2023年5月28日に初めての商業運航を開始した中国商用飛機有限責任公司(COMAC)のジェット旅客機、C919。最初に就航させたのは中国東方航空で、路線も中国国内最大のドル箱路線・北京~上海線。翌日には上海~成都線にも就航し、今後は中国国内の各航空会社が国内線に投入していく見込みです。
さて、近年の中国製ジェット旅客機の発達は目を見張るものがあり、量産化にこぎ着けたのはなぜかDC-9によく似ているARJ21に続いて2例目。しかもこちらはMD-90の治具を流用しまくったARJ21と違い、完全新設計の機体です。もっとも、当初は2018年の納入開始を見込んでいたものの、試験飛行の遅れや中国当局側の対空審査体制整備の難航などで、4年以上遅れてしまいました。それでも就航までこぎ着けたのは素晴らしいことですし、審査体制整備の遅れは某高速鉄道と違い下手にメンツを優先して安全性をおろそかにしなかった為と考えることもできます。
さて、C919の商業運航開始のニュースを見て感じたのは、同じくノウハウが乏しい状態から開発を開始したものの、開発が遅れに遅れて結局計画中止になってしまった三菱スペースジェットの存在。150~200席級で需要が大きい分、ボーイングやエアバスと正面からぶつかるC919と、100席以下で需要もライバルメーカーも違うスペースジェットを同列に扱うこと自体、ナンセンスだとは思いますが、曲がりなりにも就航にこぎ着けたC919と、多額の資金をつぎ込みながら幻に終わったスペースジェットとは何の違いがあったのか、考察してみました。
1.国家の「本気度」の違い
C919計画は中国のジェット旅客機の国産化という「国家プロジェクト」であり、中国政府も計画段階から深く関わっていました。そもそもCOMAC自体が中国国内の民間航空機製造会社を政府主導で統合して発足した企業ですし、株主構成も中国政府や上海地方政府などが名を連ねる国営企業です。更にC919の開発目的の一つが「国産ジェット旅客機を生産することで、ボーイングやエアバスへの依存度を減らす事」ですから、C919計画は国策に基づいたものであり、中国政府から資金的、人的なバックアップがあったことは容易に想像できます。
一方のスペースジェットですが、三菱重工が主体となった民間企業のプロジェクトであり、経済産業省もバックアップはしたものの、国家プロジェクトと言えるC919に比べると、その割合は小さいものでした。
YS-11の時は政府と民間の共同出資で特殊会社「日本航空機製造」を設立し、どちらかと言うと政府主導のプロジェクトでしたが、結果的には格好の天下り先となって経営はうまくいかず、販売網やアフターサービスの構築に失敗。コスト意識も低く、参加したメーカーも軍用機の開発経験はあるものの民間機のノウハウがなく、各社横並びで主導権を取るメーカーもなかったため、責任の所在が曖昧になった事も経営の迷走に拍車をかけました。結局、YS-11は多額の赤字を抱えたまま182機で生産終了。日航製も解散してプロジェクト的には失敗に終わりました。
スペースジェットの時に三菱重工が単独でプロジェクトを立ち上げ、政府の関与が限定的だったのもYS-11の時の教訓を生かしてのことでしたが、それが逆に三菱一社では複雑化したFAAの型式証明取得に対応できず、巨額になった開発費用を賄うことができずに事業中止に追い込まれた原因のひとつになりました。政府の関与が少なかったのも、今にして思えばFAAやEASAとの交渉や審査の面では不利だったのではないかと思います。
2.型式証明の申請先の違い
C919は最初から中国国内の需要を満たすことを目的としており、海外への輸出は余り考慮されませんでした。このため、型式証明取得に関しても中国国内のみで行い、FAAやEASAへの型式証明取得申請もしませんでした(EASAの方は後にしれっと申請していたようですが)。当の中国当局が大型ジェット旅客機の型式証明のノウハウがなかったため、結果的に時間はかかってしまいましたが、それでも同じ中国国内での審査や交渉ですから、意思疎通は比較的スムーズだったと思います。
これに対してスペースジェットは海外への輸出ありきの計画であり、特にメインターゲットとしていたのはリージョナル機の需要が大きいアメリカ市場。このため、FAAとEASAの型式証明取得は必須であり、試験機をアメリカに送り込んで試験飛行を行うことにします。
しかし、このFAAの型式証明取得が事業化への最大のハードルとなり、当初三菱重工は自社スタッフだけで乗り切ろうとしたこともあって、審査はなかなかうまくいきませんでした。途中から型式証明作業に長けた外国人スタッフを雇ったものの、新型コロナウイルスの感染拡大による行動制限もあって時既に遅し。結局、FAAの形式取得証明に時間がかかりすぎたことがスペースジェットにとっては致命的な痛手となってしまいました。
3.背景にあった「需要」の違い
C919が当初事業展開しようとしたのは中国国内だけですが、既に中国の航空会社だけでも数千機単位のジェット旅客機需要があり、中国国内だけで十分ペイできるだけの発注量が見込めたためです。
中国国内の大手航空会社と言えば中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空の3社ですが、本体だけでも400~500機単位の保有機数を誇り、しかも傘下の航空会社も数十機から100機単位の航空機を保有するなど、大手3社グループだけでもかなりの需要が見込めます。更に大手以外でも海南航空、四川航空、吉祥航空、春秋航空などのグループがあり、ざっと計算したら3200機以上の民間航空機が飛んでいます。
既にC919がオプションも含め1000機程度の受注を得ていることからも分かるとおり、既に中国国内では2~3割のシェアをCOMACが取っている計算になりますし、今後の中国の航空需要の伸びを考えれば、もっと多くの受注が見込めるでしょう。つまり、アメリカやヨーロッパの航空当局の証明が取れなくとも、COMACは中国国内の需要だけで十分食べていける訳であり、旺盛な国内需要で当座の地盤固めをし、運航実績を重ねた上で、将来的にはFAAやEASAの型式証明取得にチャレンジする、という青写真も描けるわけです。
一方のスペースジェットですが、国内企業で発注したのはANAとJALの2社だけで、オプション分を合わせても僅か57機。日本国内の民間航空機の登録数が600機程度、100席以下のリージョナル機に限ると50席以下のATR機を含めても100機程度しかないことを考えると、とても日本国内だけでは食べていけません。それ故三菱重工は当初からアメリカ市場をメインターゲットにしてFAAの型式証明取得を目指したわけですが、その割にはFAAの審査を甘く見ていた節があるように感じます。C919と違い、国内需要だけでは食べていけない事は最初から分かっていたはずなのに・・・
まとめ
以上、C919とスペースジェットの明暗を分けた理由について考察しました。国家レベルでの力の入れようが違いましたし、型式証明取得へのハードルもスペースジェットの方が高かった事、地盤となる国内需要の差が違いすぎたのも明暗が分かれた理由なのかなと思いました。
思えば日本の自動車産業や電機産業が世界的なシェアを取れたのも、技術力の高さに加え、旺盛な国内需要という「地盤」があったからであり、国内で力を蓄えた上で海外市場に打って出ることができたのが良かったのだと思います。同じ事は鉄道車両業界にも言えることであり、世界的に見ても車両需要の大きかった国内需要があったからこそ近年まで複数の大手車両メーカーが存在していましたし、日立が海外進出してシェアを伸ばす下地があったのだと思います。
言い換えれば戦後航空機産業が育たなかったのも国内需要がそこまで大きくなかったからであり、スペースジェットが失敗に終わったのも、早いうちから海外需要取り込みを目指して型式証明取得を最優先にしなかったのが原因の一つなのかも知れません。そういう意味では「まともに飛ぶ飛行機さえ作れば国内の航空会社が大量に買ってくれる」状況にあったC919は機体の開発さえ上手くいけば、一定の成功が約束されていたのかも知れません。
但し、C919が今後中国国内だけの飛行機で終わるのか、世界市場に打って出てボーイングやエアバスを脅かす存在になるかは、また別の問題だと思います。中国国内での商業運航を開始したとは言え、FAAやEASAの型式証明を取得するにはまだ程遠い状況ですし、仮に取得を目指したとしても国内よりも高いハードルがあるのは明白。また、国産機とは言ってもエンジンを始め多くの部品は海外製に依存していますし、ロシアの航空機がそうだったように、今後の国際情勢次第では一気に部品供給を止められて生産さえおぼつかなくなるリスクもあります。
近年の中国脅威論や国際的な不安定要素、アメリカ製品の中国への輸出制限に型式証明の取得問題など、C919が海外市場に打って出るには問題が多すぎるので、当面は国内での安定供給に注力すると思われます。しかし、実績を積んだ5年後、10年後は世界市場に打って出る可能性があるでしょう。案外、中国は航空機の安全に関しては厳しい方ですし、国際関係さえ悪化させず、海外のサプライヤーや航空会社と良好な関係を築いて信頼を高めれば、ボーイングやエアバスに対抗する勢力となる可能性もあると思います。後はロシアによるウクライナ侵攻で自国の航空産業の未来を閉ざしたような事が無いことを祈るばかりですが・・・