〜Aviation sometimes Railway 〜 航空・時々鉄道

航空や鉄道を中心とした乗り物系の話題や、「迷航空会社列伝」「東海道交通戦争」などの動画の補足説明などを中心に書いていきます。

ローカライズ化する航空会社が増えている?(後編)

前編に引き続き、ローカライズ化した航空会社を紹介していきます。前編をまだご覧になっていない方は先にこちらをご覧下さい。

 

www.meihokuriku-alps.com

 

この記事を書くきっかけになった2代目エアアジア・ジャパンについてはこちらの動画をどうぞ。

 


迷航空会社列伝「郷に入ってもゴーイング・マイウェイ」2代目エアアジアが飛べなかったわけ

 

 

・天草エアライン

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ローカライズ化航空会社の代表格と言ってもいい会社ですが、前編で紹介した3社が都道府県単位でのローカライズなのに対し、天草エアラインの場合は熊本県の天草諸島が本拠地なので、自然と天草のローカライズになります。と言うよりはこの会社の場合、会社そのものが「新しく作った天草飛行場に定期路線を作るために作られた航空会社」なので、自分たちの島の為に空港と航空会社を作ったという、究極のローカライズ航空会社なのです。

一時は経営不振に陥り、債務超過寸前にまで追い込まれてしまいましたが、JAL出身の奥島透社長(当時)が社長に就任し社内改革を行った事で奇跡の復活を果たしました。1機しかない小さな会社なのを逆手に取り、1日乗り放題切符や手作りの機内誌、社員全員が一人何役もこなすマルチタスク化や、小さな会社ならではのユニークなサービス、1機だけの保有機を青いイルカをイメージした塗装に塗り替え、随所に遊び心を施して人気を博すなど、「目的地に行く為に飛行機に乗る」から「天草エアラインに乗りたいから出かける」という、航空会社そのものに魅力を持たせ、今でも根強い人気を誇っています。最近では天草エアラインの設立から再建までを書いたノンフィクション小説「島のエアライン」が発表され、度々メディアで取り上げられる程の会社になっています。

toyokeizai

 

 

こうした天草エアラインの地道な努力に地元の天草も応え、「天草の空サポーターズクラブ」を設立して島のエアラインを側面支援。ここまで地元住民と会社の絆が強いケースもそうそうないのではないでしょうか。

しかし、そんな天草エアラインも厳しい状況であることには変わりなく、最近では国土交通省も経営基盤の弱い地域航空会社の在り方として将来的な統合を検討するよう、実務者協議を開いています。個人的には天草エアラインに関しては下手に統合してローカライズを消してしまう方が不利だと思いますので、できれば今のままの方がいいと思うんですが、規模的には不安定で厳しい事には変わりありませんから悩ましいところです。

www.sankei.com

 

 ・ピーチ(peach)

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日本で設立された初のLCCであり、和製LCCの中では最も成功しているピーチ。関空を中心に日本中に路線網を築き、国際線も運航しているこの会社を「ローカライズ化されている」と言うのも少々違和感があるのですが、ピーチの成功は地盤である関西地方、もっと言えば大阪を前面に出したブランド展開も大きな理由の一つですので、ここでは関西地方と言う大きなくくりで「ローカライズ化した航空会社」と定義して紹介します。

ピーチは関空を最初の拠点にしたことから本社を大阪に置き、地盤である関西地方に受け入れられるようブランディングを行いました。ブランド発表の際に「おもろい会社を目指す」と宣言し、国籍、年齢、経歴不問、茶髪OKと航空業界の常識を覆すCA募集に関西弁のアナウンス、においの面でタブーとされてきたたこ焼きやお好み焼きの機内販売に踏み切る、様々な企業とのコラボレーションなど、宣言通り「おもろい」事を次々とやって行っています。

これだけピーチがはっちゃけてもドン引きされずに受け入れられ、支持されるのも「おもろい事」をやる会社が受け入れられやすい関西の土壌が大きかったのだと思います。関西の人は値段にはシビアですが、安い理由に理解を示し、納得したら受け入れる懐の深さも持ち合わせており、LCCが受け入れられやすい下地がありました。考えてみればかつて関空発着の国際線が不振に陥り、次々と撤退していった理由は「値段の安いエコノミーは埋まっても高いビジネスやファーストはガラガラで、採算に乗らない」だったので、価格の安さと実利を重視する関西ではフルサービスキャリアよりもLCCの方が水に合っていたのかも知れません。

 

そんな関西ローカライズ化されたピーチも、2020年までにバニラエアと統合することになります。成田に新たなベースができる以上、今まで通りとは行かないかも知れませんが、地盤の関西で培った「おもろい会社」というイメージを変えず、関東でもピーチらしくどんどんおもろい事をして行って欲しいなと思います。就航当初の知名度が低いころと違い、和製LCCの成功例として知名度が高まった今のピーチなら、積極的に選ぶ人も多いはず。下手に関東の文化におもねってピーチらしさを消してしまったら、それこそ6年かけて築いてきた「おもろい会社」のイメージを捨ててしまう事になり兼ねませんから。

 

・まとめ 

以上、近年の航空会社のローカライズ化について見てきました。大手のブランドを使いつつも地域色を出そうとする会社、地域色を前面に出して地元の支持を得る会社、地元の土壌に上手く乗っかってブランディングをする会社とそのタイプは様々ですが、共通しているのは「地元の人に愛される会社である」と言う事。エアアジア・ジャパンがどこまで名古屋ローカライズ化できるか、本気で東海地方に溶け込む覚悟と努力をするのか、まだ未知数ではありますが、これまでの成功体験だけでは日本市場で成功できないのは前のエアアジア・ジャパンや就航への苦戦で良く分かったはず。今後のエアアジア・ジャパンの取り組みに期待したいところです。

ローカライズ化する航空会社が増えている?(前編)

迷航空会社列伝、今回はエアアジア・ジャパン(2代目)を取り上げました。YouTubeでは既に公開中ですが、本日ニコニコ動画の方にもアップしましたので、そちらもどうぞご覧下さい。

 


迷航空会社列伝「郷に入ってもゴーイング・マイウェイ」2代目エアアジアが飛べなかったわけ

 

さて、2代目エアアジア・ジャパン就航までのグダグダは本編でじっくりご覧頂くとして、最近のエアアジアジャパンは愛知と札幌のFM局に自社提供番組を流したり、名古屋市と協定を結んだりと、本拠地である愛知県に溶け込もうとする努力をしていると触れました。エアアジア・ジャパンの姿勢の変化を表すエピソードとして紹介しましたが、エアアジア・ジャパンに限らず、近年の航空会社は本拠地の特色を自社カラーに取り入れる「ローカライズ化」が進んでいます。

ANAやJALのような全国津々浦々に路線網を張り巡らす大手航空会社は「日本の代表」として日本全国どこでも高品質なサービスを提供する傾向にありますが、中堅以下の規模の会社は自社の特色を出し、本拠地となる地域に根差したサービスやプロモーションを行う事で他社との差別化を図り、地域の支持を集めて根強いファンを作った方が得策です。今回はそんなローカライズ化が進む航空会社を紹介しましょう。

 

 

 

・日本トランスオーシャン航空・琉球エアコミューター

ローカライズ化の元祖ともいえる日本トランスオーシャン航空。ここではその子会社である琉球エアコミューターもまとめて紹介します。日本トランスオーシャン航空の前身の南西航空が設立されたのは1967年。この時はまだ沖縄はアメリカの占領下にありましたが日本の航空会社との位置づけを強くしたかったこと、また日本航空系列の会社として設立されたことから、初期の塗装は日本航空の塗装に近いものとなり、尾翼にも日の丸が付けられました。

その後、1972年に沖縄が返還され、名実ともに日本に復帰すると、南西航空は「沖縄の翼」としての立ち位置が強くなります。当時はまだ航空運賃はほぼ横並び、グループ間の乗り継ぎやブランドイメージの統一などもさほど行われていなかった時代でしたので、日本航空に合わせた塗装を施すよりも独自のカラーリングで沖縄色や日本航空との違いを打ち出した方がいいとの判断が動いたのか、1978年のボーイング737導入を機にオレンジベースの南国らしい塗装に塗り替えられます。以後15年間、南西航空は「沖縄の翼」としての位置づけを強めました。

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しかし1993年4月、南西航空は社名を「日本トランスオーシャン航空」に変更し、塗装も尾翼以外は親会社のJALに準じた塗装になりました。これは沖縄県内路線だけだった南西航空が1986年の那覇~松山線を皮切りに次々と本土路線に進出し、「沖縄のローカル航空会社」のイメージがべったりついてしまった「南西航空」の社名と塗装が、全国展開の面で逆に足かせになって来たためでした。さらにこの頃になると国内幹線のみだったJALグループも全国にネットワークを広げるようになり、このままJALと無縁の南西航空の名前で飛ばすよりもブランド力の高いJALのグループの一員として路線展開した方が特に本土の利用者の集客には有利との判断も動きました。

現在では社名以外はJALと共通の塗装であり、子会社の琉球エアコミューターの機体もしっかり鶴丸塗装です。しかし、現在でも日本トランスオーシャン航空はJAL本体には吸収されず、便名も別会社のまま。これはJALだけでなく、沖縄県を始めとした沖縄資本も出資してる関係もあると思いますが、「沖縄の翼」として発展した経緯があるだけに、JAL本体に吸収するよりは沖縄ローカライズの別会社で残して独自色を残した方が沖縄県の支持を得やすく、集客面でもANAとの差別化ができるとの判断でしょう。

実際、JTAはJALの機内誌とは別に独自の機内誌「Coralway」を発行していますし、RACはCA手作りのルートマップを搭載してローカライズ感を出しています。機内に関してもクラスJのヘッドレストカバーは沖縄伝統工芸の「紅型(びんがた)」ですし、LEDライティングも沖縄の海をイメージしたエメラルドグリーンを採用するなど、基本的にはJALと同じサービスながら所々にさりげなく沖縄らしさを出しています。こうしたさりげない独自性はブランドはJAL一色でも完全には染まらず、「沖縄の翼」のアピールを忘れないJTAの意地と誇りを感じることができます。

 

・日本エアコミューター

JALとJASの経営統合でJALグループとなった日本エアコミューター。設立当初は奄美群島のコミューター路線開拓が目的であり、会社の出資比率もJASが60%、鹿児島県や奄美群島の市町村が40%を出資する第三セクターでした。

しかし、大阪発着のYS路線を移管されたあたりから会社の性格はJAS系列のプロペラ機路線担当会社になり、路線も西日本一帯に広がりました。さらにJALグループとなった後は伊丹空港のジェット機乗り入れ制限でボンバルディアダッシュ8-400型が伊丹路線で大量に必要になったこともあって、松本や新潟と言った東日本の空港にまで路線網が拡大。遂には松本~新千歳線就航で鹿児島の第三セクターが北海道路線を運航するという事態になってしまいました。

しかし近年はATR42-600の就航とダッシュ8-400の退役で、本来の設立目的であった、鹿児島の離島路線を中心にしたコミューター航空会社に回帰しつつあります。伊丹空港のジェット規制緩和で無理矢理プロペラ機で飛ばす必要が無くなり、ジェイエアのエンブラエル機で代替できるようになったためです。ATRの1号機と2号機は奄美群島の多くの市町村の花となっているハイビスカスを描いた特別塗装となり、医療設備の少ない離島の特性に配慮してストレッチャーを搭載可能にしたりとローカライズな機体。2016年秋からはJAC独自の機内誌も発行するなど、鹿児島を中心とした地域の翼としての立ち位置を強めています。伊丹~但馬線など鹿児島県に関係のない路線も多少は残りますが、今年の6月からは奄美群島アイランドホッピングルートも開設されるなど、今後のJACは「鹿児島・奄美群島のためのエアライン」としての性格を強めていくのではと思います。

 

・エアドゥ

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元々スカイマークに次ぐ「新規航空会社」の第2号として1998年12月に就航した北海道国際航空ことエアドゥ。当初から北海道の地場企業が中心となって設立し、北海道庁も出資した「北海道の翼」でしたが、スカイマークに比べて脆弱な地盤と航空事業に明るい人材の不足、甘い需要予測と経営計画が災いし2003年に経営破たん。その後はANAを中心とした新たなスポンサーの下で再建しましたが、予約システムはANAのものを使用、全便ANAのコードシェアと、経営的には独立しているものの、事実上のANA傘下の航空会社となりました。

とは言え、エアドゥが現在でも「北海道の翼」である事には変わりありません。現在のエアドゥの路線は全て北海道の空港を発着しており、北海道外で完結する路線はひとつもありません。機内誌も北海道各地を紹介するものですし、サービスに関してもドリンクは日本茶以外は全て北海道に関係したものを用意。機内オーディオも北海道にゆかりのある人物がパーソナリティを務めたり機内販売のビールもサッポロクラシック。ここまで一地域を前面に押し出している航空会社もそうはないのではないでしょうか。航空券販売はANAに依存しても、サービスには北海道色を前面に出してエアドゥらしさを出す。これも一つのローカライズ化の形なのかも知れません。

 

と、ここまで3社を紹介してきましたが、ローカライズ化している航空会社はまだまだあります。ここでいったん区切って、後編では究極のローカライズ航空会社、天草エアラインと関西拠点にローカライズ化したLCC、ピーチをご紹介しましょう。

 

後編へはこちらからどうぞ↓

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バリューアライアンスと既存の三大アライアンスとの違い


名航空会社列伝「リゾートに咲いた白く儚い花」究極のリリーフ・バニラエア

 

バニラエア関係でもう一つ補足説明です。動画内で多少触れたものの、詳しい説明は省略したLCC初の航空アライアンス「バリューアライアンス」について、もう少し深く掘り下げます。

 

・バリューアライアンスはスクートとノックエアが中心

バリューアライアンスは2016年5月16日に、アジア太平洋地域のLCC8社が結成した、世界初のLCCの航空連合です(厳密にいえば2016年1月に設立されたU-Flyの方が先なのですが、こちらは設立時の加盟会社が全て海南航空系の会社なので、系列の違う会社が手を組む航空アライアンスとはちょっと違います)。加盟会社は以下の8社です。

 

・セブパシフィック航空(フィリピン・独立系)

・チェジュ航空(韓国・独立系)

・ノックエア(タイ・タイ国際航空系列)

・ノックスクート(タイ・ノックエアとスクートの合弁会社)

・スクート(シンガポール・シンガポール航空系)

・タイガーエア(シンガポール・シンガポール航空系)

※タイガーエアは2017年2月にスクートに統合されブランド消滅

・タイガーエア・オーストラリア(オーストラリア、シンガポール航空系列を経て

 現在はヴァージン・オーストラリア系列)

・バニラエア(日本・ANA系列)

www.vanilla-air.com

 

こうしてみるとLCC初のアライアンスと言っても、8社中5社はスターアライアンス加盟会社が絡んでいるのが分かります。さらに残る3社のうちタイガーエア・オーストラリアは元々はシンガポール航空系列でしかも現親会社のヴァージン・オーストラリアはニュージーランド航空とシンガポール航空が大株主、セブパシフィック航空もタイガーエアとの提携を結んだ過去がありますので、チェジュ航空以外は何らかの形でスターアライアンス系列の会社に関りがあります。さらに言えばバリューアライアンスの元となったのはスクート、ノックエア、ノックスクートの3社の提携関係でしたから、バリューアライアンスはスクートとノックエアが中心となって、そこから親会社同士の関係も使って加盟会社を広げた事が伺えます。

 

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・バリューアライアンスはアジア太平洋のLCC二大巨塔への対抗策

バリューアライアンスが設立された背景には、アジア太平洋地域でのLCC競争激化が大きいのですが、その中でもマレーシアのエアアジアグループとカンタス系列のジェットスターグループが頭一つ抜き出ている現状に対抗するため、という側面が大きいです。

エアアジアグループは本国のマレーシアのほかにタイ、インドネシア、フィリピン、インド、日本(ただしこの時はまだ就航のメドが立たず)に系列会社を持ち、2015年のグループ保有機は171機、路線数221、年間旅客数5070万人を誇ります。

一方のジェットスターは本国のオーストラリアに加えニュージーランド、シンガポール、ベトナム、日本に系列会社を持ち、グループ保有機は122機、路線数180、年間旅客数3400万人。これら二大巨塔の特徴は知名度が高い統一したブランドを持ち、グループ会社間のネットワークでLCCながら乗り継ぎによる長距離移動が可能と言う点にあります。さらに近年ではインドネシアのライオンエアが急速に勢力を拡大しており、タイとマレーシアに系列会社を設立。アジアLCCの王者のエアアジアですらライオンエアの攻勢に苦しめられています。

バリューアライアンスはこれらの巨大LCCグループに対抗するために、中堅規模のLCCが手を組んだものです。中心となったスクートこそタイガーエアとの統合で保有機は40機、路線数62とそれなりの規模にはなりましたが、それでも2大巨塔には遠く及びません。この規模の差を補うために、バニラエアを含めたアジア太平洋地域のLCCに声をかけた、という訳です。

 

 

・アライアンスと言ってもバリューアライアンスは既存のとは別物

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さてこのバリューアライアンス、アライアンスとは言ってもスターアライアンス、ワンワールド、スカイチームと言ったフルサービスキャリア中心の三大アライアンスとは全くの別物です。三大アライアンスは予約システムの接続やコードシェアによる旅客の融通に加え、マイレージの相互利用や共同でのラウンジなどによるサービスの共通化、チェックインカウンターや整備施設の相手先の加盟会社に委託など、その協力関係は多岐にわたっています。

加盟会社には一定水準のサービスとそれなりのネットワーク、経営の安定化が求められ、過去にはブラジルのヴァリグが倒産で国際線の大幅縮小を余儀なくされ、ネットワークとサービス水準が維持できないとしてスターアライアンスを脱退させられた事がありました。アライアンス加盟を希望する会社はそのメリットを享受する代わりに他の加盟会社やアライアンスの評判を落とさないよう、それ相応のサービスとネットワークが求められるのです。

 

これに対してバリューアライアンスが提供するのは、エア・ブラックボックス車が開発したシステムを使って加盟会社間の予約システムをつなぎ、専用予約サイトで最終目的地までの一括予約を可能にしたことと、万が一乗継便に間に合わなかった場合、無償での振り替えを可能にしたことのみ。マイレージサービスがないのはもちろん、整備やグランドハンドリング業務の共通化やコードシェアなど三大アライアンスが当たり前のように行っているような協力関係はなく、「加盟会社間の航空券購入を共通化し、乗り継ぎを容易にした」だけの関係とも言えます。

三大アライアンスに比べると単なる多国間提携程度の関係ですが、それでも乗り遅れの際の無償振替を可能にしただけでもLCCとしては画期的な出来事です。元々LCCは2地点間の移動のみに焦点を当てた路線展開をしており、同じ会社の便の乗り継ぎですら、一旦荷物を受け取った後再度チェックインが必要な場合もあります。ピーチなんかは自社便でも乗り継ぎに関しては自己責任で、自社都合による遅れや欠航以外は振替は一切不可となかなか厳しいもの。それ故に乗り遅れの無償振替はLCCでは思い切った措置であり、LCC間の乗り継ぎのハードルが下がってバリューアライアンス内での利用が活発化すると言う寸法です。

 

・ピーチとの統合後、バリューアライアンスとの関係はどうなる?

そんなバニラエアも、ピーチとの統合で近い将来のブランド消滅が決まってしまいました。ここで気になるのが完全統合後のバリューアライアンスとの関係です。

今の時点では継続、脱退どちらでもないですが、バリューアライアンスの共通サイト自体も4月に立ち上がったばかりのようですし、当面は様子見でどれだけ効果があるかを見極めるのではないかと思います。恐らく来年には最終判断を下すだろうと思いますが、ピーチは東南アジアでの知名度はゼロに近いですから、将来的な中距離路線進出を考えると、個人的にはこのままアライアンスに残ってスクートやノックエアとのパイプを残した方が得策なように思います。いずれにしてもせっかく立ち上げたバリューアライアンス、上手く軌道に乗せてエアアジアやジェットスターに対抗する第三極を作り上げて欲しいですね。

 

 

県を代表する空港、営業中なのに定期便ゼロ。不思議な福井空港に行って見た。

MRJミュージアムを訪れた翌日、台風接近もあって予定よりも早く名古屋を離れることにしましたが、ただ帰るのももったいないので、台風の影響が少ない福井経由で帰る事にしました。途中敦賀で一泊し、赤レンガ倉庫などを観光した後「そう言えば帰り道にあの空港があったよな・・・」とふと思い出し、前から一度行って見たかったその空港へ行って見ることにしました。

 

福井県坂井市・旧春江町。ここに空港がある事を知っている人はどれだけいるでしょうか。いや、ひょっとしたら福井県民ですらその存在を知らない人もいるかもしれません。空港の名前は「福井空港」と、堂々県の名前を掲げているのに。

 

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一応、公共の空港ですから、空港への入り口を示す標識はありますし、周辺の道路にも「福井空港 〇km」という案内標識が何か所か設置されています。しかし、その標識の先にある「空港」は、普段私たちが想像する立派な空港とはかけ離れた建物でした。

 

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少し離れた場所から。遠目からでもこの「空港」の建物が異様な事が伺えると思います。2階建ての建物は何十年も前に建てられた古いものであることが伺えますし、左端に突き出ている管制塔らしきものがなければ、古い町役場とか小学校と言っても違和感ありません。

 

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近くで見るとその古さと寂れ具合は一目瞭然。某航空事故検証番組でよく建物がしょぼいとネタにされるフランス航空事故調査局(BEA)が立派に見えるほどです。

一応駐車場はありますし、定期便がないとは言え空港ですから関係者以外立ち入り禁止と言うわけでもなく、普通に入ることができます。

 

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空港の中はこんな感じ。利用者が殆どいないので、当然飲食店や売店はなし。一階ロビーの自販機が唯一の供食施設です。一応待合室はありますが、そのスペースは小さく、20人くらいが限度。ですが横には福井県の観光パンフレットが並べられ、日焼けなどしてないところを見ると定期的に変えられているようです。

 

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2階には展望デッキがあるので上がって見ました。給油用のタンクローリーと小型の単発プロペラ機が3機止まっているだけで、当然ながら離着陸する飛行機はなし。ちなみにここまで誰一人会うことはありませんでした。

定期路線がゼロの福井空港を使用するのは事業用の会社と遊覧飛行、グライダーです。空港内にも事業用の航空会社の事務所が何社か入っていました。あとは県警のヘリや防災ヘリの基地にもなっているので、福井空港が全くの無用の長物、と言うわけでもないようです。

 

 

それにしても、なぜ福井空港はこんな状態になってしまったのでしょうか?福井市内からは離れているものの、車で約20分とそこまで不便な場所とも言えませんし、坂井市もそれなりに人口がいますから、定期便ゼロになる程需要がないとも思えません。その謎を解く鍵は小松空港の位置と福井空港の周辺環境にあります。

 

最初は福井空港にも定期便が飛んでいました。1966年に全日空が東京ー小松線を延長する形で福井に乗り入れたのが始まり。その後東京ー福井線は一日2往復に増えますが、1973年の小松空港のジェット化が福井空港の運命を狂わせる事になります。

実は小松空港と福井空港は直線距離で35km程しか離れておらず、福井市内から見ても50kmくらいしか離れていませんでした。追い討ちをかけるように同じ年には北陸道小松ー丸岡間が開通し、福井県内から小松空港への道路アクセスも良くなりました。

多少遠くなってもジェット化で所要時間が短縮され、快適性も増した小松路線を福井県民は選ぶようになり、福井空港は一気に窮地に立たされます。しかも東京ー小松線も福井線も同じ全日空の路線でしたから、航空会社サイドも利用者が減った上に近隣空港の自社路線で代替可能な福井路線を維持するメリットはありませんでした。結局東京ー福井路線は1976年に廃止され、以後福井空港は「定期路線のない空港」となってしまいました。

 

その後福井空港の定期路線復活を狙い、福井空港のジェット化計画が持ち上がりますが、住宅地の中にある福井空港はこれ以上の拡張が難しく、立ち退きが必要になります。地元住民はジェット化後の騒音問題もあってジェット化に強硬に反対します。結局、福井空港のジェット化計画は2001年に休止、2003年には正式に中止され、現在に至ります。

 

もし福井空港がジェット化されていたら違った形になっていたのでしょうか?確かに福井県内の航空需要は福井空港に移ったかも知れませんが、それでも空港から遠い若狭地方や、東海道新幹線米原駅に比較的近い敦賀市は恐らく福井空港は利用しないと思います。路線に関しても東京線以外はあまり見込めず、札幌や福岡、沖縄や国際線は引き続き小松空港に流れたと思いますので、ジェット化しても東京線が1日3〜4便程度に留まっていたと思います。さらに言えば北陸新幹線が延伸したら小松空港が近い分、富山空港以上の苦戦が予想されますので、長い目で見たら福井空港のジェット化は実現しなくて良かったのではないでしょうか。

 

定期便はゼロの福井空港ですが、グライダーの聖地とも言われています。設備の割に発着回数は少ないのがグライダーの練習には好条件なようで、定期便はなくとも福井空港を必要としている人は間違いなく存在します。今後福井空港に定期路線が復活する可能性は限りなくゼロに近いですが、グライダーの聖地として、福井の防災拠点として、末永く活躍してほしいですね。

 

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結局、バニラエアは成功だったのか。失敗だったのか。

迷航空会社列伝、今回は前回からの続き物でバニラエアを取り上げました。


名航空会社列伝「リゾートに咲いた白く儚い花」究極のリリーフ・バニラエア

 

前回の初代エアアジア・ジャパンからの続き物ですので、まだの方はこちらをどうぞ。


迷航空会社列伝「水と油の同床異夢」1年3か月で消えたエアアジア・ジャパン(初代)

 

最終的にはピーチへの事業譲渡と言う形で統合され、姿を消すことになったバニラエアですが、実際のところ、バニラエアは成功だったのでしょうか、それとも失敗だったのでしょうか。

 

 

1.業績

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直近のバニラエアの決算は2018年3月期。前年度は営業損失約6000万円、当期純損失約7億1100万円でしたが、今期は営業利益8億4600万円、純利益12億3200万円と再び黒字決算になりました。これだけを見ると単独でも持ち直せそうに見えますが、この利益額は赤字決算に伴う法人税減免が反映されている数字です。普通に法人税を納めていれば利益額は5~6億円程度と、売上高に比べると利益率はそこまでは良くなさそうです。

さらに言えば、最悪期よりはマシになったとは言え、累積損失はまだ107憶9100億円あるので、健全経営とはまだ言えない状態。この利益額だと累積損失の一掃にはまだ10年ほどかかりそうですので、業績面からバニラエアを「成功」と言うのはちょっと早いかなと思います。もっとも、バニラエアの累積損失のうち3分の1はエアアジア・ジャパン時代のものですので、一概にバニラエアのせいとも言い切れないのが判断を下すのに困るところですが・・・

 

www.traicy.com

 

2.イールドとユニットコスト

航空会社の収益力を示す数値として「イールド」と「ユニットコスト」があります。「イールド」は旅客1人に対する1キロメートルあたりの収益を示しており、この数字が大きければ大きいほど、高い価格で航空券を販売できていることになり、売上高の増加につながります。一方の「ユニットコスト」は、1座席を1キロメートル運ぶためにかかるコストの額を示しており、この数値が低ければ低いほど、利益を出しやすいと言えます。つまり、イールドが高ければ高いほど、ユニットコストが低ければ低いほど、その航空会社は収益性が高いと言えます。では、バニラのイールドとユニットコストはどうなのでしょうか。他のLCCと合わせて見て見ましょう。なお、数値については下記の記事より抜粋しています。

 

gendai.ismedia.jp

 

            イールド  ユニットコスト

バニラエア        6.6円     5.7円

ピーチ          9.1円     6.8円

ジェットスタージャパン  8.3円     6.9円

春秋航空日本       7.6円     10.5円 

 

こうしてみるとバニラエアはイールドはLCC4社中最低ですが、逆にユニットコストは4社の中で最も低い数値です。「動画内でバニラエアのコストが高いと言っていたのに!」と思われるかもしれませんが、実はこのユニットコスト、輸送距離が長くなればなるほど緩やかに下がっていく傾向にあり、他のLCCに比べて長距離を飛ぶ国際線の比率が高く、平均輸送距ピーチやジェットスタージャパンよりも500km以上長いバニラエアが有利なんです。もしバニラエアの平均輸送距離がピーチやジェットスタージャパンと同等なら、ユニットコストはこの2社と同等か、それより高かったのではないでしょうか。

一方のイールドですが、季節変動が大きく、供給量が決まっていて在庫を持ち越すことが不可能な航空業界の場合、需要動向を見極めて価格設定と販売座席の調整を行い、最大限の販売金額で座席を売り切る能力が求められます。イールドの数値が高ければ高いほどこの販売コントロール能力「イールドマネジメント」が優れているとも言え、この点では最も高い数値を出しているピーチの方がイールドマネジメントに優れていると言え、このイールドの高さがピーチの高収益体質を支えています。一方のバニラエアはイANAからの出向者で固められており、LCC流のシビアなイールドマネジメントを行うのは限界があったのかも知れません。そういう面ではバニラエアは「成功」とは言い難いですが、ユニットコストの低さは平均輸送距離の長さを差し引いても先行2社とそん色ないものですから、「失敗」とも言えないと思います。

 

3.路線展開

2018年8月現在、バニラエアの就航路線は以下の通りです。

成田―札幌、函館、奄美大島、那覇、石垣、台北、高雄、香港、セブ

関西ー奄美大島、台北

福岡ー台北

那覇ー石垣、台北

 

国内線7路線、国際線7路線の計14路線とピーチやジェットスタージャパンに比べると少ないですが、その分会社の柱となる路線は便数が多いのが特徴です。例えば国内線の主力の成田―札幌線は1日9往復、成田ー台北は1日4往復と、主力路線に便数を集中させてシェアを取る作戦です。また、「リゾート」を謳い文句にしているだけあって、奄美大島や石垣、セブといったリゾート地への路線を積極的に開拓するほか、函館や高雄と言った観光需要が大きそうな地域にも就航しているのも特徴です。

一方の運休路線は、国内線では成田ー関西線と関西-函館線、国際線では成田-ソウル線と成田ー台北経由ホーチミン線。この他、成田―セブ線も冬スケジュールから運休となります。ピーチも同じくらい運休路線があるのですが、ピーチとバニラの路線数の差を考えるとバニラエアの運休路線は多い方ですし、ジェットスターの運休路線が3路線だけと言う事を考えると、路線開拓の市場調査や就航後のてこ入れに関しては他社より甘いのかなという印象です。この辺もLCC的なシビアさがバニラエアは薄いなと感じる部分ですが、ANAの出向者が多い事を考えると、抜本的なてこ入れは難しそうです。

 

で、結局バニラエアは成功?失敗?

以上の事から考えると、バニラエアを「成功」と言うには今一つな要素が多いですし、「失敗」と断じるのは奄美路線の成功や低いユニットコスト、黒字化した事を考えると無理がありますし酷だと思います。しかし、前身のエアアジア・ジャパンの失敗からの立て直しと言う要素を加味すれば「まあまあ成功だった」と思いますし、奄美大島の観光振興に大きく貢献したという意味では、奄美地方の人々にとってはバニラエアは「大成功」と言えるでしょう。ピーチがかなりの成功を納めているのに比べるとバニラエアの規模と業績はどうしても見劣りしてしまいますが、就航から4年でこの数字ならよくやった方ではないでしょうか。

その一方で、バニラエアがこの先大きく飛躍できたのか、と言われると、現状のままでは厳しいのではないかと思います。関空で絶対的な地位を築き、ジェットスタージャパンを返り討ちにしているピーチと違い、成田でのバニラエアはそのジェットスタージャパンの後塵を拝していることや、リゾートに特化したブランドイメージがピーチやジェットスタージャパンのような幅広い路線展開の妨げになっている事。そしてANAからの出向者で固められ、良くも悪くもANAに依存しているバニラエアがLCC的なエッジの利いたブランド展開や大胆な発想がやりにくい事など、他社に比べると成長の伸びしろは少ないように思います。そう考えると今回のピーチとの統合は、起こるべくして起こった事なのかも知れません。

 

8月2日より2018年度冬ダイヤの販売がスタートしましたが、今回はピーチへの路線移管はありませんでした。恐らく次の2019年春ダイヤからピーチへの路線移管が本格化するのではないかと思います。まだ統合後の新生ピーチの姿は見えて来ませんが、バニラエアの持つ国際線網やユニットコストの安さを新生ピーチには是非生かして欲しいですね。バニラエアが本当の意味で「成功」と言えるようになるのは、新生ピーチがバニラの資産を生かしてさらに飛躍した時なのではないでしょうか。

 

 

 

 

MRJミュージアムに行ってきた。

7/27(金)から今日(7/29)まで愛知と福井に行ってきました。当初は動画の素材集めも兼ねて関東方面に行くつもりだったんですが、直前になって台風12号が関東地方直撃と聞いて、危険を感じて泣く泣く断念。ちょうど前から行きたいと思っていたMRJミュージアムに28日の午前の空きがあったので、予定変更してこっちに変更しました。

 

で、7月28日の午前10時ころ、名古屋空港近くにあるあいち航空ミュージアムに到着。「え?MRJミュージアムじゃなくって?」と思ったそこのあなた、MRJミュージアムは工場関係者以外立ち入り禁止の三菱重工の敷地内にあるので、直接行くことができないのです。というかMRJの製造工場に入るわけですから当然と言えば当然なんですが。

そこで、MRJミュージアムの受付はあいち航空ミュージアム内にあり、そこで受付を済ませた後、専用バスで工場へと向かうわけです。ちなみに、MRJミュージアムは工場敷地内も含め原則撮影禁止。電子機器の持ち込みも一切不可で、1階のロッカーに全て預けなければいけません。万が一持ち込みが発覚したらその時点でツアー中止になる場合がある程撮影や電子機器持ち込みにはシビアですので、現地のスタッフの方や他のツアー客の迷惑にならないよう、うっかりでも絶対に持ち込まないでください。

当然、館内の写真は一切なし。一階のエントランスだけは写真撮影OKのようですが、商業利用はNGのようなので、ここでの掲載はやめておきます。という訳で下のあいち航空ミュージアムの写真が唯一のもの。MRJミュージアムのバスが写ってますが、まあこのくらいは大丈夫かと思います。

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さて、MRJミュージアムですが、結論から言うとかなり見ごたえがありました。バスで移動後、一階のエントランスで荷物を預け、まずは上の階に移動して、シアターで15分ほどMRJの初飛行や開発の様子を映像で見ました。映像が終わるとスクリーン左手の扉が開き、MRJの原寸大モックアップが登場するという演出。これはなかなか上手くできてるなと思いました。MRJに対する期待感が高まります。

展示施設はMRJの原寸大モックアップやエンジンや主翼の部品、フライトマッピングや実際に風洞試験で使われた模型などが展示してあります。生産現場を360度映像で見ることができる場所ではタブレットを使ってみるのですが・・・見事に騙されました。何に騙されたかは実際に行って見て下さい(笑)

 

そして、ひとしきり説明を受けた後は下の階に降りていよいよ製造工場へ。工場内は組み立てエリアと偽装エリアに分かれていて、組立エリアには塗装済の試験機が一機と組立前の胴体が2機分置かれていました。一方の艤装エリアは配線作業中の機体が1機。全体的にガランとした感じですが、実際に生産体制に入ると何機ものMRJが並ぶ壮観な光景になるんじゃないでしょうか。

 

都合1時間半近くに及んだ見学ツアーは以上で終了。1グループにつき15人で回るので、あまり駆け足にならずにしっかり説明を聞ける感じ。入る前にイヤホンが渡されて説明もイヤホン越しに聞けるので、説明が聞こえづらいという事もありません。モックアップ内の座席や主翼の部品などに実際に触れたり座ったりすることができますので、より旅客機の事を詳しく学べるなと思います。ツアーは有料ですが、お金を払う分、しっかり考えてコースが組まれているなという印象です。

最近、MRJに取っては逆風と言えるニュースが続いていますし、今後の計画の継続性や将来の見通しも明るいニュースは少ないですが、それでも国産ジェット旅客機は実現して欲しいと思います。そのMRJを深く知り、ファンを増やすという意味でもこのMRJミュージアムは有益だと思いますし、連日満員で予約が取り辛い人気施設になっているのも、MRJに対する関心や機体の高さの表れではないでしょうか。特に土日は空きが出にくく、また予約しても変更がしにくかったり身分証明書が必要だったりと見学のハードルは高いですが、MRJミュージアムに予定を合わせてでも見る価値はあると思います。案外、間近になるとグループのキャンセルなどで空きが出る場合もありますので、思い立ったらあきらめずに予約状況を見て見る事をお勧めします。

 

まあ、私の場合はぼっちだったから間近でも予定が立てられたとも(以下自粛)

 

【2023年6月23日追記】

MRJミュージアムの閉館が正式に決まってしまいました。コロナ渦による休館以来、一度も再開されることなく6月末で閉館するそうです。スペースジェットの開発中止でこの施設の存続自体難しいと思っていたのですが、いざ正式に閉館が決まると寂しいものです。

それとともに、行けるときに行っておいて本当に良かったとも思います。シアトルやトゥールーズのような航空機産業の一大拠点になる夢はMRJミュージアムの閉館とともに幻となってしまいましたが、せめて展示物の一部だけでもどこか別の博物館に移して展示してくれればと思います。

www.aviationwire.jp

 

あと、あの時見た作りかけの試験機は恐らく廃棄されただろうな・・・

 

 

www.meihokuriku-alps.com

 

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日本貨物航空、整備記録改ざんと事故隠蔽で業務改善命令喰らう。

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日本郵船グループの貨物航空会社「日本貨物航空(NCA)」が航空機の整備記録を改ざんしていたとして、国土交通省から「業務改善命令」を出されてしまいました。この他にも報告義務がある事故報告を怠ったなど、安全管理が極めてずさんだと判断され、航空事業者としては初めての「連続式耐空証明」の取り消しまで喰らってしまいました。

通常、航空機は1年毎に飛行機の構造や強度などの検査を受け、安全性を確認する「耐空証明」を受ける義務がありますが、一定の整備基準を満たした事業者に対しては、毎年の検査が免除される「連続式耐空証明」が交付され、基本的には1年毎の検査を受けなくても良くなります。現在、この「連続式耐空証明」は11社が認められていますが、認められた会社は厳しい安全基準を満たし、十分な整備体制を持っていると国にお墨付きをもらったようなもの。それが取り消されるという事は、「お前の会社は安全基準を満たしていない」と言われるようなものですから、日本貨物航空の犯した不正がいかに重大な事かが分かるかと思います。

 

国交省、NCAに事業改善命令 整備記録改ざん、連続耐空証明はく奪

 

問題が表面化したのは6月16日、「整備記録に事実と異なる記載が見つかった」と日本貨物航空が発表し、全11機の運航を停止した事から。それ以前の2017年1月にバードストライクで機体前部に運航を中止する必要がある程の大規模な損傷を受けましたが、航空日誌には「小修理」と記載してそのまま運航を続けました。運航中に大修理が必要なほどの損傷は「航空事故」として国に報告する必要がありましたが、NCAは報告せずにそのまま運航。さらに2018年3月にも大規模損傷を受けるほどの事故があったにも関わらず、5月まで国交省には報告しませんでした。

これを受けて国交省が立ち入り検査に踏み切り、調査の結果、整備記録のデータ改ざんが複数行われていたことが発覚します。先の全便運航停止はこの結果を受けての事ですが、実際は「事実と異なる記載」で済む話ではありませんでした。2017年4月12日には関空に向かって飛行していたNCA便が落雷に遭い、関空到着後成田に回送して整備することになりましたが、その際、整備記録が不明確だったことで具体的な内容が読み取れず、適切に整備しないまま運航に戻されたり、今年4月には補給・交換が必要だったフラップの潤滑油を交換せず、整備記録に改ざんした数値を記録するなど、安全管理がずさんだったことが発覚し、今日の業務改善命令となってしまいました。

 

7月5日以後、安全確認が終わった機体から運航を再開していますが、7月20日現在、11機のうち運航に復帰できたのは2機だけで、残りの機体はまだ安全の確認が取れていません。運航停止の原因が記録の改ざんや不適切整備ですから、確認に時間がかかるのも当然と言えるでしょう。他社への振り替えなどで物流に影響が出ているほか、運航停止の長期化と連続式耐空証明取り消しによる検査強化などで、NCAの業績にも打撃を与えるのは間違いありません。NCA側は「追加の点検や整備をしなくても済むようデータを改ざんした。機体をより多く飛ばすためだった」という趣旨の説明をしているようですが、改ざんの代償はあまりにも大きすぎました。

 

航空会社に取って「安全運航」は最も優先されるべきものですが、その安全運航を軽視してると言われても仕方のないようなことをNCAは犯してしまいました。航空会社として整備記録の改ざんや不適切な修理は恥ずべきものであり、安全より目先の利益を優先したと言われても仕方がないと思います。今回の業務改善命令は当然でしょう。

しかし、考えようによっては大事故を起こして尊い人命を失い、会社の存続に関わるような事態になる前に不正が発覚した事は不幸中の幸いとも言えます。NCAは今回の一件を真摯に受け止め、再発防止と管理体制の徹底的な見直しを行って、今一度安全運航に対して真摯になって欲しいと思います。