〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

単なる「2代目のボンボン」ではなかった五島昇氏の大きな功績

「東急の空への夢」第7話をアップしました。現在YouTube、ニコニコ動画双方で公開中ですので、是非ご覧下さい。


東急の空への夢7話「叶う夢・志半ばで果てる夢」国際線進出の陰で・・・

 

さて、今回でTDA設立の原動力となり、ある意味このシリーズの主人公の一人とも言える五島昇氏が退場しましたが、このシリーズだけ見ている方、特にTDA設立までの経緯や田中勇氏をTDA社長にするための裏工作だけを見てしまうと「五島昇はロマンの為に航空事業に手を出して大やけどし、その尻拭いを自分よりも年上の田中勇に押し付けるために時の総理まで担ぎ出して社長の椅子に座らせた」という少々情けない役回りになってしまってます。それ故ニコニコでのコメントも五島昇氏に手厳しいものが結構ありましたし、実際、五島慶太存命時の昇氏の評価は「仕事に熱を入れない、ゴルフ三昧の遊び人」と典型的な放蕩息子扱いで、カリスマ五島慶太亡き後の東急はガタガタになる、というのが世間の下馬評でした。

しかし実際の五島昇氏はカリスマ五島慶太亡き後の東急グループを上手く再編し、現在の基盤を確立した「東急中興の祖」であり、父慶太の負の遺産を整理する一方、本業の鉄道と関連性の高い事業を育て上げて選択と集中を行った「守勢の人」でした。また、財界活動を通じて幅広い人脈を築き、中曽根政権時にはブレーンの一人として行財政改革に関わっています。今回はそんな「東急中興の祖」五島昇氏について紹介していきたいと思います。

 

五島昇氏の功績1 「選択と集中」で東急グループの基盤を確立した

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1959年に父五島慶太氏が亡くなり、名実ともに五島昇氏が東急グループの実権を握ると、昇氏は東急グループを本業の鉄道との関りが深い交通、不動産、流通、レジャー、ホテル事業を中心とし、関連性の薄い事業からは段階的に手を引いて行きました。後述する東洋精糖買収からの撤退を皮切りに、東急くろがね工業、日東タイヤ工業、東映グループ、国民相互銀行など関連性の薄い企業を東急グループから切り離して行きました(東映については別の理由もあるので後述)。

その一方で、昇氏の時代には現在でも東急グループの中核を担う企業や事業がいくつも誕生します。東急不動産の建設部門を分離する形で誕生した東急建設、「西部警察」の制作にも関わった広告代理店の東急エージェンシー、全国チェーンの東急ホテルグループは五島昇氏の時代に設立されたものですし、「東急ハンズ」の生みの親も昇氏です。また、渋谷のランドマークの一つである「渋谷109」を生み出したのも昇氏。元官僚だった父慶太氏がハード面重視の大規模開発志向だったのに対し、レジャー事業や流通・ファッション事業と言ったソフト面の事業に注力したのはかつて遊び人だった昇氏らしいと言えます。父慶太とは別のベクトルで天性の才能があったのではないでしょうか?

 

 

功績2 五島慶太の「負の遺産」を処理して後顧の憂いを絶った

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東急グループの事実上の創業者である五島慶太氏は「強盗慶太」の異名通り、時には強引な手を使った買収を重ねて東急を大きくしていきました。特に晩年は子飼いの役員を派遣して日本各地の地方私鉄やバス会社、旅館・ホテル、スキー場などの交通・レジャー事業を買い漁ったり、名門百貨店の白木屋乗っ取り事件や、オート三輪メーカーの日本内燃機製造、四輪車メーカーのオオタ自動車工業の買収(のちに両社は合併して東急くろがね工業に)、国民相互銀行(のちの国民銀行、1999年経営破たん)への資本参加、果ては東洋精糖の乗っ取りを画策して執拗に買収工作を仕掛けるなど、手当たり次第に買収を仕掛けて行った感があります。

しかし慶太が買収した企業は本業とのシナジー効果が見込めなかったり、経営が悪化した企業ばかりで、いずれ東急グループの重荷となる恐れがありました。昇氏は「無理に買収を止めれば寿命を縮めるかも知れない」と思ったのと当時はまだ社内での発言権が弱かったこともあって父の暴走を止めることはできませんでしたが、1959年に五島慶太が亡くなり、自らがグループの総帥となると、「東急グループの仕事からはみ出している分野」「父がやみくもに買収して自分の手には負えない企業」を切る決意をします。

 

まず慶太の死後1か月も経たないうちに、父が最後まで執着していた東洋精糖買収からの撤退を決定。この時東急は東洋精糖株の過半数近くを買い占めていましたが、東洋精糖側も買収阻止の為新株発行や法廷闘争で対抗するなど泥沼化しており、このまま買収しても遺恨が残り、東急グループとのシナジー効果も得られないと判断した昇氏は保有していた東洋精糖株の全てを売却し、買収から手を引く決断をしました。買収に関わった社員からは昇への恨み節も出ましたが、この素早い決断と実行は財界や世論には好感を持って迎えられ、五島昇氏と東急のイメージ向上、そして五島氏自身の経営能力の疑念を払しょくする効果がありました。

また、動画内でも触れていますが自動車メーカー・東急くろがね工業の法的整理とグループ離脱も、父慶太の負の遺産の整理の一つでありました。この法的整理で東急は当時の金額で何十億と言う負債を抱え、昇氏自身も大きな非難を受け、マスコミに追い回されましたが、法的整理をしなければ東急グループ全体に修復不可能な傷を与える可能性があったため、荒療治をしてでも早期に整理する必要があったためでした。なかなか撤退の決断をできずに傷口を広げる経営者が多い中、敢えて非難の大きい法的整理をしてでも早期処理を選んだ昇氏の決断力と忍耐力は並みの経営者ではないでしょう。

 

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そしてもう一つ、父慶太の腹心中の腹心であり、東急グループ内でも大きな影響力を持っていた東急副社長兼東映社長・大川博を、東映の分離独立という形で切り離したことも、結果的には東急グループの確執の火種を排除し、グループの内部分裂を防ぐことになりました。元々運輸官僚だった大川は五島慶太のヘッドハンティングを受けて1942年に東急に入社し、大東急の事業分割や東急フライヤーズ(後の東急フライヤーズ、現北海道日本ハムファイターズ)の買収などで辣腕を振るいました。戦後の公職追放で五島慶太が東急から離れている間も経営の根幹に関わって東急を守り、1951年には倒産寸前だった東映の社長に就任してわずか数年で経営再建に成功。一時は五島慶太も大川を次期社長にすることを考えたほどのやり手でしたが、それ故昇との折り合いは悪く、昇が東急の総帥となった後はむしろ東急グループの内部分裂の火種となりかねない存在となりました。

そこで昇は1964年、東映を分離独立させる形で東急グループから離脱させます。東急は東映と言う「手切れ金」を大川に渡す形で将来の禍根を断ち切り、大川は名実ともに東映グループのオーナーとして「一国一城の主」となったわけです。東映グループの分離で東急グループは一時的に縮小しますが、最大の政敵を切り離したことで、結果的に東急グループは五島昇の下で結束する事になり、東急内での五島家の地盤を確固たるものにすることができました。

 

功績3 伊豆開発や田園都市開発などの「父の夢」はきっちり実現した

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その一方で五島慶太の悲願であった伊豆急行線の建設や、多摩田園都市の開発は父の計画通りに遂行しました。開業の伊豆急の経営危機にも腹心の田中勇氏を送り込んで再建に尽力したくらいですから、伊豆への思い入れは深いものだったと思います。特に南伊豆への思い入れは強かったようで、昇は休暇を南伊豆で過ごすことが多かったようです。朝四時に下田東急ホテルの近くから船を出し、夜に戻るまでずっとマグロやカツオを追いかけ、夜には釣り上げた魚を捌いて東急グループの主要企業の社長で酒盛りをする、というのが恒例でした。

また、多摩田園都市構想については五島慶太が亡くなった1959年に最初の分譲が始まり、1966年には田園都市線溝の口~長津田間が開業。この頃に初期の土地区画整理が終わり、多摩田園都市への入居が本格化しました。この開発が軌道に乗ったことで、東急は東急くろがね工業破たんの時の負債を一掃する事が出来、田園都市線は東横線と並ぶ東急のドル箱路線に成長します。また、多摩田園都市の成功をきっかけに不動産事業は鉄道と並ぶ東急の主力事業となり、東急不動産が不動産大手の一角に君臨するきっかけを作りました。

 

功績4 環太平洋地域の開発と交流に貢献した

東急グループを発展させる一方、五島昇氏は「環太平洋経済圏構想」という夢を持っていました。ハワイやグアム、パラオや太平洋沿岸の都市にシティホテルやリゾートホテルを建設し、それらの点を航空路と言う線で結んで人の流れを作り、経済効果を生み出すという構想で、環太平洋地域へのホテル建設や航空事業への執着はこの構想を実現するために必要なものでした。

結果的には五島昇氏の死とともにその構想は潰え、御存じの通り航空事業のJASはJALと統合して東急から離れ、環太平洋地域のホテル事業を担った「パンパシフィックホテル」も2007年に売却されてしまいましたが、ホテルチェーン自体は今でも残っており、オーストラリアや東南アジア、中国、カナダを中心に展開しています。

また、昇氏は事業開発だけでなく、現地の要人とも交流して人脈を築き、ホテル開発の際も極力自然を守る形で建設を進めました。まだリゾート開発の際の環境問題がクローズアップされる前の話ですから、昇氏は短期的な利益ではなく、長期的視野に立って自然と調和した息の長い開発を志していた事が伺えます。結果的には失敗となった「環太平洋経済圏構想」でしたが、現地のリゾート開発と日本からの観光客誘致には少なからず貢献したのではないでしょうか。

 

 

以上、「五島家の2代目」であり、「東急グループ中興の祖」とも言える五島昇氏の功績について見てきました。五島家は東急グループの企業の株をほとんど持っておらず、五島慶太個人の求心力でグループが結束していたようなものですから、資本力に頼れなかった昇氏は自らの力で東急グループをまとめ上げる必要がありました。もし五島昇氏が本当に「世間知らずのボンボン」であったなら、大川氏を始めとした東急グループの役員が結託して早々にグループから叩き出されていたと思います。そうなることなく、父親同様にグループの総帥として君臨し続けたのは、昇氏に実力とカリスマ性があった証明になるのではないでしょうか。

東急グループが空中分解しなかったのは紛れもなく五島昇氏の求心力のおかげですし、父が起こした企業集団を上手く時代に合わせて作り替え、現在も続く一大グループに育て上げたのは五島昇氏の手腕のおかげでしょう。無論、その脇には田中勇氏を始めとした優秀な役員が昇氏を支えたのも大きかったと思いますが、並みの人物では東急グループをここまで大きくすることはできなかったと思います。そういう意味では五島昇氏は非凡な人物であり、父親同様偉大な方だったのではないでしょうか。

 

 

 

 

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石巻観光と「猫の聖地」田代島訪問記

石巻駅に到着後、目的地の田代島へ移動します。石巻と田代島・網地島を結ぶフェリー「網地島ライン」を利用しますが、石巻側の発着地は市街地の「中央発着所」と河口近くの「門脇発着所」の2か所があり、今回は比較的駅から近い中央発着所から乗る事にしました。

路線バスもありましたが時間もあったし街歩きも兼ねて徒歩で向かう事にします。石巻市は漫画家・石ノ森章太郎氏が中高生時代に石巻市の映画館に通っていた縁で「石ノ森萬画館」を始めとした漫画で町おこしをしています。

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町のあちこちには「サイボーグ009」や「仮面ライダー」など、石ノ森章太郎先生の作品のキャラクターがモニュメントとして設置され「石巻漫画ロード」と銘打っています。田代島行きのフェリーには時間がありましたので、ゆっくり歩きながら「漫画ロード」を散策することにしました。

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また、石巻市は東日本大震災の際に甚大な被害を受けた町の一つであり、震災関連死も含めると3552名の方が亡くなり、未だ420名の方が行方不明のままです。石巻の町は復興が進んではいますが、所々に工事中の場所もあったり不自然に空白な場所があったりと、震災の爪痕は完全には消えていませんでした。

 

 船の時間までまだ間があったので、「石巻復興まちづくり情報交流館中央館」に行ってきました。震災の被害やその後の復興状況、震災前の石巻市の写真などを紹介しており、改めて震災の悲惨さ、自然災害の恐ろしさを感じました。福島第一原子力発電所の事故のイメージから福島県の被害が大きいように思えますが、被害は宮城県の方が大きく、石巻市の死者数は3537人と宮城県内の死者の3分の1を占めています。

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 さて、田代島は飲食店が少ないようですし、お昼時なので乗船前に昼食を済ませてしまいましょう。立ち寄ったのは「石巻元気いちば」。震災後に作られた観光施設で、一階は地元石巻の特産品や海産物、お土産やお総菜などが売られている物産館、2階はフードコート形式で石巻の海産物などが手軽に楽しめる「元気食堂」が営業しています。石巻の観光拠点の一つとなっており、川を挟んだ向かい側には「石ノ森漫画館」の建物も見えます。この日も地元の人や観光客でにぎわっていました。

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2階の「元気食堂」で何を食べようかとメニューを物色。アナゴ天丼や海鮮丼、カキフライ定食と言った石巻の海の幸に心惹かれ、迷いましたが、選んだのは「ローストホエール丼」。クジラの肉をローストビーフ風にしたどんぶりで、クジラ肉を食べて見たかったのとタレとわさび醤油、お好みの味で食べられるのに惹かれました。石巻はかつては捕鯨が盛んだったこともあり、このほかにもクジラの竜田揚げ定食などのクジラ料理が食べられます。商業捕鯨が再開されたとはいえ、クジラ肉が食べられる場所もまだまだ珍しいですし、増してやローストホエールなんて他では食べられなさそうだと思ったので、悩んだ挙句これに決めました。当然のように横に黄色い飲み物がありますが気のせいです。

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屋内にも席はありますが、せっかくいい天気ですし、テラス席で石巻の町を眺めながら頂くことにしました。ローストホエールはタレとワサビ醤油、2種類の味が楽しめますが、タレで頂くと洋風のガツンとした肉系のお味、ワサビ醤油で頂くとタタキのような魚系の味で楽しめるから不思議なものです。横にある黄色い飲み物との相性も良く、我ながら良いチョイスだったと満足しましたw

 

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さて、時間になりましたので田代島へ向かいましょう。石巻から田代島へのアクセスは網地島ラインのフェリーのみで、石巻発も9時、12時30分、15時発の3便だけ(季節や船の整備状況などで変わる場合あり)しかも15時発の便ではその日のうちに石巻に帰ることはできないので、日帰りで行くなら9時か12時30分発の便で行くしかありません。 今回は9時発の便は高速バスの到着時間の関係で利用できず、翌日も昼から東京に向けて移動する予定だったので、結果12時30分の便で田代島に向かい、滞在2時間足らずで最終便で引き返すというルートで向かうことにしました。

写真のフェリー「マーメイドⅡ」で田代島に向かいます。中央港からの乗客は少ないですが、駐車場がある門脇港からは結構な数の乗船客が乗り、程よく座席が埋まりました。以前は釣り客くらいしか訪れない島だったそうですが、島には以前から「漁の守り神」として多くの猫が生息しており、近年はテレビなどでたびたび取り上げられたことで「猫の島」として注目され、多くの観光客が訪れるスポットになりました。むろん私もお目当ては猫ですw

 

そして50分ほどでフェリーは田代島の中心である仁斗田港に到着。船を降りると早速第一島猫発見w港周辺だけで5,6匹の猫がいました。

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 その後帰りのフェリーの時間まで約2時間近く、仁斗田港周辺を中心に猫を探して散策しました。島の猫は意外と長毛や長い尻尾など明らかに海外産の猫の血も混じっていそうな猫も多く、結構バラエティーに富んでいました。お陰で動画の代理猫確保猫の写真撮影が捗る捗るw

5年ほど前に香川県の男木島に行った時もそうでしたが、島の猫って天敵がいないからか、全般的にのんびりしていて人への警戒心も薄いんですよね。島の人からエサももらっているので完全な野良猫というわけではありませんが、島全体で大切にされている印象を受けました(ちなみに観光客がエサをあげるのは厳禁です)

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 予想はしていましたが、2時間足らずではやはり時間が足りませんでした。島の中央にある通称「猫神社」や、北側の大泊港周辺へは時間的都合で訪問を断念。いつかまた訪れたいと固く決意しました。今度は思い切って民宿に泊まってみようかな・・・ハードル高そうだけど。

 

15時30分頃の船で田代島を後にし、フェリーと電車を乗り継いでこの日は仙台に宿泊。次の日は午前中に仙台空港を訪れた後東京に向かいます。

 

 

 

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「前略 雲の上より」連載終了・・・空港や飛行機の写真でその魅力を伝えてみる。

 

 

個人的に好きだった飛行機・空港愛にあふれた漫画でした

最近私が注目しているのが「前略 雲の上より」というマンガ。一言で言えば「空港や飛行機の魅力やあるあるを紹介する漫画」であり、月刊エアラインなどの航空系雑誌でも度々紹介されているので、航空ファンの方ならご存知の方も多いかと思います。

 

・・・が、先日公式Twitterで「最終回」の文字を見て驚きました。基本単行本派だったのでまだ最終回は見ていませんが、結構ショックです・・・現在は単行本は6巻まで出ていますが、この分だと次に出る7巻が最終巻になるのでしょうか?今のところは電子書籍版で買っていますが、布教用に単行本も買おうかな・・・

 

 

そんなわけで今回は今更ながら「前略 雲の上より」の魅力をネタバレにならない程度でお伝えしてみようと思います。とは言え、作品の画像をベタベタ貼り付けるのも著作権的にはよろしくないので、私が撮り溜めた飛行機や空港の画像を使ってご紹介します。ちょっとでも作品の魅力が伝わって単行本を買おうという気になってもらえると幸いです。

 

「前略 雲の上」の大まかなあらすじと世界観

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物語はとある企業の若手社員、桐谷健一が初めての出張で北海道に向かう所から始まります。彼はいわゆる「意識高い系社員」で、ビジネスでの成功以外には興味がなく、初めて乗る飛行機も「ただの交通手段」と冷めた様子。しかし羽田空港に到着して同行する竹内課長と出発ロビーで合流すると思いきや、電話で課長に呼び出されたのは展望デッキ。飛行機初心者の桐谷は課長から空港や飛行機に関してのダメ出しを受け、空港を堪能する課長に振り回されます。そう、竹内課長は飛行機と空港に対して異常なまでの愛情を注ぐ、生粋の飛行機オタクだったのです(本人は否定も肯定もしていませんが)

 

・・・という感じで、基本的には飛行機に興味がない桐谷が出張のたびに最強の飛行機オタクである竹内課長に日本各地の空港を連れまわされ、飛行機や空港の魅力を叩きこまれる、という内容の1話から2話完結のオムニバスストーリーになります。取り上げられた空港は羽田や伊丹、関空と言った主要空港はもちろん、仙台や鹿児島と言った地域の拠点空港や、庄内や松本と言ったローカル空港、八丈島などの離島空港まで様々。空港の見所(一部マニア向け)や空港グルメ、展望デッキからの飛行機の離着陸風景や空港周辺の観光スポット(半分はマニア向け)や撮影スポット(完全にマニア向け)を紹介してくれるので、航空ファンはもちろん、旅行や出張などで飛行機を利用する機会のある人も楽しめるのではないでしょうか。

 

最終的に取り上げられた空港はいくつ?

 

作品内で取り上げられた空港は以下の39空港です(一部単行本未収録の回もあり。抜けている空港が会ったらごめんなさい)

 

北海道(6)

新千歳空港、さっぽろ丘珠空港、女満別空港、釧路空港、とかち帯広空港、函館空港

 

東北(5)

青森空港、秋田空港、仙台空港、山形空港、庄内空港

 

関東(3)

羽田空港、成田空港、八丈島空港

 

中部(6)

新潟空港、松本空港、静岡空港、富山空港、小松空港、中部国際空港

 

近畿(3)

大阪伊丹空港、関西国際空港、南紀白浜空港

 

中国(4)

岡山桃太郎空港、広島空港、山口宇部空港、出雲空港

 

四国(3)

高松空港、松山空港、高知空港

 

九州(7)

北九州空港、福岡空港、長崎空港、熊本空港、宮崎空港、鹿児島空港、沖永良部空港

 

沖縄(2)

那覇空港、宮古空港

 

日本で定期路線が就航する空港は86ですから、まだ半分も行っていなかったんですね。利用者数100万人以上の空港だと旭川空港、県営名古屋空港、神戸空港、徳島空港、大分空港、石垣空港がまだ登場していませんし、それ以外でも行政機関が入居し道の駅指定された能登空港や昨年定期路線が復活した下地島空港、伊豆諸島のコミューター路線専門の調布飛行場にLCC仕様の茨城空港などネタになりそうな空港はまだまだ多いだけに、連載終了は本当に残念です。

 

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個人的には県営名古屋空港に行って元国際線ターミナルのエアポートウオーク名古屋を堪能する課長を見て見たかった・・・

 

「前略 雲の上より」の4つの魅力 

それでは、ここからは個人的「前略 空の上より」の魅力を解説していきましょう。

 

魅力①綿密な取材に基づいた空港や飛行機の描写

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原作者の竹本真先生は日本全国ほぼ全ての空港に訪れたそうで、この漫画も竹本氏の実体験に基いたネタが結構あります。また、竹本先生や作画担当の猪乙くろ先生も執筆前には実際に空港に行ってロケハンもしますし、単行本には竹本氏の空港ごとの裏話なども掲載されています。

それだけに漫画で描かれる空港や飛行機の描写は忠実そのもの。空港だけでなく周辺の風景も丁寧に描かれていて、漫画を見ているだけで空港に行った気にさせてくれますし、実際に行ってみたいと思わせてくれます。個人的には地元の富山空港の回で出てきた神通川の河川敷の絵がツボでした。飛行機と神通川と立山連峰のコントラストは絵になる風景ですが、実際に足を運ばないとそれだけの絵は描けないと思います。

 

魅力②かゆいところに手が届く「空港小ネタ」

この漫画の魅力は、普通ならスルーしてしまうようなネタも丁寧に拾っているところ。例えば秋田空港の回で出てきた記念コイン。普通ならなまはげの等身大モニュメントや釣りキチ三平のレリーフで十分満足するところですが、辛うじて記念コインにその姿をとどめるかつてのシンボルキャラクターにスポットを当てるあたり、この漫画のディープさを表しています。

また、マニアが喜びそうな空港内の施設を紹介しているのもこの漫画の特徴。大多数のなど年末に仙台空港を訪れた際は、この漫画に出てきた「とぶっちゃ」にも実際に行って実際のビジネスクラスの座席やA300-600Rのコクピットを見てきました。この漫画を見てなかったら多分スルーしてたかもw

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魅力③空港グルメや観光など飛行機に詳しくなくても楽しめる要素

とは言え、ディープな空港小ネタに特化していたら飛行機マニア以外の支持は得られず、もっと早く連載が終わっていたと思います。「前略 雲の上より」は「空港のおすすめスポット紹介漫画」の要素もあったからこそ、ここまで連載が続いたのではないかと思います。

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特に充実しているのは「空港グルメ」。大抵の空港ではその空港内のレストランなどで食べられる「空港グルメ」を紹介しています。一例を挙げると関西空港のスカイホール「コンコルド」の機内食(昨年12月で閉店)、富山空港のブラックラーメン、鹿児島空港の鶏飯バイキング、南紀白浜空港のパンダカレーなど。「空港グルメ」の描写だけを見ても、空港で時間をつぶすのも悪くないなと思わせてくれます。

 

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また、空港やその周辺の観光スポット(ただし半分は飛行機絡み)を紹介してくれるのもこの作品の魅力。例えば出雲空港の縁結びスポットや松山空港のミカンジュースが出る蛇口など、飛行機ファンでなくとも興味をそそるスポットが紹介されています。また、空港周辺の見どころにも触れてくれるので観光気分も楽しめます。鹿児島・宮崎空港や帯広空港での女子会旅行回では後半は観光スポットの紹介が中心でしたし、松本空港の回では空港そのものよりも隣接するスポーツ公園の紹介のほうがメインになっていたくらいです。

その一方で熊本空港や富山空港などの飛行機撮影スポットや飛行機が眺められる公園、小松空港向かいの航空プラザなど、マニア向けのスポット紹介も充実しています。特に注目なのが度々登場する「ミニ滑走路」。事あるごとに竹内課長は桐谷にミニ滑走路からの「離陸」を強要しており、その度に桐谷が断固拒否したり何かと理由を付けて回避しようとするのが「お約束」になっています。

 

・・・桐谷でなくとも普通の感覚を持った人なら大の大人がミニ滑走路で飛行機ごっこするのは嫌だと思いますがw

 

魅力④変態個性的なキャラクター

そして、「前略 雲の上より」の最大の魅力と言えるのが一癖も二癖もある変態個性的なキャラクターでしょう。この多彩で特徴的なキャラクターがいたからこそ、「前略 雲の上より」は単なる空港紹介漫画にとどまらず、読者の心をひきつけたのではないかと思います。

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まずは主人公の桐谷や竹内課長のいる営業一課に所属する女子社員の繭田さん。一見するとちょっと気の強い感じの美人女子社員ですが、寝るのが大好きで快眠できる環境を研究した結果「飛行機で寝るのが一番気持ちいい」という結論に達し、「寝るためだけに飛行機に乗る」という常人には理解できない趣味を持っています。まあ、確かに乗り物でうたたねするのって結構気持ちいいですが、寝るためだけに高い金出して飛行機に乗る人なんてまずいないですから、繭田さんは立派な変態です(それ以外は比較的まともなんですけどね)

そして営業一課にはもう一人、橋本さんという女子社員がいます。こちらは繭田さんのような変態要素はありませんが、お姉さんの旦那さん(既に故人)がパイロットなので飛行機と無縁というわけでもありません。その橋本さんの姪で大阪在住の西野チカは亡き父の面影を飛行機に求め、バイトでお金を貯めてはLCCに乗りまくっているなど、なぜか飛行機に縁のあるキャラクターが多いです。この他にも空港カメラ女子で密かに竹内課長の弟子入りを狙っている経理課の育山さんや、その育山さんが好きだけど高所恐怖症の菊坂さん、物語後半に登場し、営業一課に配属されたアイドル並みの容姿とオーラを持ちながら実は竹内課長並みに強烈な飛行機マニアの星野聖子といった飛行機に縁のある女性キャラクターが物語に花を添えてくれます。ともすれば男性キャラばかりになりがちなテーマや内容なだけに、個性的な女性キャラが航空ファン以外の男性読者を繋ぎ止めたと言っても過言ではない?

 

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一方、飛行機のライバルと言えば鉄道ですが、鉄道側の代表(?)として竹内課長の前に立ちはだかるのが鉄道好きな変態社員が集まる営業二課の渡丈一郎。桐谷を営業2課に引き抜こうと、事あるごとに課長と桐谷の出張先に現れては鉄道の魅力をアピールしようとします。小倉出張に行くのにわざわざ終点の博多まで乗って引き返す「博多返し」で大喜びしたり、静岡駅を通過する「のぞみ」に拍手喝采したりと中々の変態ぶりですが、実はかつて竹内課長の営業一課にいた過去があり、昔は桐谷以上の「飛行機好き」だったようです。それがなぜ飛行機嫌いになり、鉄道に走ったのか。渡の過去と心情の変化も見どころの一つ(?)です。

 

とまあ、様々な変態個性的なキャラクターがいますが、一番の変態はもう一人の主人公である竹内課長でしょう。この人の飛行機と空港に対する知識と愛情は作品中ダントツであり、その反動からか、異常なまでに鉄道(特に新幹線)を毛嫌いしています。「飛行機マニア以外の人も楽しめる」と書きましたが、事あるごとに鉄道をディスりまくる竹内課長の言動はかなり過激なので、鉄道大好きな人は読まない方が良いかもしれません(笑)

 

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竹内課長は普通の人はもちろん、並みの飛行機マニアでも絶対にやらないような様々な伝説を作っています。飛行機に乗るときは2時間前に空港に着いて飛行機と空港を堪能するのは序の口。この人は飛行機と空港を堪能するためなら(そして大嫌いな新幹線を回避するためなら)どんなことでもしますし、飛行機を愛するあまり物議を醸す発言をしたり変態的な特技を身に着けていたりしています。その一端をご紹介しましょう。

 

朝食を食べに行くためだけに飛行機で山口宇部空港に行く

・「飛行機より電車のほうが良い」と言った子供にマジ切れし「あんな地べたを這いずる乗り物を好きになったら一生浮かぶことのないみじめな人生を送ることになるぞ!」と凄む

・飛行機の傾きだけでどのあたりを飛んでいるかが分かる

・エンジン音だけで機種を言い当てる

・スケジュールに6時間の空きができると八丈島往復して時間を潰した

・新幹線を回避するために女子会内の仲間割れを煽って飛行機に乗らざるを得ない状況を無理やり作り出した

・静岡出張の際、新幹線を回避するために無理やり福岡のアポをねじ込んだ(しかも往復分)

 

 

・・・書けばまだまだ出てくるのですが、これだけでも竹内課長の変態特異ぶりがお分かり頂けるでしょう。

しかし、この「極端な飛行機オタク」な竹内課長と「飛行機には興味ないが潜在的な飛行機オタクの素質はある」桐谷のコンビは飛行機や空港の魅力を伝えるには最適な組み合わせでした。マニア的な視線は竹内課長、一般人的視線は桐谷が受け持つことで双方の視点から空港や飛行機の魅力を楽しむことができたからこそ、この漫画が航空ファンとそれ以外の読者の支持を受け、長く続いたのではないでしょうか?これら4つの魅力がかみ合わさった事で「前略 雲の上より」は魅力的な作品になったのではないかと思います。

 

・まとめ

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以上、自分なりに「前略 雲の上より」の魅力を書いてみました。鉄道旅をテーマにした漫画は「鉄子の旅」「駅弁ひとり旅」などそれなりにありますが、飛行機旅をテーマにした漫画は恐らくこれが初めてだと思いますし、長く連載が続いていただけに連載終了は本当に残念です。最終巻となる第7巻は2月21日発売予定ですので、敢えて続きは読まず、単行本発売の楽しみに取っておこうと思います。そしていつか、連載再開して残りの空港や海外の空港もやってくれると嬉しいですね。

 

・・・単行本が売れればいつか連載再開してくれるかな?

 

 

【2月24日追記】

2月21日に最終巻の7巻が発売されました。桐谷の2課移動騒動も無事(?)決着し、いつもの雰囲気に戻ったところでの連載終了だったので、せめてもう少しいつもの桐谷と課長の掛け合いを堪能してから終わって欲しかった・・・というのが正直なところです。

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ですが最終回で取り上げられた成田空港で、課長の奥様登場と言う爆弾(そしてもれなく重度の飛行機オタクという変態淑女)を投下するあたり、最後の最後まで振り切ってくれたなあとある意味安心しましたwこのまま転職して世界の空港紹介をやってくれても良かったんですが、桐谷の「俺は飛行機乗りとして国内でまだ何の実績も成し遂げていない」という〆の一言は謎の変態イケメンカッコよさがあってよかったです(遂にそっち側に行ったか・・・)ある意味連載再開しても大丈夫な終わり方だったのに安心しました。

 

・・・と思ったら原作者の竹本真先生のコメントでは「成田空港は最初の構想では最終回用ではなく、3回ぐらい出したい空港だったけど終わるという事で急遽登場させた」そうで、今回の連載終了自体、作者サイドとしても急な話だったようです。この話自体も最終回用に構想されたものではなく、元々成田空港の1回目の話として考えられたものを最終回に廻したそうで、そう考えると作者のお二人としても不本意な形での終わり方だったのかも知れません・・・

 

連載終了は本当に残念ですが、どんな形でもいいのでいつかまた復活させてほしいと思います。そして、今からでもいいので少しでも興味を持たれた方は是非作品を手に取って頂きたいと思います。少しでも作品が売れれば連載再開に近づくかも知れませんから・・・

 

 

 

 

 

 

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アジアの航空会社(特にLCC)が「以遠権」を使って日本路線を飛ばすワケ

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1月3日、シンガポール航空はシンガポール発東京経由ニューヨーク線の開設準備に入ったと報道されました。開設時期や乗り入れ空港は未定ですが、羽田は発着枠や航空交渉の問題があるので少なくとも東京の乗り入れ場所は成田になるのではないかと思います。もしこの路線が実現すれば、シンガポール航空の日本発アメリカ路線は2路線となり、日本やアメリカの航空会社との競争が激化しそうです。

www.aviationwire.jp

 

普通なら第三国の航空会社が航空路線を飛ばすことは認められていませんが、例外として「以遠権」を行使して事実上第三国の路線に参入することが可能です。

以遠権とは途中経由地から最終目的地までのみの営業権(航空券の販売)を認める権利のことです。昔は航空機の航続距離が短く、給油のために途中の空港に着陸する必要がありましたが、そうなると途中の空港の着陸料が余計にかかり、運航やハンドリング業務にかかわる拠点や人材を準備する必要があります。通常は出発地から最終目的地か途中経由地のみの区間の航空券販売しか認められませんが、もし途中経由地から最終目的地までの区間の販売も認められれば営業的にはかなり助かります。このため、戦後すぐの時期から航空交渉では「以遠権」をどこまで認めるかで国同士が政治的な駆け引きを行いました。

 

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日本では特にアメリカとの間で結ばれた航空協定をめぐる駆け引きが有名です。1952年に最初の航空協定が結ばれましたが、当初はアメリカ側にはアジアへの無制限の以遠権が認められたのに対し、日本側は乗り入れ空港も以遠権も制限されていました。乗り入れ会社に関してもアメリカ側はパンナム、ノースウエスト、フライングタイガー(貨物機)の3社が乗り入れを認められたのに対し、日本側は日本航空一社のみでした。

日本側にとっては不平等な条件でしたが、アメリカ側はこの「以遠権」を大いに利用して東京にアジア太平洋地域の拠点を置きます。パンナムは羽田空港(のちに成田)を拠点に中華民国や香港、東南アジア全域やグアムへの路線を1950年代~60年代にかけて開拓します。成田時代にはボーイング727を常駐させて乗継便を飛ばしたほか、数百人の従業員を雇用して自前の機内食工場を構えるなどアジアの一大拠点として機能させます。同様のハブはロンドンやフランクフルトにも置かれ、ヨーロッパ全域に乗継便を運航しました。これらの以遠権をフルに活用した海外ハブ空港のおかげで、パンナムは世界中に巨大な路線網を築くことができたのです。

同様にノースウエスト航空も成田にハブ空港を構え、整備部門や機内食工場、客室乗務員の拠点や運航管理部門まで置かれるなど、本国外の拠点としては巨大なものでした。パンナムが太平洋線をユナイテッド航空に売却した後も「成田の盟主」として君臨し、21世紀にはいるとかつてのパンナム同様、アジアの乗継路線用にA320やB757を常駐させています。これらの体制はノースウエストがデルタと合併した後もしばらくは維持されました。

 

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 しかし、そんな成田からの以遠権も航空機の性能向上による直行便化や、航空アライアンスによる共同運航、仁川や香港などアジアの他のハブ空港の台頭による成田の地位低下などでその必要性は薄れていきます。今年4月からの羽田空港の発着枠増加に伴い、デルタ航空が成田からの撤退と羽田への集約、以遠権路線の完全廃止を発表したのは記憶に新しいところです。3月31日のデルタの成田~マニラ線の廃止により、アメリカの航空会社の以遠権路線は完全に姿を消すことになります。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

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では以遠権路線は日本からは完全になくなるのでしょうか?確かにフルサービスキャリアでは絶滅寸前ですし、日本の会社もアメリカの会社も以遠権フライトは消滅する方向ですが、完全になくなったわけではありません。例えば香港のキャセイパシフィック航空は成田発2往復と関空・中部発各1往復が台北経由となっていますし、大韓航空もソウル~ホノルル線のうち1往復を成田経由で運航しています。このほかにもエティハド航空のアブダビ~北京~中部線や、エチオピア航空のアディスアベバ~ソウル~成田線など、少ないながらも以遠権フライトを続けている会社は存在しますので、以遠権路線自体がなくなることはないと思います。

 

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 しかし、近年ではLCCの「以遠権フライト」が徐々にではありますが増えてきています。例えばシンガポール航空系列の「スクート」成田~シンガポール線を週19往復していますが、そのうち午前発の1往復がバンコク・ドンムアン経由、残りが台北経由と直行便は一便もありません。また、2017年にはエアアジアXとスクートが関空~ホノルル線を就航させて話題となりましたが(スクートはその後撤退)、これも厳密にはエアアジアXがクアラルンプール~関空線、スクートがシンガポール~バンコク~関空線の延長及び以遠権フライトです。

このほかティーウェイ航空が大邱~関空~グアム線を、スクートがシンガポール~台北~札幌線やシンガポール~高雄~関空線を、ジェットスターアジアがシンガポール~台北~関空線とシンガポール~マニラ~関空線を運航するなど、地味にLCCの「以遠権路線」は増加傾向にあるのです。

 

では、なぜアジアの航空会社やLCCは「日本経由の以遠権フライト」を設定するのでしょうか?大きく分けて3つの理由があると思います。

 

1.単純に飛べる機材がない

飛行機の性能が向上した現在ではこの理由はあまりなさそうに思えますが、保有機が737やA320といった短通路機しかないLCCでは事情は異なります。航続距離が伸びたとはいえ、これらの機種の航続距離はせいぜい5000km台と、日本~東南アジアを直行で飛ぶにはぎりぎりです。それにLCCの機材は短距離での運用を前提にしており、シートピッチも限界ギリギリまで詰めていますので、乗客が耐えられるのはせいぜい3~4時間程度。飛行機の性能的にも快適性の面でも、無理に直行便で飛ばすよりは途中で給油して飛ばしたほうがベターであり、それなら以遠権で途中までの客も乗せてしまえ、となるわけです。

2.経由便にしたほうが営業的にプラス

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例えばスクートの成田~シンガポール線は需要的にも十分ですし、保有機の787はシンガポールまで難なく飛べる性能があるはずですが、あえてバンコクや台北を経由しています。これは途中の需要も拾うことで搭乗率を上げる意味があり、今のところ成田~シンガポールで競合するLCCは存在しないため、あえて直行便にする理由がないものと考えられます。スクートはシンガポール航空系列ですから、直行便でシンガポールに行きたいなら親会社を使ってもらったほうが良いですからね。経由便にしているのは親会社との棲み分けという理由もあるのではないでしょうか?

 

3.最初から日本市場狙い

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エアアジアXのクアラルンプール~関西~ホノルル線なんかはもろ「日本市場狙いの路線」と言えるのではないでしょうか。というのもホノルルからの国際線は日本や韓国などの東アジア路線やオーストラリアやニュージーランドなどのオセアニア路線が大半で、東南アジアへの路線はエアアジアXが就航する前はフィリピン航空のマニラ線が唯一の例。過去にはガルーダ・インドネシア航空がジャカルタ~ホノルル~ロサンゼルス線を飛ばしていたことがありましたが、ホノルルは単なる経由地でしかなく、アジア通貨危機で経営が悪化するとロサンゼルス線の廃止と同時に撤退してしまいました。

これらの経緯からもアメリカの植民地であったフィリピンを除けば、歴史的なつながりも薄くリゾート需要も見込めない東南アジア~ハワイ間の航空需要はほとんどないと思いますので、エアアジアXのホノルル線は明らかに日本~ハワイ間の需要狙いの路線であり、「以遠権」にかこつけて就航したといえます。今はまだホノルルまでですが、いずれエアアジアやスクート辺りは以遠権を行使したアメリカ本土路線を狙ってくるのではないかと思います。ピーチのバニラ統合も、JALのZIPAIR設立も、背景にあるのは東南アジアのLCCの「以遠権フライトによる日本発長距離路線参入」に危機感を持ってのことであり、今後このようなパターンの以遠権フライトはむしろ増えていくのではないかと思います。

 

以上、日本にかかわる「以遠権フライト」についてご紹介してきました。かつて以遠権を十二分に行使して恩恵を受けてきたアメリカの航空会社が以遠権フライトをなくす今の状況を見ていると日本市場の地位が低下しているように見受けられますが、アジアの航空会社から見れば1億人以上の人口があり、インバウンド需要が伸びている日本市場は「まだまだ美味しい市場」です。今後もシンガポール航空グループやエアアジアを中心に「以遠権フライト」で日本市場を狙ってくるでしょうし、JALやANAも参加のLCCを駆使してこれに対抗していくのではないかと思います。また、日韓路線の壊滅で窮地に立たされている韓国系のLCCが「以遠権フライト」を使って手薄なミクロネシア路線などを開設し、日本市場を獲りに来る可能性もあります。

日系エアラインにとっては新たな脅威と言えますが、利用者サイドから見れば競争の活発化は選択肢の増加や低運賃という恩恵をもたらします。シンガポール航空のニューヨーク線がうまくいくかどうかが、一種の試金石になるのではないでしょうか?

 

 

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仙石線&仙石東北ライン乗車とちょっとだけ松島観光

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12月29日の朝、「百万石ドリーム政宗号」で仙台に到着後、駅前の立ち食いソバ屋「そばの神田東一屋」で朝食をとってから電車で石巻に向かいます。地元では結構有名な店みたいですね。

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 ↓これまでの行程はこちら

www.meihokuriku-alps.com

 

最初は仙石東北ラインですぐ石巻に向かうつもりでしたが、ふとホームの前の階段に張られた案内文を見て「そう言えば随分と松島行ってないよなあ」と思い、急遽松島にも寄ることにしました。この案内文の通り、松島へは東北本線の「松島駅」ではなく、仙石線の「松島海岸駅」が近いので、仙石線のホームに向かいます。

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仙石線の通勤電車に揺られること約40分ほどで松島海岸駅に到着。仙石線は初めて乗りましたが、仙台駅の仙石線ホームは地下にあり、4両編成の通勤電車が高頻度で行き交う光景はJRの地方路線らしからぬ風景。仙台駅近郊は地下区間を通り、途中の東塩釜駅までは複線・一部高架化されているなど、編成が短いことを除けば都会の通勤路線という感じです。

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実際、仙石線は最初から国鉄の路線として建設されたわけではなく、元は宮城電気鉄道という私鉄の電気鉄道がルーツでした。第二次世界大戦時の戦時買収で国有化され、以後は国鉄の仙石線となります。戦後は主に首都圏で使用されていた古い通勤型電車の転属で賄われ、現在は山手線や南武線で使用されていた205系電車が使用されています。

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さて、次の電車まで約40分ほどですが、少しだけ松島を歩くことにします。松島に来たのは10年ぶりでしたが、ここも震災の影響で以前とは少し変わってしまいました。確か以前はお土産屋の前は松林が広がっていたはずですが、きれいに整備されていました。おそらく震災直後はひどい状態だったんでしょうね・・・
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瑞巌寺に向かう境内に「鉄道殉職者弔魂碑」がありました。昭和47年に鉄道100周年を記念して、当時の国鉄仙台管理局が建てたそうです。鉄道の発展の礎となった方々の冥福を祈り、手を合わせました。
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さて、松島海岸駅に戻って先を急ぎます。一旦高城町駅行きの列車に乗り、高城町で仙石東北ラインの快速列車に乗り換えです。高城町駅は高架化されてないからか、なんとなく私鉄の駅な雰囲気が残ってますね。仙石東北ラインは仙台からここ高城町までは東北本線を走り、高城町駅近くの連絡線で仙石線に入って石巻まで走行します。つまりここ高城町駅は仙石線の普通列車と仙石東北ラインの乗換駅ということです。


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数分して石巻行きの列車が到着しました。こちらの列車も4両編成ですが、電車ではなくハイブリット式の気動車です。この仙石東北ラインは以前は仙台~石巻間は仙石線の快速列車が主流でしたが、仙石線は駅間距離が短く、追い越し設備もないため快速列車の増発やスピードアップが難しい線区でした。そこでJRになってしばらくしてから駅間距離が長く線形もいい東北線を活用し、東北線と仙石線を直通する列車の設定が計画されましたが、電化設備の違いが障害となります。

東北線も仙石線も電化路線ではありますが、東北線は交流電化、仙石線は直流電化と電化方式が違っており、連絡線の電化とデッドセクションを設ける必要がある上に交直流車両を用意する必要があります。しかし、JR東日本には地方路線用の交直流電車がないうえに(常磐線用のE233系など首都圏にはあるので技術的に不可能というわけではありません)、費用面で折り合いがつかず計画はありながら長年実現には至りませんでした。

この状況を打破したのがJR東日本が開発し、実用化させたハイブリッド気動車。分類上はディーゼルエンジン搭載の「気動車」ではありますが、エンジンはあくまでも「発電用」で、実際に駆動させるのはエンジンで発電したり蓄電池に貯めた電気で回すモーター。気動車でありながら電車の性格も持った車両で、走行性能も電車とそん色ありません。この車両が実用化されたことと、東日本大震災後の復興事業という理由ができたことで工事が進められ、2015年5月30日に運転を開始しました。

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実際に乗ってみると停車時は無音、発車後もしばらくは無音で走ります。一定の速度が上がるとディーゼルエンジンの音が車内に響いてきました。普通の気動車だと発車時→低速時はディーゼルエンジンで加速し、一定の速度に達したら惰行運転となってエンジンの音は小さくなるのですが、このハイブリッド気動車に関しては逆。この気動車らしからぬ走行音は独特ですが、乗り心地は快適そのもので国鉄型気動車の「もっさりした加速で乗り心地もよくない」という従来のイメージは全くありません。これなら無理に電車を走らせなくても問題ないですね。


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そして車両は石巻駅に到着。仙台~石巻間を最速60分で結ぶ仙石東北ラインのおかげで石巻への移動はかなり便利になりました。震災直後は交通網がズタズタになった石巻ですが、結果的にそれが仙石東北ライン実現のきっかけになったと思うと少々複雑な気もしますが、復興が着実に進んでいるという証拠でもあります。石巻からの帰りもこの仙石東北ラインを利用しましたが、年の瀬にも関わらず仙台につく頃には立客も出るほどの盛況ぶりでした。この仙石東北ラインの事業費は18億円ですが、この盛況ぶりを見る限りでは凄くコスパの良い投資だったのではと思います。これからも仙台と石巻を結ぶ動脈として仙石東北ラインには頑張ってほしいですね。

石巻駅に着いた後はしばらく市内観光をした後、田代島に向かう船に乗ります。

 

 

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「百万石ドリーム政宗号」乗車記 ~JRバスの夜行バス戦略を垣間見た~

12月29日から31日にかけて、宮城県と東京都へ旅行に行ってきました。行きの仙台までの移動は高速バス、仙台から東京、東京から富山までの移動は新幹線と私にしては珍しく飛行機を使わない移動でした。今回の旅行でもブログのネタを仕入れてきましたので、ぼちぼちと書いて行こうと思います。

 

初回は28日の深夜に富山駅から仙台駅まで乗車した夜行高速バス「百万石ドリーム政宗号」の乗車記。先日西日本JRバスの北陸発着の夜行バス開設について触れましたが、図らずも自らその威力を体験する事になりました。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

「百万石ドリーム政宗号」は2017年7月28日に仙台~富山~金沢間で木~日曜と祝日、繁忙期に運航されるバスとしてスタートしました。実はこの区間には1992年から北陸鉄道などが夜行高速バスを走らせており(当初は宮城交通と共同運行→2014年3月に宮城交通担当便が小矢部川SAで事故を起こしたのを機に事実上撤退し、北陸鉄道の単独運行→2017年4月に富山地方鉄道との共同運行に)競合路線がある中でのスタートでしたが、業績は好調だったようで2018年2月9日から毎日運行となって現在に至っています。

 

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そんなわけで12月28日の23時過ぎ、年の瀬で人が多い富山駅へ。百万石ドリーム政宗号の富山駅出発は23時55分なので間がありますが、ちょうどいい時間帯の電車がなかったので・・・

 

 

こちらは地鉄バスの長距離高速バスの時刻表。名古屋線の本数が多いw

地鉄・北鉄の仙台行きは22時35分発、山形経由になっています。JRバスが停留所を最小限に絞っているのに対し、地鉄・北鉄の方は富山県内でこまめに停車した上に東北側でも山形駅を経由するなど、細かく乗客を拾っていくダイヤ設定です。出発時間もこちらの方が1時間15分早く出発するなど、競合路線でも性格は違う事が分かります。ちなみに私も当初はこの先の目的地の関係上、仙台に早く到着するこちらのバスを使いたかったのですが、年の瀬だからかあえなく満席でした・・・

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こちらはJRバスの時刻表。富山県内ではJRバスは後発ですが、近年は夜行バスを中心に路線を増やしています。今年に入って四国と広島への路線が開設されましたので、来年以降も増えていくのではないかと思います。

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そうしているうちに23:48頃「百万石ドリーム政宗号」が入線しました。バスはJRバス東北の所属で、西日本JRバス保有のグランドリーム車両をこの路線用にリースして使用しています。

ちなみにこの日は年末と言う事もあり満席。途中からの乗車で撮影が困難でしたので座席の画像はありません。

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既に車内はカーテンが締め切られた状態で、出発後のアナウンス終了後に消灯。アナウンスによると開放休憩は名立谷浜と国見の2カ所でこの他に乗務員のみの休憩が有磯海と磐梯山の2カ所、黒崎PAで乗務員の交代が行われます。

私は前から2番目の真ん中の席でしたが、前の席には既に金沢から乗車した人が座っていて、既に座席を目一杯倒して爆睡中・・・しかも荷物を通路に投げ出していたので通りにくいわ席にも座りにくいわで少しイラッとしました。少しでも睡眠をとりたい気持ちはわかりますが、途中から乗る人のことも考えて通路に荷物を出さないとかリクライニングは控えめにするとか、一定の配慮は必要なのではないかと思います。


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名立谷浜に到着したのは1:35頃。ここで20分間の開放休憩になります。といってもこの時間帯はトイレと自販機以外は全て営業終了しているので、買い物などはできません。まあ、この時間帯に買い物する人はいないでしょうが、個人的にはまだ店が開いている有磯海で開放休憩をしてもらったほうが良いように思います。運用上の都合があるのでしょうか?

その後3時過ぎくらいに黒崎PAで乗務員交代をしたようです(この辺りはもう半分うとうとしてる状態ではっきりとした時間は覚えていません)


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次に目が覚めたのは2回目の開放休憩前のアナウンス。6:35頃にパーキングエリアに到着しました。私はてっきりアナウンス通り国見SAだと思っていましたが、後でスマホのマップを確認したらその先の菅生PAまで進んでいたようです。ここで6:55まで休憩。


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ずんださん、2019年のブームになったタピオカへの熱い対抗心w


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改めて車両を眺めます。元は西日本JRバスの車両とはいえ、仙台ナンバーのグランドリーム車両というのも貴重な存在ですね。


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そして7時24分頃、定刻より約30分早く「百万石ドリーム政宗号」は仙台駅東口に到着しました。感想としてはゆりかご型の「クレイドルシート」は思ったよりも快適でしたが、走行音が気になったのとあまり深くまで倒せなかったため熟睡とまでは行きませんでした(富山駅出発後後ろの人に一声かけてから倒したのですが、深く倒すと「もうちょっと上げてくれ)と言われて倒し辛くなってしまったので・・・)

光や走行音についてはアイマスクや耳栓など自衛策が必要かとは思いますが、リクライニングに関しては正直乗車率や前後の乗客次第なところもあるので厄介な問題ではありますね。バス会社によっては最初からリクライニング角度の浅いシートを導入したり、消灯前に一斉にリクライニングする方式をとっている会社もあるそうです。あるいは一部の高速バスや飛行機で採用されている「シェル型シート」なら後ろを気にすることなくリクライニングできるので、そういったシートが普及してくれればいいんですけどね・・・

もう一つ残念だったのはHP上で紹介されていたインターネットカフェやカプセルホテル、レンタカーなどの割引券の案内がなかったこと。せっかくのサービスなわけですし、到着前に割引券の案内をして「ご希望の方は乗務員まで」と一言アナウンスしてくれるだけでも随分違ったと思うのですが・・・

 

trafficnews.jp

 

とはいえ、北陸と東北を直接結ぶ交通機関としては凄くありがたい存在です。北陸新幹線開業で仙台へは1度の乗り換えで3時間台で行けるようになりましたが、料金は2万円以上かかります。その点夜行高速バスは1万円以下で寝ながら行けますし、翌朝から観光に充てることができますから、人気が高いのも頷けます。このバスの成功があったからこそ、西日本JRバスも北陸~四国や中国地方への夜行バス開設に踏み切ったのだと思います。2020年以後も新たな路線バスの開設があるかもしれません。そんな期待を抱かせたJRバスの夜行バス乗車でした。

この後は仙石線に乗り換えて松島、さらに石巻へと向かいました。

 

 

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2019年に投稿した動画の振り返りと懺悔&2020年の抱負

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明けましておめでとうございます。昨年も動画やブログをご覧頂きありがとうございました。2020年もどうぞよろしくお願いします。

さて、今回は年初と言う事で、2019年に投稿した動画の振り返りと年初に立てた目標についての懺悔をしたいと思います。合わせて今年の抱負についても書いていきたいなと思います。

 

・・・いつもなら昨年末にやっていたんですが。

 

 ↓最早残骸と化した2019年の抱負はこちらをご覧下さい。

www.meihokuriku-alps.com

 

 

まずは2019年に投稿した動画を振り返っていきたいと思います。2019年に投稿した動画ですが、迷航空会社、東海道交通戦争、新シリーズ合わせてもわずか9本でした(ニコニコのみ投稿の東海道交通戦争あとがきを含む)

・・・自分でもびっくりしましたが、去年や一昨年よりもかなり少なかったです。YouTubeの収益化停止で大量の再アップを余儀なくされ、対応に追われたのとモチベーションが低下した事、個人的な事ではありますが転職活動や今の会社の退職手続きなどで時間を取られたのが理由です。また、映像の割合を増やした為編集にもより時間がかかっております。年明けから新しい職場に移りますが、もうしばらくは動画投稿ペースは遅くなると思います。落ち着いたら動画に割ける時間は増やせると思いますので、もうしばらくお待ちください。

 

・1月6日 東海道交通戦争(3本投稿、5月6日完結)


東海道交通戦争 最終章「未来への戦い」⑥リニアの夢への壁


東海道交通戦争最終章7「東京~大阪航空路線の現在、そして巨大飛行機の夢と挫折」


東海道交通戦争・最終回「陸と空の未来予想図」

最初のシリーズ開始から7年半、リメイク後でも2年4か月の長い時間をかけてしまいましたが、ようやく完結する事が出来ました。本当にありがとうございました。このシリーズに関しては言いたい事は全部あとがきに書きましたので、詳細はこちらをご覧下さい。

 

 

・2月16日 航空会社運航計画2019


迷航空会社列伝・航空各社運航計画2019

 

昨年もやった航空各社の2019年度の運航計画をご紹介した動画です。収益化停止後初めて出した動画で、ここから映像も一部組み込んでいます。正直、静止画の方が作りやすいし映像だと撮る手間が更にかかるのですが、背に腹は代えられません。ちなみに、今回から各社まとめて1本の動画にしています。

2020年は羽田空港の発着枠増加やJALの新LCC「ZIPAIR」の就航など、話題は尽きないと思います。1月下旬に予定される各社の発表が今から待ち遠しいですね。

 

・3月31日 迷航空会社列伝「東急の空への夢」4~6話


東急の空への夢 第4話「至誠監督官庁と競合相手に通ず」


東急の空への夢 第5話「蜃気楼と消えた国際線の夢」


迷航空会社列伝「東急の空への夢」 第6話・欧州から来た夢の大型機

 

こっちの方は年内完結はできませんでした・・・田中勇さんの面白エピソードが多いんだもん。今年アップしたのは3本で、TDAのエアバス導入まで。この後ですが後2回で完結させる予定です。皆様ご存知の通り、最終的にはTDA→JASはJALと経営統合をするわけなので結末は分かっているかと思いますが、その結末に至った過程や東急がJASを手放した理由、JASを手放した後の東急グループの航空への関りなどを書いて行ければと思います。今年の最優先課題はこのシリーズの完結かな?

 

・11月12日 交通機関の栄枯盛衰「加賀特急戦争(前編)」


【交通機関の栄枯盛衰】街と温泉の存亡をかけた仁義なき戦い!加賀特急戦争(前編)

 

東海道交通戦争のあとがきでも触れていた新シリーズ、ようやく形にすることができました。この後の原稿はもうできていますので、それほどお待たせしないとは思いますが、前述の「東急の空への夢」や既存の迷航空会社の再アップと同時進行なのが辛いところです。

今回取り上げた大聖寺・動橋・加賀温泉の3駅については昔ニコニコで取り上げた動画のリメイクと言うか一から作り直した感じです。背景にあった温泉街の勢力争いや、新駅設置を巡る加賀市内の駆け引きや騒動なども取り上げて行ったので、元の動画の5~6倍の規模になりそうです・・・

 

・2019年のまとめと懺悔

さて、ここからは2019年当初の抱負の達成状況を振り返ってみたいと思います。

 

1.東海道交通戦争完結と新シリーズ立ち上げ

これについては何とか完結させ、新シリーズの「交通機関の栄枯盛衰」を投稿した事で、一応「達成」としておきたいと思います。まあ、他の動画を犠牲にした結果ではありますので胸張って言えることではないですが・・・

 

2.YouTubeチャンネル登録者数メインチャンネル30,000人 サブチャンネル10,000人

結論から言うと、達成は無理でした。収益化停止問題がなかったらある程度は行けたと思うんですが・・・

年が明けた1月1日の数値ですが、最終的な数字は

メインチャンネル 21,855人

サブチャンネル 4,499人

 

となりました。これに関しては大幅未達ですね。特にサブチャンネルで新シリーズの立ち上げまでに長い間隔が空いてしまい、視聴者の関心が離れてしまった事が大きな反省点です。理由があったとは言え、これは大きな反省点です。

 

3.YouTubeチャンネルの再編

一応、サブチャンネルを「akamomo鉄道・交通チャンネル」と改称して新シリーズの投稿をこちらで行うという体制は整えました。

・2020年の抱負

2019年は結構明確な目標を立てましたが、今年はそれは辞めます。YouTubeの収益化問題など、自分の努力ではどうにもならない部分で振り回された事と、私の性格上、下手に具体的な数値目標を設定すると却ってそれに縛られてモチベーションが低下してしまう事が良く分かったからです。

とりあえず当座の目標としては「東急の空への夢」の完結と、YouTubeでの過去動画の復活。過去動画の復活に関しては原稿や音声データは残っていますが、編集ソフトのファイルが消えてしまったので、時間がかかってしまいそうです。ただ作り直すだけではなく、その後の状況変化に応じて加筆修正していきたいと思いますので、よろしくお願いします。

「東急の空への夢」完結後は、従来のような短編での「迷航空会社列伝」を作っていきたいと思います。また、「交通機関の栄枯盛衰」については当面は北陸地方を中心にして作っていきますが、いずれは他の地域も取り上げていきたいなと思います。昨年動画をあまりアップできなかった分、今年はもう少し本数を増やしていきたいと思いますので、本年もどうぞよろしくお願いします!

 

 

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