〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

JASのDC−10発注は正しかったのか

今回の迷旅客機列伝はJASのDC−10を取り上げました。

 

 

 

 

DC−10導入の経緯は動画をご覧頂くとして、こちらの方では「JASがDC−10を発注したのは正しかったのか」という点に絞ってお話ししたいと思います。

 

結論から言うと「JASに絶対必要な機種ではなかった」となってしまいますが、JASにしろANAにしろ、国際線参入に浮かれて長距離用機材を景気良く発注したのも仕方ないことかなと思います。

 

・「45・47体制」で我慢を強いられた航空業界

ご存知の通り、1970年代から80年代半ばまでは俗に言う「45・47体制」によって大手三社の事業範囲は厳しく制限されていました。特に国際定期路線の運航が認められたのはJALのみで、ANAに認められたのはアジアなどの近距離チャーター線のみ。JAS(当時はまだ東亜国内航空TDA))に至ってはチャーター便の運航すら認められなかったわけで、世界中にネットワークを広げるJALを指をくわえて見ているしかありませんでした。

それが85年のNCA(日本貨物航空)の参入で「国際線はJAL一社のみ」の原則が崩れ、さらに太平洋路線での不平等解消のためには日本側も複数社参入の方がいいとの方針転換で「45・47体制」は撤廃、いきなり国際線参入の道が開けたわけです。さらに1985年9月のプラザ合意後、日本は急速な円高となり、好景気も相まって海外旅行者数が急増していた時期ですので、長年国際線参入を悲願としていたANAはもちろん、TDAも「うちらも国際線飛ばせば入れ食いじゃね?」と考えてもおかしくなかったと思います。

 

・国際線と成田の発着枠を甘く見ていた

しかし、立て続けに国際線を開設したはいいものの、蓋を開ければANAJASも客が乗らずに大赤字。国際線を飛ばしていた既存の会社は過去の搭乗データや顧客動向などの蓄積で「どこに飛ばせば儲かるか」という目安を立てることができましたが、国内線しか運航していないANAJASにはそんなデータはなく、参考になるのは日本人の出入国記録だけ。早い話が「ここの路線は便数が多いから客が多そう」「ここの路線なら相手国の認可も降りそうだからとりあえず飛ばしとくか」くらいのノリで手当たり次第に就航していったようなものでした。

さらに動画内ではあまり触れませんでしたが、成田空港の発着枠が満足に取れなかったのもANAJASが苦戦した理由の一つでした。それでもANAの場合は国内線の黒字で体力はあり、航空権益確保のために第二の国際線運航会社を育てる必要があった政府の意向もあってまだ成田のスロットはもらえた方でした(1993年で週66便)

これに対してJASの方はソウル線週7便、シンガポール線週4便、ホノルル線週2便のわずか週13便のみ。デイリー運航のソウル線はまだしも、他の2路線は使い勝手が悪い上に海外での知名度はゼロに等しく、頼みの日本国内でも「え?JASって国際線飛ばしてるの?」くらいの認識だと思いますので、営業セールス的に苦戦したことは想像に難くありません。特に収益性の高いビジネスクラスの利用率はかなり低迷していたようで、747−400なんて入れて欧米路線なんて飛ばしていたら史実よりも早くJASの経営は行き詰まっていたと思います。知名度も体力も空港の発着枠もなかったJASに世界中にネットワークを広げる体力はなく、結局は短期間で中長距離路線から撤退してしまいました。

 

・最初から身の丈に合った国際線展開をしていれば・・・

 以上の事から「長距離国際線を飛ばしたい気持ちは分かるがJASのDC-10導入は正しくなかった」となった訳ですが、もし最初からA300で飛べる範囲の路線、つまり韓国・中国路線にターゲットを絞っていればまた違った将来があったのではないかと思います。実際、短期間で撤退に追い込まれたシンガポール・ホノルル線と違い、唯一残ったソウル線は安定した搭乗率で最後までJAS国際線の看板路線でしたし、その後のJASの国際線展開も香港・広州・西安昆明・上海と中国路線重視でした。

 もしJASが背伸びせず、最初からこのあたりの路線をターゲットにして展開していれば、機種を一つ余計に増やして運航コストを上げる事もありませんでしたし、JALともANAとも違う、独自の中国路線ネットワークを築いてJASの収益に貢献したかも知れません。三番手には三番手の戦い方があったわけで、規模もブランド力も違う一番手、二番手の後追いをしても上手くいかないのは当然なわけで・・・

 

 

とは言ったものの、これらのたらればは結果が分かっている今だから言えるわけで、ガチガチの規制で守られて安定した収益を上げていたところに好景気と国際線参入で浮かれていた当時の経営陣にそんな先を見据えた経営判断ができたのか、と言われるとなんとも言えません。

というか私が同じ立場だったらやっぱり「国際線参入で入れ食いだぜヒャッハー!!」って言ってるでしょうねえ・・・