〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

今はこうなっている「空港跡地」

 

今回は以前ニコニコでアップしていたエアポートウオーク名古屋について、迷航空会社列伝Liteでアップしました。「航空会社じゃないだろ!」というツッコミをニコニコの方で頂きましたが、空港ネタはそう多くもないし一々タイトル変えるのもめんどくさかったんでそのまま出してしまいましたw

 


迷航空会社列伝Lite「究極のリユース&リサイクル」エアポートウオーク名古屋

 

さて、エアポートウオーク名古屋の元となった名古屋空港国際線ターミナル。名古屋空港自体は県営空港として存続していますが、使用されなくなったという意味では立派な「空港跡地」。日本では定期路線が飛んでいた空港で単純に供用廃止になった空港はそう多くはありませんが、空港の移転や拡張で使われなくなった「旧空港」は結構あります。今回はそんな「空港跡地」がどうなっているのか調べてみました。

 

・旧鹿児島空港

現在の鹿児島空港は1972年に移転したものですが、それ以前は鹿児島市内の鴨池と言う場所にありました。戦前からの海軍の飛行場を民間空港として転用し、ターミナルビルも建てられたのですが、市街地故これ以上の滑走路延長は難しく、大型ジェット機に対応できないため現在の場所に新空港が建設されて移転しました。

その後旧鹿児島空港は「鴨池ニュータウン」として再開発され、1996年には県庁や県警本部が移転するなど、鹿児島市の行政の中心地となります。その一方で旧ターミナルビルは建物が新しかった為か、1階がスーパー、2階以上は事務所として再利用されていたようです。ターミナルビルの商業施設への転用は実は前例があったんですね。また、格納庫も地元のバス会社「南国交通」の車庫として再利用されていましたが、2008年に車庫の移転に伴い解体。旧ターミナルビルも老朽化の為2014年には残念ながら取り壊されてしまいました。

 

・旧高松空港

国管理の旧第二種空港の中ではジェット化が遅かった高松空港。旧高松空港は戦前に建てられた旧林飛行場を民間転用していたのですが、滑走路は1200mとYS-11くらいしか発着できず、市街地や田畑に隣接していてこれ以上の拡張は不可能でした。新空港の建設も当初は高松市生島町沖に埋め立て地を作る計画だったのが、オイルショックや環境問題で流れ、現在地での建設が決まったのは1983年になってからでした。こうした経緯もあって新空港への移転は1989年12月16日と平成になってから。離島を除けば平成に入ってからも羽田発着路線がYS-11だったのはここと南紀白浜だけでしたので、高松空港の移転は相当難航した事が伺えます。

移転後の高松空港の跡地は「高松インテリジェントパーク」としてサンメッセ香川や香川県立図書館、香川大学工学部などが立てられ、香川県の文化・学術研究の中心となっています。

 

・旧南紀白浜空港

和歌山県白浜町にある空港ですが、その所在地からも分かる通り、南紀白浜エリアへの観光客が利用主体となっています。県庁所在地である和歌山市からは車で2時間近くかかる事や、至近距離に関西国際空港もあることから県内の利用者も人口の多い北部エリアからはほとんどありません。

そんな南紀白浜空港ですが、旧空港時代に作られた滑走路は例によって住宅地や地形的な問題で拡張が困難だったことから隣接地に新空港の建設が決定。1996年3月9日に1800mの滑走路(のちに2000mに延長)を有する新空港が開港し、念願のジェット機就航を果たしました。ちなみに、高松空港が移転、ジェット化された後は羽田~南紀白浜線はJAS最後のYS-11運航路線、離島以外では最後の羽田発着YS-11運航路線として有名になっています。

新空港移転後の南紀白浜空港ですが、敷地の一部はバラ園として整備され、滑走路跡地はイベント時には臨時駐車場として利用されています。旧ターミナルビルは廃港後もしばらく現存していましたが、2010年に解体されました。前述の2空港に比べると空港の痕跡はかなり残っているようですが、再開発するほどの需要がなく、撤去する必要がないから残っているだけなのかも知れませんね・・・

 

・旧広島空港⇒広島西飛行場

1961年に供用開始された旧広島空港は広島の市街地に近く、利便性は非常に高かったのですが、例によって空港の拡張が困難で、ジェット化はしたものの滑走路は1800mが限界。本来なら2000m級滑走路が必要なボーイング767やエアバスA300を無理矢理飛ばして何とか旅客をさばいている状態でした。ターミナルビルや駐機場など、滑走路以外の施設もこれ以上の拡張は困難だったため、1993年に10月29日に新空港に移転しました。

ここで他の空港と違ったのは、旧広島空港をコミューター路線用の県営空港として再利用した事。新広島空港の開港と同時に旧広島空港は県管理の「広島西飛行場」として再スタートを切りました。幸い、西瀬戸エアリンクからコミューター事業を引き継いだJAL系列の「ジェイエア」がそのまま広島西飛行場に残ったため、当初は出雲や松山、関空などそれなりに路線はありました。余談ですが、2000年にタイトーが発売した「ジェットでGO!」というゲームにも広島西飛行場とジェイエアのJS31が収録されています。今となっては貴重ですね。

 

そんな広島西飛行場でしたが、2000年にはジェイエアがCRJ200を導入した事で再びジェット化を果たします。この頃には日本エアコミューターの鹿児島・宮崎線やフェアリンク(現IBEXエアラインズ)の仙台線なども就航し、広島西飛行場は一気に活性化します。が、広島西飛行場に引導を渡すきっかけになったのは他ならぬCRJ就航でした。

広島県がジェイエアへの補助金を打ち切った事や、50人乗りのCRJでは広島西発着路線には大きすぎた事でジェイエアは段階的に広島西路線を縮小、2005年2月の中部国際空港開港に伴う県営名古屋空港の開港に伴い、本社機能ごと名古屋に移転し、広島西からは完全撤退しました。フェアリンクの路線も不採算ですぐに撤退し、残るはJACの鹿児島、宮崎線のみ。その辛うじて残っていた2路線もJALの破たんと九州新幹線の開業で路線存続が難しくなり、2010年10月31日に廃止。元々広島県が空港機能を広島空港に一本化したがっていた事や、安佐南道路の建設で滑走路の短縮を迫られていたこともあって広島市は空港の存続を断念。2012年11月15日に広島西飛行場は廃港となり、現在は「広島へリポート」としてドクターヘリや警察や消防などのヘリコプターの拠点として使用されています。

 

・羽田空港跡地

 

この項目を見て「日本最大の羽田空港の跡地?」と疑問に思われた方も多いと思いますが、現在の羽田空港は90年代以降の沖合展開事業で、当時の空港所在地の沖合に埋め立てられた場所に移転しています。空港自体は変わってないのですが、実際のところは新しい空港を作って移転したのと近い状態で、元々市街地に近い天空橋駅周辺の約20ヘクタールの広大な土地など、3区画合計54ヘクタールは空港として利用されることなく「跡地」となりました。

現在、この「跡地」では再開発計画が進められており、天空橋近辺の20ヘクタール(第一ゾーン)は先端産業の企業誘致や複合施設の建設などが計画されています。2020年夏には「Zepp Haneda(仮)がオープン予定。今はまだ更地に近いですが、工事は既に始まっており、数年後には羽田空港の「跡地」は一大拠点に変貌することになりそうです。

 

trafficnews.jp

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以上、日本各地の空港跡地のその後をご紹介しました。市街地に近い跡地は再開発されたりして有効に活用されていますが、南紀白浜空港や、動画内でも画像を使用した旧種子島空港のように、活用されずに放置されているケースも少なくありません。また、正式に廃港にはなっていないものの、定期路線廃止で廃墟同然になっている礼文空港や上五島空港の例もあり、利用されなくなった離島の空港をどうするかという問題もあります。空港として整備した以上、空港として有効活用されるのが一番なんですが、様々な理由でその役目を終え、「跡地」になった後どう再利用するか、鉄道の廃線跡ほどではないものの、地元にとっては頭の痛い問題ではあります。願わくば役目を終えた空港が「廃墟」となることなく、土地や建物(老朽化や転用先がない場合は解体もやむなしですが)が有効に活用され、形を変えてでも地域の役に立って欲しいものです。