〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

東海道新幹線や航空業界の「もしも」の話(平成編)

東海道の交通にまつわる「もしも」を考える話、今回は平成時代の「もしも」を考えていきます。昭和編をまだご覧になっていない方はこちらをご覧下さい。昭和編も長くなったけど、平成編、特に最後のJAL破たんの話はかなり長くなったなあ・・・ 

 

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東海道交通戦争 第五章「高速化の『のぞみ』へ向けて」前編

 

 

1.もしも新幹線保有機構が解体されず、今も残っていたら

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民営化後の新幹線設備を保有し、JR各社にリースする形を取っていた「新幹線保有機構」

史実では1991年に解体され、新幹線設備は各JRの保有となりましたが、JR東海が解体に動かなかったり、解体のタイミングを逃して今でも存続していたら、日本の新幹線はどうなっていたのでしょうか?

 

まず最も影響が大きいJR東海ですが、その後の業績や設備補修や投資に大きな影響を与えたのは間違いありません。リース料負担で満足な減価償却もできず、品川新駅の建設や車両更新にも影響を与えていたでしょう。下手したらリニア建設も自己資金では賄えず、整備新幹線方式での建設の順番待ちの列に並んでいたかも知れません。

次にJR東日本と西日本への影響ですが、こちらはリース料負担は実際の建設費用よりも低く抑えられていたので、保有機構が存続していても影響はJR東海程ではなかったかも知れません。但し動画内でも触れた通り、保有機構の不明瞭なスキームは上場の障害となっていたので、JR各社の上場は史実よりも遅れていたか、今でも上場していなかったかも知れません。

 

最後に、保有機構が当初の予定通り30年で解散していたかですが、これはかなり怪しいと思っています。動画内でもなし崩し的に期限が延ばされたり、高速道路のように整備新幹線も保有機構に持たせてプール制にする可能性に触れていましたが、整備新幹線の建設財源を確保したい運輸族議員や自治体が安定したリース料を確保できる保有機構を利用しようと思っても不思議はないからです。

今の整備新幹線も開業後は鉄道・運輸機構が保有し、JR各社はリース料と言う形で受益分に応じた負担をしており、ある意味新幹線保有機構のやり方に近いものです。保有機構が残っていれば整備新幹線も同じ様に保有機構からリースと言う形になり、新幹線保有機構は半永久的に残っていたのではないでしょうか。その場合、整備新幹線を抱える地域は開業が早まったかも知れませんが、既存の新幹線、特に整備新幹線とは無関係のJR東海の負担はかなり大きなものになっていたと思います。

 

↓新幹線保有機構や品川新駅についてはこちらも参照して下さい。

 

2.もしも「関西国際空港」が当初の予定通り神戸に作られていたら

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本編ではあまり触れていませんが、航空側が苦戦した理由の一つが「関西三空港問題」でした。関西地区の空港が伊丹、関空、神戸の三ヶ所に分散され、航空路線も分散した結果利便性が低下し、利用者の敬遠を招いてしまいました。

しかし、当初の予定通りなら関空は神戸沖に作られる予定であり、もし関空が今の神戸空港の位置に作られていたら状況はかなり違っていたかも知れません。

 

まず関空が予定通り神戸沖に作られていたら、泉州沖には空港が作られる事はなく「関西三空港問題」は起こり得ませんでした。空域問題も今よりも楽になっていたのではないかと思います。

次に伊丹空港との関係ですが、史実ほどではないものの、伊丹空港の存続運動は起きていたと思います。しかし、神戸沖なら史実の関空よりはアクセスがネックにはならないと思いますので、廃港で押し切ったか、存続したとしても今の伊丹空港よりも大幅に縮小していたのではないでしょうか。

また、神戸沖に関空が建設された場合のアクセスですが、史実の神戸空港のポートライナーだけでは追いつかないでしょう。JR、阪急、阪神が新線建設に動いたと思いますが、JRはともかく、当時はまだ阪急と阪神は別グループのライバル同士でしたので、新線建設を巡って激しく対立したかも知れません。

或いは神戸高速鉄道を使って直通運転可能な新線を作り、阪急・阪神・山陽(ついでに阪神なんば線開業後は近鉄も)が仲良く乗り入れする姿が見られたかも知れません。そう考えると神戸沖に作っていれば今頃は関西一円から空港アクセス列車が乗り入れてきたかも・・・?

 

3.もしも「品川新駅」が建設されなかったら

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2003年10月に開業した品川新駅は東海道新幹線の優位性を決定づけました。東京都南部の利用客を取り込み、京急羽田線で利便性が上がった羽田空港アクセスの差を縮めて東海道・山陽沿いの航空との競争でも大きな武器になりました。

しかし、品川新駅の開業までにはJR東日本所有の土地購入と言う問題があり、この問題がネックとなって品川新駅の着工は1997年まで待たなければなりませんでした。もし、JR東日本との土地購入交渉が決裂して建設が不可能となったり、JR東海が建設を諦めていたらどうなっていたのでしょうか?

 

まず東海道新幹線の高速化やのぞみの増発に関しては、品川新駅があってもなくても行っていたと思います。「品川新駅ができたからのぞみを増発した」と言うわけではないですし、航空機との競争や車両の運用効率を上げる為にも速達列車を増やして利便性を上げるのは必要なことだからです。

但し、本数に関しては増発の余地は狭まったと思いますし、異常時のダイヤの乱れの回復は容易ではなくなるでしょう。また、航空との競争の面でも品川や渋谷といった東京23区南部や川崎市といった羽田空港に近い地域の需要はある程度航空機に流出したと思います。やはり品川新駅の建設はJR東海に取ってはメリットが大きかったのではないでしょうか。

 

そして、品川新駅が建設されなかったらリニアの始発駅も他の場所になっていたかも知れません。品川を含めたリニアの駅位置が公表されたのは2011年ですが、その頃には既に品川は東海道新幹線の主要駅の一つとなり、2008年には全列車が停車するようになりました。リニアの始発駅決定の際も品川の拠点性や東海道新幹線の存在が影響したのは間違いないでしょう。

言い換えれば品川新駅が建設されなければJR東海に取って品川は単なる通過ポイントの一つでしかなく、品川を始発駅にする必要性は薄まります。東北新幹線などとの接続を考慮して東京駅になったかも知れませんし、新宿や渋谷など、より西側のターミナル駅を始発にしたかも知れません。

もっとも、史実通り品川駅に決定した際に品川新駅構想も復活し、同時進行で建設される可能性も十分考えられますが・・・

 

4.もしも「航空シャトル便」が実現していなかったら

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史実では東海道新幹線との競合と収益源確保の為に航空大手三社が手を結び、2000年に誕生したシャトル便。その後はJALとJASの統合や羽田〜伊丹路線の増便で必要性が薄れ、いつの間にか自然消滅して行きましたが、東海道新幹線に一矢報い、東京〜大阪間の航空路線復権のきっかけになった事は間違いありません。

しかし、当時でも犬猿の仲のJALとANAが手を結んだことに驚きの声が上がったように、シャトル便構想は既存の枠組みを超えたものであり、途中で流れてもおかしくない代物でした。もしシャトル便が実現しなかったら、東京~大阪間の航空路線はどうなっていたでしょうか?

 

↓シャトル便も含めた新幹線と航空機の争いはこちらもどうぞ

 

まず東京~大阪間のシャトル便実現のきっかけとなった2000年の羽田発着枠の増便ですが、シャトル便構想がなかったら羽田~伊丹・関空線の増便は少ないものとなっていたと思います。少なくとも利用率の良くない関空線の増便はなく、他の路線の増便やダブル・トリプルトラック化に充てられていたのではないでしょうか。その後の発着枠増加でも大阪路線の増便は限定的なものになっており、東京~大阪間の航空路線はジリ貧の状態が続いていたと思います。

しかし、シャトル便構想がなかったとしても、東京~大阪間の航空路線が息を吹き返すチャンスはあります。2002年10月のJALとJASの経営統合です。史実でもこの統合で特に幹線ではJALの便数は大幅に増え、危機感を強めたANAが幹線の増便やエアドゥとの提携に踏み切りましたが、仮にシャトル便以降の増便がなかったとしても、統合でJALの東京~大阪間の航空路線は伊丹線10往復、関空線7往復となり、一定のフリークエンシーは確保できます。一方のANAは伊丹・関空線とも5往復のままと大きく水を空けられることになり、JALとの対抗上、特に一定の利用率が見込める伊丹路線の増便に踏み切ったのではと思います。

そうなれば史実と同じく、羽田~伊丹線の利便性が上がって利用率が上がり、JALとANAが伊丹路線の増便・値下げ合戦となって更に利用者を呼び込むという好循環が生まれた可能性があります。但し、その頃には品川新駅開業でのぞみが大増発されますので、史実ほどには新幹線との差を埋められずに東京~大阪間の航空路線は埋没してしまってるかも知れませんが・・・

 

5.もしもJALが再建されず、清算されていたら

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※この件に関しては様々なケースが予想されるので、結果的には一番長くなりました・・・

 

2010年1月に破たんし、公的支援投入や京セラ名誉会長の稲盛和夫氏らの意識改革で奇跡の復活を遂げたJAL。その再建スキームや放漫経営で潰れた会社への手厚い公的支援は賛否両論を巻き起こしましたが、現在のJALは規模を縮小しながらも収益性の高い会社に変貌し、社風も破たん前からは大きく変わり顧客重視で挑戦的なものとなっています。

しかし、破たん当初は手厚い公的支援をもってしてもJALの再建には懐疑的な声が多く、二次破綻するのではないかという声さえありました。海外ではアリタリア航空やUSエアウェイズ、コンチネンタル航空の様に複数回破たんした例がいくつもありますし、業種は違いますがかつては国産DRAM事業の存続を狙って各メーカーのDRAM事業を集約し、一時は公的支援で乗り切ったエルピーダメモリが2012年に経営破たんし、結局アメリカのマイクロンに買収された例があるように、公的支援を受けたからと言って再建するとは限りません。また、法的整理前でも企業年金減額に失敗していたら公的支援は白紙となり、資金繰りに行き詰って清算に追い込まれていたかもしれません。もしJALが再建できずに清算されていたら、日本の航空業界はどうなっていたのでしょうか?

 

↓JAL再建や現場の変革についてはこちらの本も詳しいです。

 

まずJALの清算方法ですが、スイス航空の時のようにある日突然飛行機が止まる、という事態までは行かなかったと思います。と言うかそんな事態になったら日本の信用は失墜し、世界中で何万人もの乗客が取り残されて余計に被害が大きくなりますので、政府がつなぎ資金を入れてでも運航は継続させたでしょう。しかしこれも一時的なもので、他の航空会社に路線を売却したり、受け皿会社を作ってJALの路線を肩代わりさせたりして破たん後1~2年程度でJAL本体の運航は終了、その後清算手続きに入ったのではないかと思います。

 

次にJALの路線の売却先ですが、以下の3つのパターンが考えられます。

①国際線はANAに、国内線は受け皿会社となる「第2JAL」に売却

②「第2JAL」に採算の取れる路線や離島路線のみを売却

③国内線、国際線ともANAや旧JALグループ会社を含めた複数の航空会社に売却

 

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①については史実でもJAL破たん直後は国際線はANAに譲渡して一本化し、JALは国内線専門会社として存続させるというシナリオがありましたので、可能性は高かったのではないかと思います。特に欧米路線などの長距離国際線は一定の体力やノウハウ、ブランド力がないと維持できませんから、少なくとも東南アジア以遠の路線はJAL以外では唯一運航できる体力のあるANAに売却されたのではないでしょうか。

一方、国内線もANAに売却してしまうのは独占禁止法上公取委は絶対に認めないと思いますし、スカイマークなどの他の会社にJALの国内線全てを引き受けるだけの体力はありませんので、受け皿会社を設立するのが一番現実的です。その場合、一から「第二JAL」を設立してそちらに売却するケースと、JAL本体と違って法的整理にはなっていない日本トランスオーシャン航空や日本エアコミューター、ジェイエアなどのグループ会社が一括または地域ごとに分割してJALの国内線を継承するケースが考えられます。前者の場合は第二JALがJTAやJACなどのグループ会社を統括して国内ネットワークを維持、後者の場合でも旧JALグループの航空会社で持ち株会社を設立して同じグループにとどまったのではないでしょうか。

①の問題点としては旧JALは国際線ネットワークを手放すことになり、ワンワールドの会員資格維持が難しくなって脱退せざるを得なくなること。アジアの加盟会社が少ないワンワールドとしては日本市場だけでなく、アジア市場でも取り返しのつかない大打撃を受ける事になり、アメリカン航空を中心に強硬に抵抗してきたかもしれません。さらに日本市場はスターアライアンスが圧倒的優位になりますので、スカイチームの名手であるデルタ航空がアメリカンと手を組み、アメリカ政府を動かして圧力をかけて再編が遅れたり、ANAへの国際線一括譲渡案が流れて売却スキームが大きく狂う可能性もあったのではないでしょうか。

 

②は史実のJAL再建に一番近いものであり、利用者や就航地にとっては一番影響の少ないやり方です。アライアンスに関しては一旦関係がリセットされるためワンワールドとスカイチームどちらに転ぶかは微妙ですが、少なくとも国内航空会社が所属する航空連合はスターアライアンスだけ、という事態は回避されます。しかしこのやり方だとJALの放漫経営体質が温存される可能性も高く、二次破綻するリスクが一番高いケースでもあります。

 

 

③はJAL以外の航空会社に路線を切り売りする形であり、JALブランドが消滅する可能性が一番高いケースです。この場合でも①と同様、長距離国際線はANAに売却される可能性が高いと思いますが、近距離国際線はANAに対抗できる航空会社を育てるべくANA以外の航空会社に優先して売却されていたのではないかと思います。あるいは当時まだリゾート路線運航会社として存続していたJALウェイズにハワイや東南アジアなどの中距離国際線を売却し、独立させていたかもしれません。

 

国内線は競争確保の観点からANAやANAの影響が大きい会社には極力売却されず、売却されたとしても羽田や伊丹以外の地方路線や離島路線にとどまったのではないかと思います。一方、国内幹線や羽田・伊丹発着の地方路線と言った収益性の高い路線は近距離国際線同様、スカイマークや旧JALのグループ会社に優先的に売却されていたと思います。スカイマークはJALに代わるANAの対抗馬として体力をつけさせる必要がありますし、737はもちろん767も運航していた実績があるので、ある程度の路線移管にも耐えられるでしょう。機材面では737や767に加え、一部の777も移管されていたと思います。もしスカイマークがJALの国内線を手に入れていれば路線再編や体制づくりに忙しくなり、ひょっとしたらA380購入なんて考える暇が無くなって将来の破たんはなかったかも・・・?

また、旧JALグループの航空会社の中でも737を運航しているJTAには沖縄振興の観点からもJALの沖縄路線を一括して売却し、沖縄資本の独立航空会社に衣替えさせたかも知れません。現在でも那覇~中部・関空・福岡線はJTAの運航ですが、これに那覇~羽田・伊丹線が加わる形になると考えてもらえればいいかなと思います。それ以外のグループ会社はジェイエアについては独立かスカイマークやFDAあたりと提携か統合、離島路線の多い日本エアコミューターや地方路線の北海道エアシステムは独立した会社になっていたか、ANA辺りに押し付け売却されていたのではないでしょうか。

いずれにしても、このケースでは路線やグループ会社は切り売りされて日本の航空業界は盟主ANA、対抗馬スカイマーク、沖縄路線の王者JTA、JALのリゾート路線を継承したJALウェイズ(多分JALの名前は外すと思いますが)が大手となり、脇を新規会社や旧JALのグループ会社が固める、と言う構図になっていたと思います。JALのブランドは消滅してパンナム同様、過去のものとなっていたかもしれません。航空連合については恐らくJALに代わってJALウェイズがワンワールドに残り、スカイマークはいずれスカイチーム入りしていたのではないでしょうか。

 

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最後にJAL破たん後のLCCの展望ですが、ピーチは史実通りだとしても他の会社は参入したかどうか微妙です。特にジェットスタージャパンに関しては①と②の場合はともかく、③はJALという日本側の提携相手が消滅しているので外資規制をクリアできず、設立されなかったのではないでしょうか。エアアジアに関してはスカイマークと組むか、自力で参入したかも知れません。あるいはスカイマークがカナダのウエストジェットやオーストラリアのヴァージンオーストラリア同様、LCCに近い性格になっていたかも知れません。

 

こう考えるとJALが残るか消えるかで、その後の日本の航空業界の姿は180度変わっていたかもしれません。それだけJALの破たんは影響が大きいものだったと言えるのではないでしょうか。

 

まとめ

以上、昭和と平成の2回に分けて東海道新幹線や航空業界にまつわる「if」を予想してきましたが、いかがだったでしょうか。私自身もこの考察が絶対だという気は毛頭ありませんし、人によって予想や解釈は大きく変わると思います。歴史の「もしも」の話は考えた人の数だけ予想が分かれますし、その予想の違いを楽しむのもまた一興なのではないでしょうか。

 

趣味的には過ぎた過去の「もしも」を想像するのは楽しい事ですが、その過去は企業や政府のトップから末端の従業員に至るまで、様々な人の「決断」の積み重ねによってできたもの。その「決断」の結果がどうであれ、決断しない事には物事は進みませんし、決断した当人の意思や勇気には敬意が払われるべきであると思います(私利私欲の為に決断し、結果会社や社会に損害を与えたケースはむしろ非難されるべきですが)。

歴史とは「決断」の積み重ねであり、決断した後は物事をなかったことにはできません。そう考えると東海道沿いの交通の歴史もまた、重みのあるものに思えてきます。先人たちの決断の上に今の交通の発展と利便性の向上があるわけですから、その決断に感謝をしつつ、移動する自由を享受していきたいですね。

 

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