〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

日本の空を飛んだ旅客機の「ラストナンバー」

6月27日、リース会社のBOCアビエーションはボーイングよりスカイマーク向け737-800「JA73AC」を受領したと発表しました。スカイマークが追加発注した737-800型3機の最終製造機であると同時に、この飛行機が「ボーイング737-800型」自体の最終製造機となるようです。機体は今日6月30日に日本に到着しました。


sky-budget.com

 

ところで、「どの航空会社が新型機の最初のカスタマーになるか」は航空ファンならずとも注目する人は多いと思いますが、「どの航空会社がその機種の最後の納入先になるか」と言う事に関しては気にも留めない人の方が多いのではないかと思います。新型機の最初の一機は送り出すメーカー、受け取る航空会社とも大きな宣伝になりますし、注目度も高く新機種の格好のアピールになりますから大々的にセレモニーを行いますが、消えゆく機種のラストナンバーはひっそりと引き渡されることが多いので、どうしても注目度は下がりがちです。

しかし、実は日本は隠れた「最終製造機保有国」であり、過去に在籍したものを含めると結構な「最終製造機」が日本の空を飛んでいました。新型機を導入したはいいが、導入が製造開始からだいぶ後だったため納入途中で製造がストップしたケースや、既存の機体との共通性を重視してあえて古い機種を導入した結果、最終製造機になったというケースが多いためです。今回はそんな日本の「最終製造機」を紹介しましょう。なお、どの機体が最終製造機になるかは「Rainbow Island」様の情報を参考にさせて頂きました。

 

www.rainbow-island.jp

 

また、機体の現在の消息についてはこちらの本を参照しました。

 

 

エアーニッポン ボーイング737-500型(JA307K)

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エアーニッポン初の自社発注機として1995年に導入されたボーイング737-500。既存の737-200型の置き換えやYS-11路線のジェット化、新規路線の開拓などエアーニッポンのエースとして日本中を飛び回り、新造機は合計16機が納入されました。

しかしエアーニッポンの737-500導入はかなり遅い方で、納入が始まった頃には既に次世代機の737NGの開発が始まっていました。737-500型は1999年に製造中止となりましたが、その際、製造最終号機として納入されたのが写真のJA307Kでした。

その後、エアーニッポンは足りない分は機種統一の観点から737-500型の中古機を購入することにし、ブラジルのリオサルやデンマークのマークスエアから合計9機を購入します。エアーニッポン自体は2004年4月に便名をANA本体と統一したのち、2012年4月にANA本体に吸収合併されて消滅。ANAの737-500型の中にはエアドゥに移籍して出戻りした機体もありますが、JA307KはずっとANAグループで運行を続け、2019年6月現在でもまだ運航中です。

しかし、来年にはANAの737-500型は退役予定ですので、JA307Kが日本の空を飛び続けるのもそう長くはありません。737-500型の退役が日本の737クラシックの終焉になりますので、ひょっとしたらJA307Kがラストフライト機となって日本の737クラシック有終の美を飾る事になるかも・・・?

 

全日空 ボーイング747SR(JA8159)

まあ、これに関しては747SRを導入した会社がJALとANAだけなので微妙と言えば微妙ですが、一応最終号機である事には変わりありませんので・・・

言わずと知れた国内線専用ジャンボ「ボーイング747SR」を最初に導入したのは日本航空で、1973年から75年にかけて9機が納入されました。当時の日本航空の国内線は幹線だけでしたのでこれで十分でしたが、その後1979年からSR型を導入した全日空は幹線だけでなく、羽田や伊丹発の主要地方路線の輸送力増強の為に合計17機を購入しました。

SR型最終号機となったJA8159は1983年に納入され、その生涯を国内線で過ごします。2006年のSR型退役を前にした2005年に退役し、アメリカにフェリーされてそのまま部品取り、スクラップとなりました。こちらは最終製造機が有終の美、とは行かず国際線も経験したJA8157がSR型のラストフライト機となりました。

 

日本航空 マクドネル・ダグラスDC-10-40(JA8549)

こちらも導入したのはJALとノースウェストの2社だけなんですけど、純粋な日本航空の機材で最終製造機がこれだけだったので・・・

DC-10の主力はGE製エンジンを搭載した長距離用の30型でしたが、JALが選択したのは747型と同じプラットアンドホイットニー製のJT9Dエンジンを搭載した40型でした。結果的には40型を買ったのは前述の2社だけで、JALが買ったのはノースウェストの後だった為必然的に製造最終機がJALに来る事になりました。

JALに納入されたDC-10-40型の最終製造機・JA8549は1983年に国内線用機材として納入されました。当初は国内幹線のみの運航でしたが、45・47体制廃止後は地方路線にも活躍の場を広げていきます。90年代に入り、国内線用に767-300や777が導入されると国内線用DC-10のうち3機はセンターギアを追加されて国際線に転用されましたが、残る7機のうち初期導入の5機は1997年12月のJA8530を皮切りに2001年3月までに退役、JA8549を含めた残りの2機は比較的機齢が若い事もあって辛うじて残りましたが、基本的に羽田~関西~ソウル線のような内際兼用や他の機種の代打というポジションになって行きました。

そしてJA8549は2003年9月に退役。機齢20年とJALのDC-10の中では比較的若かったにも関わらず70年代製造の国際線用機材よりも早い退役だったのは、国内線用機材で離着陸回数が多かったのと、既に国内線は機数が揃っていた為運用範囲が限られていたからではないでしょうか。その後のJA8549はウェルズファーゴバンクに売却されましたが、部品取りとしての売却だったようで、しばらく砂漠で保管されたのち路線復帰する事無く解体されました。

 

 

日本エアシステム エアバスA300-600R(JA016D)

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東亜国内航空→日本エアシステムを代表する機材と言えるA300シリーズ。延べ38機が日本エアシステムに納入されましたが、最後に納入されたA300-600R、JA016Dは結果的にA300シリーズ旅客型の製造最終号機となりました(貨物を含めた最終号機は2007年にフェデックスに納入されています)

 

ところでJASは既存の機種との互換性を重視してあえて旧型の機材を購入したり、新型機も前の機種と性能を合わせる癖があったようです。例えばA300の初期型にしても2名乗務のA300-600型が既に販売されていたにも関わらず中古のA300在来型を世界中から買い漁ったり、1980年に導入したDC-9-81型のコクピットを旧型のDC-9-41型と同じにしたり、グラスコクピット搭載が可能だったMD-87をMD-81と共通性優先で従来の機械式で納入したりしています。

A300-600Rにしても、JA016Dを含めた最後の3機を発注したのは既に旅客型の新規受注が途絶えていた2001年。既にエアバスのワイドボディ機の主力はA330・A340型に移っていましたが、JASはA330型が置き換え対象のA300B2/B4よりも大きい事や、既存のA300-600Rとの共通性を重視して、取り合えず3機だけ追加して様子を見ることにしたのです。実際のところ、旧式のA300はこの時点で全17機が現役であり、流石に全てをA300-600Rの新造機に置き換えるのはエアバスも嫌がるだろうと思うので、足りない分はA300-600Rの中古機で凌ぐつもりだったのか、別の新型機を導入するまでの時間稼ぎだったのかは分かりません。そしてJASがどう考えていたかは永遠に分からなくなりました。

 

2001年11月にJASはJALとの統合を決定し、2002年10月に持ち株会社方式で経営統合します。統合と前後して発注済だったA300-600R3機が順次納入されますが、最終製造機のJA016Dだけは統合後の2002年11月の納入であり、新生JALの「太陽のアーク」塗装が発表された後だった為に、オールホワイト塗装でJALに納入された後羽田で太陽のアーク塗装になりました。つまり、JA016Dは納入されたタイミングのおかげで「日本エアシステムが発注した最後の旅客機であり、JASのA300シリーズで唯一レインボーカラー塗装にならなかった機体」「日本航空グループに初めて納入されたエアバス機」といういろんな意味で記録的な機体となりました。

その後JA016Dは他のA300-600R同様、統合後のJALで国内線を飛び続けます。しかしそのJALは2010年1月に経営破たんし、大幅な縮小を余儀なくされました。機材面でもボーイング747やMD-81、貨物専用機を退役させますが、A300-600Rも機種整理の対象となってしまいます。当初は2011年3月に退役予定だったのが東日本大震災の復興支援で東京~青森・秋田・花巻線に集中投入されることになり、2011年5月31日に羽田~青森線でラストフライトを迎えました。この時に起用されたのがJA016Dであり、図らずもA300旅客型の最終製造機が日本のA300シリーズの最後を締めくくる事になりました。

 

その後JALのA300-600Rの殆どは貨物機に改造され、現在でも19機がEATライプツィヒで、2機がエアホンコンで現役です。しかしここでもJA016Dだけは他の機体とは別の道を歩みました。エアキャッスルに売却されてN836ACの登録記号を付けられたのちキルギスに売却、そこから更にイランのマハン航空に移籍して旅客型のまま運航を続けています。つまり、イランに行けばギリギリ旧JASのA300-600Rに乗れるチャンスはあるワケで・・・いや、治安や渡航履歴の問題があるのでお勧めはできませんが。

 

日本エアシステム マクドネル・ダグラスMD-81(JA8557)

1985年からTDAでの納入が始まったMD-81ですが、最終号機が納入されたのは1994年の事でした。翌年からはMD-90の納入が控えていたので結果的には最後に納入されたJA8557が最後のMD-81となりました。

JASのMD-81はローカル線を中心に国内線全般で重宝されましたが、JASの顔とも言えるA300や「クロサワ・レインボー」でド派手に目立ったMD-90に比べると地味な存在でした。経営統合後のJALでも引き続き使用されましたが、経年化が進んでいたのとJALの破たんで2010年9月に全機退役します。しかし、JA8557はJALの破たんやラストフライトを迎える前の2009年12月に退役しました。

退役後のMD-81は別の航空会社に移籍して飛び続けた機体もありましたが、JA8557は最初から部品取りとして売却され、機体はまだ残っているもののストア状態にあるようです。恐らくJA8557が再び空を飛ぶ日はもうないでしょう。

 

東亜国内航空 マクドネル・ダグラスDC-9-41(JA8451)

東亜国内航空の黎明期を支え、初期のフラッグシップとして活躍したDC-9-41型。翌年のMD-81型への切り替えを控え、1979年に納入されたJA8451がDC-9-41型の最終製造機となりました。ちなみに、JA8451の一つ前に製造された機体もJA8450として同じ月にTDAに納入されています。

全22機が納入されたTDAのDC-9-41型ですが、全機が揃っていたのはわずか2年程であり、1981年3月にはDC-9-81型と入れ替わりに納入1号機のJA8423がフィンエアーに売却されています(その後元JA8423は更にTWAに売却)

その後DC-9-41はMD-81やMD-87の納入に合わせて段階的に売却され、最後に残った6機も1996年から1997年にかけてMD-90と入れ替わりに退役しました。JA8451はラストフライトの8か月前の1996年8月にアメリカの貨物航空会社、エアボーンエクスプレス(現ABXエア)に売却されましたが、ラストフライトを務めたのは同時期に納入されたJA8450の方でした。

 

エアボーンエクスプレスにはJA8450やJA8451を含めた13機が移籍し、貨物機に改造されて第二の機生を送りました。しかし流石に経年化が進み、現在では全ての機体がスクラップ、又はストア状態となっています。JA8451も既に解体済みの様です。

 

日本貨物航空 ボーイング747-200F(JA8194)

世界有数のジャンボ王国であった日本ですが、747クラシックの製造最終号機も日本に納入されています。しかし、意外にもと言うか、最終製造機の納入先はJALやANAではなく、日本貨物航空(NCA)でした。1985年から運航を開始したNCAは就航前はアメリカとの航空交渉に苦しめられ、就航後もアメリカや香港で航空当局や競合会社の参入妨害に悩まされてきました。そんな中でも何とか業績を拡大させ、747-200Fの新造機を6機購入するまでになります。747の生産ラインが2名乗務機の747-400型に移行する中、1991年11月に納入されたJA8194は747クラシックの製造最終号機となりました。

その後JA8194は世界中を飛び回ってNCAの規模拡大に貢献し、2007年1月にNCAを退役した後は複数の航空会社を転々とします。現在はイランの貨物航空会社、ファース・エア・ケシムでEP-FABの登録記号で運用中の様です。

 

まとめ

いかがだったでしょうか。747SRとか多少強引なものもありましたが、調べてみると割と日本の空を飛んでいた最終製造機がいた事が分かります。その履歴も国内線で一生を終えた機体や、タイミングの問題で他の機体とは違う道を辿った機体、日本を離れた後転々とした機体など様々ですが、ラストナンバーだからと言って特別扱いされているわけではないのが分かりますね。

 

スカイマークに来た737-800最終製造機、JA73ACはこれから日本でどんな経歴を積み上げて行くのでしょうか。これからの活躍に期待したいですね。

 

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