〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

人口動態や温泉観光客数から見た大聖寺・動橋の勢力争い

随分久しぶりになりましたが、新シリーズ「交通機関の栄枯盛衰」の第一作目「加賀湯けむり特急戦争」の前編をアップしました。原稿はできているのでこれから後編の編集に入ります!


【交通機関の栄枯盛衰】街と温泉の存亡をかけた仁義なき戦い!加賀特急戦争(前編)

 

 

 

さて、今回は動画の背景部分のうち「人口動態から見た大聖寺と動橋の勢力図」「加賀温泉郷の観光客数から見た温泉街の勢力図」の部分を掘り下げて、大聖寺と動橋の勢力争いを考察して行きたいと思います。

 

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・人口動態から見た大聖寺と動橋の勢力図

1958年に合併で誕生した加賀市ですが、合併前の旧町村の人口比はどんな感じだったのでしょうか。

 

加賀市内旧町村の人口(出典・加賀市史)

   1960年   1970年

総数 54548人  56514人

大聖寺町 14746人  14186人

山代町 11438人  13710人

片山津町 11310人  12027人

動橋町 4856人  5458人

橋立町 3756人  3441人

三木村 1994人  1798人

三谷村 1407人  1759人

南郷村 3729人  2932人

塩屋村 1312人  1203人

 

人口比で言えば大聖寺町が一番多いのですが、温泉街を抱えている山代町、片山津町も1万人を超えており、合併直後は数千人の差が開いていた人口も、加賀温泉駅が開業した1970年は大聖寺町の人口は微減、一方の山代町は人口が伸びて大聖寺町に迫る勢いです。やはりこの頃は加賀温泉郷の勢いは大きく、加賀市の経済を引っ張る存在だったようです。

また、意外にも動橋町の人口も数百人単位で伸びています。恐らく経済成長とベットタウン化などで人口が増えたのではないでしょうか?逆にかつては北前船で栄えた橋立町は人口減少しています。加賀市の中でも栄枯盛衰があったようですね。

 

・加賀温泉郷の観光客数から見た温泉街の勢力図

 

動画内では「戦後すぐは山中温泉が盟主だったが片山津温泉がレジャーブームの波に乗って急速に宿泊客を増やし、その後1965年に山中を抜いて盟主となった」としていますが、もう少し細かく見て行きましょう。なお、山中温泉は大聖寺が最寄り駅、片山津・山代温泉は動橋が最寄り駅、粟津温泉は粟津が最寄り駅です。

 

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まずは戦後すぐの1946(昭和21)年。数字は全て加賀市史からの出店です。なお、小松市にある粟津温泉に関してはこの頃の数字は手持ちの資料になかったので割愛します。

山中 153846人

山代 18412人

片山津 125659人

 

山中温泉が最大ではありますが、片山津も結構利用者が多いですね。一方の山代温泉は他の2温泉に比べて温泉客が明らかに少ない事が分かるかと思います。これは温泉の権利問題などで町や組合などが長年対立し、温泉街の開発や観光客誘致が進まなかった為で、山代温泉の停滞は地理的なものというよりは人的なものであると言えます。

 

 

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次にそれから10年後の1956(昭和31)年。ここからは粟津温泉の数字もあるので一緒に記載します。

山中 31.7万人(1946年比105.8%増加)

山代 8.4万人(366.7%増加)

片山津 22.6万人(79.9%増加)

粟津 11.9万人

 

10年前に比べると山中、片山津も温泉客数は倍になっています。一方の山代は4倍以上とその増加ペースは大きいですが、この頃はまだ山中・片山津はおろか小松市の粟津温泉にも負けています。駅の勢力図的には大聖寺と動橋の互角と言ったところでしょうか。

 

次は特急「白鳥」が運転を開始した1961(昭和36)年。

山中 52.4万人(1956年比65.3%増加)

山代 31.7万人(277.4%増加)

片山津 42.0万人(85.8%増加)

粟津 20.8万人(74.8%増加)

 

依然として山中がトップですが、その伸び率は他の温泉に比べるとやや鈍化しています。一方の山代温泉は相変わらずの高い伸び率で、片山津温泉と合わせると山中温泉を超えています。この頃は温泉客利用に限って言えば動橋の方が優勢でした。

 

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次は加賀温泉駅が開業した1970(昭和45)年。

山中 65.9万人(1961年比25.8%増加)

山代 70.6万人(122.7%増加)

片山津 101.0万人(140.5%増加)

粟津 34.3万人(64.9%増加)

 

高度経済成長に伴うレジャーブームの波に乗り、片山津と山代は大きく利用者を伸ばしていますが、山中は駅や幹線道路から離れた立地が災いしたのか、その伸びは完全に鈍化しました。これだけを見ると勢いがある山代・片山津を抱える動橋の方が有利なように見えますが、既にこの頃は温泉客輸送はマイカーや貸切バスによる自動車輸送にシフトし始めており、仮に加賀温泉駅がなかったとしても動橋駅にはそこまで有利には働かなかったかもしれません。

 

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最後に手持ちの記録が残っている1978(昭和53)年。この間、1973年10月17日には北陸自動車道小松~丸岡間が開通し、片山津IC、加賀ICが供用開始。この頃には敦賀~富山間がつながっており、2年後の1980年には米原JCTまで延伸して関西方面とダイレクトにつながりました。

 

山中 59.4万人(1970年比9.9%減少)

山代 135.6万人(92.1%増加)

片山津 135.8万人(34.5%増加)

粟津 50.4万人(46.9%増加)

 

加賀温泉駅から一番近い山代温泉は相変わらず大幅に増加しており、高速道路のICから近い片山津、粟津もそこそこ増加しています。一方、加賀温泉駅からも高速のICからも一番遠い山中温泉はとうとう減少に転じてしまいました。交通機関の有無が温泉の明暗を分けてしまった格好ですね。

 

いかがでしたでしょうか。人口比や温泉の利用者数からも大聖寺と動橋の勢力図争いの優劣が伺えますし、当時の動橋の地位がかなり高かったことが分かるのではないでしょうか。また、交通機関の利便性が温泉の利用者数にも大きな影響を与えている事が分かりますね。この後の各温泉の勢力図は後編をアップした後に改めてご紹介したいと思います。

 

 

 

 

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ファーイースタン航空(遠東航空)運航停止・・・新幹線が一変させた台湾の空

12月12日、台湾の航空会社・ファーイースタン航空(遠東航空)は、資金繰りの悪化を理由に13日以降の運行をすべて停止すると発表しました。航空券の販売は停止しており、従業員約1000人も清算に必要な人員を除き全員解雇となりました。このまま清算になるものと思われます。

日本へは2016年の新潟への定期チャーター便を皮切りに、秋田、福島、新潟へ週2便ずつ運航されていました。日本はもちろん、今や世界中でも珍しくなったMD-80を使用していた事で航空ファンからも注目されていた会社でしたが、突然の運航停止で日本でも台湾に取り残された人や、台湾に出発予定だった人が行けなくなるなどの被害が予想されます。

本当に突然の運航停止だったのか、日本側にも事前の連絡はなかったようです。今後代金の返金はあるのか、帰りの足を失った人が無事帰ってこれるのか、気がかりな所です。

headlines.yahoo.co.jp

 

sky-budget.com

 

www.traicy.com

 

ファーイースタンの運航停止はこれが初めてではなく、2008年にも原油高と台湾高速鉄道(台湾新幹線)の開業に伴う急速な国内線の落ち込みで経営が悪化、資金繰りに行き詰って運航停止に追い込まれました。以前は台北~高雄を中心とした台湾の旺盛な国内線需要のおかげで、国内航空会社はファーイースタン、トランスアジア、ユニー航空(エバー航空系)、マンダリン航空(チャイナエアライン系)の4社がしのぎを削っていましたが、台湾高速鉄道の開業後は人口の多い西海岸側の路線は壊滅状態となってしまいました。4社の中で一番規模が小さく、体力もなかったファーイースタンは真っ先に行き詰ってしまったのです。

 

その後会社は休業状態となり、保有機も台北松山空港に野ざらしになっていましたが、2010年1月12日に運航再開計画書が提出され、復活に向けて動き出します。再開までには時間がかかりましたが、2011年4月に台北松山~金門線で運航を再開し、徐々に路線を増やしていっていました。

しかし、台湾の航空業界は国内線は台湾高速鉄道のおかげで壊滅状態で、わずかに残った人口の少ない東海岸路線と離島路線を4社で奪い合う状態。国際線にしても国内4社に加えタイガーエア台湾などの大手系列LCCや海外のフルサービスキャリア、バニラエアや香港エクスプレス、ジンエアーなどの海外LCCがひしめく激戦区の為、以前から過当競争が指摘されていました。2016年11月21日にはトランスアジア航空が突然運航停止を決定し、会社解散となってしまうなど弱い立場の会社ほど苦しい経営を強いられていました。2年前からは航空当局から財務基盤の脆弱さを指摘され、経営の監視を受けるなど、ファーイースタン航空も経営は火の車だったようです。

 

さらにファーイースタンにとって不運だったのが機材更新の失敗。2016年にはMD-80シリーズの後継としてリース会社からボーイング737-800型を調達する計画を立てましたが、機体の状態を巡って訴訟沙汰に発展し、更新計画は失敗してしまいました。2018年4月にはボーイング737MAX-8型を最大11機購入する契約を結び、2019年第4四半期から運航を開始する予定でしたが、その前に737MAXの運航停止で納入計画もストップ。機齢30年近いMD-80シリーズを使い続けるしかなくなってしまいました。

国内線に関してはATR72型でMD-80型を置き換えることで凌いでいましたが、より距離の長い国際線はそうはいかず、機材不足が原因と思われる飛行時間超過などで当局から運航の制限を受けるなど、機材繰りに関しても綱渡りだったようで、満身創痍の中で資金繰りにも行き詰ってしまい、今回の運航停止に追い込まれたのではないでしょうか。

flyteam.jp

 

ファーイースタン航空の運航停止は直接的には資金繰りの悪化と過当競争にあります。しかし、元を正せば台湾高速鉄道の開業でドル箱の国内線を失った事で経営基盤が揺らいだこと、各社とも残る国際線に活路を見出そうとして路線開設を行った結果、過当競争に陥って共倒れになってしまいました。

台湾高速鉄道が航空業界を追い詰めた、とは言いません。台湾高速鉄道の開業で航空路線が大きな影響を受けることは開業前から分かっていた事ですし、そうなる前に他の収益源を育てたり、再編に動くなど手は打てたはずです。機材更新がままならないなど不運な要素はあったと思いますが、運航停止に陥る前に合併や段階的な運航停止など、軟着陸させるための方策はなかったのかと思ってしまいます。恐らく、ファーイースタン航空の2度目の復活はないと思いますし、仮に復活したとしても同じ結果になるだけだと思います。

 

一方で台湾には来月から新しい航空会社、スターラックス航空(星宇航空)が運航を開始します。こちらは最初から中長距離国際線を狙っていますし、資金面も潤沢なのですぐに行き詰まる事はないと思われますが、台湾路線の過当競争は続く事になります。形はどうあれ、ファーイースタンの退場で経営不安のある航空会社は当面出てこないと思いますが、願わくばこれ以上突然運航停止になる航空会社は出てきてほしくないですね。

 

・・・航空需要が急減している隣のあの国で出そうな気もしますが、

 

www.meihokuriku-alps.com

 

【12月13日追記】

このまま清算されるかと思われたファーイースタン航空ですが、良く分からない事態になってきました。張会長が記者会見を開き「会社を閉じるつもりは毛頭ない」と営業継続の意向を強調したのです。12日には副社長が台湾交通部と記者会見を開いて運航停止と全従業員の解雇を発表したのですが、張会長はこれを否定。2週間前後で約10億台湾元(36億2000万円)の資金が調達できる見通しとし、運営資金の帳簿には4000万元(約1億4500万円)が残ってると主張。交通部民航局に運航再開の同意を求めました。

一方で民航部はあくまでもファーイースタン航空の運航継続は不可能とし、交通部に航空事業許可の取り消しを求める公文書を提出しました。張会長の言い分と民航局の方針が真っ向から対立しており、運航継続なのか、やはり運航停止なのか、はっきりわからない状態です。しかし、張会長の資金調達のめどが立っているという言い分に具体的な根拠や資金提供元の名前がないので、現状では運航停止の可能性の方が高いのかなと思います。いずれにせよ、この問題はしばらく続く事になりそうです。

headlines.yahoo.co.jp

 

 

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西日本JRバスが地方間夜行高速バスの開設に積極的なワケ

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西日本JRバスと中国JRバスは12月13日(金)から富山・金沢~岡山・広島間を走る夜行バス「百万石ドリーム広島号」の運行を開始します。政令指定都市が発着地でない夜行高速バスは異例の事で、同様のケースは6月21日に運行開始した「北陸ドリーム四国号」に続いて2例目になります。

trafficnews.jp

 

headlines.yahoo.co.jp

 

「北陸ドリーム四国号」の運行開始時も「こんな路線作って採算取れるの?」との疑問の声が上がりましたが、蓋を開けてみると利用率は60~70%と堅調な数字。「百万石ドリーム広島号」に関しても、国土交通省の全国幹線旅客純流動調査によると北陸三県~岡山・広島間の旅客流動は年間53万8千人あり、なおかつ両者を直接結ぶ交通機関がないため、勝算ありと踏んだ結果の参入の様です。

 

trafficnews.jp

 

以前から西日本JRバスは北陸からの夜行高速バス開設に積極的で、2008年には富山・金沢~名古屋間の「北陸ドリーム名古屋号」を開設し、2017年には金沢・富山~仙台間で「百万石ドリーム政宗号」を土日祝日運航で開設(翌年からは毎日運航)。そこへきての四国と山陽地区への路線開設ですから、いかに西日本JRバスの高速バス事業が好調かが分かります。

 

しかし、全国的に見ればバスの運転手は慢性的に人手不足。特に夜行高速バスは昼夜逆転の勤務体系や一度出発すると3日間は帰ってこれない長丁場な業務、夜行の為ツーマン運航か途中のSAでの長時間休憩が必要になるなど昼間の高速バスよりも余計に人手がかかります。それ故相対的に人件費の高い大都市圏のバス会社は夜行高速バスから手を引くケースが相次ぎ、運行は地方のバス会社で大都市側の会社は予約や支援業務のみ、というケースが増えています。そう考えると西日本JRバスの路線開設ラッシュはその傾向に逆行しているように見えますが、なぜ他の会社よりも新路線の開拓に積極的になれるのでしょうか?

 

 

その秘密はJRバスグループ独自の運行管理体制にあります。元々JRバスは国鉄の自動車部門にルーツを持っており、「ドリーム号」に代表される夜行高速バスのノウハウは古くから有していました。国鉄時代からドリーム号は静岡県の三ケ日で乗務員を交代しており、この方式は全国のJRバスに広がっています。

例えば金沢~東京間の夜行高速バスは長野県の湯ノ丸SAでJRバス関東と西日本JRバスの乗務員が交代する方式を取っており、北陸ドリーム四国号や百万石ドリーム広島号は西日本JRバスの京都営業所で乗務員を交代。つまり、行程の中間地点で乗務員を交代させる変則ワンマン運転を採用しており、運転手の負担軽減と効率的な運用で路線の維持・拡大に成功しているのです。中間地点には乗務員交代と運行管理の為の営業支店を置くか、既存のJRバスの支店を活用。これも全国各地に営業拠点があった国鉄⇒JRバスの資産や国鉄バス時代からのJRバス各社の協力関係が有効活用されていると言っていいでしょう。

この方式なら乗務員も4~6時間程度の運転時間で交代することができ、支店でゆっくり休んで次の日の夜行で引き返せばいいですから、身体的・時間的な負担は軽減されます。また、中間地点に乗務員拠点を置くことで運転手の勤務シフトが組みやすくなり、万が一のスタンバイ要員の確保や派遣も容易です。新路線の開設に関しても他社よりは運転手の融通の心配をしなくても済みますし、共同運行の相手は同じJRバスですから会社間の調整も比較的容易でしょう。ある意味、今のJRバスの立ち位置は高速バス路線の運行に適していると言えます。

www.jrbuskanto.co.jp

 

www.jrtbinm.co.jp

 

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これでJRバスグループが新規路線の開設をしやすい立ち位置にある事はお分かり頂けたと思います。では西日本JRバスはなぜここに来て新規路線の開設に積極的になったのでしょうか?

西日本JRバスにとって一番大きな需要があるのは大阪・京都・神戸からの高速バス路線ですが、この路線には阪急バスや南海バスなどの大手私鉄系のバス会社も路線を多数開設しています。特に一番のドル箱と言える京阪神~四国間の路線は私鉄系の会社や四国側のバス会社などの路線と競合する激戦区。路線に関しても一通り開拓された後なので、まだ路線がなく、競合の可能性も少ない路線を探した結果が北陸~四国の高速バス路線だったのではないでしょうか。

 

では、次に開設の可能性があるとしたらどの路線になるのでしょうか?北陸ドリーム四国号のデータを基準に、前述の全国幹線旅客純流動調査から予想してみましょう。

まず基準となる北陸ドリーム四国号のデータですが、北陸~徳島・香川・高知間の旅客流動を調べて見ると年間13.8万人。北陸ドリーム四国号に使用されるバスは28人乗りですから、28人×往復×365日で年間の提供座席数は20,440席。乗車率60%としたら年間の推定利用者数は約1万2200人という事になり、前述の旅客流動の人数で割ると約8.9%のシェアを取る計算になります。もちろん、他の交通機関の本数や所要時間などにも左右されますので一概には言えないと思いますが、大体旅客流動の1割程度、1万2~3千人程度が見込めるのであれば開設の可能性は十分に考えられます。

また、夜行路線を開設するには概ね300~350kmの範囲内で中間地点を設ける必要があります。1日1~2往復程度で新規に営業所を開設するのは難しいと思うので、既存の西日本JRバスの営業所を活用する、という前提で路線を考えてみたいと思います。

 

まず真っ先に考えられるのは富山・金沢・福井~米子・松江・出雲間。北陸~山陰間の旅客流動は17.2万人と北陸ドリーム四国号よりも多く、なおかつ北陸ドリーム四国号や百万石ドリーム広島号のようにダイレクトに結ぶ交通機関が存在しません。乗務員交代に関しても前述の2路線同様、京都営業所で交代すれば十分対応可能です。出雲大社ブームもありますし、高速バス1往復程度なら十分やって行けるのではないでしょうか?

次に可能性があるのは北陸~松山路線。こちらの旅客流動は年間11.8万人と少なめですが、愛媛県は北陸ドリーム四国号で唯一カバーできていませんし、丸亀や坂出と言った北陸ドリーム四国号が通らない香川県西部にも停車すれば何とか基準はクリアできるのではないかと思います。ただ、富山~松山間は700km以上あるので、夜行運転の乗務員の運行距離最大400kmという基準を考えると大阪での交代になるか、金沢発にしてしまうかも知れません。

そしてもう一つ有力なのが北陸~静岡の路線。北陸3県~静岡の旅客流動は年間72万人と岡山・広島よりも多く、しかもダイレクトにつなぐ交通機関がありません。東海道新幹線乗り継ぎにしても米原での接続は良くないので、この区間は意外と夜行高速バスの需要はあるのではないかと思います。やるとすれば富山⇒金沢⇒福井で北陸道経由と福井⇒金沢⇒富山で東海北陸道経由のどちらになるか、浜松や掛川・磐田と言った途中の都市にも止めるのかといった問題がありますが、乗務員交代できそうなのがJR東海バスの名古屋支店しかなさそうな事を考えると北陸道経由になるのではと思います。細かく停車して需要を拾っていけば勝算は十分あると思うんですがどうでしょうか?

 

 

こうして見ると発表時は無謀に見えた北陸発着の地方間路線も、意外と開拓の余地がある事がお分かり頂けるのではないかと思います。西日本JRバスのこうした試みが上手く行けば、他のJRバスもこれまで考えられなかったようなルートでの夜行高速バス路線開設を試みるかも知れません。まずは13日から運航開始する「百万石ドリーム広島号」が上手く軌道に乗って欲しいところです。この路線が成功すれば、北陸ドリーム四国号の成功は決してまぐれでは無いことが証明され、地方間の夜行高速バス開設の弾みになるのではないでしょうか。

かつて「東海道昼特急」という、従来の常識では考えられないような長距離昼行高速バスを作って成功させた経験のある西日本JRバス。果たして「百万石ドリーム広島号」を成功させて地方間夜行高速バスのパイオニアとなれるのか。個人的には是非成功させて他の路線も開拓して行って欲しいなと思います。

 

 

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ガルーダのCEOがデリバリーフライトでハーレーを「密輸」できたワケ

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12月8日、ガルーダ・インドネシア航空のイ・グスティ・ングラ・アスカラ・ダナディプトラ最高経営責任者(CEO)が、ガルーダが受領したエアバスA330-900neoのデリバリーフライトの際、ハーレーダビッドソンのバイク1台とブロンプトンの高級自転車2台を税関を通さずに持ち込もうとしたとして国税当局に摘発されました。

A330-900neoの1号機は11月17日にエアバス本社のあるトゥールーズからジャカルタまでデリバリーフライトされ、アスカラCEOも同乗していましたが、その際に提出された積荷目録や搭乗者名簿には「社長ら幹部と従業員だけが乗っている」と書かれていました。しかし実際には前述のバイクと自転車2台が積み込まれており、税関にも申告されていませんでした。

「密輸」はSNSの投稿で発覚したようで、これを受けてガルーダはアスカラCEOを含む幹部4人を解雇。アスカラCEOは2018年9月に就任したばかりでしたが、わずか1年3か月でその椅子を追われることになりました。インドネシアでは生活必需品の関税は低いもののぜいたく品の関税は最大200%と高額であり、今回の「密輸」で脱税した金額は最大15億インドネシア・ルピア(1160万円)だそうです。確かにそれだけ高額だと密輸したくなる気持ちも分からなくもないですが、それにしても一国のフラッグキャリアのCEOとしては余りにセコい理由でクビになったものです。

www.traicy.com

 

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さて、普通のフライトであればバイクや自転車のような大きな商品を税関の目に触れずに運ぶことはまず不可能です。空港で貨物室に入れる段階で税関検査がありますし、到着後も通関が待ち受けているので、普通は黙って持ち込もうとしてもどちらかで発覚します。そうでなくとも空港内に荷物を搬入する前にセキュリティチェックを受けますから、まずそこで荷物の存在がばれてしまいます。空港への搬入、飛行機への積み込み、到着後の通関と言ったいくつものチェックポイントを怪しまれずに通過するのはまず無理でしょう。

 

ところがデリバリーフライトだとそのハードルは幾分か下がります。恐らく今回の「密輸」もデリバリーフライトという「特殊なフライト」の盲点ををついて行われたものでしょう。ここから先は私の推測になりますので、話半分に聞いて頂ければと思います。

 

まず出発地はボーイングだとシアトル・ペインフィールドかチャールストン、エアバスだとフランスのトゥールーズから。つまり工場に隣接する空港から直接離陸することになります。もちろん、通常の空港同様セキュリティチェックはありますが、基本的にデリバリーフライトに搭乗するのは大半が受領した航空会社の従業員ですので、メーカー側もそこまで厳重にはチェックしないでしょう。件のガルーダの場合、バイクや自転車は分解された状態だったそうですから、「業務上使用する部品」と言えばそこまで怪しまれることはないかも知れません。通常のフライトよりも不審者リスクが低い分、予定外の荷物を持ち込む余地はあるという事です。

 

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flyteam.jp

 

次に到着地の空港ですが、流石に普通のフライト同様通関検査はあるはずです。しかしデリバリーフライトは基本的には航空会社の従業員しか乗っておらず、手荷物以外の荷物は載せていないと考えるのが自然。ましてや「荷物は積んでいない」と申告していますから、税関も「まあデリバリーフライトだし大きい荷物なんか積んでないだろう」とスルーされる可能性が高いです。さらに初号機のデリバリーフライトともなると到着後に機体のセレモニーやお披露目がある場合が多く、余計に貨物室の確認がしにくいので後回しにされる可能性が高い。そのどさくさに紛れて荷物をおろしてしまえば無事密輸完了。後は他の便の貨物や社内向けの荷物を運ぶトラックにでも紛れ込ませてしまえばいいでしょう。

実際のところ、そこまで上手く行くとは限りませんし、事実今回も最終的には税関にバレています。しかし、不特定多数の乗客が乗る通常のフライトと違い、関係者しか乗らないデリバリーフライトは「まさか航空会社の社員が不正はしないだろう」という一種の「性善説」に基づいて通常程はチェックは厳しくないかも知れませんし、多少は隙があるのではないかと思います。とは言え、今回の事件はその航空会社の「信用」を悪用した行為ですから、やはり解雇は当然でしょう。アスカラ元CEOも手腕を買われてその地位についただけに、モラルの面でもしっかりして欲しかったなと思います。いくら優秀な人でも社会のルールを守れない人では意味がありませんから・・・

 

 【12月13日追記】

もう少し詳しい記事が出て来ました。特にアスカラCEOについて詳しく書かれています。それによるとアスカラ氏は国営の建設会社幹部や国営港湾会社の社長を務めた経歴を買われて2018年にガルーダのCEOに就任しましたが、長時間労働の強要や不当な配置転換など、経営合理化の旗印のもと乗務員に過大な要求をし、組合を中心とした従業員からの評判は悪かったようです。今回に限らず、航空会社の乗務員は制服を着ている事や身分証を下げている事から出入国管理や税関のチェックは比較的チェックが緩やかな事から、「密輸」をする乗務員は後を絶たないようです。

しかし、本来であれば従業員の「密輸」を問題視し、やめさせなければならないはずのCEOが自ら率先して「密輸」したわけですから、ある意味早いうちに追い出せてよかったのかも・・・

headlines.yahoo.co.jp

 

↓デリバリーフライトでハーレーを持ち込むにしてもプラモデル程度にしておけば良かったのに・・・

 

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中曽根元総理が国鉄分割民営化をやらなかったらどうなったか

2019年11月29日、元総理大臣の中曽根康弘氏が老衰の為101歳で亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。

 

www.jiji.com

 

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中曽根氏の大きな功績の一つとして「国鉄分割民営化」が挙げられます。37兆円もの長期債務を抱え、機能不全に陥っていた国鉄を地域ごとに分割・民営化し、債務と不採算路線を整理した現在のJRグループに再編した事で日本の鉄道は息を吹き返し、特にJR本州三社は自分の意思で適切な投資を行い、コスト管理をすることで競争力を高め、日本はもとより世界でも最大級の鉄道会社に変貌しました。

中曽根氏の訃報を受けてJR東日本は「国鉄の分割・民営化を主導し、今日の鉄道の発展につながる大きな功績を残された偉大な政治家を失ったことは誠に残念に思います」とのコメントを、JR西日本は「国鉄改革推進の主導的役割を果たされ、『鉄道の再生』を目指した故人の遺志を忘れることなく、安全で持続可能な鉄道の実現に取り組んでまいりたい」とのコメントを発表しました。また、旧国鉄時代に「改革三人組」の一人だったJR東海名誉会長の葛西敬之氏も「国鉄の分割民営化は、中曽根元総理のリーダーシップがあったからこそ実現できた。その結果が鉄道の今日の発展につながっており、大変大きな功績を残された。心よりご冥福をお祈りする」とのコメントを出しました。

一民間企業やそのトップだった人物が元総理の訃報にコメントを発表する事自体異例の事で、それだけ中曽根氏の国鉄分割民営化がその後の鉄道業界に大きな影響を与え、現在の日本の鉄道の発展に大きく貢献した事の表れと言えます。

 

jp.reuters.com

 

trafficnews.jp

 

trafficnews.jp

 

しかし中には「国鉄分割民営化は失敗だった」という声も少なからず出ています。好調を維持する本州三社の陰でJR北海道の経営が行き詰まり、JR四国も苦境に立たされている事、民営化の際に最も抵抗した最大労組の国鉄労働組合(国労)の組合員を中心に新会社への採用見送りで長年法廷闘争になった事、民営化後に夜行列車が衰退し、一部ローカル線が廃止になった事、国鉄の長期債務のうち国鉄清算事業団が引き受けた25兆5000億円は額を減らすどころか逆に増え、結局は国の一般会計に組み込まれて現在でも返済は続いていることなど「国鉄改革の負の部分」を取り上げて分割民営化を批判しているようです。

それでは、もし中曽根総理の時に国鉄分割民営化をせず、国鉄が温存されていたらどうなっていたでしょうか?今回は逆説的に国鉄が存続していたらという「もしも」の話から分割民営化の意義を考えてみたいと思います。なお、国鉄分割民営化に関しては鉄道ライターの杉山淳一氏のこの記事が分かりやすいです。

www.itmedia.co.jp

 

・そもそも国鉄の温存自体が「無理ゲー」だった

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いきなりこの見出しを出して「何を身も蓋もない事を」と思われたかも知れません。しかし、実際のところ国鉄が従来通りのシステムで存続することはどう考えても不可能でした。

まず分割民営化の最大の動機だった長期債務。この途方もない借金の出どころは国の財政投融資からの貸し付けと政府保証鉄道債券(鉄道債)でした。財政投融資のお金の出どころは郵便貯金や簡易保険、国民年金や厚生年金であり、要は間接的に国民の財産から貸し付けられていたのです。財政投融資で貸し付けられるお金は「安定的な投資先」に限定されており、国鉄への融資もその一つでしたが、言い換えればお金の出どころは国民の財産なので何が何でも返済しなければいけないし、金利の減額も不可能。ましてや民間の債権放棄のように「踏み倒す」事など論外でした。

さらにもう一つの調達先の鉄道債も国債のように政府の債務保証が付き「安定的な投資先」という触れ込みで売り出されていたのでこちらも金利の減額や踏み倒しは不可能。さらに償還期限が短かった為、期限がきた鉄道債を返すために新たな鉄道債を発行し買ってもらう「鉄道債を返すための鉄道債」を発行し続ける事になり、これが長期債務の償還額増加や国鉄の資金繰り圧迫の原因となりました。国鉄末期には大蔵省も財政投融資からの貸し付けを渋り始め、民間の金融機関からの資金調達もできないので、資金繰り的には国鉄は「詰んでいた」状態だったのです。

 

では収入増加についてはどうでしょうか?今のJRや私鉄のように不動産業や小売業、ホテル業などの「関連事業」で儲けることができれば鉄道の赤字の穴埋めになりますし、事実JR九州は関連事業の収益で鉄道事業の赤字を埋めていました。しかし、これについても国鉄のままでは「NG」だったのです。

国鉄は公共事業体という性格上、民業圧迫につながるとして「副業」は厳しく制限されていました。国鉄に認められた関連事業は青函連絡船などの船舶事業、バス事業、国鉄職員を対象にした「国鉄病院」と「国鉄共済組合」くらいで、駅構内売店の「キヨスク」は国鉄ではなく鉄道弘済会の運営、主要駅に多くあった「ステーションデパート」も国鉄の経営ではなく、地元有力者が出資して立てた「民衆駅」であり、構内の商業施設の経営は出資した有力者が行い、国鉄には地代収入しか入りませんでした(のちに国鉄の直接投資も可能に)

更には収益の大きな柱だった貨物事業はトラック輸送に取って代わられ、スト権ストで完全に信用を失って以後は完全な赤字事業でした。国鉄末期には旅客事業に関しては黒字化していましたが、貨物事業の赤字や長期債務の利子がそれを上回り、国鉄全体としては最後まで赤字のままでした。

 

更に戦後すぐの引揚者の雇用の受け皿として国鉄が必要以上に採用した結果、余剰人員を多く抱えていた事、立場としては公共企業体という「準公務員」扱いで福利厚生の負担も大きいのにそれに見合った国からの支援がなかった事も経営圧迫の一因となります。また、「公共事業体」という立場上赤字ローカル線の引き受け(というか押し付け)をされ、値上げも長年認められなかったにもかかわらず、「独立採算の公共体だから」という事で国からの財政支援は一切ありませんでした。ある意味、国鉄は行政と民間の「悪いとこどり」をした組織であったと言えます。

 

要するに、末期の国鉄は

・一企業では到底返せない借金を抱え、利子返済だけでも1兆円を超えていた

・旅客事業は再生の見込みがあったが、それ以上に貨物事業が足を引っ張っていた

・運輸事業以外の新規事業参入が認められず、赤字を埋めるための収益確保の手段がなかった

・「公共機関だから」と色々負担や制約はあるのに「役所じゃないから」という理由で財政的な支援はなかった

 

と、組合問題や組織の荒廃などの問題を抜きにしても制約やマイナス要素が多すぎ、誰がどう運営しても好転の見込みがない状態でした。抜本的な改革をしなければ改善することはなく、もしこの時点で国鉄問題を先送りにし、従来通りの形態で国鉄の組織を温存して長期債務がズルズルと増えて行けば、今頃国鉄の長期債務は100兆円を軽く突破して今以上に政府の財政や年金の運用を圧迫していたかもしれません。そして、そのツケを払うのは我々国民ですので、今以上に国民の負担が大きくなっていたかも知れません。そういう意味では「今まで通りの形態でやっていく」というのはどう考えても無理ゲーでした。

 

・国鉄が温存されたとしても民営化と大差ない組織になっていた

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上記の事から、国鉄の組織や仕組みをそのまま残す事は「不可能」である事はお分かり頂けたと思います。では、国鉄を残したうえで持続可能な組織に生まれ変わらせるにはどうすればよかったのでしょうか?

 

まず大前提として「長期債務を切り離して利子負担をなくし、国鉄全体の収支を均衡以上にする」ことが必要になります。少なくとも今までの長期債務の大半は国が引き受けて返済し、国鉄に残す債務は多くても数兆円程度にとどめる必要があります。また、鉄道債についても新規の発行には制限を設け、赤字の貨物事業は大リストラ。黒字の旅客事業についても赤字ローカル線の整理は免れないでしょう。さらに独立採算でも運営していけるよう、他の事業への参入も認める必要があります。関連事業の人員は運輸部門の余剰人員を配置転換すれば何とか行けるでしょう。赤字事業の整理と非運輸部門の拡大による収益増加、利子負担の軽減で何とか国鉄は自力で維持できる程度には持ち直すことができるのではないでしょうか?

 

 

 

・・・と、ここまで読んで気付いたと思いますが、これらは全て「国鉄分割民営化」の前後に起こった事です。結局、国鉄問題の根本的な解決方法は「長期債務の処理と自立可能な組織への転換」でしたので、そのために必要な事を考えればおのずと史実の国鉄分割民営化と同じことをする、という結論になるのです。史実との違いは「公営のまま残す」事と「分割しない」事くらいですが、関連事業の参入許可についてはやはり「民業圧迫」の問題が付いて回りますので、国鉄のままだったら認められることはなく、せいぜい駅ビルの自社開発や、駅構内の売店・飲食店経営の直営化が認められるくらいだったのではないでしょうか。

 

・国が介入する余地を残したままだといずれ問題は再燃し、再び経営危機を迎えた

上記のような抜本的な改革をして、国鉄を持続可能な組織に転換させたとしても、懸念事項はまだ残ります。「公共企業体」と言う形を温存すると言う事は、国の介入の余地を残すと言う事。国が事あることに国鉄の運営や新線建設に口を出し、莫大な建設費用がかかる路線の建設や運営を国鉄に押し付ける可能性は十分に考えられます。

流石に赤字ローカル線の建設は鳴りを潜めるでしょうが、ローカル線よりも遥かに建設費がかかる「整備新幹線」の建設を押し付けられた可能性は大きいでしょう。

無論、新幹線なら採算性はローカル線よりも良いとは思いますが、建設費は兆単位となり、債務負担はローカル線の比ではありません。現行の整備新幹線建設スキーム同様、大半の建設費は国や沿線自治体が負担するとは思いますが、「公共企業体」と言う性格上、並行在来線の分離は認められず、引き継ぎ国鉄が経営する事になるのではないでしょうか?建設自体も「国鉄は公共企業体だし拒否権はない」と言う理屈で事実よりも認可→着工のスピードは早かったかも知れませんが、その分国鉄の債務は増え、赤字の並行在来線も増えていくことになります。

 

そして、国の介入を許すともう一つ、「親方日の丸体質」が温存されると言う問題があります。何をするにしても国の顔色を伺うようになり、意思決定のスピードも設備投資も史実のJRよりも遥かに遅く、革新的なサービスや技術、車両は生まれなかったかも知れません。そして気が付けば事なかれ体質が蔓延し、設備投資や技術革新が停滞して設備やサービスが陳腐化し、客離れを招いたことでしょう。そうなれば収益が悪化して再び存続の危機を迎え、分割民営化の議論が蒸し返されて今度こそ国鉄は解体されたかもしれません。同じく半官半民だったかつてのJALが親方日の丸体質を引きずり、最後は経営破たんしていったように。

そう考えると国の介入の余地を無くし、自身の判断で経営判断ができる国鉄の民営化は日本の鉄道の維持には必要な事だったと思います。あくまでも公営で維持するのであれば「公共企業体」と言う中途半端な形にせず、完全に国営にして赤字も全て国がかぶる覚悟をするしかないでしょう。実際、鉄道が国営のままの国はそうしているわけですから・・・

 

・プロセスの手法はともかく、民営化自体はやはり必要な事だった

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以上の事から、長期債務の切り離しと持続可能な組織への転換、国の介入からの解放と言う観点から言えば、国鉄分割民営化は必要な事であり、中曽根氏が国鉄を解体しなければ国鉄の路線はもっと酷い形になり、今の私達に遥かに大きな負担を残したかも知れません。日本の鉄道も今のようには発展せず、特に地方では「前時代の遺物」として扱われ、今以上に多くのローカル線が消えていたかも知れません。

議論の余地があるとすれば、分割民営化のスキームではないでしょうか。採算的に苦しいのが分かりきっている三島会社に関しては本州会社に三島の路線も付けて一体的に運営し、内部補助で維持するという方法もありました。その場合は日本全土を東西二社に分割し、東日本会社に収益性の高い首都圏の路線と東京の遊休地を渡す代わりに東北と北海道のローカル線の面倒を見させ、一方の西日本会社には最大のドル箱路線である東海道新幹線を渡す代わりに四国と九州の面倒を見させる、とすればもっとすっきりした形となり、直通列車やJR貨物との調整がやりやすかったのではないかと思います。実際、その後NTTの持ち株会社化の際は近距離通話や電話設備を東西二社に分割しましたし、日本道路公団の分割民営化も東日本・中日本・西日本の3社に分割となっており、分割時に三島だけを別会社にしたケースはJRくらいです。

しかし、それをやってしまうと不採算ローカル線を余計に抱えてしまうと言う問題があり、これらの赤字を補填するために本州内の路線の利益が廻され、結果的に設備投資に廻すお金が減って本州内の路線の投資が遅れたかも知れません。特に東海道・山陽新幹線は速度向上や車両の技術革新は今ほど進まず、品川新駅はまだ開業していなかったかも知れません。当然、リニアもまだ計画段階のままだったと思います。「旅客会社6社、貨物会社1社」の仕組みも当時の関係者が極限の状態の中で考え、議論した結果のものですから、後世の人間が結果だけ見てダメ出しするのは何か違うのではないかと思うのです。

 

国鉄と言う行き詰まった巨大組織を解体するには相当の労力が必要ですし、決断をして指示をする人がいなければ何も進まず、事態を悪化させるだけだったでしょう。国鉄解体、分割民営化を決断した中曽根氏はやはり偉大な政治家だったと思いますし、的外れな批判だけして決断もせず、責任も取らない今の一部の政治家よりもよほど尊敬できると思います。改めて中曽根氏の功績を称え、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

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日本~ロシアへの路線開設が急に増えてきたワケ

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2020年に日本からロシアへの航空路線が大幅に増えるのをご存知でしょうか?2020年夏ダイヤからの羽田空港の発着枠増加に合わせてJALとANAが羽田~モスクワ線を開設するのは周知の通りですが、ロシア側の方もアエロフロートが羽田~モスクワ線を開設するほか、もう1枠はS7航空に割り当てられ、羽田~ウラジオストク線を夏ダイヤ期間中に就航させる見込みです。

さらにロシア航空当局はアエロフロートとS7航空の他にもオーロラ航空、ウラル航空、ヤクーツク航空にも日本路線への就航を認可。各社の認可路線は後述しますが、つい数年前までは成田~モスクワと極東路線、北海道~サハリン路線程度しかなかった日本~ロシアの航空路線は来年には一気に活発化することになりそうです。

www.aviationwire.jp

 

2020年夏スケジュール以降に就航予定、及び認可された路線は以下の通り。

日本側航空会社

JAL・・・羽田~モスクワ 週7往復(3月29日に成田から移管)

      成田~ウラジオストク 週3往復(2月28日就航、3月29日から週7往復)

ANA・・・羽田~モスクワ 週7往復(夏スケジュール中に就航)

     成田~モスクワ 週2往復(3月29日就航)

 

ロシア側航空会社

アエロフロート・・・関西~モスクワ 週4往復(6月15日就航予定)

※羽田発着路線については就航日・行き先未定。

S7航空・・・羽田~ウラジオストク 週7往復(就航日未定)

オーロラ航空・・・成田~ハバロフスク 週7往復(就航日未定)

ウラル航空・・・成田~ウラジオストク 週7往復(就航日未定)

        成田~クラスノヤルスク 週7往復(就航日未定)

        成田~エカテリンブルク 週3往復(就航日未定)

        関西~ウラジオストク 週4往復(就航日未定)

ヤクーツク航空・・・成田~ペトロパブロフスク・カムチャッキー 週2往復(就航日未定)

 

これらの予定路線が全て就航すれば、日本~ロシア間の航空路線は日本側週16往復、ロシア側週41往復、合計週57往復が増えることになります。アエロフロートの羽田発着路線が成田からの振り替えではなく純増という形だと更に週7往復分が増える計算です。

さらに驚きなのがエアアジアが日本~ウラジオストク線の開設を予定しているとのニュース。エアアジア・ジャパンを使って就航させるのか、既存のエアアジアXの路線を以遠権という形で延長するのかは不明ですが、事実だとしたら10年前は週2便程度しかなかった日本~ウラジオストク路線は第三国のエアラインも参入する過密路線に変貌する事になります。

www.traicy.com

 

 

ちなみに、現在の日本~ロシア路線はどんな感じかというと

 

成田~モスクワ アエロフロート週7往復、JAL週7往復

成田~ウラジオストク S7週7往復、アエロフロート週5往復(運航はオーロラ)

成田~ハバロフスク S7週3往復

成田~イルクーツク S7週2往復(夏期のみ運航)

成田~ノボシビルスク S7週1往復

成田~ユジノサハリンスク オーロラ週2往復

関西~ウラジオストク S7週1往復

札幌~ユジノサハリンスク オーロラ週5往復

札幌~ウラジオストク ウラル航空週3往復(運休中・12月16日から再開予定)

 

合計しても週43往復ですから、来年には一気に倍以上になる計算です。羽田発着路線についてはロシアへの割り当てが日ロ各2枠分、合計4枠あったので納得としても、成田や関空からの路線も増えまくっていますので、ちょっと増えすぎではないでしょうか?

 

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背景にあるのはロシアからの訪日客の急激な増加です。日本政府観光局の調べでは今年1~9月のロシアからの訪日客は前年比22.2%増の8万700人。これはベトナムの29.1%に次ぐ高い伸び率だそうで、近年のロシアから日本へのビザ要件緩和が呼び水となっています。これが日本~ロシア航空路線の開設ラッシュにつながる理由のひとつなのは間違いありませんが、この8万700人という数字、月単位に直すと約9000人弱、1日当たりだと300人程度。ボーイング777クラスの大型機1往復かA320クラスの小型機2往復で十分賄える人数です。いくら伸び率が高いとは言え、これだけでは航空路線が増えまくっている理由としては弱いですよね。

 

もう一つの大きな理由は以前の当ブログの記事でも触れた、一部地域への電子ビザによる手続きの簡素化。2017年8月30日のウラジオストクを皮切りに電子ビザの対象地域は拡大しており、ハバロフスクやユジノサハリンスクなどのロシア沿海地方、今年の10月からはサンクトペテルブルクでも電子ビザでの渡航が可能となりました。JALやANAがウラジオストクへの路線開設を計画したのも、近年成田からロシア沿海地方への路線開設が相次いでいるのも電子ビザの対象地域拡大を受けてのもので、日ロ双方で観光客が増える見込みがあるから日本~ロシア間の路線開設ラッシュが起きたのではないかと思われます。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.jiji.com

 

そして、近い将来には電子ビザの対象はロシア全土に広まるかも知れません。ロシアのプーチン大統領が2021年1月1日以降、外国人観光客向けにロシア全土に入国できる統一電子ビザを導入する方針を示したためです。今の段階ではまだ本決まりではないですが、大統領が公言したという事は実現可能性は高いと思われます。

現在、ロシアに入国するには前述の電子ビザ対象地域以外は正規のビザ取得の手続きを取る必要があり、手続きの煩雑さがロシアへの旅行客を遠ざけている一因です。現在でもウラジオストクなどは電子ビザで簡略化されていますが、他の都市への移動は不可、入国場所も限られるなどの制約があります。統一電子ビザが実現すれば煩雑なビザ申請や移動の制約から解放され、ロシア旅行のハードルはグッと下がるので日本からの観光客が急増する可能性を秘めているのです。

tabiris.com

 

恐らく、2020年の日本~ロシア路線の開設ラッシュはこの電子ビザの対象拡大を見越してのものであると考えられます。航空会社側の思惑通りになる、とは限りませんが、2021年以降に統一電子ビザが実現すれば、ロシアへの観光ブームが起きる可能性もあります。ひょっとしたら数年後には日本~ロシア間の航空路線は日本~中国までは行かなくとも、日本~台湾や日本~韓国の航空路線と同等の規模になるのかも知れません。その為にも是非統一電子ビザは実現して欲しいですね。

 

 ↓ロシアの統一電子ビザができればロシア方面への地球の歩き方などのガイドブックもバリエーションが増えるかも知れませんね。

 

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2020年夏ダイヤ以降のANAとJALの羽田・成田の国際線をまとめてみた

11月19日、ANAとJALは2020年夏ダイヤからの羽田空港国際線発着枠増加に伴う国際線のダイヤを発表しました。大方の予想通り、北米路線を中心に成田→羽田へのシフトが目立つ内容となっています。今回は両社のプレスリリースやニュース記事を基に、羽田発着枠増加後のANAとJALの羽田・成田の国際線勢力図を見て見たいと思います。

 

↓これまでの流れは以下の記事も参照して下さい。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

 

ANAグループ

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ANAへの羽田発着枠割り当てはアメリカ6枠、中国2枠、オーストラリア・ロシア・イタリア・トルコ各1枠、スカンジナビア3国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク)で1枠、インド0.5枠(もう0.5枠は早朝深夜枠活用)の合計13.5枠。今回ダイヤが発表されたのはアメリカとオーストラリア、インド路線ですが、そのほかの地域についても就航先が発表されています。地域ごとに羽田に新設・増便される路線、成田から撤退する路線を見ていきましょう。

 

www.aviationwire.jp

www.ana.co.jp

 

羽田発路線

3月29日から就航(各1日1往復)

サンノゼ・シアトル・ヒューストン・ワシントンDC・デリー・ホーチミン

3月29日から増便

ロサンゼルス(1日1往復→2往復)

3月29日から運休(1日1往復)

ハノイ

夏ダイヤ期間中に開設(1日各1往復)

サンフランシスコ・モスクワ・ミラノ・イスタンブール・ストックホルム・青島・深圳

夏ダイヤ期間中に増便

シドニー(1日1往復→2往復)

 

夏ダイヤが始まる3月29日から一斉に開設、という訳ではなく、初日から運航されるのはサンフランシスコ以外からのアメリカ路線4路線とデリー線のみのようです。3月29日からの路線は後述する成田発着路線からの移管になるので、単純に成田から羽田に移すだけ、とも取れます。夏ダイヤ期間中に開設される路線はいずれも新規開設路線となりますので、相手国との交渉や機材や人員の準備が整った路線から順次開設していくのでしょうか?

羽田に移す路線で注目なのはヒューストン線とワシントンDC線。羽田~ヒューストンは提携相手のユナイテッド航空も申請していましたが却下された路線。その代わりにANAが就航させるという事でしょうか?また、ワシントンDCへ就航しているのはユナイテッドとANAのみですが、ユナイテッドに引き続きANAも移転を決めた事で、日本~ワシントンDCへの路線は羽田のみとなります。一方、サンフランシスコ線の開設とロサンゼルス線の増便、シアトル、サンノゼ線の成田からの移管で西海岸路線は一気に4路線5往復に増えることになります。アメリカ路線全体で見ても9路線10往復に増えることになり、ANAの羽田発着路線の存在感はさらに大きくなりそうです。

更にJALに比べると新規就航地が多いのが特徴的です。羽田からの新規就航はミラノ、モスクワ、イスタンブール、ストックホルム、深圳の5都市と多く、特に欧州の就航地は既存のものと合わせると10都市にまで拡大します。経営破綻前のJALですらここまで多くはなく、現在のJALの欧州の就航地の倍にまで増えることになります。ANA全体でも52都市にまで増えることになり、これも現在はおろか経営破たん前のJALを上回る数。「国内線の全日空」は最早完全に過去のものとなったと言っていいでしょう。

 

成田発路線

3月29日から運休(1日各1往復)

サンノゼ・シアトル・ヒューストン・ワシントン・デリー

3月29日から減便

ロサンゼルス(1日2往復→1往復)

ホーチミン(1日2往復→1往復)

3月16日から開設

ウラジオストク(週2往復)

3月29日から開設(1日1往復)

ハノイ

 

ある意味予想通りと言えるのが成田発着路線。アメリカ発着路線5枠分とデリー線が羽田に移る事で、1日6往復分が成田から消えることになります。特にアメリカ路線はロサンゼルス、サンフランシスコ、シカゴ、ニューヨーク、ホノルルの5路線6往復と現在に比べて半減することになり、欧州路線に引き続きアメリカ路線でも羽田と成田の本数が逆転することになります。

一方、夏ダイヤでの新規開設路線は今のところウラジオストクとハノイの2路線のみ。このうちハノイは今回唯一羽田から成田に移管されますが、引き換えにホーチミン線が減便される為、実質的にはウラジオストク線が唯一になります。差し引くと週40便のマイナスとなりますが、全般的には後述するJALグループよりは減便は少ないです。当面は羽田発着路線の就航に力を注ぐことになると思うので、成田路線の拡充についてはそれがひと段落してからになるのではないでしょうか。

 

JALグループ

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JALの羽田発着枠割り当てはアメリカ6枠、中国2枠、オーストラリア・ロシア・フィンランド各1枠、インド0.5枠(もう0.5枠は早朝深夜枠活用)の合計11.5枠。ANAと違い、中国路線以外は全て3月29日からの就航と運航スケジュールが発表されています。ANAが毎年のように新規路線を開設しまくっていたのに比べると、JALは控えめな感じでしたが、その分羽田発着枠増加時に一気に開設する余力を蓄えていたのでしょうか?

 

 

www.aviationwire.jp

 

press.jal.co.jp

 

羽田発路線

3月29日から就航

ホノルル(1日2往復)・シカゴ・ダラス・ロサンゼルス・ヘルシンキ・モスクワ・デリー・シドニー(各1日1往復)

3月29日から増便

ニューヨーク(1日1往復→2往復)

夏ダイヤ期間中に開設

大連(1日1往復)

夏ダイヤ期間中に増便

上海浦東(1日1往復→2往復)

 

今まで傾斜配分で羽田発着枠が抑えられていた分、JALのアメリカ路線は主要都市やハワイ路線への就航・増便が目立ちます。注目なのはホノルル線に2枠分を充てた事。ANAはA380を成田路線に就航させましたが、現状羽田空港にはA380の乗り入れはできない為、A380を羽田〜ホノルルに入れる事は不可能。JALのホノルル線2往復の羽田移転はANAに押され気味だったハワイ路線の反転攻勢のきっかけにするつもりなのでしょう。提携相手のハワイアン航空の枠も合わせると、羽田〜ハワイ路線はJAL-ハワイアン連合が圧倒的なシェアを持つ事になりますので、共同で大規模なキャンペーンを仕掛けるかもしれません。

また、就航日は未定ですが羽田〜大連はJALのみの運行路線になる予定。ですが全般的にはANAに比べると新たな就航地はなく、良く言えば手堅い、悪く言えば地味な路線展開とも言えます。

 

成田発路線

3月29日から運休(1日各1往復)

ダラス・ニューヨーク・ヘルシンキ・モスクワ・デリー・シドニー

シカゴ(2020年2月14日まで)

3月29日から減便

ホノルル(1日4往復→2往復)

2月28日から開設

ウラジオストク(週3往復、3月29日以降1日1往復に増便)

3月29日から開設

ベンガルール・サンフランシスコ(各1日1往復)

7月1日から増便

グアム(1日1往復→2往復)

 

ANAが羽田開設路線の半分は新規就航なのに対し、JALは羽田開設路線の殆どが減便となり、事実上成田から羽田にスライドするだけなのが大きな違いです。3月29日から開設する路線がANAより多いのも実はこの辺りに理由がありそうです。

それでもANAに比べるとウラジオストクやベンガルールへの就航プラス成田ーサンフランシスコ線の開設、グアム線の増便に来年2月からの成田ーシカゴ線の再開と、成田路線も一定の配慮がされているのが伺えます。この為、最終的な成田路線のマイナスは1日6往復、週42往復に抑えられる見込みです。

そしてもう一つ、JALが来年の就航を進めている長距離LCC「ZIPAIR」の成田ーバンコク線(2020年5月24日就航予定)と成田ー仁川線(2020年7月1日就航予定)の開設も控えており、2020年度内にアジアでもう1都市の開設を検討中。2021年にアメリカ西海岸への就航も目指しています。

さらにJAL本体でも2020年度中に成田発着路線を3~5路線追加することを赤坂社長が明言しており、一時的には成田発着路線は減少しますが、ZIPAIRの路線も含めると1~2年程度で回復しそうです。

www.aviationwire.jp

 

まとめ

以上、ANAとJALの羽田と成田の開設・撤退路線をまとめてみました。やはり3月29日以降、成田路線の減便は避けられず、特に欧米路線は羽田が逆転する事になります。これだけを見ると、成田の地盤沈下を懸念する声が出るのも無理はないと思います。

しかし、新たな滑走路を造らない限り羽田空港の発着枠が増える事は当分ないと考えられますので、中長期的には首都圏空港からの路線増便は成田を活用せざるを得ないでしょう。また、JALもANAも成田を国際線乗り継ぎのハブと位置づけており、今後は乗り継ぎ需要を重視した路線や、ウラジオストクのようなホワイトスポットへの路線が増えるものと思います。特にJALは成田の活用や新規路線開設を明言していますので、報道で言われる程成田の将来に悲観的にならなくてもいいのではないでしょうか?

 

 

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