〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

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日本のトロリーバスはこのまま消えるのか?

5月31日、日本唯一のトロリーバス「立山トンネルトロリーバス」を運行する立山黒部貫光は、2025年度以降のトロリーバス廃止を検討している事を明らかにしました。廃止後は電気バスに切り替える方針で、記事の通りになればトロリーバスという乗り物は来年いっぱいで日本から姿を消すことになります。

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さて、日本では絶滅危惧種となったトロリーバスですが、かつては日本でも主要な公共交通機関の一つとして一定の地位を築いていた時期がありました。また、世界的に見ても旧ソ連諸国や中国、ヨーロッパやカナダなどで運行されており、これらの国々では現在でも都市交通の一翼を担う存在です。

それでは将来、日本でトロリーバスが復権する可能性はあるのでしょうか?個人的な考えですが、その可能性は極めて低いと思いますし、立山トンネルトロリーバスも電気バス転換を撤回する可能性もほぼないと思われます。今回は日本のトロリーバスの歴史と、復権の可能性が低い理由を考察していきたいと思います。

 

 

 

昔は日本でも普通に走っていたトロリーバス

そもそもトロリーバスとは、道路上に張られた架線からトロリーポールを用いて電気を取って走るバスであり「無軌条電車」とも言われます。見た目はどう見てもバスなのですが、「電車」という言葉が示すとおり、法律上では鉄道の一種として分類され、運転には大型二種免許に加え、動力車操縦車運転免許(無軌条電車専用)が必要となります。

日本初のトロリーバスは1928年に兵庫県川西市で開業した「日本無軌道電車」でしたが、こちらはわずか4年で廃止に追い込まれました。日本無軌道電車と入れ替わるように京都市交通局が四条大宮~西大路四条間にトロリーバス路線を開業し、これが日本初の都市トロリーバス路線となりました。

その後しばらくは京都市のみでしたが、1943年に名古屋市でトロリーバス路線が開業。但しこれは8年ほどで廃止になっています。戦後には1951年3月の川崎市を皮切りに、1952年5月に東京都、1953年9月に大阪市、1959年7月に横浜市でトロリーバス路線が次々と開業し、最盛期には全国5都市でトロリーバスが営業していました。

これだけトロリーバス路線が増えた理由は、石油不足によるバスの運行が困難なことに加え、戦後すぐの時期は大型バスの性能が悪く、整備も煩雑な上に出力も低いなど信頼性に欠けており、一方のトロリーバスは路面電車の技術を応用できる上に路面電車の3分の1のコストで建設できたためでした。また、トロリーバスはディーゼルエンジンのバスに比べて騒音や振動が少ない、架線から直接電気を取るためバッテリーが不要で航続距離を気にする必要が無い、運行費も普通のバスに比べて安いなど、事業者側、利用者側にもメリットが大きいものでした。実際、投入当初は路面電車とバスのいいとこ取りをした「次世代の公共交通機関」として期待されていたようです。

 

しかし、モータリゼーションの進行で自動車が増えると、架線から離れて運行できないトロリーバスはしばしば渋滞に巻き込まれたり、逆にトロリーバスが渋滞の原因になったりと、走行環境は急速に悪化します。また、線路がないとは言え架線の維持管理は必要であり、法律上は鉄道扱いですから許認可や乗務員育成の面では鉄道並みの手間とコストがかかりました。運行費は安くてもそのメリットはこれらの費用で相殺されてしまいました。

そして、技術の進歩でディーゼルエンジンの性能や信頼性が上がり、バスの車体大型化が可能になると、許認可が鉄道より簡易で架線も要らず、走行ルートも比較的自由に決められるバスの方がトロリーバスよりも遙かに経済的となり、トロリーバスの優位性は崩れてしまいました。このため、車両の更新時期を迎えた1960年代後半には大都市のトロリーバスは一気に廃止に向かい、1972年3月の横浜市営トロリーバスの廃止を最後に、日本の都市からトロリーバスは姿を消しました。

 

立山黒部アルペンルートでトロリーバスが生き残ったワケ

しかし、横浜市の廃止で日本からトロリーバスが消えたわけではありません。1路線だけ、長野県でトロリーバス路線が残ったのです。

黒部ダム及び黒部川第四発電所建設のための資材運搬用として長野県大町市に建設された関電トンネル。トンネル建設の難工事や破砕帯による事故などの苦難は映画「黒部の太陽」などで取り上げられるほど有名ですが、トンネル自体は国立公園内に掘られたこともあって、建設許可の際「一般公共の利用に供すること」つまり誰でも自由に利用できるようにしなさいという条件が付けられました。

しかし、ダム完成後も関電トンネルは資材運搬に使用するため無秩序に一般車両の利用を許すわけにも行かず、そもそも自然環境保護の観点から一般車両の通行を認めるわけにも行きません。最終的には自然環境に配慮してトロリーバスを走らせることになり、1964年8月1日に関電トンネルトロリーバスが開業します。こうした経緯から大都市でトロリーバスが消えた後も関電トンネルトロリーバスは運行を続け、横浜市のトロリーバスが消えた後は日本唯一のトロリーバスとなりました。

その後、1996年には室堂~大観峰間を結ぶ立山トンネルバスがトロリーバスに転換されたことで32年ぶりに日本のトロリーバスが増えました。立山トンネル自体は1971年に開業し、当初はディーゼルバスで運行されていましたが、運行本数の増加に伴いトンネル内に排気ガスが溜まるようになり、環境保護の観点から関電トンネルと同じトロリーバスに転換して解決を図ることにしたのです。

 

日本の都市からトロリーバスが消えても立山黒部アルペンルートで残った理由。それは、自然環境と観光輸送の両立に最適な交通手段がトロリーバスだったためです。

立山トンネルバスの事例でも分かるとおり、ディーゼルバスではトンネル内に排気ガスが溜まり、自然環境に悪影響を与えることが問題視されました。かと言ってこの当時は電気バスは実用に耐えうるものではなく、鉄道などの軌道系交通機関に置換えるのもトンネル内の急勾配を上ることができず、建設コストもその後の運行コストもかかりすぎますし、先述の通り、黒部ダムへの資材運搬や緊急車両の通行にも支障を来してしまいます。排気ガスを出さずに一定の輸送力を持ち、比較的低コストで維持できる交通機関が、この当時ではトロリーバスしかなかった為、立山ではトロリーバスが生き残ったのです。

 

日本最後のトロリーバスも電気バスに・・・

しかし、2010年代に入ると世界的な自動車の電動化の流れやリチウムイオンバッテリーの、電気バスも技術革新が進みます。特に中国では国策でバスの電動化が進められ、日本でも中国製の電気バスを採用する例が増えてきました。電気バスが技術的、コスト的なハードルが下がり、実用に耐えうるものとなった事で、架線が必要で大型二種とは別に専用の免許が必要なトロリーバスの運行を続ける必要性は薄れていきました。

そして2017年8月、関西電力は2019年度からの電気バス置き換えを発表し、2018年度いっぱいでトロリーバスは廃止されました。後継の電気バスは扇沢駅の給電設備でパンタグラフを上げて給電する仕組みで、この点は電車っぽいですが位置づけはあくまでも「バス」であり、鉄道ではありません。

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この時、もう一つのトロリーバス路線である立山トンネルトロリーバスは特に置き換えの計画もなく、「日本唯一のトロリーバス」をPRして運行を続けました。しかし、車両自体は1996年の転換時のものであり、基本的には関電トンネルトロリーバスと同型。走行距離が少なく、冬期は基本的に動かないとはいえ、既に製造から25年以上が経ち老朽化が進んでいました。

加えて2006年の「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」の改正で、運転士の異常時に自動的に列車を停止させる「デッドマン装置」の設置が義務化され、もしトロリーバスの車両を更新するとなると、この装置の設置が必要になります。

現在、立山トンネルトロリーバスで運用されている車両はわずか8台。この8台を更新するためだけにトロリーバス用のデットマン装置を開発し、一から車両を設計・製造するのはコストがかかりすぎてメーカーも立山黒部貫光も「割に合わない」事。先に電気バスに転換した関西電力が問題なく運用していることや、コスト面でも電気バスの方が有利なことを考えると、立山トンネルトロリーバスの廃止は必然であると言えます。

 

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世界的にはトロリーバス復活の動きもある

とはいえ、世界的にはトロリーバスを運行している地域はまだまだ多く、トロリーバスを製造するメーカーも複数存在します。ロシアをはじめとした旧共産圏の東欧諸国や、中国や北朝鮮、フランスやイタリア、ドイツなどの一部西欧諸国、アメリカやカナダ、メキシコ、ブラジルなどにトロリーバス路線があり、チェコのプラハでは48年ぶりに新規路線が開設されるなど、世界的にはトロリーバスは決して「過去の遺物」ではないのです。

近年では架線のない道路も走れるよう、ディーゼル発電機や蓄電池を搭載した車両も投入され「架線のない道路は走れない」というトロリーバスの弱点も克服されつつあります。欧州では環境問題の高まりで排気ガスを出さないトロリーバスが再評価されているのに加え、旧社会主義国では元々トロリーバスの路線が多かったことから、今後も一定数残るものと思われます。

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それでも日本でのトロリーバス復活はあり得ない

そう考えると、立山トンネルトロリーバスにノウハウ込みで海外製のトロリーバスを輸入して置換える、という選択肢が出てきそうですが、残念ながらそれは難しいのではないかと思います。

先述の通り、トロリーバスの車両更新にはデッドマン装置の設置が不可欠であり、輸入車両に合わせてトロリーバス用の装置を開発するのはかなりの手間になりそうです。また、輸入車だと故障や整備時の部品調達リスクがどうしても高くなりますし、トロリーバスという特殊な車両でしかも立山の高山で運用されている場所に部品と技術者を派遣するのは通常の修理以上に手間も時間もかかってしまいます。

また「日本唯一のトロリーバス路線」という看板は観光客へのPRや集客効果としては有効に思えますが、そもそも立山黒部アルペンルート自体が立山の自然や黒部ダムを売りにしており、トロリーバスの希少性に頼ってないこと、運賃が高額で簡単には乗りに行けないことを考えると、わざわざ新車や輸入車を入れてまで「日本唯一」の看板を維持する必要性は薄いと思われます。これらを勘案すると、信頼性や部品の融通の面からも関西電力と同型の電気バスを導入するのが一番よい選択肢であり、トロリーバス路線の維持は難しいと思われます。

また、既存のバス路線や路面電車をトロリーバスに転換、というのもほぼ無いと思われます。既に一部地域で電気バスの導入が始まっていること、定時性や輸送力の面では路面電車の方が有利でトロリーバスに転換するメリットは薄い事、今の日本では既存の道路を一部潰してまでトロリーバスに転換する事は難しいことから、よほどの事が無い限り、日本でトロリーバスが復権することはほぼないのではないでしょうか?

 

まとめ

以上、日本のトロリーバスの歴史と復権の可能性が低い理由を考察しました。一言で言うと「諸々のハードルをクリアしてまでトロリーバスにする理由がない」というのが現実であり、むしろアルペンルートという特殊事情があったからこそ、日本のトロリーバスは現在まで生き永らえてきたのだと思います。

現段階では8台を一気に置換えるのか、数台ずつ置換えるのか、後継の電気バスはどうなるのかなどはまだ不明です。ですが、車両の部品調達が難しくなっていることを考えると、来年か、長くても3~4年程度で「日本唯一のトロリーバス」は消えると思われます。

 

立山トンネルトロリーバスが廃止されると、現在日本一標高の高い鉄道駅である室堂駅は「鉄道駅」ではなくなり、「日本一標高の高い鉄道駅」の称号は同じアルペンルート内の黒部ケーブルカー黒部平駅に移ります(ロープウェイも含めると駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅が日本最高)

また、現在の日本で標高2000m以上にある鉄道路線は立山トンネルトロリーバスのみですから、トロリーバスの廃止は記録的な意味でも日本の鉄道史が塗り変わる出来事と言えます。トロリーバスに乗りに行くにはかなりの時間と高額な運賃が必要になりますが、少なくとも来年いっぱいまではトロリーバスは走っていますから、興味のある方や「日本最高」を制覇したい方は今のうちに「お名残乗車」しに行かれてはいかがでしょうか?