4月9日、財務省は現在の千円、五千円、一万円の紙幣を2024年度上半期に一新すると発表しました。新紙幣に使用される肖像画は千円札は日本の近代医学の父と言われる北里柴三郎、五千円札は津田塾大学の創始者で女子教育の第一人者の津田梅子、そして一万円札は第一国立銀行をはじめとして生涯で500社の企業設立に関り、日本の資本主義の父と言われた渋沢栄一。新紙幣がお目見えするのはまだ5年も先の話ですが、個人的には日本経済発展の基礎を築いた渋沢栄一氏を尊敬していたので、今回の1万円札の肖像採用は単純に嬉しいです。これを機会に渋沢栄一に注目が集まり、ゆくゆくは大河ドラマにならないかな・・・と妄想したり(笑)
さて、その渋沢栄一氏が設立に関わった企業の中には交通関係の企業も多数含まれています。例えば海運業では東海汽船の前身となった東京湾汽船の株主だったり、日本郵船の取締役だったりしますし、鉄道関係では北海道炭礦鉄道や日光鉄道、北越鉄道など後に国有化されて国鉄→JR各社に引き継がれた路線の発起人になったり、現在の秩父鉄道や京阪電鉄などの設立にも関わるなど日本の交通史の様々な部分で関わりがあります。
これら渋沢栄一氏が関わった企業に関しては「渋沢栄一記念財団」のホームページにデータベースがありますので、一度ご覧下さい。「この企業がこんなところで渋沢氏につながっていたのか!」と驚きますよ。
しかし流石に航空関係はないだろう、と思って見てたら・・・
航空にも関わりがありました(汗)
渋沢栄一記念財団の関連会社名変遷図の「交通・通信」の欄の中に「航空」の項目があり、それによると1927年に政府が立ち上げた「航空輸送会社」の設立準備委員会委員長を務め、翌1928年に設立された「日本航空輸送株式会社」では発起人、設立委員長となり、株主でもありました。渋沢氏が無くなられたのは1931年ですから、最晩年の87~88歳頃に設立に関わったんですねえ・・・
そしてこの「日本航空輸送」、1929年に立川飛行場をベースに運航を開始し、1931年には羽田空港に移転しています。東京~大阪や大阪~福岡と言った国内線のほかに、朝鮮や大連などを結ぶ路線も運航していたようです。その後1938年に国際航空と合併して「大日本航空」となり、国策会社として国内や占領地への民間航空輸送を一手に引き受けることになりますが、1945年8月のポツダム宣言受託によって日本の航空機は民間も含めて全て製造、運用と言った航空活動は禁止され、大日本航空も10月31日に解散します。残念ながら渋沢栄一氏が関わった日本航空輸送の系譜につながる会社は敗戦とともに消え去ってしまいました。
戦前の民間航空については大日本航空解散で一旦歴史が断絶した事もあって残された資料は少なく、不明な点が多くあります。渋沢栄一氏がどのような経緯で民間航空の設立に携わったのか気になりますが、ネットを少し調べた程度では分かりませんでした。航空輸送会社の設立準備委員会にも病気で出席できない日も多かったようなので、設立準備委員長の肩書はあっても主導的な立場ではなかったようです。推測ですが、航空輸送会社計画は渋沢栄一氏が主導的に設立に奔走したというよりは、象徴としての「渋沢栄一」のブランドが欲しかった航空輸送会社の設立メンバーや設立を主導した政府が渋沢氏に協力を頼んだ、と見るのが自然でしょう。
それでも様々な業界に足跡を残し「日本の資本主義の父」と言われた実業家・渋沢栄一が最後に関わった事業の一つが航空業と言うのもなんだかロマンを感じますね。機会があれば一度、東京や生まれ故郷の埼玉県深谷市にある渋沢栄一氏の資料館に行って、ゆっくりとその足跡を辿りたいものです。多分これから凄く混みそうですが・・・