〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

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「妥協と変更の繰り返し」が招いた長崎新幹線問題の泥沼化

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8月7日、佐賀県の山口知事は九州新幹線長崎ルートの新鳥栖~武雄温泉間整備を巡り、与党検討委員会が「フル規格での整備」を決定した事に反発し、フル規格方式が前提であれば国土交通省、JR九州、長崎県、佐賀県の「4者協議」には参加しないと表明しました。以前から佐賀県フル規格での新幹線整備には否定的で、フル規格で建設したい長崎県やJR九州と対立していましたが、与党がフル規格整備を決定した事で更に反発を強めた格好です。着工には佐賀県を含めた沿線自治体の同意が必要であり、現時点では着工の見通しは全く立っていません。

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対立のきっかけはフリーゲージトレインのとん挫 

元々新鳥栖~武雄温泉間は異なる軌間でも走れるフリーゲージトレイン(FGT)でつなぐ予定であり、線路も在来線のものをそのまま使用する予定でした。ところがそのFGTの開発は難航し、安全性や採算性の問題からJR九州は2017年に採用断念を表明。2018年には与党の検討委員会も正式に採用を諦めると表明した事で、長崎新幹線建設問題は振り出しに戻ってしまいました。

この時長崎県とJR九州が求めたのは新鳥栖~武雄温泉間のフル規格での建設。既に長崎~武雄温泉間はFGT乗り入れを前提にフル規格で建設を進めており、このままでは武雄温泉駅で乗り換えが必要になります。そうなると時間短縮効果が薄れるどころかリレー方式が固定化されれば「離れ小島」となる武雄温泉~長崎間の運用が非効率となり、採算面やバスや飛行機と言った他の交通機関との競争面で不利になるためリレー方式の固定化だけは絶対に避けなければいけません。

一方の佐賀県は九州の中心である福岡市に近く、既に佐賀~博多間は特急で35分で結ばれており、高速道路も整備済み。交通の利便性がよく、新幹線がなくても時間短縮効果は薄く、別段なくても困りません。それどころか新幹線が建設されてしまうと運賃の値上がりや特急廃止による本数低下が懸念され、場合によっては在来線の経営分離で佐賀県の負担が増える可能性すらあります。そうでなくとも整備新幹線は沿線自治体の一部負担が前提の為、佐賀県にしてみれば望まない新幹線の為に何百億と言うお金を払い、運賃が上がったり在来線も不便になるかも知れないというデメリットの方が大きい公共工事と言えます。

そんな相反する両県の主張を叶える救世主となるはずだったのが、新幹線と在来線の両方を走る事ができるFGTでした。実際、FGTによる直通運転が計画されていた頃は佐賀・長崎両県の足並みは建設推進で揃っていました。しかしそのFGT計画がとん挫して再度フル規格での建設が蒸し返されたことで、一旦は収まったはずの佐賀県と長崎県の立場の違いが再度表面化し、今回の対立を招いてしまったわけです。

digital.asahi.com

 

 長崎ルートの計画当初はルートも整備方式も別物だった

整備新幹線の建設は長期間の建設凍結や建設財源確保の問題、並行在来線分離という「負の部分」など、その時々の社会情勢や政治の思惑などに翻弄されてきた歴史でした。しかし九州新幹線長崎ルートの迷走ぶりは他の新幹線よりも群を抜いており、ルートや整備方式が何度も変わったことが今回の問題がこじれる原因の一つになったのではと思います。今回はその長崎新幹線の歴史を振り返って、問題がこじれた原因を考えてみたいと思います。

 

 ↓今回の記事を書くにあたり、整備新幹線の歴史や長崎ルートの現状などはこちらの本を参考にしました。

 

長崎ルートの計画が初めて世に出たのは1972年に基本計画が公示された時。翌1973年には他の整備新幹線(東北新幹線盛岡~新青森間、北海道新幹線、北陸新幹線、九州新幹線鹿児島ルート)と同じく建設指示が出されました。しかしその後オイルショックや国鉄の経営悪化によって新幹線どころではなくなり、着工は先送り。1982年には整備新幹線全線の建設凍結が閣議決定され、解除されたのは国鉄民営化直前の1987年1月の事でした。

1985年1月に公表された当初のルートは原子力船「むつ」の改修工事を受け入れた佐世保市への配慮から、早岐駅を経由するルートで計画され、整備方式も全線フル規格でした。しかしJR九州発足後の1987年12月、運営事業者の同意を得る手続きでJR九州が「早岐経由では収支改善効果は表れない」と表明した事で同意を得る見通しが立たなくなり、翌年発表された運輸省案でも長崎ルートは北海道新幹線とともに外されました。もっとも、運輸省案で示された他の新幹線もフル規格とミニ新幹線の組み合わせだったり、スーパー特急方式での一部区間のみの着工だったりするのですが、この運輸省案に入った新幹線と外された新幹線とでは、その後の開業時期で大きな差が付くことになります。

その後JR九州は1992年2月に独自の試算結果を公表しますが、その前提は長崎本線肥前山口~諫早間の経営分離と短絡ルート、スーパー特急方式の3つでした。11月には地元も「短絡ルート」である武雄温泉~嬉野温泉~大村間の経路とスーパー特急方式での建設に合意しました。これで運営事業者であるJR九州の同意を得る見通しは立ちましたが、今度は在来線の経営分離問題が発生します。新幹線のルートが佐世保寄りなのに対し、分離予定の肥前山口~諫早間は新幹線のルートからは大きく離れているにも関わらず「並行在来線」扱いされた為、新幹線駅ができないのに特急も走らず経営分離だけを強いられる沿線自治体は鹿島市を中心に反対運動を起こします。さらに長崎ルートがフル規格ではなくスーパー特急を選択したのも、先述の佐賀県が負担の大きいフル規格よりも在来線を活用できるスーパー特急方式を支持した為でした。

 

 

沿線の「不協和音」を抱えたまま計画だけが進んでいく

その後、1998年2月には武雄温泉〜新大村間のルートが公表され、2002年1月に武雄温泉〜長崎間のスーパー特急方式による工事実施計画認可申請が行われます。しかし、着工の条件だった並行在来線の経営分離は沿線自治体が反対した為、着工のめどは立ちませんでした。

建設推進派の長崎県や、駅が建設される佐賀県嬉野市などは早期着工を求めて活動します。一方、既設新幹線の譲渡収入の前倒し活用が決まると北海道新幹線や北陸新幹線に予算を取られ、長崎新幹線が取り残されかねないと2004年12月に佐賀県は「並行在来線分離やむなし」を表明し、2005年度末までには鹿島市と江北町以外の自治体から分離同意を取り付けました。

 

しかし、残る鹿島市と江北町は経営分離は認めないと反対の立場を崩しません。特に鹿島市はルートから大きく離れて新幹線開業のメリットはない上に、特急廃止や経営分離による負担増と言う重荷を背負う事になる為強硬に反対を続け、膠着状態に陥りました。

 

この状態を打開する為に長崎・佐賀両県とJR九州は「奇策」を用います。分離予定だった肥前山口〜諫早間は開業後20年間は両県が施設を保有、JR九州が運行を行う「上下分離方式」とし、開業後も博多〜肥前鹿島間で特急を運行すると言うもので、JR九州が運行を続けることで「経営分離の同意」は必要なくなり、着工のハードルを消すと言う力技でした。

なりふり構わぬ奇策に走ったのは、他の新幹線に予算を取られ、長崎だけが取り残されかねないと言う「焦り」からでした。2007年12月には両県とJR九州の間で基本合意にこぎ着け、2008年3月には武雄温泉〜諫早間の着工認可が認められました。しかし、鹿島市など反対した自治体の同意は最後まで取り付ける事は出来ず、しこりを残す事になりました。

 

フリーゲージトレインがもたらした直通運転の「希望」

こうして、ようやく一部区間の着工にこぎ着けた長崎ルートですが、この時点では狭軌のスーパー特急方式での整備であり、博多〜武雄温泉間は在来線をそのまま使う予定でした。これは全線フル規格に難色を示す佐賀県に配慮したものであり、新幹線と言っても事実上は新線建設による長崎本線の高速化に過ぎませんでした。しかしこの方式であれば在来線を残したい佐賀県の意向が反映されますし、最初から全線フル規格整備を主張していれば佐賀と長崎で対立し、永久に話は進まなかったでしょう。

 

この間、残る諫早〜長崎間の着工や肥前山口〜武雄温泉間の複線化が検討されましたが、2009年の民主党への政権交代で一旦白紙になります。そんな中、2011年12月には政府・与党確認事項で武雄温泉〜諫早〜長崎間をフル規格に格上げし、フリーゲージトレイン方式で整備する方針が決まりました。

FGTの開発試験は1997年に一次試験車が制作されてから本格化し、2007年には二次試験車を投入、日豊本線や九州新幹線で走行試験を重ねました。2010年9月には「技術的な目処はついた」とのお墨付きを得て、急曲線や一部分岐器でクリアできなかった目標値をクリアすべく、改良した台車を新製してより条件の厳しい予讃線で走行試験を続けます。そして2011年10月、「基本的な走行性能に関する技術は確立」と評価されました。

武雄温泉〜長崎間がフル規格に変更されたのもFGT投入の技術的な目処がついた為であり、在来線を残したい佐賀県と更なる高速化と山陽新幹線直通で利便性を上げたい長崎県の思惑を実現するにはFGTは格好の技術だったのです。2014年3月にはより営業状態に近い車両として第三次試験車が落成し、走行試験はJR九州が行う事になります。予定では2022年度にリレー方式で武雄温泉〜長崎間を開業させた後2025年度にフリーゲージトレインを投入し、全てが丸く収まるはずでした。

 

FGT計画とん挫で再燃した佐賀県と長崎県の「対立」

しかし走行試験開始から2ヶ月後の方2014年11月末、3万キロを走行した時点で車軸とすべり軸受の接触部に摩耗痕が確認され、試験はストップします。その後対策を施した台車を開発し、2016年12月から試験を再開しますが、やはり3万キロを越えた段階で摩耗が見つかります。摩耗は以前の100分の1までには減ったものの、2025年度の投入には間に合わないとの見解を示しました。

さらにFGTは特殊な構造故に保安設備を新幹線と在来線の二系統搭載し、その重量増を抑制する為に高価な軽量化素材を使用、短期間の部品交換も想定されるなど経済的にもコストがかかる事が予想されました。JR九州は技術的な問題に加え年間50億円の負担増につながるFGTに見切りをつけ、「FGTによる西九州ルートの運営は困難」と発表しました。

その後もFGTを諦めきれない国交省は交換部品の再利用などの対策を進めたり、量産化によるコスト引き下げの精査も行いますが、2018年3月の評価結果では技術的問題はないとしながらも経済性の不利を覆すことはできず、2018年7月、与党整備新幹線建設推進プロジェクトチームも導入を断念。長崎ルートの建設は再び暗礁に乗り上げてしまいました。

 

ここで再び長崎ルートの全線フル規格整備が浮上してきます。既に武雄温泉〜長崎間はフル規格での整備が進んでおり、FGTが無理となった以上、リレー方式の固定化だけは絶対に避ける必要があり、残るミニ新幹線方式かフル規格かとなると、JR九州や長崎県にとっては速達効果の高いフル規格の整備が最適、と言うわけです。実際、両者はFGTの断念辺りからフル規格整備の実現に向けて国に働きかけを行ってきました。

 

しかし、元々在来線の維持とテコ入れが優先で、新幹線建設に消極的な佐賀県にしてみれば、FGT断念とフル規格建設の復活は晴天の霹靂でした。加えて長崎県やJR九州が佐賀県の事情や言い分を考慮せず、フル規格ありきで話を進めたことや、国交省も佐賀県の反対を条件闘争程度にしか考えず、負担額を減らせば説得できると考えていた節があり「フル規格の場合佐賀県の負担は660億円」と一方的に通知した事で佐賀県の怒りは頂点に達しました。

そして2019年4月、佐賀県の山口知事は与党の検討委員会で「新鳥栖〜武雄温泉間にこれまでも新幹線整備を求めたことはないし、今も求めていない」と、明確に反対の意思表明をしました。これで長崎新幹線を巡る佐賀県と長崎県の対立は決定的となり、解決の見通しが立たないまま現在に至っています。

 

要は長崎ルートは「最初から沿線自治体の全てが新幹線を望んでいた訳ではなく、何とか建設を進める為に何度も妥協と変更を重ねてきた」と言えます。最初から新幹線建設に積極的だった長崎県と消極的だった佐賀県と言う相反するスタンスが問題の根本であり、その溝を埋めるべくスーパー特急やFGTといった他の整備新幹線と異なる整備方式が選択されましたが、FGT頓挫で遂に破綻してしまった格好です。

 

 

「フル規格」ありきでは話は進まない。本当に地域の為になる答えを

長崎ルートの建設にあたっては武雄温泉〜長崎間に関しては佐賀県も同意し、反対する鹿島市を押し切って建設を進めた経緯がありますので、佐賀県に責任が100%ないとは言えません。しかし、これまでの経緯を考えると佐賀県が「新鳥栖〜武雄温泉間の整備を求めたことはない」と言うのはその通りであり、建設に同意したのはこの区間が在来線で維持すると言う大前提があったからでした。

従って、その前提であったFGTが頓挫した以上、責任を取るべきなのはFGTを推進した国交省と与党、走行試験を請け負ったJR九州であり、今のフル規格ありきの議論と佐賀県への負担要請は、佐賀県にその責任をなすりつける行為と取られても仕方ありません。まずは完成が遅れてでも一旦工事をストップし、佐賀県にFGTが頓挫した事を謝罪し、ゼロベースで今後の方向性を議論するのが先決ではないでしょうか。

 

にも関わらず推進派がフル規格を出したのは8月が概算要求の時期であり、ここで話をまとめなければ予算は下りず、北海道新幹線や北陸新幹線に予算を取られるとの焦りからでしょう。

しかし推進派が結論を急かそうとすればする程佐賀県の態度は硬化して膠着状態になるのは目に見えています。一方の佐賀県も拒否一辺倒では限界があるでしょうし、問題が長期化すれば非難の矛先が佐賀県に向かないとも限りません。諫早湾干拓問題の前例があるように、問題の長期化や対立の激化は双方にとって何のメリットもありません。

まずは佐賀県の言い分や問題点を聞いた上で、どうすれば両県民にとってベターな結論になるのか、とことん話し合うしか事態打開の道はないのではないでしょうか。

 

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