東海道交通戦争、第7章の後編はJALの破たんを取り上げました。
JAL問題に関しては語っても語りつくせない部分がありますし、別の方の動画でも紹介されていますので、大分端折ったものになっていますが、倒産に至った原因と大まかな経緯については何とか紹介できたかなと思っています。JAL倒産の経緯についてはこちらもご覧下さい。
【ゆっくり実況】しくじり企業 Chapter06 ~日本航空(JAL)~
さて、動画内ではJAL破たんの原因のひとつとしてジャンボジェットことボーイング747型機の存在を挙げましたが、90年代はジャンボ機の存在はむしろ日本の航空業界躍進の象徴ととらえられていた節があり、JALもANAも大量の747を保有していました。3位のJASも上位2社に追いつくべく選んだ機材も747-400型でした(もっとも、JASの747についてはバブル崩壊でそれどころではなくなり、発注キャンセルになりますが)
で、実際のところ、昔のJALやANAの保有機材はどんな感じだったのか。ちょうど手元に1993年のフリートリストがありますので、ちょっと見てみましょうか。
(出典:月刊エアライン1993年8月号)
日本航空(JAL)グループ
(日本航空、日本アジア航空、日本トランスオーシャン航空、ジャパンエアチャーター)
ボーイング747-400 27機
ボーイング747クラシック 50機
ボーイング747貨物型 10機
マクドネル・ダグラスDC-10 20機
ボーイング767 16機
ボーイング737-200 10機
YS-11 5機
合計 138機
グループ4社の機材中、747の割合は138機中87機と全体の63%を占めます。JAL本体に限って言うと113機中83機と、実に約73.4%がジャンボ機と言う、押しも押されぬジャンボ王国です。確かにこの頃のJALはハワイやグアム、サイパンといったリゾート地にバンバン747を飛ばしてましたし、国内線でも幹線はもちろん、羽田発の地方路線にもジャンボが飛んでいた記憶があります。これだけジャンボばかりだと乗客の間でもJAL=ジャンボのイメージが強くなりますし、DC-10や767の影が薄くなってジャンボ以外は格下の機材と感じてしまうのも無理はありませんね。
ちなみにJALグループの機材のうち、737-200とYS-11は日本トランスオーシャン航空の機材なので、JAL本体ではプロペラ機はおろか、短通路機も存在せず、767が最小の機材と言う事になります。国内線は737とエンブラエルだらけになった今のJALとは隔世の感がありますねえ・・・
全日本空輸(ANA)グループ
(全日空、エアーニッポン、ワールドエアネットワーク)
ボーイング747-400 13機
ボーイング747クラシック 23機
ロッキードL-1011 9機
ボーイング767 51機
エアバスA320 14機
ボーイング737-200 9機
YS-11 23機
DHC-6 2機
合計 145機
こっちは747の割合は145機中36機と4分の1程度。この機数も多いと言えば多いのですが、JALと比較するとおとなしめです。と言うかJALの比率の方が異常なんですがw
それよりも767の機数の多さが目立ちます。51機と言う機数は実は今の767の機数(旅客型35機、貨物型12機の計47機)とそう大差ない機数であり、今も昔もANAの主力機の一角を占めています。個人的にはANAはジャンボよりも767や787のような中型旅客機を上手く使っているがありますが、この頃からすでにその片鱗は見えています。
それにしてもこの頃の日本はANA、JAL合わせて123機もジャンボを持っていたんですね。日本貨物航空の6機を加えると日本の航空会社が保有するジャンボは129機。当時の日本の登録旅客機が約400機ですから、実に3分の1がジャンボと言う計算です。さらに言えば747を含めたワイドボディ機の数は249機と全体の6割を占めています。今でも日本のエアラインで使われている飛行機の半数弱はワイドボディ機ですが、当時のワイドボディ率はそれ以上ですね。
羽田や成田の発着枠がなく、急増する航空需要に対応するには大型の旅客機を入れるしかなかった日本の航空事情がここでも垣間見えますし、JALがジャンボ至上主義になっていった原因もわかる気がします。この頃の「ジャンボをバンバン飛ばせば儲かる」という成功体験が、成熟期に入った後もJALがジャンボを捨てられなかった理由の一つなのかも知れません。そう考えると早いうちからジャンボを退役させたANAと破たんするまで整理できなかったJALの差は、単に財務体質の差だけでなく、ジャンボ機への思い入れの強さと過去の呪縛の差なのかもしれません。