後編後半・合併の果てに見たものは【迷航空会社列伝・USエアウェイズ】
USエアウェイズの後編後半で名前が出てきた現アメリカン航空CEOのダグ・パーカー。彼に関しては日本でもそれほど名前は知られていませんが、どんな人物なのでしょうか。
まずはアメリカン航空ホームページに掲載されている彼の経歴を見て見ましょう。流石に本人の写真を張り付けるわけには行かないので、彼の顔を見たい方は下記のリンクから見に行ってください。
Doug Parker - Leadership bios - American Airlines
ダグ・パーカーは1984年にアルビオン・カレッジで経済学学士を取得後、1986年にヴァンタービルト大学でMBOを取得。その後1986年から1991年までアメリカン航空で財務関連の管理職を経験しています。彼とアメリカン航空の関係は何も合併の時が初めてではなく、最初のキャリアがアメリカン航空だったんですね。
その後、ノースウエスト航空に転じて副社長兼財務副本部長、財務計画・分析担当副社長を務めています。MBO取得からわずか5年で副社長ポストとはかなり優秀な方の様です。
アメリカウエスト航空に転じたのは1995年。その後2001年にはCEO(最高経営責任者)に昇り詰めています。MBO取得から15年でCEO・・・年齢や生年月日は非公開なので何歳でCEOになったのかは不明ですが、30代後半~40代前半位で大手航空会社のトップに昇り詰めているのではないでしょうか。
そして、彼が航空業界の表舞台に出てくるのがUSエアウェイズとの合併でCEOになった辺りから。アメリカン航空HPによると、彼の指揮の下、USエアウェイズは記録的な収益成長を実現し、運行成績及び利益率において同業他社をはるかに上回る業績をもたらしたそうです。元々財務畑出身ですから数字には強そうですし、アメリカウエストの時もそうですが、経営難の会社を立て直して業績を回復させ、その好業績を武器により上位の会社に合併を仕掛ける、と言うのがダグ・パーカーのやり方なのかも知れません。
そして、彼を象徴するのが積極的な合併推進論者であるという事。彼は航空会社を合併させて整理することが業界にとっても従業員にとっても顧客にとっても株主にとっても安定と競争力をもたらすという考えで、2000年代後半の相次ぐUSエアウェイズの合併攻勢は彼の信念に基づいたものであると言えます。
そして、USエアウェイズとアメリカン航空の合併で新生アメリカン航空のCEOに就任し、アメリカ第8位の中堅航空会社のCEOが、2度の合併を経て世界最大の航空会社のCEOに昇り詰めた訳ですが、意外にも彼がアメリカン航空の立て直しに重視したのは「オープンな社風と従業員との対話」。ダグ・パーカーの就任後、厳重なセキュリティと警備員、来訪者には常に2名の同行者が付くなど「要塞」とも言える役員スペースを改装し、警備員の配置を辞めてドアも開けっ放しにするなど、敷居を低くしています。さらに彼らは従業員との対話を増やし、会社の風通しを良くしようと努力しています。
詳細は下記の記事を参照して下さい。と言っても向こうの記事なので全部英語ですが。
ダグ・パーカーのこのオープンな姿勢は親交のあるサウスウエスト航空創業者のハーブ・ケレハーの影響を受けたものであり、コンチネンタル航空の奇跡の再建を成し遂げたゴードン・ベスーンが行った社内改革と同じもの。これらの事から人的リソースが大きなウエイトを占める航空会社の経営は、従業員の士気とコミュニケーションが重要になることを示しています。そして、従業員との対話を重視し、オープンで隠し事をしない彼らは、長期間に渡って経営の中枢にとどまっていることも大きな特徴です。
考えてみれば2001年以降、ずっと航空会社のCEOの椅子に座り続けているわけですから、それだけ長期間トップの座にいるという事は非常に優秀なリーダーである証明とも言えます。
誰とは言いませんがユナイテッド航空の前CEOも、合併後は色々と調子に乗って最後は不正疑惑で会社を追われてしまいましたし。
悲願の航空業界の再編を成し遂げ、今なおトップの座に君臨し続けるダグ・パーカーもまた、アメリカ航空史に名前を残す名経営者の一人と言えるでしょう。今後もオープンな姿勢を忘れず、アメリカン航空とアメリカ航空業界を引っ張って行って欲しいものです。