〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

日本の航空会社が買ったかも知れなかった「欧州製ジェット旅客機」

随分間が空いてしまいましたが、先日「東急の空への夢」第6話を投稿しました。今回はTDAのエアバス導入に関わる話になります。まだご覧になってない方は是非ご覧下さい。


迷航空会社列伝「東急の空への夢」 第6話・欧州から来た夢の大型機

 

 

さて、動画内ではTDAの大型機選定はA300に軍配が上がり、日本初の欧州製ジェット旅客機として大きな注目を集めました。しかし、A300以前にも欧州製ジェット旅客機が導入の候補に上がったり、実際に発注までされたケースがなかったわけではありません。今回はひょっとしたら日本の航空会社が買ったかもしれなかった欧州製ジェット旅客機をご紹介します。

 

デハビランド・コメット

言うまでもなく世界初のジェット旅客機であり、就航当初はプロペラ機とは段違いの速さと快適性で人気を博し、世界中の航空会社から発注されていました。その中には日本航空の名前もあり、エンジン増強型のMr.Ⅱが発注されていたようです。

しかし、コメットは就航から2年足らずで2度の空中分解事故を起こしてしまいます。イギリスの威信をかけた徹底的な事故調査の結果、高高度での加減圧を繰り返したことによる金属疲労が進み、想定よりも早く亀裂が発生して広がり、空中分解に至ったと結論が出ました。しかし、この事故を受けて日本航空を含めたコメットの受注はすべてキャンセルされ、世界初のジェット旅客機は一時姿を消してしまいます。その後、金属疲労対策を行った改良型が開発されましたが、その頃には既にボーイング707やダグラスDC-8が開発され、航空会社の関心はそちらに移ってしまい、商業的には失敗に終わってしまいました。最終的に日本航空が選択したのはDC-8。もしコメットの事故がなければ、日本初のジェット旅客機はイギリス製になっていたはずでした。

ホーカーシドレー・トライデント

トライデントは前述のコメットを開発したデ・ハビランド社が欧州域内用のジェット旅客機として開発したもので、その後デ・ハビランド社がコメットの事故の影響から立ち直れずに1959年にホーカーシドレー社に買収されて発売されたという経緯があります。ボーイング727同様の3発ジェット機ではありますが、ローンチカスタマーとなったBEA(英国欧州航空)が当初デハビランド社が計画していたサイズでは大きすぎるとして小型化を要求し、やむなくデハビランド側が折れて小型の機体として開発されますが、皮肉にも商業的に成功したのは当初デハビランドが計画していたサイズで開発されたボーイング727でした。トライデントは117機しか製造されず、商業的には失敗に終わりました。

そんなトライデントでしたが、全日空が初のジェット旅客機の選定時に最終候補まで残ったことがあります。当初の候補はボーイング727、シュド・カラベル、BAC1-11、トライデントの4機種でしたが、カラベルは設計の古さから早々に脱落、BAC1-11も調査団派遣後の審査段階で脱落し、最後まで残ったのが727とトライデントでした。両機種ともデモフライト機を来日させて招待飛行を行い、ボーイングの代理店と日商とホーカーシドレーの代理店の英国系商社のコーンズがそれぞれ激しい売り込みをかけます。当時の全日空はビッカーズ・バイカウントやフォッカーF27と言った欧州製のターボプロップ機を主力にしており、欧州製の旅客機に慣れている事や先進性からトライデントを推す声が大きかったようで、一方のボーイングは戦争中のB29の影響から当時の日本ではいいイメージはなかったようです。

しかし、最終的に全日空が選んだのはボーイング727でした。短い滑走路での離着陸性能が優れている事や、世界の主要航空会社がこぞって727を選択している事などが決め手になったようです。また、国内幹線での日本航空と全日空の競争過熱を懸念した運輸省からも「なるべく両社同一機種を採用するように」との指導があった事も選定に影響したようです。

ボーイングは727の受注をきっかけに日本市場で大きなシェアを握る事になりますが、もしトライデントが選定された場合は同一機種導入の観点から日航もトライデントを選定した可能性が高く、その後の日本の航空機シェアは違った形になっていたかもしれません。エアバスが日本市場に食い込むのも史実よりも容易だったかも?

シュド・カラベル

1958年に初就航したフランス製の小型ジェット旅客機で、開発期間短縮の為、機種や胴体の一部、操縦系を含む運行システムなどは前述のコメットから流用しています。生産機数は279機とエアバス以前の欧州製ジェット旅客機としては最も成功した部類であり、世界で初めて明確に利益を出した短距離用ジェット旅客機としても評価されています。

そんなカラベルですが、日本国内航空(JDA)が最初のジェット旅客機として導入を検討していましたが、結局JDAが導入したのはコンベア880とボーイング727でした。JDAがカラベルを導入しなかったのは緊急時の旅客酸素マスクが日本の保安基準に合わず、改修に時間がかかるため見送られたという説と、当時協力を仰いでいたJALがカラベルの導入に反対し、JALでも使用実績のあるコンベアで押し切られたという説がネット上ではありましたが、実際のところは定かではありません。

この他にも1960年代前半に国内線用ジェット旅客機の売り込み合戦時に真っ先に日本でデモフライトを行いましたが、この頃既に就航から5年経った設計の古い機種だった為、JALやANAはほとんど見向きもされませんでした。

アエロスパシアル・コンコルド

この機種については説明の必要はないでしょう。世界で初めて定期航空路線に就航した超音速旅客機であり、一時期は世界の航空会社の主流になると見られていましたが、収容力の小ささと燃費の悪さ、開発費の高騰や遅延などによる価格の高さや環境問題など問題が多く、結局納入されたのはエールフランスとブリティッシュエアウェイズの2社のみでした。

それでも開発当初はパンアメリカン航空やカンタスなどの世界のフラッグキャリアがこぞって発注しており、その中には日本航空の名前もありました。1965年に3機が仮発注され、当初は就航時の塗装デザインが2種類用意されたり、1/35の日本航空塗装のコンコルドの模型が展示用に作られるなど将来のフラッグシップとして期待されていましたが、前述の通り他の航空会社同様キャンセル。模型はその後交通博物館に寄贈されて展示され、現在はさいたま市の鉄道博物館2階のコレクションルームに保存されているそうです。

フォッカー100

ここから先はA300導入後の話になるのですが、その後も「購入未遂」となった欧州製ジェット旅客機は存在しました。フォッカー100はオランダのフォッカー社が開発した100席級のジェット旅客機で、1960年代に開発・就航したF28の発展型でもあります。

1990年代前半にエアーニッポン(ANK)がYS-11や737-200型の後継機選定を行った際、フォッカー100にも関心を示していたそうで、それを知ったフォッカーはデモ機にANKのロゴを入れた機体を用意してデモフライトをしようと準備していたそうですが、結局デモフライトを行う事はなく、ANKはボーイング737-500型を選択しました。

日本ではフォッカーの飛行機はF27フレンドシップやフォッカー50の導入例があるのでフォッカー100も導入の可能性はあったと思いますが、もし選定していたら導入後数年でフォッカー社が倒産し、大量調達は出来なかったかもしれません。その後のアフターフォローや中古機の調達でも制約があったと思いますし、この機種に関しては「選定されなくてよかった」と思います。万が一フォッカー100が選定されていたら今のANAの機材繰りが更に悲惨なものになっていたかも・・・

エアバスA340

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 A340に関しても詳しい説明は不要でしょう。エアバスが開発した長距離用ジェット旅客機で、双発化が進んでいたこの時代では珍しく4発機として開発されています。

日本では全日空が1990年に長距離国際線用として5機を発注していますが、最終的にはA321型7機に変更される形でキャンセルされてしまいました。発注当時のANAは欧州路線の拡大を目指して動いていた頃で、エアバス製の大型機を買う事で欧州での航空路線開設交渉を有利に進めたいという思惑がありました。しかしANAはその後ボーイング777のローンチカスタマーとなってワーキング・トゥギャザーに参加した事でA340への関心は薄れ、納入延期の後キャンセルとなってしまいました。

また、日本航空の方でもDC-10の後継としてA340が候補に挙がったことがありましたが、当時のJALはエアバスとの関係は皆無であり、長年に渡るマクドネル・ダグラスとの関係を重視してMD-11を発注したため日本の航空会社のA340は幻に終わってしまいました(最も、そのMD-11も日本では短命に終わり、先輩のDC-10よりも先に退役するという笑えないエピソードを作ってしまいましたが・・・)

 

以上、導入が検討されたり実際に発注されたものの、日本で導入されなかった欧州製ジェット旅客機をご紹介しました。こうして見ると結構惜しいところまでいった機種もあったり、結果的に選定されなくて良かった機種もあったりと千差万別ですね。

そんな欧州製ジェット旅客機も現在ではJALのA350やANAのA380、A320neo、LCCで多く使用されるA320など、日本でも多彩な「欧州製ジェット旅客機」が使用されています。それでもまだまだボーイング機の比率が大きい日本市場ではありますが、ボーイングとエアバスの複占と言う事を考えると、これからは「導入未遂に終わったジェット旅客機」というものはそうそう出てこないのかも知れません。こうしたエピソードも航空機メーカーが多かった時代だからこそでしょうね。

 

 

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内装から見るZIPAIRの方向性

12月18日、JAL(日本航空)が100%出資する中長距離国際線LCCのZIPAIRが787の初号機の機内をお披露目しました。上級クラスにあたる「ZIPフルフラット」が18席、エコノミークラスにあたる「スタンダード」が272席の合計290席と、JAL時代の1.5倍の座席数になります。

www.aviationwire.jp

 

特筆すべきは上級クラス。シート自体はジャムコ製のヘリンボーン式フルフラットシートで、KLMオランダ航空などと同じものだそうです。180度フルフラットで少なくとも座席の快適性はフルサービスキャリアと同等のようです。また、上級クラス、エコノミークラスとも黒と白を基調とした落ち着いたデザイン。ピーチやジェットスター、エアアジアなど、基本的にLCCはカジュアルなデザインで明るい色を基調とする会社が多いのですが、ZIPAIRはそれらのLCCとは一線を画しているのが内装のデザインからも伺えます。

一方のエコノミーのシートは横9列、シートピッチ31インチとJAL本体の横8列、シートピッチ34インチと比べるとかなり狭く感じますが、国内線用の787と同じサイズですので、取り立てて狭いという訳でもありません。31インチというシートピッチはスクートやエアアジアX、ジェットスターと言った中距離LCCとほぼ同じですし、JAL以外の航空会社は国際線でも787は横9列仕様。しかもANAの787-8はZIPAIRと同等の31インチですから、ある意味「ANAの787と同等のシートサイズ」とも言えますね(ANAの名誉の為に言いますが、同じ787でも-9型のシートピッチは34インチとJALの国際線と同等です)

その一方で機内モニターはエコノミーはもちろん、上級クラスでもなし。その代わりに機内WiFiを設置し、全席にタブレットホルダーやコンセント、充電用USB端子を設置し、手持ちのスマホやタブレットでインターネットや動画などを見られるようにしています。個人モニターを付けない事で0.5トンの軽量化に成功し、燃費効率が良くなるという効果もあるそうです。

 

そして、内装とは別に注目したいのは西田社長のコメント。ZIPAIRの成功に不可欠な要素として「定時性」を挙げ、「安全以外では一番優先度が高く、機材の稼働率向上に直結する」と、顧客満足度向上と機材稼働率向上による収益拡大を図るとしています。

機材稼働時間を伸ばして収益力を高めるのはLCCの常道と言えますが、その分機材運用に余裕がなくなり、一度遅れが出ると他の路線にも波及し、定時性は総じて悪くなりがちです。その為、消費者の間では「LCCは遅れるのが当たり前」という認識が強く、実際、国内線の定時運航率ランキングではピーチやジェットスタージャパン、バニラエアといったLCCは下位に沈んでいます。

www.aviationwire.jp

 

air.tabiris.com

 

「定時性向上」を掲げる社長に落ち着いた雰囲気の内装、FSCとそん色ないシート。これらから導き出されるZIPAIRの方向性は単なる価格重視で低コストなLCCではなく、必要なサービスを取捨選択し、価格を抑えつつも上質感を与えるコストパフォーマンス重視なLCC、どちらかというとMCC(ミドルコストキャリア)寄りのLCCなのではないでしょうか。中長距離路線だと明るい色よりも落ち着いた内装の方がリラックスできるでしょうし、価格重視だけどよくも悪くもノリの良い既存のLCCの雰囲気を敬遠する層もいると思われます。今後発表されるであろうサービス内容で方向性ははっきりすると思いますが、ひょっとしたらZIPAIRは既存のLCCとは異なるコンセプトやサービスを提供することで従来のLCCとは異なる客層を掘り起こそうとしているのかも知れません。今後のサービス発表に期待したいですね。

 

 

 

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ボーイングが意地でも737MAXを運航再開させたいワケ

12月15日、ウォールストリートジャーナルはボーイングが運航停止中の737MAXの生産停止か更なる縮小を検討していると報じました。今年3月の運航停止以降、ボーイングは737MAXの生産自体は継続しているものの、納入のメドが立たないため工場の駐車場や一時保管の空港に輸送して置いている始末。2度目の墜落事故後の対応や安全認証でボーイング同様強い非難を受けたFAA(アメリカ連邦航空局)が安全審査に慎重を期し、「20年まで運航を再開しない」と表明しており、運航停止命令の解除時期は全く見通せないためです。

 

jp.wsj.com

 

www.nikkei.com

 

そして12月16日、ボーイングは正式に2020年1月からの737MAXの清算一時停止を発表しました。今のところ従業員のレイオフ(一時帰休)は行う予定はなく、生産再開は早くても2月か3月になる、としています。しかし、それもFAAの運航停止命令のかいじょしだいになり、ボーイングの思惑通りになるかは不透明です。ただでさえ悪化しているボーイングの業績に更なるダメージを与えることは必至ですが、既に保管中の737MAXは400機に達しており、このまま納入の見通しが立たない飛行機を生産し続けるのも限界がありますので、ボーイングにとっては「止めるも地獄、作るも地獄」の最悪の状態と言えます。

www.aviationwire.jp

 

trafficnews.jp

 

737MAXについてはアメリカン航空が来年4月6日まで運航を取りやめると発表したばかりであり、既にサウスウエスト航空も運航取りやめ期間を来年3月5日まで延長しています。もはや737MAXの早期運航再開は当てにしていないようですし、顧客サイドも「737MAXには乗りたくない」という人が多く、運航再開後も当分は顧客から避けられそうです。

www.traicy.com

 

 ↓737MAX問題についてはこちらの記事もご参照ください。

www.meihokuriku-alps.com

www.meihokuriku-alps.com

www.meihokuriku-alps.com

 

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 さて、既にボーイングにとっては「厄介者」となっている737MAX。顧客からの信用もガタ落ちで、運航再開のメドが立っていない。しかし今のところボーイングには「737MAXの運航再開を諦める」という選択肢はなく、意地でも早期の運航再開にこぎつけようとしています。例えば生産ラインを閉じたばかりの737NGの生産を再開し、当座の需要に応えるという手も考えられそうですが、その素振りもありません。なぜボーイングはここまで737MAXの運航再開にこだわるのでしょうか?考察してみました。

 

理由1 「在庫」の機体が多すぎる

前述の通り、既に737MAXは生産されたものの納入の目処が立たない「在庫」の機体が400機以上あります。これらの機体は帳簿上は「在庫」なので今のところ資産扱いですが、もし運航再開を諦めた場合、在庫の400機はいずれ航空会社に納入されて現金化される「資産」ではなく、二度と飛ぶことない鉄屑と言う「負債」に変わってしまいます。737MAXのカタログ価格は-8型で概ね百数十億円くらいですから、在庫の400機が売れない場合、ボーイングは4〜5兆円の売上が消え、在庫の737MAXの処分費用と減損処理がのしかかります。

ルフトハンザグループや中国南方航空の保有機数に匹敵する機体を処分するわけですから、兆単位の損失は免れないでしょう。これだけでもボーイングに737MAXの運航再開を諦めると言う選択肢はあり得ないのがお分かり頂けると思います。

 

理由2 737じゃないとダメな会社が多い

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ボーイング737は世界的に最も売れた旅客機であり、世界中で広く使用されています。アメリカのサウスウエストをはじめ、LCCを中心に737シリーズ一機種に絞る会社は多く、737の生産を終了して新機種を開発するとなると設備や乗員、オペレーションなどは一度リセットされてしまいます。

特に737シリーズを700機以上保有するサウスウエスト航空にとっては737の生産終了はビジネスモデルが根本から覆される死活問題であり、ボーイングにとっても737の終了と新機種開発は開発リスクの他にこれらの会社が他社に鞍替えするリスクも負うことになります。

実際、マクドネル・ダグラスの吸収時も旧ダグラス機、特に単通路機のMD-80、90シリーズを使用していた航空会社の半数以上は後継機に737ではなくA320シリーズを選択しました。737の使用歴が長いからといって新機種もそのまま買ってくれるとは限らず、これを機会にゼロベースで新機種選定を行う可能性の方が高いのではないでしょうか。

 

理由3 単通路機の市場が大きすぎる

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ボーイングの予測では今後20年間の需要予測は単通路機市場で3万1360機・3兆5000億ドル、双通路機市場で8070機・2兆5000億ドル。この数字をほぼボーイングとエアバスで分け合うと思って下さい。

このうち単通路機の市場は機数ベースで双通路機の3.9倍、金額ベースで1.4倍に達します。一年毎の平均だと年間1568機、1750億ドル。現実問題としてこの需要をエアバス一社で賄うのは不可能ですし、ボーイングとしても捨てていい数字ではありません。

短期的には737NGの生産再開で間に合わせられるでしょうが、他に単通路機のラインナップがない以上、737MAXを何としても運航再開させないといずれ世界の航空業界に大きな影響を与えてしまいます。そうでなくとも737NGは20年前に就航した機種であり、A320neoとの競争力の差は明らか。ボーイングとしてはエアバスとの対抗上、古い737NGよりは737MAXで戦いたいでしょう。

 

理由4 737MAXに代わる機体の開発に時間がかかり過ぎる

仮に737MAXを諦めたとしてもそれに代わる機体の開発には時間がかかり過ぎ、すぐには需要に対応できません。新型機を開発するにしても、その時間を稼ぐ為には737MAXを運航再開して新機種就航までの繋ぎにする必要があります。

現在ボーイングでは777Xの開発が進行中ですが、試験中の貨物ドア破損などで計画通りに納入されるかは不透明です。また、新たな中型旅客機として「ボーイング797(仮)」の計画がありますが、777Xや737MAXの問題もあってそれどころではないのが実情です。仮に新機種開発となると797計画を737の後継用単通路機に転用するのが一番現実的ですが、着手できるのは777Xや737MAXの問題を片付けてからでしょう。最低でも5〜6年の歳月が必要になりますので、その間を737NGの生産再開で繋ぐのか、737MAXを運航再開させて繋ぐかする必要があります。

 

 

以上、ボーイングが意地でも737MAXの運航再開をしなければいけない理由を考察しました。まあ、再開させないとボーイングは致命的なダメージを受ける事は何となく想像できると思いますが、こうして検証してみるとやはりボーイングはおろか航空業界全体に大きな影響を与えてしまうのが改めて分かりますね。

だからと言って安全性が保障されないのに運航再開させる訳には行きませんし、無理に再開させて3度目の墜落事故が起こってしまったらそれこそ737MAXはおろかボーイング自体が終わってしまいます。まずは安全性を実証した上で運航再開して欲しいなと思いますし、万が一運航再開が不可能な場合に備え、737NGの生産再開や新機種開発の検討をして欲しいですね。

 

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人口動態や温泉観光客数から見た大聖寺・動橋の勢力争い

随分久しぶりになりましたが、新シリーズ「交通機関の栄枯盛衰」の第一作目「加賀湯けむり特急戦争」の前編をアップしました。原稿はできているのでこれから後編の編集に入ります!


【交通機関の栄枯盛衰】街と温泉の存亡をかけた仁義なき戦い!加賀特急戦争(前編)

 

 

 

さて、今回は動画の背景部分のうち「人口動態から見た大聖寺と動橋の勢力図」「加賀温泉郷の観光客数から見た温泉街の勢力図」の部分を掘り下げて、大聖寺と動橋の勢力争いを考察して行きたいと思います。

 

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・人口動態から見た大聖寺と動橋の勢力図

1958年に合併で誕生した加賀市ですが、合併前の旧町村の人口比はどんな感じだったのでしょうか。

 

加賀市内旧町村の人口(出典・加賀市史)

   1960年   1970年

総数 54548人  56514人

大聖寺町 14746人  14186人

山代町 11438人  13710人

片山津町 11310人  12027人

動橋町 4856人  5458人

橋立町 3756人  3441人

三木村 1994人  1798人

三谷村 1407人  1759人

南郷村 3729人  2932人

塩屋村 1312人  1203人

 

人口比で言えば大聖寺町が一番多いのですが、温泉街を抱えている山代町、片山津町も1万人を超えており、合併直後は数千人の差が開いていた人口も、加賀温泉駅が開業した1970年は大聖寺町の人口は微減、一方の山代町は人口が伸びて大聖寺町に迫る勢いです。やはりこの頃は加賀温泉郷の勢いは大きく、加賀市の経済を引っ張る存在だったようです。

また、意外にも動橋町の人口も数百人単位で伸びています。恐らく経済成長とベットタウン化などで人口が増えたのではないでしょうか?逆にかつては北前船で栄えた橋立町は人口減少しています。加賀市の中でも栄枯盛衰があったようですね。

 

・加賀温泉郷の観光客数から見た温泉街の勢力図

 

動画内では「戦後すぐは山中温泉が盟主だったが片山津温泉がレジャーブームの波に乗って急速に宿泊客を増やし、その後1965年に山中を抜いて盟主となった」としていますが、もう少し細かく見て行きましょう。なお、山中温泉は大聖寺が最寄り駅、片山津・山代温泉は動橋が最寄り駅、粟津温泉は粟津が最寄り駅です。

 

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まずは戦後すぐの1946(昭和21)年。数字は全て加賀市史からの出店です。なお、小松市にある粟津温泉に関してはこの頃の数字は手持ちの資料になかったので割愛します。

山中 153846人

山代 18412人

片山津 125659人

 

山中温泉が最大ではありますが、片山津も結構利用者が多いですね。一方の山代温泉は他の2温泉に比べて温泉客が明らかに少ない事が分かるかと思います。これは温泉の権利問題などで町や組合などが長年対立し、温泉街の開発や観光客誘致が進まなかった為で、山代温泉の停滞は地理的なものというよりは人的なものであると言えます。

 

 

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次にそれから10年後の1956(昭和31)年。ここからは粟津温泉の数字もあるので一緒に記載します。

山中 31.7万人(1946年比105.8%増加)

山代 8.4万人(366.7%増加)

片山津 22.6万人(79.9%増加)

粟津 11.9万人

 

10年前に比べると山中、片山津も温泉客数は倍になっています。一方の山代は4倍以上とその増加ペースは大きいですが、この頃はまだ山中・片山津はおろか小松市の粟津温泉にも負けています。駅の勢力図的には大聖寺と動橋の互角と言ったところでしょうか。

 

次は特急「白鳥」が運転を開始した1961(昭和36)年。

山中 52.4万人(1956年比65.3%増加)

山代 31.7万人(277.4%増加)

片山津 42.0万人(85.8%増加)

粟津 20.8万人(74.8%増加)

 

依然として山中がトップですが、その伸び率は他の温泉に比べるとやや鈍化しています。一方の山代温泉は相変わらずの高い伸び率で、片山津温泉と合わせると山中温泉を超えています。この頃は温泉客利用に限って言えば動橋の方が優勢でした。

 

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次は加賀温泉駅が開業した1970(昭和45)年。

山中 65.9万人(1961年比25.8%増加)

山代 70.6万人(122.7%増加)

片山津 101.0万人(140.5%増加)

粟津 34.3万人(64.9%増加)

 

高度経済成長に伴うレジャーブームの波に乗り、片山津と山代は大きく利用者を伸ばしていますが、山中は駅や幹線道路から離れた立地が災いしたのか、その伸びは完全に鈍化しました。これだけを見ると勢いがある山代・片山津を抱える動橋の方が有利なように見えますが、既にこの頃は温泉客輸送はマイカーや貸切バスによる自動車輸送にシフトし始めており、仮に加賀温泉駅がなかったとしても動橋駅にはそこまで有利には働かなかったかもしれません。

 

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最後に手持ちの記録が残っている1978(昭和53)年。この間、1973年10月17日には北陸自動車道小松~丸岡間が開通し、片山津IC、加賀ICが供用開始。この頃には敦賀~富山間がつながっており、2年後の1980年には米原JCTまで延伸して関西方面とダイレクトにつながりました。

 

山中 59.4万人(1970年比9.9%減少)

山代 135.6万人(92.1%増加)

片山津 135.8万人(34.5%増加)

粟津 50.4万人(46.9%増加)

 

加賀温泉駅から一番近い山代温泉は相変わらず大幅に増加しており、高速道路のICから近い片山津、粟津もそこそこ増加しています。一方、加賀温泉駅からも高速のICからも一番遠い山中温泉はとうとう減少に転じてしまいました。交通機関の有無が温泉の明暗を分けてしまった格好ですね。

 

いかがでしたでしょうか。人口比や温泉の利用者数からも大聖寺と動橋の勢力図争いの優劣が伺えますし、当時の動橋の地位がかなり高かったことが分かるのではないでしょうか。また、交通機関の利便性が温泉の利用者数にも大きな影響を与えている事が分かりますね。この後の各温泉の勢力図は後編をアップした後に改めてご紹介したいと思います。

 

 

 

 

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ファーイースタン航空(遠東航空)運航停止・・・新幹線が一変させた台湾の空

12月12日、台湾の航空会社・ファーイースタン航空(遠東航空)は、資金繰りの悪化を理由に13日以降の運行をすべて停止すると発表しました。航空券の販売は停止しており、従業員約1000人も清算に必要な人員を除き全員解雇となりました。このまま清算になるものと思われます。

日本へは2016年の新潟への定期チャーター便を皮切りに、秋田、福島、新潟へ週2便ずつ運航されていました。日本はもちろん、今や世界中でも珍しくなったMD-80を使用していた事で航空ファンからも注目されていた会社でしたが、突然の運航停止で日本でも台湾に取り残された人や、台湾に出発予定だった人が行けなくなるなどの被害が予想されます。

本当に突然の運航停止だったのか、日本側にも事前の連絡はなかったようです。今後代金の返金はあるのか、帰りの足を失った人が無事帰ってこれるのか、気がかりな所です。

headlines.yahoo.co.jp

 

sky-budget.com

 

www.traicy.com

 

ファーイースタンの運航停止はこれが初めてではなく、2008年にも原油高と台湾高速鉄道(台湾新幹線)の開業に伴う急速な国内線の落ち込みで経営が悪化、資金繰りに行き詰って運航停止に追い込まれました。以前は台北~高雄を中心とした台湾の旺盛な国内線需要のおかげで、国内航空会社はファーイースタン、トランスアジア、ユニー航空(エバー航空系)、マンダリン航空(チャイナエアライン系)の4社がしのぎを削っていましたが、台湾高速鉄道の開業後は人口の多い西海岸側の路線は壊滅状態となってしまいました。4社の中で一番規模が小さく、体力もなかったファーイースタンは真っ先に行き詰ってしまったのです。

 

その後会社は休業状態となり、保有機も台北松山空港に野ざらしになっていましたが、2010年1月12日に運航再開計画書が提出され、復活に向けて動き出します。再開までには時間がかかりましたが、2011年4月に台北松山~金門線で運航を再開し、徐々に路線を増やしていっていました。

しかし、台湾の航空業界は国内線は台湾高速鉄道のおかげで壊滅状態で、わずかに残った人口の少ない東海岸路線と離島路線を4社で奪い合う状態。国際線にしても国内4社に加えタイガーエア台湾などの大手系列LCCや海外のフルサービスキャリア、バニラエアや香港エクスプレス、ジンエアーなどの海外LCCがひしめく激戦区の為、以前から過当競争が指摘されていました。2016年11月21日にはトランスアジア航空が突然運航停止を決定し、会社解散となってしまうなど弱い立場の会社ほど苦しい経営を強いられていました。2年前からは航空当局から財務基盤の脆弱さを指摘され、経営の監視を受けるなど、ファーイースタン航空も経営は火の車だったようです。

 

さらにファーイースタンにとって不運だったのが機材更新の失敗。2016年にはMD-80シリーズの後継としてリース会社からボーイング737-800型を調達する計画を立てましたが、機体の状態を巡って訴訟沙汰に発展し、更新計画は失敗してしまいました。2018年4月にはボーイング737MAX-8型を最大11機購入する契約を結び、2019年第4四半期から運航を開始する予定でしたが、その前に737MAXの運航停止で納入計画もストップ。機齢30年近いMD-80シリーズを使い続けるしかなくなってしまいました。

国内線に関してはATR72型でMD-80型を置き換えることで凌いでいましたが、より距離の長い国際線はそうはいかず、機材不足が原因と思われる飛行時間超過などで当局から運航の制限を受けるなど、機材繰りに関しても綱渡りだったようで、満身創痍の中で資金繰りにも行き詰ってしまい、今回の運航停止に追い込まれたのではないでしょうか。

flyteam.jp

 

ファーイースタン航空の運航停止は直接的には資金繰りの悪化と過当競争にあります。しかし、元を正せば台湾高速鉄道の開業でドル箱の国内線を失った事で経営基盤が揺らいだこと、各社とも残る国際線に活路を見出そうとして路線開設を行った結果、過当競争に陥って共倒れになってしまいました。

台湾高速鉄道が航空業界を追い詰めた、とは言いません。台湾高速鉄道の開業で航空路線が大きな影響を受けることは開業前から分かっていた事ですし、そうなる前に他の収益源を育てたり、再編に動くなど手は打てたはずです。機材更新がままならないなど不運な要素はあったと思いますが、運航停止に陥る前に合併や段階的な運航停止など、軟着陸させるための方策はなかったのかと思ってしまいます。恐らく、ファーイースタン航空の2度目の復活はないと思いますし、仮に復活したとしても同じ結果になるだけだと思います。

 

一方で台湾には来月から新しい航空会社、スターラックス航空(星宇航空)が運航を開始します。こちらは最初から中長距離国際線を狙っていますし、資金面も潤沢なのですぐに行き詰まる事はないと思われますが、台湾路線の過当競争は続く事になります。形はどうあれ、ファーイースタンの退場で経営不安のある航空会社は当面出てこないと思いますが、願わくばこれ以上突然運航停止になる航空会社は出てきてほしくないですね。

 

・・・航空需要が急減している隣のあの国で出そうな気もしますが、

 

www.meihokuriku-alps.com

 

【12月13日追記】

このまま清算されるかと思われたファーイースタン航空ですが、良く分からない事態になってきました。張会長が記者会見を開き「会社を閉じるつもりは毛頭ない」と営業継続の意向を強調したのです。12日には副社長が台湾交通部と記者会見を開いて運航停止と全従業員の解雇を発表したのですが、張会長はこれを否定。2週間前後で約10億台湾元(36億2000万円)の資金が調達できる見通しとし、運営資金の帳簿には4000万元(約1億4500万円)が残ってると主張。交通部民航局に運航再開の同意を求めました。

一方で民航部はあくまでもファーイースタン航空の運航継続は不可能とし、交通部に航空事業許可の取り消しを求める公文書を提出しました。張会長の言い分と民航局の方針が真っ向から対立しており、運航継続なのか、やはり運航停止なのか、はっきりわからない状態です。しかし、張会長の資金調達のめどが立っているという言い分に具体的な根拠や資金提供元の名前がないので、現状では運航停止の可能性の方が高いのかなと思います。いずれにせよ、この問題はしばらく続く事になりそうです。

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西日本JRバスが地方間夜行高速バスの開設に積極的なワケ

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西日本JRバスと中国JRバスは12月13日(金)から富山・金沢~岡山・広島間を走る夜行バス「百万石ドリーム広島号」の運行を開始します。政令指定都市が発着地でない夜行高速バスは異例の事で、同様のケースは6月21日に運行開始した「北陸ドリーム四国号」に続いて2例目になります。

trafficnews.jp

 

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「北陸ドリーム四国号」の運行開始時も「こんな路線作って採算取れるの?」との疑問の声が上がりましたが、蓋を開けてみると利用率は60~70%と堅調な数字。「百万石ドリーム広島号」に関しても、国土交通省の全国幹線旅客純流動調査によると北陸三県~岡山・広島間の旅客流動は年間53万8千人あり、なおかつ両者を直接結ぶ交通機関がないため、勝算ありと踏んだ結果の参入の様です。

 

trafficnews.jp

 

以前から西日本JRバスは北陸からの夜行高速バス開設に積極的で、2008年には富山・金沢~名古屋間の「北陸ドリーム名古屋号」を開設し、2017年には金沢・富山~仙台間で「百万石ドリーム政宗号」を土日祝日運航で開設(翌年からは毎日運航)。そこへきての四国と山陽地区への路線開設ですから、いかに西日本JRバスの高速バス事業が好調かが分かります。

 

しかし、全国的に見ればバスの運転手は慢性的に人手不足。特に夜行高速バスは昼夜逆転の勤務体系や一度出発すると3日間は帰ってこれない長丁場な業務、夜行の為ツーマン運航か途中のSAでの長時間休憩が必要になるなど昼間の高速バスよりも余計に人手がかかります。それ故相対的に人件費の高い大都市圏のバス会社は夜行高速バスから手を引くケースが相次ぎ、運行は地方のバス会社で大都市側の会社は予約や支援業務のみ、というケースが増えています。そう考えると西日本JRバスの路線開設ラッシュはその傾向に逆行しているように見えますが、なぜ他の会社よりも新路線の開拓に積極的になれるのでしょうか?

 

 

その秘密はJRバスグループ独自の運行管理体制にあります。元々JRバスは国鉄の自動車部門にルーツを持っており、「ドリーム号」に代表される夜行高速バスのノウハウは古くから有していました。国鉄時代からドリーム号は静岡県の三ケ日で乗務員を交代しており、この方式は全国のJRバスに広がっています。

例えば金沢~東京間の夜行高速バスは長野県の湯ノ丸SAでJRバス関東と西日本JRバスの乗務員が交代する方式を取っており、北陸ドリーム四国号や百万石ドリーム広島号は西日本JRバスの京都営業所で乗務員を交代。つまり、行程の中間地点で乗務員を交代させる変則ワンマン運転を採用しており、運転手の負担軽減と効率的な運用で路線の維持・拡大に成功しているのです。中間地点には乗務員交代と運行管理の為の営業支店を置くか、既存のJRバスの支店を活用。これも全国各地に営業拠点があった国鉄⇒JRバスの資産や国鉄バス時代からのJRバス各社の協力関係が有効活用されていると言っていいでしょう。

この方式なら乗務員も4~6時間程度の運転時間で交代することができ、支店でゆっくり休んで次の日の夜行で引き返せばいいですから、身体的・時間的な負担は軽減されます。また、中間地点に乗務員拠点を置くことで運転手の勤務シフトが組みやすくなり、万が一のスタンバイ要員の確保や派遣も容易です。新路線の開設に関しても他社よりは運転手の融通の心配をしなくても済みますし、共同運行の相手は同じJRバスですから会社間の調整も比較的容易でしょう。ある意味、今のJRバスの立ち位置は高速バス路線の運行に適していると言えます。

www.jrbuskanto.co.jp

 

www.jrtbinm.co.jp

 

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これでJRバスグループが新規路線の開設をしやすい立ち位置にある事はお分かり頂けたと思います。では西日本JRバスはなぜここに来て新規路線の開設に積極的になったのでしょうか?

西日本JRバスにとって一番大きな需要があるのは大阪・京都・神戸からの高速バス路線ですが、この路線には阪急バスや南海バスなどの大手私鉄系のバス会社も路線を多数開設しています。特に一番のドル箱と言える京阪神~四国間の路線は私鉄系の会社や四国側のバス会社などの路線と競合する激戦区。路線に関しても一通り開拓された後なので、まだ路線がなく、競合の可能性も少ない路線を探した結果が北陸~四国の高速バス路線だったのではないでしょうか。

 

では、次に開設の可能性があるとしたらどの路線になるのでしょうか?北陸ドリーム四国号のデータを基準に、前述の全国幹線旅客純流動調査から予想してみましょう。

まず基準となる北陸ドリーム四国号のデータですが、北陸~徳島・香川・高知間の旅客流動を調べて見ると年間13.8万人。北陸ドリーム四国号に使用されるバスは28人乗りですから、28人×往復×365日で年間の提供座席数は20,440席。乗車率60%としたら年間の推定利用者数は約1万2200人という事になり、前述の旅客流動の人数で割ると約8.9%のシェアを取る計算になります。もちろん、他の交通機関の本数や所要時間などにも左右されますので一概には言えないと思いますが、大体旅客流動の1割程度、1万2~3千人程度が見込めるのであれば開設の可能性は十分に考えられます。

また、夜行路線を開設するには概ね300~350kmの範囲内で中間地点を設ける必要があります。1日1~2往復程度で新規に営業所を開設するのは難しいと思うので、既存の西日本JRバスの営業所を活用する、という前提で路線を考えてみたいと思います。

 

まず真っ先に考えられるのは富山・金沢・福井~米子・松江・出雲間。北陸~山陰間の旅客流動は17.2万人と北陸ドリーム四国号よりも多く、なおかつ北陸ドリーム四国号や百万石ドリーム広島号のようにダイレクトに結ぶ交通機関が存在しません。乗務員交代に関しても前述の2路線同様、京都営業所で交代すれば十分対応可能です。出雲大社ブームもありますし、高速バス1往復程度なら十分やって行けるのではないでしょうか?

次に可能性があるのは北陸~松山路線。こちらの旅客流動は年間11.8万人と少なめですが、愛媛県は北陸ドリーム四国号で唯一カバーできていませんし、丸亀や坂出と言った北陸ドリーム四国号が通らない香川県西部にも停車すれば何とか基準はクリアできるのではないかと思います。ただ、富山~松山間は700km以上あるので、夜行運転の乗務員の運行距離最大400kmという基準を考えると大阪での交代になるか、金沢発にしてしまうかも知れません。

そしてもう一つ有力なのが北陸~静岡の路線。北陸3県~静岡の旅客流動は年間72万人と岡山・広島よりも多く、しかもダイレクトにつなぐ交通機関がありません。東海道新幹線乗り継ぎにしても米原での接続は良くないので、この区間は意外と夜行高速バスの需要はあるのではないかと思います。やるとすれば富山⇒金沢⇒福井で北陸道経由と福井⇒金沢⇒富山で東海北陸道経由のどちらになるか、浜松や掛川・磐田と言った途中の都市にも止めるのかといった問題がありますが、乗務員交代できそうなのがJR東海バスの名古屋支店しかなさそうな事を考えると北陸道経由になるのではと思います。細かく停車して需要を拾っていけば勝算は十分あると思うんですがどうでしょうか?

 

 

こうして見ると発表時は無謀に見えた北陸発着の地方間路線も、意外と開拓の余地がある事がお分かり頂けるのではないかと思います。西日本JRバスのこうした試みが上手く行けば、他のJRバスもこれまで考えられなかったようなルートでの夜行高速バス路線開設を試みるかも知れません。まずは13日から運航開始する「百万石ドリーム広島号」が上手く軌道に乗って欲しいところです。この路線が成功すれば、北陸ドリーム四国号の成功は決してまぐれでは無いことが証明され、地方間の夜行高速バス開設の弾みになるのではないでしょうか。

かつて「東海道昼特急」という、従来の常識では考えられないような長距離昼行高速バスを作って成功させた経験のある西日本JRバス。果たして「百万石ドリーム広島号」を成功させて地方間夜行高速バスのパイオニアとなれるのか。個人的には是非成功させて他の路線も開拓して行って欲しいなと思います。

 

 

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ガルーダのCEOがデリバリーフライトでハーレーを「密輸」できたワケ

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12月8日、ガルーダ・インドネシア航空のイ・グスティ・ングラ・アスカラ・ダナディプトラ最高経営責任者(CEO)が、ガルーダが受領したエアバスA330-900neoのデリバリーフライトの際、ハーレーダビッドソンのバイク1台とブロンプトンの高級自転車2台を税関を通さずに持ち込もうとしたとして国税当局に摘発されました。

A330-900neoの1号機は11月17日にエアバス本社のあるトゥールーズからジャカルタまでデリバリーフライトされ、アスカラCEOも同乗していましたが、その際に提出された積荷目録や搭乗者名簿には「社長ら幹部と従業員だけが乗っている」と書かれていました。しかし実際には前述のバイクと自転車2台が積み込まれており、税関にも申告されていませんでした。

「密輸」はSNSの投稿で発覚したようで、これを受けてガルーダはアスカラCEOを含む幹部4人を解雇。アスカラCEOは2018年9月に就任したばかりでしたが、わずか1年3か月でその椅子を追われることになりました。インドネシアでは生活必需品の関税は低いもののぜいたく品の関税は最大200%と高額であり、今回の「密輸」で脱税した金額は最大15億インドネシア・ルピア(1160万円)だそうです。確かにそれだけ高額だと密輸したくなる気持ちも分からなくもないですが、それにしても一国のフラッグキャリアのCEOとしては余りにセコい理由でクビになったものです。

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さて、普通のフライトであればバイクや自転車のような大きな商品を税関の目に触れずに運ぶことはまず不可能です。空港で貨物室に入れる段階で税関検査がありますし、到着後も通関が待ち受けているので、普通は黙って持ち込もうとしてもどちらかで発覚します。そうでなくとも空港内に荷物を搬入する前にセキュリティチェックを受けますから、まずそこで荷物の存在がばれてしまいます。空港への搬入、飛行機への積み込み、到着後の通関と言ったいくつものチェックポイントを怪しまれずに通過するのはまず無理でしょう。

 

ところがデリバリーフライトだとそのハードルは幾分か下がります。恐らく今回の「密輸」もデリバリーフライトという「特殊なフライト」の盲点ををついて行われたものでしょう。ここから先は私の推測になりますので、話半分に聞いて頂ければと思います。

 

まず出発地はボーイングだとシアトル・ペインフィールドかチャールストン、エアバスだとフランスのトゥールーズから。つまり工場に隣接する空港から直接離陸することになります。もちろん、通常の空港同様セキュリティチェックはありますが、基本的にデリバリーフライトに搭乗するのは大半が受領した航空会社の従業員ですので、メーカー側もそこまで厳重にはチェックしないでしょう。件のガルーダの場合、バイクや自転車は分解された状態だったそうですから、「業務上使用する部品」と言えばそこまで怪しまれることはないかも知れません。通常のフライトよりも不審者リスクが低い分、予定外の荷物を持ち込む余地はあるという事です。

 

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flyteam.jp

 

次に到着地の空港ですが、流石に普通のフライト同様通関検査はあるはずです。しかしデリバリーフライトは基本的には航空会社の従業員しか乗っておらず、手荷物以外の荷物は載せていないと考えるのが自然。ましてや「荷物は積んでいない」と申告していますから、税関も「まあデリバリーフライトだし大きい荷物なんか積んでないだろう」とスルーされる可能性が高いです。さらに初号機のデリバリーフライトともなると到着後に機体のセレモニーやお披露目がある場合が多く、余計に貨物室の確認がしにくいので後回しにされる可能性が高い。そのどさくさに紛れて荷物をおろしてしまえば無事密輸完了。後は他の便の貨物や社内向けの荷物を運ぶトラックにでも紛れ込ませてしまえばいいでしょう。

実際のところ、そこまで上手く行くとは限りませんし、事実今回も最終的には税関にバレています。しかし、不特定多数の乗客が乗る通常のフライトと違い、関係者しか乗らないデリバリーフライトは「まさか航空会社の社員が不正はしないだろう」という一種の「性善説」に基づいて通常程はチェックは厳しくないかも知れませんし、多少は隙があるのではないかと思います。とは言え、今回の事件はその航空会社の「信用」を悪用した行為ですから、やはり解雇は当然でしょう。アスカラ元CEOも手腕を買われてその地位についただけに、モラルの面でもしっかりして欲しかったなと思います。いくら優秀な人でも社会のルールを守れない人では意味がありませんから・・・

 

 【12月13日追記】

もう少し詳しい記事が出て来ました。特にアスカラCEOについて詳しく書かれています。それによるとアスカラ氏は国営の建設会社幹部や国営港湾会社の社長を務めた経歴を買われて2018年にガルーダのCEOに就任しましたが、長時間労働の強要や不当な配置転換など、経営合理化の旗印のもと乗務員に過大な要求をし、組合を中心とした従業員からの評判は悪かったようです。今回に限らず、航空会社の乗務員は制服を着ている事や身分証を下げている事から出入国管理や税関のチェックは比較的チェックが緩やかな事から、「密輸」をする乗務員は後を絶たないようです。

しかし、本来であれば従業員の「密輸」を問題視し、やめさせなければならないはずのCEOが自ら率先して「密輸」したわけですから、ある意味早いうちに追い出せてよかったのかも・・・

headlines.yahoo.co.jp

 

↓デリバリーフライトでハーレーを持ち込むにしてもプラモデル程度にしておけば良かったのに・・・

 

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