〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

東海道新幹線や航空業界の「もしも」の話(昭和編)

東海道交通戦争の補足・振り返りシリーズ、第二弾は作中内でのいくつかのターニングポイントの「もしも」を予想してみたいと思います。歴史にifは禁物、とよく言いますが、そのifを考えてみるのも歴史の醍醐味の一つではないでしょうか。

これについては長い歴史の中で様々な「もしも」が考えられますので、一度で終わらなさそうです。そこで今回は「昭和編」と「平成編」に分けて検証してみたいと思います。今回は「昭和編」です。


東海道交通戦争 第一章「新幹線開業前夜」

 

 

1.もし東海道線の増強が新幹線ではなく複々線化だったら

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史実ではパンク寸前の東海道本線の増強策として複々線案と高速新線案が候補となり、当初は複々線案が優勢だったものの当時の国鉄総裁の十河信二氏が高速新線案で押し切り、東海道新幹線の開業にこぎつけました。

しかし、もし十河総裁が押しきれなかったり、あるいは早々に更迭されてしまっていたら、東海道新幹線の増強は複々線になっていたと思います。では、もし東海道本線が複々線で整備され、新幹線が建設されなかったら東海道の交通はどんな姿になっていたのでしょうか?

 

まず史実でも東京〜小田原間(ただし大半は京浜東北線や横須賀線など運用上は別路線)、名古屋〜稲沢間、草津〜神戸間は複々線化されていますが、国鉄の財政を考えると東京〜大阪を一気に複々線化するのは現実的ではないので、輸送量の大きいこれらの区間や、名古屋圏や勾配のきつい区間を優先的に複々線化して行ったと思います。但し、その後の国鉄の財政を考えると、全区間整備する前に国鉄の財政破綻で中止に。

 

一方、東海道新幹線が整備されなかった事で東京〜大阪間は今ほど活発には移動は起こらず、経済発展にも影響を与えた可能性が高いと思います。東海道本線の高速化は時速130kmが限界だと思いますので、東京〜名古屋間4時間前後、東京〜新大阪間6時間が精一杯ではないかと思います。そうなれば鉄道がまともに航空機と対抗できるのは名古屋まで、大阪へは東京〜福岡同様、航空機が圧倒的優位になっていたのではないでしょうか。

しかし、航空機主体になっていたら羽田や伊丹の発着枠が大阪路線中心になり、他の路線がしわ寄せに遭って史実よりも多頻度運航は後になっていたと思います。さらに輸送量の面でも今の東海道新幹線と同等の便数を確保するのは不可能だと思うので、東京〜大阪間の旅客流動は史実よりもかなり小さくなっていたのは間違いありません。

旅客流動が小さいと日本経済にどう言う影響を与えるかは議論が分かれるところですが、移動が活発化しなければ人もお金も動かず、ビジネス面でも幾らかの制約があった事が予想されますので、日本全体で見ればあまり良い影響を与えなかったのではないかと思います。しかし移動に制約がある分、史実よりは関西発祥の企業が本社機能を東京に移さず、大阪の地盤沈下はそこまで起こらなかったかも知れません。

 

↓新幹線建設がいかに先見の明があったか、十河総裁の決断が凄かったかはこちらをどうぞ。

  

2.もし航空会社再編が運輸省の目論見通り2社体制だったら

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1960年代の運輸省の航空再編のシナリオは「国際線一社、国内線二社」でしたが、結局は第三の航空会社「東亜国内航空」が誕生した事でシナリオは崩れました。もし運輸省のシナリオ通り、JDAが日航に、東亜航空が全日空に吸収されていたらどうなっていたでしょうか?

 

まず路線面では日航は国内幹線に加えJDAのローカル線も抱える事になりますが、当時のJDAの主力である羽田発の道東、東北、徳島、大分路線や北海道内ローカル線、大阪〜徳島線などが日航の運航となります。

一方の全日空は東亜航空の広島発着のローカル線や福岡〜宮崎・鹿児島線、鹿児島発着の離島路線などが加わる事になり、沖縄以外の離島路線を全日空がほぼ一手に引き受ける事になります。

路線面では多少なりとも羽田発着路線を持ち、離島路線のないJDAの方が良さそうに見えますが、会社の収益や累積赤字はJDAの方が状態が悪いので、トータルで見れば両者の差はあまりないのではないかと思います。

 

機材面ではJALは合併当初はYS-11が加わる程度で大きな変化はなく、大分や釧路などのジェット化もJALの727-100が充てられると思います。その後地方路線のジェット化用に737かDC-9のどちらかを購入したと思いますが、JALは70年代まではダグラス寄りでしたから、DC-9を選択した可能性が高いと思います。80年代の地方路線の大型化はDC-10や767を充てたと思いますが、場合によっては史実のTDAと同様、日欧貿易摩擦対策の一環で767の代わりにA300を購入したかも知れません。

一方の全日空は旧東亜のYS-11とタウロンを引き継ぎますが、史実のTDA同様、タウロンは早々に退役させて広島発のコミューター路線も一部整理するでしょう。地方路線のジェット化は737や727で対応し、大型化の際もトライスターや767で対応したと思います。A300は全日空とボーイングとの関係が深い事を考えると導入の可能性は低いのではないでしょうか。

 

最後に2社体制となった後の航空業界ですが、国内線はJALとANAが互角の立場になる事で「45・47体制」のような棲み分けはあまり設けられず、特に羽田路線でダブルトラック化が進んだと思います。犬猿の仲のJALとANAで激しい競争となったか、2社しかいないから運賃面で横並びになり、ある意味棲み分けができたかは議論の余地がありますが・・・

一方の国際線はしばらくはJAL一社体制が維持されていたと思いますが、国際線参入が悲願であり、元大物事務次官の若狭得治がいるANAは史実以上に国際線参入を強く迫ったと思います。ロッキード事件でしばらく下火になっていたとは思いますが、運輸省には東亜航空を引き取った「借り」がありますし、ライバルのJALがJDA吸収でANAの牙城の国内ローカル線に参入している事を考えると、最終的には史実の1986年よりも早く、ANAの国際線参入が認められたのではないでしょうか。

 

↓ANAとJALの生い立ちや違いはこちらも参考にして下さい。

 

3.もし国鉄が東海道新幹線への投資をまともにやっていたら

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史実では国鉄の数少ない黒字路線として他路線の赤字穴埋めを最優先し、ろくな設備投資もせずに陳腐化して競争力が低下していった東海道新幹線。本格的な改良はJR東海の発足を待たなければなりませんが、もし国鉄時代に設備投資の有用性を認識し、新型車投入や設備補修、スピードアップなどの投資を適切にやっていたらどうなっていたでしょうか?

 

まず車両面では史実よりも早く100系かそれに準じた車両が開発・投入されていたと思います。設備改良などで最高速度も230〜240km/h程度には引き上げられていたかも知れません。東京〜大阪間の所要時間は史実よりも早く三時間を切っていたのではないでしょうか。

但し、当時の国鉄の技術力や国鉄全体で新規車両の開発が停滞していた事、当時の国鉄が車両軽量化に消極的だった事を考えると、300系のような軽量・高出力の車両は国鉄時代には生まれなかったでしょう。また70年代の国鉄が新幹線総局の解体を巡って攻防戦を繰り広げていた事や、国鉄自体が破綻寸前だった事を考えると、満足な投資は難しく「史実よりはマシ」な改良で終わっていたでしょう。東海道新幹線の本格的な改良はやはり国鉄分割民営化を待たなければならなかったと思います。

 

4.もし大阪空港のワイドボディ機就航が認められなかったら

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史実では1977年に発着枠の削減と引き換えに大阪空港のワイドボディ機の発着が認められ、大阪空港の利用者増加に貢献しました。しかし、もしワイドボディ機発着が認められず、単通路ジェット機のみの状態が続いていたらどうなっていたでしょうか。

 

まず機材面ではJALはDC-8-61(253席)、ANAは727-200(179席)が最大となり、大阪の航空路線は停滞が続く事になります。80年代はこれらの機材の後継機を探さなければなりませんが、その際大阪空港用に「単通路機で一番大きい飛行機」を用意する必要があります。

その場合は単通路機ながら200席級の収容力を持ち、767との互換性も高いボーイング757一択になるでしょう。そうなれば80〜90年代の大阪空港は右を向いても左を向いても757だらけ、史実のように757がレア扱いされる事はなく、大阪に行けばうんざりするほど見られる機体になっていたのではないでしょうか。

 

次に路線面での影響ですが、座席数増加が見込めない以上、航空各社は新幹線との競合が激しい路線、特に羽田〜大阪路線の将来性に早々と見切りを付けたのではないかと思います。むしろ札幌や那覇、九州など航空需要が大きい路線に貴重な発着枠を振り向ける為に積極的に廃止にしていったかも知れません。

最後に関空開港後の伊丹空港の立ち位置ですが、機材面で制約が大きい伊丹空港は航空会社から敬遠され、需要の大きい札幌、那覇線などの長距離路線を中心に史実よりは関空への転移が進んだと思います。伊丹空港は単通路機でも十分な地方短距離路線を中心とした空港か、県営名古屋空港のようなコミューター空港になっていたのではないでしょうか。

 

5.もし国鉄分割民営化の際、本州が東西2社の分割だったら

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国鉄分割民営化の際、当初本州内は東西2社の分割、東海道新幹線は西日本会社の所属となる案が有力でしたが、スーパードル箱路線の東海道新幹線を持つ西日本会社が収益面で有利になると判断され、最終的には東海道新幹線と東海地域、東日本会社のうち山梨・長野県の南部を名古屋本社の別会社(=JR東海)に移管する事になりました。

この分割の区割りやJR東海発足については現在でも様々な議論を呼んでいますが、もし当初の予定通り東西2社の分割だった場合、東海道新幹線やJR各社はどんな姿になっていたのでしょうか?

 

まず本州2社の収益性ですが、首都圏の通勤路線を多数抱え、国鉄の遊休不動産を多数保有していた東日本会社は概ね今のJR東日本と同様の歴史を歩んでいたと思います。

一方の西日本会社ですが、優先的な投資対象を私鉄との競合が激しい京阪神間と、収益性は高いが設備更新が必要な東海道新幹線のどちらに置いたかで少々差異があると思います。

 

東海道新幹線に重点投資した場合、史実のJR東海同様スピードアップやサービス改善が図られたと思います。但し、史実のJR東海ほど輸送力増強やスピードアップが図られたかは疑問です。

JR東海は東海道新幹線の進化が会社の命運を左右するほどの重大事項ですが、西日本会社の場合は山陽新幹線や在来線など、東海道新幹線以外にも投資が必要な路線を抱えている為、史実のJR東海ほど東海道新幹線には力を入れず、改良もそれなりで終わった可能性の方が高いかと思います。恐らく品川新駅の整備も後回しになり、リニアについてもそこまで積極的にはなってないかも知れません。

 

一方、京阪神間の在来線を優先した場合は国鉄時代同様、東海道新幹線は他路線の投資資金や赤字穴埋めの為に使われて設備投資は引き続き最小限に抑えられていたと思います。

収益性を考えると東海道新幹線に投資した方が効果は大きく、収益も上がるとは思いますが、どちらの道を選んだとしても投資対象は分散せざるを得ず、東海道新幹線の収益性は史実のJR東海ほどは高められなかったのではないでしょうか。

 

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しかし、東西2社に分割したら本州会社の収益性の格差は少なくなり、西日本会社の経営は史実のJR西日本よりもかなり楽になっていたと思います。競争のためにスピードアップに必要以上に躍起になる事もなく、福知山線脱線事故のような事はなかったかも知れませんし、車両投資の面でも古い車両を無理に延命する事なく置き換えが早まったかも知れません。

以上の事から、もし東西2社に分割となった場合、東海道新幹線は史実よりも不利になるが、現JR西日本エリアにとっては今よりも良くなった可能性がある、と言ったところではないでしょうか。

 

↓「国鉄改革3人組」の一人でもあった葛西氏の著書。分割民営化を巡る生々しいやり取りも書いてあります。

 

以上、昭和時代の東海道にまつわる歴史のifを予想してみました。あくまでも一個人の勝手な想像なので、与太話程度に捉えて頂ければと思います。その中でも東海道新幹線の有無はその後の日本の発展に大きく影響したと思いますし、もし幻のままで終わっていたら日本の姿そのものは今とは全く別のものとなっていたかも知れません。そう考えると十河信二氏の先見性と決断力には改めて感嘆させられますね。

 

次回は平成時代の「もしも」を予想してみたいと思います。「昭和編」よりも長くなってしまいましたが、それに見合った考察はしたつもりですので、こちらも是非ご覧下さい。

www.meihokuriku-alps.com

 

 

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