〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

東急の大番頭・東亜国内航空再建に尽力した田中勇ってどんな人?

前回の記事でもお伝えしましたが、先日「東急の空の野望」第2回をアップしました。

【8月18日追記】現在第5話までアップしています。諸事情によりYouTubeでは現在4,5話のみアップ、ニコニコでは全話アップしています。ニコニコの方のリンクを全話分張っておきますので、興味のある方は是非ご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 

第2回でこの話の主役ともいえる東急電鉄副社長・田中勇氏が本格的に登場してきました。彼が東亜国内航空の社長に抜擢(押し付け?)された理由は動画内でも簡単にお伝えしましたが、この動画で田中氏の事を知った方も多いかと思います。

今回は動画の補足説明として、田中勇氏の経歴をご紹介しましょう。なお、田中氏の経歴については本所次郎氏著の「昭和の大番頭 東急田中勇の企業人生」という本を基に書いています。現在は絶版になっているようですので古本でしか買えませんが、田中氏に興味を持たれた方は是非買って読んでみて下さい。

 

 

 

田中勇氏は明治38年(1906年)、茨城県水戸市に生まれ、大正15年(1925年)に東京高等工業学校電気科を卒業、その直前に東急の前身の一つ、目黒蒲田電鉄に入社しました。この時面接官だったのがその後の田中氏の人生に大きな影響を与える社長の五島慶太。「明日から来るように」と言われましたが「まだ卒業免状をもらっていない」と田中氏が答えたのに対し「俺は卒業証書を雇うんじゃない、お前を雇うんだ」と言ったエピソードが残っています。

本社電気課車輛係から東急でのキャリア(当時はまだ前身会社ですが)をスタートし、昭和3年(1928年)に元住吉工場に異動、昭和9年(1936年)には渋谷~新橋間の地下鉄建設を目指す「東京高速鉄道」に出向します。しかし田中自身は目蒲電鉄に戻りたがっていたようで、地下鉄開通後、上司に帰任を求めますが相手にされません。それならと勝手に目蒲電鉄に出社し空いている机に陣取って勝手に仕事をするという力技で既成事実を作り、その後正式に辞令が下りて目蒲電鉄(この年に東京横浜電鉄と合併し、社名も東横電鉄になります)に戻りました。

何とも無茶苦茶ですが、東京高速鉄道はその後昭和16年に東京地下鉄道と合併し、営団地下鉄になって東急からは離れましたから、もしここで強引にでも東急に戻っていなかったら、田中氏のその後の人生は全く違っていたかもしれません。

 

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東急に戻った田中氏は元住吉工場長、車両課長、修車部長を歴任し、1946年には取締役、次いで車輛部長となります。ここまでの経歴を見てお気づきかとは思いますが、田中氏の経歴は技術畑、それも車両部門が大半で、動画内で紹介したような上田丸子電鉄の買収や伊豆急の再建と言った経営サイドには全く結びつきません。実際、1955年に常務取締役に昇進するまでは運輸部長や電車部長と電車の運行に関わる部門のトップとして戦災復旧に奔走してきました。昇進も実績の割には事務方の同期に比べると遅かったようで、田中氏自身も取締役のまま会社人生を終えることになると覚悟していた時期もあったようです。

 

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田中氏が本格的に企業経営や買収に携わるようになるのは1958年の上田丸子電鉄の買収からでした。この頃は東急会長に復帰した五島慶太が手当たり次第に買収を進めていた時期であり、百貨店の白木屋や自動車メーカーの東急くろがね工業、定山渓鉄道・函館バスなど北海道の交通系企業、伊豆下田電鉄(現伊豆急行)設立による伊豆半島進出などを同時進行で進め、各方面の買収には子飼いの役員に当たらせました。

そして東急の買収の手は上信越地方にも向けられます。慶太が長野に目を向けたのは故郷の青木村への思い入れもありますが、伊豆や北海道同様、信州や越後にも東急グループの企業を作り、上信越国立公園を中心に観光事業で一大勢力を築くという野望、そして軽井沢の別荘開発で大成功を収めた西武グループの総帥、堤康次郎に対する対抗心もあったと思います。

そして、上信越方面の拡大作戦の陣頭指揮を執る事になったのが常務となった田中勇氏。上田丸子電鉄の買収は先方の課長クラスの幹部が東急に持ち掛けたものでしたが、東急傘下に入るのを良しとしない経営陣と対立し、結局乗っ取りとなった経緯がありました。買収後、田中は上田丸子電鉄の会長に就任し、この会社を足掛かりに白馬山麓や菅平高原の開発、地元旅館の買収などを進めて行きます。

また、長岡鉄道社長を務めていた田中角栄の要請で、新潟県長岡市に本拠を置いていた中越自動車の買収にも乗り出しました。田中勇氏が角栄氏と親交を持ったのもこの頃で、その後中越自動車買収に成功した東急は田中氏を社長を送り込みます。その後、中越自動車は長岡鉄道、栃尾電鉄と合併し、越後交通となりますが、その際、田中勇が社長、角栄が会長に就任しました。関連会社とは言え、彼に取っては初めての社長の椅子で、その後合併後の労働争議や、豪雪や水害といった自然災害にも対処することになります。

 

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そして1962年5月、想定よりも大幅に建設費が膨らんだ事で100億円近い借金を抱え、鉄道部門も赤字の伊豆急行の再建のために副社長として乗り込むことになります(社長は東急社長の五島昇)そこで彼がまず行ったのは徹底的な経費節減と、政治献金や寄付金のカット。経費節減はそれ自体が目的と言うよりも社員に会社の窮状を身をもって知ってもらうため、そしてコスト意識の植え付けという意識改革的な部分が大きいもので、後の東亜国内航空の再建でも同じ手法が用いられます。あまりのケチっぷりに五島昇氏はいつしか彼の事を「ケチな副社長=ケチ副」と呼ぶようになり、以後「ケチ副」は田中氏の愛称となって行きます。その後伊豆高原の温泉付き別荘販売や民宿の育成、ゴルフ場の整備などで観光需要を増やし、見事伊豆急の再建に成功します。

 

こうした田中氏の実績が認められて1966年には東急本体の専務に昇進、1969年には副社長に昇進します。この頃には五島慶太時代からの子飼いの腹心は田中を除いてグループ会社に出され、東急本体の経営からは離れて行き、名実ともに田中氏は東急のナンバーツーとなり、実務的に東急グループを取り仕切る存在となりました。その後1973年に東亜国内航空社長に就任し、TDA再建に尽力するわけですが、ここから先は動画のネタバレになってしまいますので割愛します。

 

東急社員としての田中氏は職務に忠実で、東急企業団の存続とグループ社員の雇用を守る事が第一と言う考えの根っからの会社人間でした。その一方でただ会社の言いなりになるような事はなく、目蒲電鉄復帰の為の勝手に出社など反骨心の持ち主でもありました。それでいてユーモアや茶目っ気があり、田中角栄の応援演説やロッキード事件の公判で証人として法廷に立った時もユーモアたっぷり、皮肉たっぷりの話術で爆笑の渦に巻き込むなど、エピソードには事欠かない人でした(本当はそのエピソードも書きたいところですが、長くなりすぎてしまうのでまたの機会に)

副社長となってからは社長の五島昇氏が財界活動で忙しくなったこともあって、東急グループの実務一切を取り仕切りました。重要な案件以外は五島氏の判断を仰がず、副社長の権限で全て決裁していたようで、「東急には社長が2人いる」と揶揄されるくらいでした。一方で田中自身はあくまでもナンバーツーの立場を崩さず、常に社長の五島氏を立て、いざと言うときには泥をかぶる事も躊躇しませんでした。グループの大半の決済を自分でしたのも、危うい案件を自分の責任で決済することでいざと言うときは責任が自分一人にかかるようにするためであり、少なくとも東急社内では「大番頭」であり続けました。東亜国内航空社長としての主人の顔と、東急副社長としての大番頭の顔。大抵はリーダー向き、サポート役向きとタイプが分かれるものですが、両方をこなせた田中氏は稀有な存在と言えます。

 

プライベートな部分では「ケチ副」の異名通り、ぜいたくには興味なく質素な生活を送っていました。たばこは1日に何箱も吸うヘビースモーカーでしたが、昼食は大抵蕎麦やパンなど軽く済ませ、背広も擦り切れるまで着続けまます。また、万が一東急を辞めることになった時に備え、給料はあまり使わず蓄財に廻すなど私生活でも倹約に努めました。田中氏がTDA社長就任の噂が流れた際に東急を辞めると言い切れたのも長年の貯えがあったから。一方で趣味らしい趣味はほとんど持たない仕事人間でしたが、唯一麻雀だけは熱中していたようで、コミュニケーションツールの一環として部下や取引先、果ては運輸省の幹部や全日空社長の若狭得治氏らと麻雀を囲んでいたようです。

 

何か書いているうちに結構な量になってしまいましたが、これでもまだ大分端折った方です。田中氏は2000年に95歳で大往生を遂げましたが、彼の没後18年、今では五島慶太や五島昇を知っている人はいても、田中勇の名前を知っているという人は少ないと思います。しかし調べれば調べるほど彼の波乱万丈な人生や、厳しさとユーモアを併せ持った彼の人間的魅力にも魅了されていきます。お陰でこのシリーズが長くなる長くなる・・・(笑)

シリーズが完結したら、改めて田中勇氏について総括したいと思います。まずは話を進めないと・・・

 

 

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