〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

日本エアシステム(JAS)が生き残る可能性はあったのか?

世間ではどうしてもコロナ関連のニュースが多く、ブログ界隈でもコロナ関連に話題が引っ張られがちですが、当ブログはあえてコロナ関連の話題は極力控えようと思います。不透明要素が多いコロナ関連の話題は憶測で書いてはいけないと思いますし、何より航空関係だと暗い話題になりがちで書いてて気が滅入ってきますからね。

 

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というわけで今回は先日完結編をアップした「東急の空への夢」関係の記事を書いていきたいと思います。今回は日本航空(JAL)との統合で幕を閉じた日本エアシステム(JAS)が単独で生き残る可能性があったかを考察してみたいと思います。

 

 


名航空会社列伝 東急の空への夢 最終回「今を生きる東急の空への夢」

 

動画内でも紹介した通り、史実のJASは2001年にJALとの経営統合を決断し、その後段階的な統合フェーズを経て2004年3月31日にその名前が消滅。2006年10月1日には日本航空インターナショナル(現日本航空)に吸収されてその歴史に幕を閉じました。

動画内ではJASが統合を決断した背景として国際線事業の失敗や新機材投入による投資の負担増などで有利子負債が増大したことと、五島昇氏の死後、東急グループ内でのJASの必要性が低下し、東急グループの経営不振でJAS放出に動いた、としています。背景やJASの資金力を考えると東急の支援なしに生き残るという可能性は薄かったように思いますが、実際のところ、本当にJASが生き残る可能性はなかったのでしょうか?いくつかのケースを考えてみました。

 

ケース① このままJASが東急グループに残留

先に結論から言うと「残留の可能性はほぼなかった」と思います。2000年当時の東急グループは自社鉄道路線の沿線開発への回帰を進めており、東急の鉄道路線との相乗効果が薄い事業や全国各地の東急系列のバス・タクシー会社の整理に手を付け始めていました。また、グループ全体で兆単位の有利子負債を抱えている東急からすればほかの事業との相乗効果が薄いうえに4000億円の有利子負債を抱え、買い手さえつけば株式売却益が見込めるJASは「できれば早々に処分したい会社」だったのではないでしょうか。日本航空という「JASを欲しがっている会社」がいるのであれば猶更だと思います。仮にアメリカ同時多発テロがなかったとしても、早晩JASは東急グループから出される運命だったのではないのでしょうか?

 

ケース② 外資系航空会社の支援を受ける

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上位2社に大きな差をつけられているとは言え、JASは日本第3位の航空会社であり日本各地に路線網を張り巡らせているので、外資系の航空会社から見れば魅力的な投資案件です。もし外資に助けを求めれば、JASと提携関係にあったノースウエストや、日本市場強化を狙っていたと思われるアメリカン航空やデルタ航空、大韓航空などを手を挙げる会社はあったと思います。

しかし、これも可能性としては「あり得なかった」と思います。2001年当時はまだ外資系企業に対するアレルギーは強く(今も強いですが)、いわゆる「ハゲタカファンド」による日本企業の買収が問題視された時期。特に電機や自動車といった日本の基幹産業や、インフラ関係の企業に関する外資買収アレルギーは相当なものだったと記憶しています。

航空法の規定で外資系企業や外国人投資家などが日本の航空会社の株式の3分の1以上を持つことは不可能ですが、それでも過去日本の航空会社が海外の航空会社の出資を受けたことは基本的にないことを考えると(最初から外資との合弁を前提にしていた一部LCCは除く)仮にJASが外資系航空会社との資本提携を相当な反発があったのではないかと思います。外資参入に比較的寛容に思えるアメリカでさえ、KLMのノースウエスト航空出資やブリティッシュエアウェイズのUSエア出資には強硬に反発したことを考えると「他国の航空会社に自国の交通インフラを牛耳られる」ということは官民問わず大きな反発が予想されるため、かなり厳しかったのではないでしょうか。「外資に乗っ取られるくらいなら日本のライバル会社と統合したほうがマシ」と考えても無理はないと思いますし、国交省も認可しなかったのではないでしょうか。

 

ケース③ 資金力のある他業種が買収

東急の支援も望み薄、外資の支援もダメとなると、残る可能性は「他業種からの参入」となります。今ならweb上での旅行事業を持つ楽天や、マイレージ会員の購買力やビッグデータが欲しい大手流通グループや通信系企業、単純に参入障壁の高い航空事業への参入に興味を持った資金力のある会社など興味を示す会社はあるかも知れませんが、これも2001年当時では「望み薄」ではなかったでしょうか?

2001年当時の日本の景気状況は1997年~98年の金融危機からようやく立ち直り、ひと息付いた頃。その一方で90年代後半に起こったIT企業の株式高騰・いわゆる「ITバブル」の崩壊でIT関連銘柄が軒並み下落し、景気後退局面に入っていました。今では日本を代表するIT企業のソフトバンクは当時はまだまだ小さく、楽天も2001年当時はベンチャー企業の域を出ていませんので、これらの会社はJAS買収どころではなかったと思います。

JAS自身も自動車メーカーや他の交通系企業などに出資を打診したようですが、色よい返事はもらえませんでした。航空業に「夢」や「ロマン」を感じた1960年代ならまだしも、2001年頃というと航空事業は「お金がかかる割に儲からない」という認識が広まっており、積極的に参入する大企業はほとんどいませんでした。実際、1998年からの航空自由化の際に新規参入した会社のうち、大手企業はスカイマークに出資したHISくらいで大半はベンチャー企業の域を出ませんでした。そう考えるとJASに出資して積極的に航空事業に参入しようと考えた大企業が現れたとは考えにくいです。

 

まとめ

以上のことから、残念ながら2001年当時で考えるとJASが単独で生き残れた可能性は低かったのではないかと思います。個人的にはJASはいろいろとユニークな試みをやっていて好きな会社でしたし、今JASがいたらどんなことをやっていたのかと考える時もありますが、当時のJASを取り巻く状況や財務体質、買収候補がいなかったことを考えると、単独での生き残りはやはり難しく、JALとの統合が当時はベターな選択肢ではなかったかと思います。考えてみれば当時のJASの規模は「単独で生き残るには小さすぎ、買収するには(特に負債が)大きすぎた」のではないかと思います。そう考えるとなおのこと、90年代の長距離国際線進出はやはり背伸びをしすぎたのかもしれません。

 

 

 

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