでしたが、国鉄の連絡船は甲板に貨車を積み込む関係上、自動車輸送ができないと言う弱点がありました。自動車が本格的に普及し始めた1950年代に入ると、宇野〜高松航路に自動車航送をターゲットにした民間フェリー会社の参入が相次ぎます。

 

最初に参入したのは四国フェリーで、1956年5月から運航を開始。ただしこれは貨物航路のみで、旅客輸送は1966年からになります。現在の四国フェリーの主力は小豆島航路ですが、最初に開設したのは宇野〜高松航路であり、いわば「創業の地」と言えます。

次に1959年に津国汽船が日本通運と組んで「通運フェリー」の名前で参入します。先程の四国フェリーと違い、旅客自動車輸送もOKになったと言う点では現在の形に近いと言えますが、車なしの徒歩利用客は乗船を認められませんでした。

そして1961年8月、3番目の事業者として宇高国道フェリーが参入。こちらは当初から旅客輸送も徒歩利用もOKとなり、宇高航路は国鉄、四国フェリー、津国汽船(日通フェリー)、宇高国道フェリーの4社がしのぎを削る激戦区となります。

 

1985年の時刻表を見てみると、四国フェリーは30分毎、津国汽船は40分毎(1984年から自社運航に切替、愛称も本四フェリーに。但しこの時も徒歩乗船はお断り)、宇高国道フェリーは20分毎のいずれも終夜運航とかなりの高頻度で運航されていた事が分かります。

一方の国鉄連絡船は岡山〜宇野間の列車の到着に合わせて運航され、概ねフェリーとホバークラフトが1時間おきに運航されていました。岡山〜宇野間は快速列車で約33〜35分、連絡船は1時間強。乗り換え時間を含めても岡山〜高松間は1時間50分弱で結ばれていました。

同じ宇高航路でも国鉄路線の連絡輸送が使命だった宇高連絡船と自動車輸送が主体の民間3社は立ち位置が違うので大きな対立にはなりませんでしたが、民間3社間、特に四国フェリーと宇高国道フェリーとの競争はかなり苛烈だったようです。

 

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・瀬戸大橋後も続く宇高航路の壮絶な客取り合戦

こうした中、1988年4月10日に瀬戸大橋が開通し、本州と四国が陸路で結ばれる事になりました。JR本四備讃線の開業に伴い、宇高連絡船は前日の4月9日に廃止。その後しばらくは宇野の地域輸送用に高速艇が残されましたが、それも1990年3月に休止され(廃止は翌1991年3月)、宇高連絡船は完全に姿を消しました。

 

一方の民間3社ですが、瀬戸大橋開通後も変わらず運航を続けます。瀬戸大橋を通る高速道路の通行料金が高く、特にトラックから敬遠された為です。

開通当初の児島〜坂出北IC間の料金は普通車5500円と高く、概ね普通車の3倍近くなる特大車料金はべらぼうに高いもの。この為自動車、特にトラックドライバーは通行料金がバカ高い瀬戸大橋よりも、割安で移動でき、船内で休憩できるフェリーを選択します。

民間3社は瀬戸大橋開通後も大きな影響を受ける事なく、相変わらず高頻度運航や運賃競争で客の取り合いを続けました。2004年には四国フェリーと津国汽船が共同運行に踏み切りますが、もう一方の国道フェリーとは相変わらずのツバ競り合い。本数も四国フェリー、国道フェリー双方1日50往復ずつ、合計100往復と多頻度運航が続きました。

 

・「休日1000円」がきっかけで衰退する宇高航路

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転機となったのは2008年10月からのETC休日割引(半額)及び2009年3月から始まったETC休日割引の上限1000円でした。この割引は瀬戸大橋にも適用されて高速料金は一気に下がり、自動車輸送は一気に瀬戸大橋に転移しました。それ以前からも瀬戸大橋の値下げや割引は段階的に行われていましたが、ETCの普及と急激な割引拡充が道路とフェリーのパワーバランスを一気に崩した格好です。

 

そして、宇野〜高松間のフェリーは急速にその勢力を縮める事になります。2008年4月に国道フェリーが50往復から37往復に減便したのを皮切りに、9月には四国フェリーが平日44往復、休日40往復に減便。そして2009年4月1日には津国汽船が宇野〜高松航路から撤退しました。ちなみに津国汽船はその後しばらくは宇野〜直島間の航路を運航していましたが、2012年に破産して消滅しています。

そして2009年12月20日、遂に四国フェリーと国道フェリーは双方とも1日22往復に減便した上で、減便の穴を埋めるべく共同運航を開始します。犬猿の仲だった2社が手を結んだ事は世間を驚かせましたが、言い換えればそれだけ宇野〜高松航路が追い込まれている証でもありました。

 

ところが2010年2月12日、四国フェリーと国道フェリーは四国運輸局に3月26日での航路廃止を申請します。共同運航開始から2ヶ月足らず、まさかの双方同時ドロップアウトです。

しかしこの時は高松市・玉野市のみならず香川・岡山両県も航路存続を求めて運動し、両県の議会も運航継続の支援を行政に求める意見書を提出します。これを受けて国道フェリーは3月4日に廃止申請を取り下げ、続いて四国フェリーも3月11日に廃止申請を取り下げたため宇高航路は一転して存続する事になりました。

 

・気が付けば運行会社は残り一社に。そして・・・

しかし、その後の支援策はなかなかまとまらず、国も「全額支援は制度上無理」と国費での支援に難色を示しました。法定協議会で運行会社とフェリーターミナルの統合、割引及び一部運賃の値上げなどの経営改善案が提示されましたが、実行に移される事はありませんでした。

そして宇高航路を運行する2社のうち、国道フェリーの命運が尽きてしまいました。2012年6月に終夜運航を中止したのち、2012年10月17日の運航を最後に宇野〜高松間の運航を休止。その後運航を再開する事はありませんでした。ちなみに、宇高国道フェリーは会社自体はまだ残っているようで、社員は関連会社に配置転換されたようです。

 

残った四国フェリーも経営は厳しく、2013年4月から子会社の四国急行フェリーに宇高航路を移管。その後2014年7月16日に1日14往復に減便、終夜運航も取りやめました。わずか6年前は100往復、終夜運航だった事を考えると瀬戸大橋の料金引き下げの影響がいかに大きかったかがわかります。

ちなみに、この年から瀬戸大橋を含む本四架橋は他の高速道路同様全国の運賃プール制に組み込まれ、架橋部分の割増料金を除いた分は他の高速道路と同水準となりました。一般料金はほぼ変わりませんが、ETC割引だと二千円前後となり、価格面でのフェリーの優位性はほぼ失われました。

その後2015年3月には10往復、2017年4月には5往復に減便され、かつて4社合わせて何十隻もの船が行き交っていた宇高航路はたった一隻での運航にまで縮小してしまいました。そう考えると今回の廃止は時間の問題だったのかも知れません。

 

・まとめ

報道の通り、四国フェリーが撤退すれば長年本州と四国を結ぶメインルートだった「宇高航路」は名実ともに終焉を迎える事になります。減便を繰り返しながらジリ貧となっていった末期の宇高航路の姿を思うと「刀折れ、矢尽きる」と言う表現が当てはまります。

宇高航路消滅のきっかけとなったのは瀬戸大橋の急激な値下げであり、これだけを見ると宇高航路は「国の政策に振り回されて追い込まれた」と取れます。しかし、それ以前は瀬戸大橋の高い通行料金のおかげで大きな影響を受ける事なく経営を続けられた訳であり、「国の政策のおかげで延命できた」とも取れます。いずれにしても、平成に入ってからの宇高航路は国の政策に左右された歴史と言えるでしょう。

 

行政の支援にしても2015年に沿線自治体が「船舶修繕」の名目で拠出した年間3000万円の補助金が全てであり、それも2017年度からは1500万円に減額されました。この程度では航路存続には焼け石に水であり、将来的な船舶の更新も考えると先が見えない状態でした。夏頃から自治体に採算悪化を理由に宇高航路の撤退を示唆しており、四国フェリーにとってはこれが「最後通告」だったのかも知れません。

前回の時と違い、今回は本数も少なく廃止になっても大きな影響はないと思います。それでも瀬戸大橋を渡れない原付や自転車の利用者にとっては移動手段が失われる事になり、影響はゼロではありません。今回の宇高航路の廃止は海上輸送の存続の意義や支援のあり方を投げかけているのではないでしょうか。鉄道に比べると地域が限られる航路の存続問題はどうしても影に隠れがちですが、それでも地域の生活に必要な航路については何らかの支援が必要な時期に来ているのではないでしょうか。

 

【11月11日追記】

四国フェリーから正式に航路休止の発表がありました。四国運輸局に12月16日からの航路休止を届けており、最終運航日はその前日の12月15日(日)となります。休止の理由として四国フェリーは「度重なる瀬戸大橋通行料金のETC割引拡充により輸送数量が激減しており、コスト削減も限界だった」としており、無念さがにじみ出ています。とりあえず航路廃止ではなく休止なので、将来の航路復活の可能性は一応残されてはいます。しかし、宇高国道フェリーの例を考えても将来環境が激変してフェリー需要が復活したり、行政が航路存続に足りるだけの支援を確約しない限りは航路復活はないでしょう。このまま新たな事業者が現れない限りは、12月15日で「宇高航路」109年の歴史は幕を下ろすことになりそうです。

 

www.shikokuferry.com

 

trafficnews.jp

 

今後は瀬戸大橋を使う事が出来ない125cc以下の小型バイクや自転車の本州~四国間の足をどうするかという問題が発生します。とりあえず考えられるのは小豆島経由で四国に渡る方法です。前述の四国フェリーには姫路~小豆島(福田)、新岡山港~小豆島(土庄)、小豆島(土庄)~高松の3航路があるので、これらを駆使すれば何とか四国には行けそうです。また、神戸~高松のジャンボフェリーや大阪南港~東予・新居浜のオレンジフェリーといった中長距離フェリーの利用も有効ではないでしょうか。

また、宇野~高松間の移動に限れば宇野~直島航路と直島~高松航路の乗り継ぎで移動は可能です。但し、直島~高松航路は小型バイクや自転車が搭載可能なフェリーは1日5往復しかないのが厳しいところ。乗り継ぎを考慮したダイヤではないので、あまり使い勝手がいいとは言えなさそうです。

 

最後に、将来的な宇高航路復活の可能性として、明石~岩屋間を運行する「淡路ジェノバライン」の事例にも触れておきましょう。元々は2001年11月に運航を休止した富島ー明石航路を引き継ぐ目的で設立された会社で、下着・宝飾販売の「ジェノバ」が親会社です。その後2007年に明石~岩屋間の高速船事業を引き継ぎましたが、元々の航路だった富島~明石航路は2008年に休止されました。

その後、明石~岩屋間でフェリーを運航していた「たこフェリー」が2010年11月15日に運航休止となり、今回の宇高航路同様、小型バイクや自転車が淡路島に向かう手段が失われます。明石海峡大橋は瀬戸大橋同様自動車専用道路なので通行不可能。淡路島航路自体バイク・自転車積載不可のジェノバラインしか残っておらず、その後しばらく小型バイクや自転車は自走で淡路島に行けないという事態が続きました。

そんな状態が解消されたのは2015年、淡路市が小型バイク・自転車積載可能な100トン級の高速船を購入し、淡路ジェノバラインに運航委託するという方法で小型バイクと自転車の航送が再開されてからでした。これにより5年ぶりに小型バイクや自転車で淡路島に向かう事が可能となり、近年の自転車ブームと相まって淡路島一周ルートの重要なアクセス手段となって現在に至っています。

www.jenova-line.co.jp

 

将来、宇高航路が復活するとしたらかつてのようなカーフェリーではなく、淡路ジェノバラインのような小型バイク・自転車のみ搭載可能な小型の高速船という形が現実的かも知れません。とは言え、淡路島航路は「他に移動手段がなかった」という切羽詰まった事情と引受業者があったから復活できたわけで、一応は代替手段がある宇高航路は厳しいのではないかと思います。それに、これまでの行政の宇高航路に対する腰の重さを見る限り、自前で船を用意するような機外はなさそうですし・・・

残念ながら、宇高航路はこのまま「過去の思い出」となって行きそうです。

 

 

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旅行中の食事をただ晒すだけ(8/31〜9/2 東京・福岡)

9月から引っ張ってきた「JALのA350に就航初日(2便目)に乗ってきた」シリーズ、大分間が空きましたがこれで最終回にしたいと思います。これまでの記事はこちらをご覧下さい(数が多いので一部省略)

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

で、最後に何をやるかというと、旅行中の食事を晒すだけの食レポもどきですw

 

・・・いやホラ、ブログに限らずグルメネタって結構需要あるでしょ?

まあ、私自身の備忘録的要素もあるのですが、よろしければお付き合い下さい。

 

まずは初日、8月31日の昼食から。羽田空港で撮影をした後、溝の口の川崎図書館に行く前に腹ごしらえをしておこうと羽田空港内のフードコートで済ませることにしました。とは言っても折角の東京、何か江戸前っぽいものを食べたいよなと思ってると、「天ぷらたかはし」と言うテイクアウトの天丼があったので買ってみました。買ったのは真ん中の「月」でお値段950円。ついでに「KOEDOビール」?という不思議な(棒)飲み物があったので買ってみました。お値段450円。

天丼は作り置きの物だったのですが、まだ温かかったので美味しく頂きました。多分冷めても美味しいやつだろうと思うのですが。天ぷらはなす、ピーマン、しそ?、温玉、キス、イカ、エビの7種が入っていて値段の割には種類が多い!甘辛いタレが天ぷらにもご飯にもよくなじんでいて食と飲み物が進む進むw個人的には温玉がヒットでした。タレのかかったご飯に半熟の黄身を乗せて食べるともう・・・

 

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しかし後で調べて見るとこの店、とんかつチェーンの「和幸」の新業態だそうで、どこかの老舗が羽田空港に出店、という訳ではなかったようです。とは言え、今のところ「天ぷら たかはし」はこの1軒のみですから他では味わえないという事には変わりなく、全般的に高めの価格設定となる空港内の店にしてはかなり良心的でコスパのいい価格設定なのではないかと思います。リーズナブルに美味しいものを食べたいというならおススメです。

そう言えばこれを食べた時はまだ消費税増税前の値段でしたが、10月以降はこの店は8%と10%、どちらで売られているんでしょうか?

 

 

 

夕食は御徒町駅前の「寿し常 御徒町店」で取りました。「立ち食い寿司」という看板に妙に引かれたのと、「江戸前の寿司がどんなものか試してみるか」という魚にうるさい富山県民の妙な対抗心が生まれたのでw事前情報なしで入ったのですが、後で調べて見ると東京・大塚発祥で東京を中心に展開するすしチェーン店だったようです。


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まずは恒例の御徒町ゴールデンサイダーを(違)

 


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2日目、9月1日の昼食は蒲田駅の成城石井内にある沖縄料理店でソーキそばを注文。今回は沖縄全く関係なかったんですが、食べられるうちに食べとこうと思ったのと、「そう言えばしばらく沖縄そば食べてないなー」程度の考えでした。お惣菜とカレー食べ放題が付いていたのに惹かれたのもありますがw

味はまあ普通の沖縄そばって感じでしたが、美味しかったのと写真にはないけどオリオンビールソーダが飲めたので満足。

 
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そして夕食は福岡に到着し、ホテルにチェックインした後に取りました。最初は折角来たのだからと中州の屋台と考えていましたが、結局はホテルにあったグルメマップに載っていた「博多荘」さんに行くことにしました。グルメマップによると「現存する最古の博多ラーメンの店」だそうで、これは行って見ないと!と思ったからです。まあ、中洲の屋台はいつでも行けるしホテルからも微妙に遠かったし。 


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入り口横の看板には「創業昭和21年」と書いてあります。という事は今年で創業73年。老舗と言っても良いくらいの歴史がありますね。でも店内はいたって普通のどこの飲み屋街にでもありそうなラーメン屋。言われなければスルーしたかも知れません。 

 


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 まずは当然のように博多ゴールデンソーダを注文。

 


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 ラーメンの前に博多一口餃子やもつ煮込みをつまみつつ、ゴールデンソーダを流し込みます。やっぱラーメン屋の飲みはゴールデンソーダに餃子ですよねw

 


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 そして〆にお目当てだったラーメンを。スープを一口飲んでみてびっくり!普通豚骨ラーメンと言うと白濁スープで豚骨特有の臭みがあり、どちらかと言えばトロっとした感じなんですが、博多荘さんのスープは白っぽいは白っぽいのですが白濁というほどではなく、若干透明感があって臭みも少なかったんです。そしてスープはあっさりしつつもコクがあり、全般的に優しい感じ。豚骨スープ=こってりと言う私の豚骨ラーメン感がいい意味で崩される、凄く美味しいスープでした。ついついスープ飲み過ぎて替え玉できなかったくらいw(そうでなくとも既につまみとサイダーでお腹一杯でしたが)

正直、今まで食べた豚骨ラーメンの中で1,2を争うくらい美味しいラーメンでした。また博多に来たら食べに行きたいです。というか絶対行きたい!

 

 

 

9月2日・最終日。昨日はラーメンだったので今日は福岡の柔らかいうどんを食しておきたいところ。最初お目当ては博多駅の「牧のうどん」でしたが、朝はやっていませんでした・・・食べても食べても減らない増殖するうどんを食べて見たかったw

仕方がないので荷物預けと撮影も兼ねて一旦福岡空港に行き、3階のフードコートで見つけた「因幡うどん」で「ごぼう天うどん」を注文しました。ごぼう天はゴボウそのものに衣をつけて揚げるタイプと、写真のようにかき揚げ状になっているものがあります。スープはいりこだしのあっさり目ですがコクや旨味がしっかりあり、柔らかい麺によく馴染みます。近年の讃岐うどんブームでコシの強い麺が好まれていますし、どちらかと言うと私もコシの強い方が好みなのですが、柔らかい麺だと出汁の旨味を吸ってくれるので、いりこだしのスープと合わせるなら柔らかい麺もアリだなと思いましたし、かなり気に入りました。


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貝塚公園や博多南線などを廻って福岡空港に戻り、再びフードコート内で昼食。今度は肉が食べたかったので「ローストビーフ&ステーキ ANZU」で牛ハラミステーキを購入。隣には当たり前のように麦入り炭酸飲料が置かれていますが気のせいです。ご飯頼まなかったしセーフだよね?(何が)


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 さて、食事も取ったし、ちょっと早いですが保安検査を受けて搭乗ゲートに行きますか。今度はもう少しゆっくりと福岡や九州を廻りたいなあ。

ああ、そう言えば福岡のゴマサバは食べずじまいだったな。あれで一杯やれたら最高だろうなあ。まあ、次の機会のお楽しみに取っておくか・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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あれ?なんで目の前にゴマサバと井戸水が置いてあるんだろうなー

これって夢かなあー?(棒)

 

 

 

 

 

 

・・・実は保安検査を過ぎた後にも飲食店は結構あったんですよ。羽田の第二ターミナルだと大抵はANA系列の売店や軽食コーナーくらいだったのでノーマークだったんですが、その中でひときわ目を引いたのがこちらの「しらすくじら」さん。まさか制限エリア内に本格的な海鮮居酒屋があるとは思いませんでした。


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で、気になってのぞいて見ると、食べたいと思っていたゴマサバが置いてある!幸か不幸か時間もあったし気が付いたら入店して注文してましたよ、ええ。1000円でドリンク3杯とおつまみ1品がセットになった「せんべろセット」もありましたが、ゴマサバを食べたかったのと、既に一杯煽って来たのに更に3杯も呑んだらこの後飛行機→電車→高速バスと乗り継いで富山まで帰らないといけないのに足元が覚束なくなったらマズい、と判断し、グッと我慢してゴマサバ単品と地酒(銘柄は忘れたw確か比良松だったっけ?)を注文しました。お値段はゴマサバ780円、地酒580円の合計1360円とこっちの方が高くつきましたが、一度はあきらめていたゴマサバを思う存分食べられたし地酒も美味しかったので満足。

 


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ただ一つ失敗したなと思ったのは窓際に席を取らなかった事。入口に近い方に座ったのですが、しばらくしたら目の前にJALのA350がスポットインしてきたんですよね・・・入店した時は気にも留めなかったのが悔やまれました。先に気付いて窓際の席を確保していれば、就航2日目のA350を眺めつつゴマサバと地酒を堪能するというこれ以上ない体験ができ、写真も取り放題だったのに・・・これは絶対にリベンジしないと!

 

ちなみに夕食は名鉄百貨店で弁当買って帰りの高速バス車内で食べましたが、写真を取り忘れたので省略。

 

 そんなわけで旅行中の食事を晒してきましたがいかがでしたでしょうか。今回はJALのA350がメインだったので食事に関してはほとんど調べずに行ったんですが、結果的に上手い事美味しいものにありつけたので満足です。

 

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遂に再上場に動いたスカイマーク、ANAとの関係はどうするの?

 

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10月30日、スカイマークは東京証券取引所に上場申請を行ったと発表しました。また、これに伴い佐山会長の代表権を返上し、代わりにインテグラルからスカイマークに派遣された西岡成浩取締役が専務に昇格の上代表権を持つことになります。佐山会長はスカイマークに50.1%を出資する投資会社「インテグラル」の代表取締役でもあるため、上場準備会社の代表取締役を兼務できないため代表権を返上するそうです。また、新たに代表取締役となった西岡氏は外資系投資銀行のモルガンスタンレー出身の40歳。その若さで代表権を持つとは相当優秀な方なんでしょうね。将来の社長候補でしょうか?

 

www.aviationwire.jp

 

https://www.skymark.co.jp/ja/news/detail/__icsFiles/afieldfile/2019/10/30/191030_news1_1.pdf

 

2015年1月の経営破たんから4年10か月、今年3月期の決算では売上高882億円と過去最高を記録し、昨年からは破たん後久しぶりに新造機を購入し保有機数を29機に増やしました。今回の再上場申請でいよいよ経営再建の最終段階に移行したと言えます。今後は日本取引所自主規制法人が審査したうえで上場の可否や時期が決まるため、現時点での再上場時期は未定。スカイマークは再上場で調達した資金を国際線の拡充に充て、収益力の強化を図りたいとしています。

www3.nhk.or.jp

 

さて、再上場に向けた動きが本格化する中、ANAとの関係をどうするのかという問題もそろそろ決着を付けなければならないのではないかと思います。恐らく再上場時に現在の株主がどれだけ放出するかで動向が読めてくるのではないでしょうか。

現在のスカイマークの株主構成はインテグラル50.1%、日本政策投資銀行と三井住友銀行が設立した投資事業組合が33.4%、ANAホールディングスが16.5%となっています。このうち政投銀とSMBCの投資事業組合保有分は投資資金回収の為、再上場時に売却される可能性が高いと思われます。

 

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問題は残るインテグラルとANAホールディングスの動向です。まずインテグラルですが、短期的な利益追求型ではなく、長期的視点で経営支援を行うタイプの投資会社ですので、スカイマークが再上場したからと言って即全株売却となる事はまずないでしょう。というより代表の佐山氏が引き続き会長職にとどまり続けるわけですから、再上場後一部保有株は放出すると思いますが、ある程度は株式保有を続けて影響力を残す可能性が高いと思います。

 

一方のANAホールディングスですが、スカイマークが独立志向である事やANAの予約システム導入を拒否している事、保有比率が20%を超えると持ち分法適用会社となり、国交省から羽田発着枠の返還を求められる可能性がある為、再上場を機にスカイマーク株を買い増し、という事はまずできないと思います。

しかし、スカイマーク再建の際、資金面や人員面で支援を行ったANAとしてはスカイマークとのコードシェアをそう簡単には諦められないでしょう。もっと言えばスカイマークのスポンサー選定時にANAと競り合い、来年3月から羽田に拠点を移すデルタ航空も、日本側のパートナーとして再度スカイマークに手を出す可能性も考えられますので、みすみす保有株を手放してデルタとスカイマークの接近をアシストする気もないでしょう。恐らく再上場後も株式を手放さず、引き続き持ち分法適用会社にならない程度に保有を続ける可能性が高いと思います。

 

www.aviationwire.jp

 

しかし、それでは再上場後もスカイマーク株を売って利益確定もできず、かと言って株を買い増して買収するわけにもいかない袋小路に陥ってしまいます。スカイマークにしても今のどっちつかずの状況は好ましいものではないはずです。いずれ今後の両社の関係をどうするか、話し合う時期に来ているのではないかと思います。再上場のスケジュールが決まった段階で何らかの方向性が決まるのか、それとも決着がつかないまま再上場の日を迎えるのか。再上場のスケジュールとともに気になるところです。

 

↓スカイマークとANAの関係についてはこちらの記事もどうぞ。

www.meihokuriku-alps.com

 

 

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来年羽田に初就航⁉オーストラリア第二のエアライン「ヴァージン・オーストラリア」って何者?

オーストラリアの国際航空サービス委員会は10月21日、羽田空港の発着枠2枠について、カンタスとヴァージンオーストラリアの2社に1枠ずつ配分すると発表しました。正式決定は24日になりますが、オーストラリアの公正取引委員会も1枠ずつの配分を支持しており、カンタス側の異議申し立ての動きもなさそうなので、このまま認められる公算が大きいです。

www.aviationwire.jp

 

計画ではヴァージンオーストラリアは来年3月から羽田〜ブリズベン線を新規就航予定。カンタスは羽田〜シドニー線の増便と羽田〜メルボルン線を成田から移管する予定でしたが、1枠しか認められなかったのでどちらかを選択する事になります。オーストラリアからはジェットスター以来の新規参入航空会社になりますが、ヴァージンオーストラリアと言う会社、日本ではANAとのコードシェア便はありますが、馴染みの薄い会社と言えます。果たして、どんな会社でしょうか?

 

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ヴァージンオーストラリアはオーストラリア第2位の航空会社で、前身は2000年に設立されたヴァージン・ブルーになります。本拠地は羽田から就航予定のブリズベンで、オーストラリア国内線の他ニュージーランドや南太平洋地域地域、ロサンゼルスやアブダビ、香港などに就航しています。

「ヴァージン」の社名にある通り、当初はリチャード・ブランソン率いるイギリスのヴァージングループのLCCとして設立されました。最初は2機のボーイング737-300型でシドニー〜ブリズベン線に参入し、その後オーストラリア第2位の航空会社だったアンセットの倒産もあって経営規模を拡大して行きます。

 

順調に経営を拡大しているように見えますが、業績はあまり思わしくありませんでした。2005年にオーストラリアの複合運送企業・パトリックグループがヴァージン・オーストラリアに敵対的買収を仕掛け、最終的には62%の株式を取得して経営権を握ります。一方、ヴァージングループも25%の株を保有し続けました。

その後ヴァージンオーストラリアの株はニュージーランド航空、シンガポール航空、エティハド航空、ヴァージングループの4社が20%前後を保有していましたが、その後2016年にニュージーランド航空が株式を手放し、中国の海南航空グループと南山グループが取得。2011年には現在の社名に変更し、LCCからフルサービス寄りのハイブリッドLCCに転換しています。

 

そんなヴァージンオーストラリアですが、どうやら経営的にも株主構成的にも安泰とは言えなさそうです。規模的にはオーストラリア第2位ですが、経営は赤字続きで最近も750名の人員削減を発表。株価も0.16オーストラリアドルと低迷しており、経営状態はあまり良くなさそうです。

一方の大株主も海南航空グループやエティハド航空は経営再建中。今後ヴァージンオーストラリア株を手放す可能性も否定できません。そんな中での羽田〜ブリズベン線の就航は起死回生のチャンスと言えます。

 

経営的には不安要素がありますが、ヴァージンオーストラリアの参入は長年JALとカンタスグループのワンワールド勢が圧倒的に強かった日本〜オーストラリア市場に大きな変化をもたらす事になるでしょう。互いに切磋琢磨して利用者にとってプラスになるよう頑張って欲しいですね。

 

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