〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

タイの「安全性に対する懸念」指定解除で本当にタイの空は変わるのか。

10月10日、ICAO(国際民間航空機関)がタイの「安全に対する重大な懸念(SSC)」の指定を解除しました。

 

2年前に「航空会社を監視する当局の職員数が不十分」という理由で指定されましたが、新興国クラスでこの指定を喰らうのは異例中の異例。日本や中国、韓国、アメリカなどはタイの航空会社の新規乗り入れやチャーター便の運航を認めないなどの規制を取り、タイ・エアアジアXやノックスクートが新規就航を見送り、急遽本国側の会社の路線をバンコク経由便にしてしのいだという経緯があります。

 

www.traicy.com

 

タイの当局も新たに民間航空庁(CAAT)を立ち上げ、2年かけて安全審査体制の見直しを進めました。この見直し作業には日本のJICA(国際協力機構)も協力しているようです。

さらにICAOの国際安全基準にのっとった新たな航空運航者証明書(AOC)の再認定作業を進め、これまでにバンコクエアウェイズ、タイ・エアアジアタイ国際航空、ノックスクート、タイ・エアアジアXの5社が基準をクリアして再認定を受けています。

ICAOの指定解除でこれまで規制を受けていた新規路線の開設やチャーター便の運航再開が見込めますし(ただしアメリカはまだ規制を継続していますので北米路線の新規開設はできませんが)、少なくとも再認定を受けた会社に関しては安心して乗れるのではないかと思います。

www.travelvision.jp

 

さて、そこで問題になるのがまだ再認定を受けていない航空会社。チャーター便会社の中には古い機材ばかりの会社もあり、HISが出資しているアジアアトランティックエアウェイズも20年落ちの767を使用していますし、就航当初は色々とトラブルをやらかしたので無事再認定を受けられるかは微妙。

 

ですが、一番の本丸は迷航空会社列伝でも取り上げたこの会社でしょう。


迷航空会社列伝「古い機材は使い捨て」フリーダム・オブ・オリエントタイ航空

 

ある意味、グダグダのユルユルだったタイの航空当局の仕事ぶりのお陰で生きながらえてきた感のあるオリエントタイ航空。普通の国ならとっくに運航停止処分になってもおかしくないのですが、この会社に厳正に対処できるかどうかで本当にタイの航空当局が変わったのかがわかるのではないかと思います。

正直、今までいい加減やってきたオリエントタイがにわかにICAOの安全基準を満たせるとは思えませんし、満たせるだけのお金や人材もいるとは思えません。CAATもこんな会社を安易に再認定してSSCに逆戻りなんてしたくないでしょうから厳正に対処するはず、いや厳正に対処して下さいお願いします。(悪い意味で)数々の伝説を打ち立ててきたオリエントタイ航空も、いよいよ年貢の納めどきなんですかねえ・・・

モナーク航空、飛行機飛ばずに会社が飛ぶ。

10月2日、イギリスのLCCモナーク航空が破綻しました。ヨーロッパでの航空会社の破綻は5月のアリタリア航空、9月のエアベルリンに続いて3社目。運航停止に追い込まれるのは今年初のケースです。

 

英モナーク航空が経営破綻 11万人が帰国困難に

 

突然の破産だったため、11万人の乗客が帰る術を失ってしまい、救済のためのチャーター便が運航されるなど、大きな影響が出ています。突然の破産→チケット紙くず、現地に置き去りというと3月のてるみくらぶが思い出されますが、てるみくらぶモナーク航空も格安を売りにした会社という共通点があり、価格競争で疲弊した末に力尽きた、という点も同じです。

しかし、てるみくらぶの場合は早めに法的整理を選択していれば傷は浅く済んだのに、破産ギリギリまで原価割れの激安ツアーを販売して現金を集め、そのお金を目先の支払に充てるという、究極の自転車操業に陥って被害を拡大させてしまいました。粉飾決算もやっていたようですし、これは完全に経営者の責任と言わざるを得ません。

 

一方のモナーク航空はまだ破産したばかりで詳しい原因はまだ断定できませんが、CEOの説明ではエジプトやチュニジアのテロやトルコ市場の不振、欧州市場の競争激化や燃料費高騰を原因に挙げています。元々経営は苦しかったところにこれらの外的要因が重なり、さらにイギリスのEU離脱によるポンドの下落もモナーク航空の経営を圧迫したようです。とは言え、最終的には11万人の帰りの足を奪ったわけですから、てるみくらぶ程ではないにしても経営者の責任は免れないでしょう。

 

航空業界や旅行業界のようなサービス業は日々の現金収入がある分、資金繰りの面では製造業よりも何とかなるケースが多いのですが、見方を変えれば負債が雪だるま式に膨れ上がってもキャッシュフローさえ何とかなれば会社は持ちこたえてしまうので、経営の悪化に気付きにくくなってしまいます。ちょっとしたきっかけで資金が止まってしまうと、手元現金がなく、航空券の売り上げを右から左に流してやり過ごしていた会社はすぐに行き詰まり、ある日突然運航停止となってしまうわけです。

ヨーロッパは航空会社の座席供給数がだぶついているようなので、ひょっとしたらこのような破産は今後もありえるかも知れません。とは言え、個々の会社の財務状況までは調べようがないですので、危ない会社は避けると言った行動はなかなかとりづらいですが・・・

株価的には本当にヤバかったカナディアン航空

迷航空会社カナディアン航空、後編ではスターアライアンスワンワールドによる代理戦争に翻弄されるカナディアン航空と、買収合戦には勝利したものの、その後経営が悪化して破産に追い込まれたエアカナダのその後を描きました。

 


迷航空会社列伝「仁義なき空中戦」カナディアン航空 後編「踊らされたカナダグース」

 

史実ではエアカナダによるカナディアン航空の買収、救済合併となったわけですが、当時の新聞記事をまとめたサイトを見ると、カナディアン航空の買収金額と株価が異様に低い事に気がつきました。どうやら、カナディアン航空は市場からはほぼ見切りをつけられていたようです。

 

当時の記事によれば、エアカナダによるカナディアン航空の買収金額(カナディアン株の過半数)は9200万カナダドル、日本円にしてわずか65億円という少なさでした。これとは別にアメリカン航空保有するエアカナダ株25%もエアカナダが買い取りましたが、これも総額4080万米ドル(42億円)と、売上高18億米ドルの企業の買収額としてはかなり少ないものでした。

ちなみにエアカナダのカナディアン株買取金額は1株たったの2カナダドル(140円)。しかし、カナディアン航空がエアカナダの買収受け入れを表明した1999年12月3日のカナディアン株は1.7ドルでしたから、これでも高く買ってもらえた方だったんです。

 

これらの事から、買収時のカナディアン航空時価総額は日本円換算で100億ちょっとくらいしかなかったのではないかと思います。現在東証2部に上場しているスターフライヤーの10月2日時点の時価総額が116億7700万ですから、末期のカナディアン航空の価値は10機程度しか保有機がない新興航空会社と同程度だったと言えるでしょう。

 

・・・と、調べているうちに新たな事実が判明しました。カナディアン航空の1999年の決算は14億1900万カナダドルの赤字だったようです。日本円に直すと1000億円近い赤字ですから、数字の上からもカナディアン航空の経営が末期状態だったことが分かります。恐らく元々の業績が悪かったところにカナディアンの経営不安や買収合戦がさらなる客離れを引き起こして搭乗率が悪化し、損失を膨れ上がらせたのではないかと思います。

これだけの赤字額だとほとんどの路線が赤字だと思いますので、カナディアン航空は企業経営的には完全に行き詰まっていたと思います。恐らく民事再生法的な破綻をしても損失しか生まないカナディアンを救済するスポンサーは現れなかったと思います(支援したくても外資規制でできなかったアメリカン航空はともかくとして)

 

もしエアカナダが手を差し伸べなければカナディアン航空は運航停止で消滅か、最悪の場合スイス航空のように燃料代すら払えず飛行機差し押さえになっていたかもしれません。そう考えるとこんな資産価値ゼロの会社を丸ごと買ってくれたエアカナダこそがホワイトナイトだったのかも・・・?

 

 

規制緩和前は規制でガチガチだったアメリカ航空業界

カナディアン航空、中編ではCPエアー→カナダ太平洋航空→カナディアン航空への変遷と規制緩和後のカナダの航空業界を紹介しました。

 

 

前編でも触れましたが、規制緩和以前のカナダの航空会社は運航会社ごとに営業範囲が決められていましたが、何もこれはカナダに限った話ではなく、日本でも「45・47体制」でJALは国際線と国内幹線、ANAは国内線全般、TDAは国内ローカル線と営業範囲が定められていました。

しかし、それ以上に厳しい規制をかけていたのが世界最大の航空大国・アメリカ。1978年の航空規制緩和以前は国際線と国内線の運航会社は厳格に分けられ、国内線運航会社の中でも厳格なヒエラルキーが存在していました。

 

①国際線

国際線に関しては全世界への運航権を与えられたのはパンアメリカン航空ただ一社でした。戦後すぐの頃は国際線独占を目論み、パンナムの後ろ盾を受けて上院議員にまで上り詰めたオーウェン・ブリュスター議員にアメリカ発の国際線をパンナムに独占させる「コミュニティー・エアライン法案」を提出させ、成立に向けて奔走しましたが、国際線進出を目指していたトランス・ワールド航空(TWA)などの猛反発を受けて頓挫しました。

国際線独占こそ失敗したものの、パンナム以外で長距離国際線を運航できたのは太平洋線がノースウエスト航空、南米路線がブラニフ航空、大西洋線がTWAだけで、長距離国際線の進出会社を制限することには成功します(正確にはアメリカン航空系列のアメリカン・オーバーシーズ航空にも大西洋線の運航権が与えられましたが、1950年にパンナムに吸収されています)

その後、コンチネンタル航空にオーストラリア路線の運航権が与えられるなど多少の変化はありましたが、基本的にはこの枠組みが規制緩和まで維持されることになります。

 

とは言え、隣国のカナダ・メキシコ路線に関してはアメリカン航空やユナイテッド航空などの国内線大手の会社も手がけていました。元々陸続きでアメリカとの往来も多い国でしたから、カナダ・メキシコ路線に関しては国際線というよりは国内線の延長くらいの感覚だったのでしょうし、需要が多い分、パンナム一社では到底賄い切れないからでしょう。

 

②国内線

アメリカの場合、国土が広大な上に人口も多いので国内線に限定されても十分過ぎるほどの需要がありました。全世界にネットワークを広げていたパンナムがアメリカ最大の航空会社だと思われがちですが、実は経営規模的には国内線とカナダ・メキシコ線だけを運航していたユナイテッド航空やアメリカン航空の方が上でしたので、いかにアメリカ国内の需要が旺盛だったかが分かります。

 

しかし、その国内線も航空会社ごとに厳格に営業テリトリーが決められており、規制緩和まではそのテリトリーを超えた路線開設はほぼ不可能でした。国内線運航会社は大きく分けて3種類に分けられます。

 

1:アメリカ全土にネットワークを張れるメジャー航空会社

全米各地に路線網を広げることのできた会社は限られており、当初はユナイテッドとアメリカンの二社、後にデルタとイースタンも大陸横断路線の参入が認められましたが、規模的には早くから全米にネットワークを広げていたユナイテッドとアメリカンには及びませんでした。それ以外だとパンナムに買収されたナショナル航空や、ゴードン・ベスーンによる再建で奇跡の復活を果たすコンチネンタル航空などがこのグループに入ります。

 

2:一定のブロック内での運航が認められたローカル航空会社

メジャー航空会社の他にも全米での運航は認められなかったものの、ある程度の地域内での運航を認められたグループも一定数存在しました。このグループの代表例は西海岸を中心に路線展開をしていたウエスタン航空や、ゴードンやツルタも在籍していたピードモンド航空、そのピードモンド航空を呑み込んだアレゲニー航空(その後USエアウェイズに改名)などが挙げられます。現在でも存続しているアラスカ航空やハワイアン航空もこのグループに含まれます(と言っても路線拡大は規制緩和後の話ですが)

メジャー航空会社とローカル航空会社は広大な運航範囲を持ち、新規参入は不可能に近かったのである程度は政府に守られた存在でした。その代わりにCAB(民間航空委員会)の規制や監視を受け、安売り競争の禁止や新規路線の認可申請が厳しいなどの制約もあり、一長一短だったようです。

 

3:1つの州内だけの運航が認められた州内航空会社

文字通り一つの州内だけの運航を認められた会社で、州外の運航が認められることはまずありませんでした。その代わりに州内航空会社に関してはCABではなく各州政府の管轄であり、上記2グループと異なり新規の参入も可能でした。

このグループの多くは小型プロペラ機を運航するコミューター航空会社でしたが、カリフォルニア州やテキサス州などの面積の大きい州はジェット機を運航する会社も存在しました。このグループから経営規模を拡大し、一定の規模を築いた会社の代表はカリフォルニア州のパシフィック・サウスウエスト航空やエアカリフォルニア、フロリダ州のエア・フロリダなどですが、これらの会社は破産や吸収合併で消滅し、現存しません。

しかし、この州内航空会社出身の会社でメジャーエアラインにまで上り詰めた会社も存在します。アメリカ第4位の規模であり、世界中のLCCの雛形となったサウスウエスト航空。今でこそLCCの代表的なこの会社も最初はテキサス州内のダラス、ヒューストン、サンアントニオを3機のボーイング737で結ぶだけの小規模な航空会社でした。サウスウエスト航空のサクセスストーリーに関してはなかなか熱い展開なので、いずれ長編動画を作りたいと思います。

さらに現在大手航空会社のフィーダー輸送を担当するスカイウエスト航空やアラスカ航空のリージョナル部門を担当するホライゾン航空もこのグループの出身です。

 

こうして見ると何でもかんでも自由競争であるように見えるアメリカの航空業界も、昔は規制でガチガチだったのがよくわかります。まあ、その後の規制緩和というか撤廃で極端な自由化に走り、規制緩和前に存在していた会社の大半が消えてしまう訳ですから振り幅が大きすぎると言うか何というか・・・

 

 

 

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意外と多い?鉄道会社が経営した航空会社

今回の迷航空会社列伝はカナダ第2位の航空会社だったカナディアン航空です。


迷航空会社列伝「仁義なき空中戦」カナディアン航空 前編・官と民のぶつかり合い

 

前編ではカナダ太平洋鉄道傘下のカナダ太平洋航空とカナディアン・ナショナル鉄道が母体のトランス・カナダ航空の争いを書きましたが、両者に共通するのは「鉄道会社が母体の航空会社」ということ。日本では新幹線vs航空機の競合路線が多いため、鉄道と航空は敵対関係にあると思われがちですが、それはあくまでも長距離路線が主体の国鉄→JRの話。私鉄各社にとっては日本中、世界中にネットワークを広げる航空はむしろ協力関係にあることが多く、中には鉄道会社自ら航空会社の経営に乗り出すケースもありました。

 

ケース1・東急電鉄

航空業界と関わりの深い私鉄というとこの会社を置いて他にはないでしょう。グループに日本エアシステム(JAS)を抱え、JAL破綻までは筆頭株主だった東急電鉄。グループの総帥だった五島昇が航空産業に強い興味を持っていたこともあって自社で航空会社を保有することを目論みます。当初のターゲットは極東航空→全日空でしたが失敗。後に1961年の富士航空の東急グループ入りで念願の航空業界参入を果たします。その富士航空は1964年に日東航空、北日本航空と合併して日本国内航空となり、さらに1971年には広島の東亜航空と合併して東亜国内航空となりました。とは言え、合併当初の東亜国内航空はYS-11中心のプロペラ機しかなく、路線も国内ローカル線だけという弱小航空会社。実際のところは大手の日航と全日空には遠く及ばない規模で、万年赤字を垂れ流す東急グループのお荷物でした。

その弱小会社の立て直しに東急から送り込まれたのが、東急の副社長でグループの大番頭と言われた田中勇社長。彼は徹底した経費節減と不採算路線の整理、羽田発着の高需要地方路線の参入・ジェット化で黒字化を達成し、国内幹線参入やワイドボディ機のA300導入、そしてついには日本エアシステムへの社名変更に国際線参入と、弱小ローカル会社だった東亜国内航空を大手三社の一角を占める航空会社に育て上げました。

しかし、元々財務体質は強く無かった上に、国際線参入時に相当無理をして投資したツケが、バブル崩壊以後JASにのしかかってきます。頼みの綱の東急グループも業績は芳しくなく、グループの発展に貢献しない会社は次々に切り離していきました。五島昇が1989年に亡くなった後は東急グループの航空事業への関心も薄れ、4000億の有利子負債を抱える今のJASは東急にとっては完全なお荷物。最終的にはJALとの統合で東急グループを離脱しますが、その後もJAL破たんまでは東急はJALの大株主であり続けました。

 

JAL破綻後は航空会社の経営からは完全に手を引きましたが、2016年には仙台空港の民営化に際し運営会社に名乗りを上げ、東急本体で42%、グループの株も含めると過半数の54%を保有し、経営の主導権を握りました。航空会社から空港へと形は変わりましたが、東急グループと航空業界との関係はまだまだ続いています。

 

ケース2・名古屋鉄道

全日空の前身である日本ヘリコプター輸送の出資者の一人であり、長らく全日空の筆頭株主だった名鉄。日ペリ時代から全日空の総代理店を務め、名古屋空港ビルディングにも出資するなど早いうちから航空に関心を持っており、名古屋で全日空の力が強いのも名鉄の影響力のお陰。中部国際空港のアクセス路線にも早々と手を挙げるなど、名鉄と航空業界は切っても切れない間柄と言えます。

 

そんな名鉄も、自前で航空会社を作った時期があります。1988年に設立し、1991年から運航を開始した「中日本エアラインサービス」名鉄と全日空が共同で設立したコミューター会社ですが、設立当初は名鉄グループ80%、全日空20%と主導権は名鉄が握っていました(但し名鉄本体の出資は10%。筆頭株主は(株)名鉄総合企業35%、2位は事業用航空大手の中日本航空25%。もっとも、中日本航空も名鉄グループですが)

不定期のコミューター航空会社として設立された中日本エアラインサービスですが、56人乗りのフォッカー50を使用し、ドリンクサービスを行うなど定期航空会社と遜色のないサービスで話題を呼び、利用客の多い名古屋空港を拠点にしたこともあって順調に業績を伸ばしていきました。業績は決して悪くなかったのですが、2004年10月に名鉄グループ保有の株式のうち35%を全日空に売却し、翌2005年2月17日、中部国際空港の開港と同時に社名を「エアーセントラル」に改称。便名も全てANAに統一され、その後全日空のグループ再編で「ANAウィングス」に吸収合併されて姿を消しました。

恐らくは中部国際空港開港を機に名古屋発着のローカル線を強化したかった全日空と、2003年に598億円の経常損失を計上し、事業整理が急務だった名鉄との思惑が一致したが故の売却劇だったのではないかと思います。ですが、もし名鉄が本気でこの会社を軌道に乗せようとしていれば、あるいは今のFDA的な会社になっていたかも・・・?

 

ケース3・近畿日本鉄道

グループ内に近鉄エクスプレスという物流会社を持っているものの、航空会社とは縁の薄そうな近鉄ですが、JASの前身の一つ、日東航空に出資していたことがありました。もっとも、その日東航空は東急系列の富士航空と合併して日本国内航空になるわけで、合併後しばらくして近鉄は航空事業からは手を引いたようです。

 

 

とりあえず調べてみただけでも3つの大手私鉄が航空会社の経営に関わっていたようです。その他にも阪急や南海も航空業界参入を目論んでいたようですが、これに関しては断片的な情報しかないので今の段階では触れるのは控えます。詳細が分かったら改めて書きたいなと思います。

 

JASのホノルル線はやっぱり飛ばしちゃダメだった

 以前取り上げたJASのDC-10。導入の最大の理由が「長距離路線も飛べる機材が欲しかったから」でしたが、導入後3年かかってようやく就航したホノルル線もわずか3年で撤退に追い込まれました。

 


迷旅客機列伝「背伸びし過ぎて持て余す」日本エアシステムDC-10

 

※以前の記事はこちらを参照して下さい。

meihokuriku-alps.hatenablog.com

 

で、わずか3年で撤退せざるを得なかったJASのホノルル線とはどんなダイヤだったのでしょうか。1992年8月の時刻表が手元にありますので、当時のダイヤを見てみましょう。

 

成田ーホノルル

JD050便 成田20:00発→ホノルル8:10着(月・金曜運航、月曜30分遅発着)

成田発の時間に関してはそう悪くはありません。今も昔もホノルル線は夜に出発して翌朝到着、というのが一般的ですし、着いたその日は十分観光できますので、ダイヤ自体はいい感じです。では帰りの便はどうでしょうか。

 

ホノルルー成田

JD051便 ホノルル10:10発ー成田13:15(+1)着(月・金曜運航、月曜30分遅発着)

欲を言えば午後発にしたほうがより長くホノルルに滞在できますが、今でもホノルル午前発の便はありますし、特に金曜発は到着後そのままシンガポール線に飛ばしていたことを考えると妥当なところではないかと思います。

 

それよりも問題なのは運航日。月曜と金曜の週2便では旅行会社はツアーを組みにくかったのではないかと思います。往復JAS便利用となると、

①成田月曜夜出発→ホノルル月曜朝着、金曜朝発→成田土曜午後着の4泊6日

②成田金曜夜出発→ホノルル金曜朝着、月曜朝発→成田火曜午後着の3泊5日

③成田月曜か金曜の夜出発→戻りは翌週の火曜か土曜の7泊9日

の3パターンしか組めません。一方の他の会社はというと

 

日本航空(週30便)

JL92便 成田17:40発(月・金・土曜運航)

JL80便 成田18:40発(月・火・木・金・土曜運航)

JL76便 成田19:10発(毎日運航)

JL94便 成田19:40発(日曜運航)

JL74便 成田20:55発(毎日運航)

JL72便 成田22:00発(毎日運航)

 

ノースウエスト航空(週19便)

NW10便 成田19:00発(毎日運航)

NW82便 成田20:00発(月・水・木・金・土曜運航)

NW22便 成田20:55発(毎日運航)

 

ユナイテッド航空(週22便)

UA822便 成田18:00発(毎日運航)

UA830便 成田18:45発(毎日運航)

UA834便 成田20:00発(金曜運航)

UA826便 成田21:00発(毎日運航)

 

コンチネンタル航空(週7便)

CO8便 成田18:15発(毎日運航)

 

中華航空(現チャイナエアライン)(週5便)

CI18便 羽田19:35発(月・火・水・金・土曜運航)

 

・・・これだけの便数があるなら日程的にも利便性の面でも他の航空会社でツアーを組んだほうが作りやすいし売りやすいですよね。特にJALやUAなんか少なくとも1日3便は出ているわけですし、知名度もJASよりはるかに上なんですから。

週2便しかない上に知名度もないJAS便利用のハワイツアーを旅行会社に作ってもらう方法はただ一つ、他社よりも破格の値段で航空券を販売すること。手元に搭乗率の資料がないので断定はできませんが、恐らくJASのホノルル線は利便性の悪さと知名度のなさで相当搭乗率が悪かったか、相当なディスカウントをして無理矢理乗客を集めていたかのどちらかだと思います。これでは長続きしなかったのも仕方ないですね。

 

今はどうかわかりませんが、アメリカの航空会社は基本的にデイリー運航を目指し、デイリーで飛ばせなければ参入しないそうです。一定の利便性を確保できなければ乗客は集まらないことを長年の熾烈な競争で知っているからでしょう。そう考えると国際線の経験値がゼロに近かったJASは、勝ち目のないハワイなんて背伸びはせず、まず近距離で実績とノウハウを作るべきだったと思いますね・・・この会社もまた、バブルに踊らされた会社の一つだったのかもしれません。

 

(10/2追記)昨日買った古本の「JAL JET STORY」の中にJASのDC-10の事も書かれていたのですが、その中にホノルルの地上業務を委託していたアロハ航空の副社長に「定期路線と言ったってツアーで集めた客を運んできて、数日後に同じツアー客を乗せて戻るだけじゃないか。これじゃチャーター便と同じだ、長続きしないよ」と言われ、その通りになった、という記述がありました。やはり日本からの格安ツアー客頼みの路線だったようで、ハワイ側からの乗客はほとんどいなかったようです。少なくともホノルル線に関しては交通機関としての役割を果たしていなかったようで、やっぱりホノルル線は無理がありすぎましたね。

 

 

JAS Japan Air Systems

 

「実質値上げ」と言われた「のぞみ」とあまり言われなかった「はやぶさ」

東海道交通戦争第6章、後編はJR東海の品川新駅の建設とのぞみの増発を中心に紹介しました。

 


東海道交通戦争 第六章「シャトル便戦争」後編

 

後半はのぞみ大増発で「のぞみ料金」が必要な列車が増え、実質的な値上げになると反発され、のぞみ料金値下げに踏み切らざるを得なかったJR東海の姿を描きましたが、この8年後、同じく特別料金が必要な列車にほぼ統一しながら、大した反発も受けなかった例があります。

 

2011年3月5日のダイヤ改正で、東京ー新青森間に「はやぶさ」が運行を開始しましたが、その際、「はやぶさ」料金が設定され、最大で500円(現在は510円)の加算料金が必要になりました。当初のはやぶさは1日3往復だけでしたが、現在では東京〜新青森新函館北斗間ではほぼ全ての列車(盛岡・新青森新函館北斗間のみ走行の区間列車を除く)が「はやぶさ」となり、実質的に盛岡以北の新幹線は値上げとなっています。

じわじわと追加料金が必要な「はやぶさ」に差し替えていったのですから青森県民の反発を受けそうなものですが、「はやぶさ」は「のぞみ」の大増発の時のような猛反発は喰らっていません。なぜでしょうか。

 

理由1:値上げと引き換えに車両を置き換え、所要時間を短縮したから

はやぶさ」の運転開始時に投入されたのはE5系ですが、この車両は最高時速を320km/hに引き上げ、導入時に「グランクラス」設置で話題性を集めた車両。JR東日本は「はやぶさ」を「時速300km/h以上で走行する列車」と位置づけ、例え車両はE5系でも、最高速度275km/hのE3系と併結運転する列車は従来の「はやて」とし、追加料金は取りませんでした。値上げ分に見あった車両と速達性を提供し、速くない列車では追加料金を徴収しないなど徴収基準を厳格に決めていたからそれほど反発がなかったのではないかと思います。「のぞみ」の場合は増発に合わせて新型車両が登場するわけでも最高速度が引き上げられるわけでもありませんでしたから、便利にはなるけど実質値上げに見合うインパクトがなかったのも理解を得られなかった理由ではないかと思います。

 

理由2:割引切符利用者にも配慮したから

「のぞみ」の大増発時に反発を受けた理由の一つが、「フルムーンパス」「ジパング倶楽部」などの企画切符がのぞみ不可だったため利便性が悪くなる事でした。今でもフルムーンやジパングなどの「のぞみ」利用はNGですが、「はやぶさ」の場合はフルムーンやジパングNGにすると盛岡以北で乗れる列車がほとんどなくなってしまう事もあり、これらの切符でも「はやぶさ」利用はOKになりました。この点はJR東海よりも柔軟かなと思います。

 

理由3:東京〜青森間と東京〜大阪間の需要や社会的影響の差

やっぱりこれが最大の理由だったんじゃないかと思います。東海道新幹線は日本の大動脈であり、年間1億6000万人以上が利用する世界一の高速鉄道路線。それだけに実質値上げとなると社会への影響は大きく、単なる一鉄道会社の値上げでは済みません。さらにこの頃は航空各社が東海道新幹線の競合路線で攻勢を強めていた時期でもあり、世間の注目を浴びやすい時期でもありました。こうした要因が重なって大きな反発につながったのではないかと思います。

これに対して東京〜青森間の利用者数は東京〜大阪と比べるべくもなく、競合する航空路線ともそれほど大きな競争はありません。それどころかJR東日本JALは協力関係にあり、共同で旅行商品を作ったりSuica付きのJALカードを出したりJAL系列の台湾の旅行会社にJR東日本が出資したりと、競合関係にあるJR東海とは対照的な蜜月ぶりです。JR東海JR東日本の仲の悪さはこのシリーズでも度々取り上げていますが、JR東日本に取ってもJALにとってもJR東海は「共通の敵」な訳ですから、「敵の敵は味方」というところでしょうか。利用者の数が少なければその分反発する人も少ないわけで・・・

 

 

「のぞみ」の大増発とのぞみ料金の一本化が世論の大きな反発を受けたのも、裏を返せばそれだけ東海道新幹線の重要性が大きいわけですし、利用する人が多いということでもあります。そう考えるとJR東海も下手に世論の反発を受けるようなことはできないのかも知れません。ただ、リニアが完成すれば東京〜大阪間の旅客流動はほぼJR東海の独占になりますから、その時はどうなるか分かりませんが・・・